「
亡(ぼう)」は手足を折り曲げた死者の骨の形で
「
亡くなった人」の事です
「病
膏肓(こうこう)に入る」と言う言葉があります
「
膏肓」は(こうもう)と間違って読むことで有名な字ですが「
こうこう」が正しい読みです
この
「膏(こう)」は
心臓の下の部分
「肓(こう)」は胸の前部にある骨の形で横隔膜の上部分です
「
膏」も「
肓」も内臓な深い所で、病がそこに入るとなかなか治らない部分です
「
病膏肓に入る」とは
「
不治の病にかかること」です
荒野に捨てられた死体が
「
荒」で「
亡」を含む「
荒」の字を「
こう」と読むことを覚えていると
「
膏肓」を「
こうこう」と正しく読めるかもしれませんね
「
亡(ぼう)」は手足を折り曲げた死者の骨の形で
「
亡くなった人」の事です
「亡」を含む
「妄(もう)」は
「
みだりに」「
いつわり」の意味です
この
「
妄」の「
亡」も手足を折り曲げられた死者の姿で、荒野に捨てられた死体の怨みの霊を恐れる字です
ですから
「
妄」を含む含む言葉は少し変わっています
「
妄想」はあり得ないことをみだりに想像することですし
「
妄執(もうしつ)」は迷い心から物事に執着することです
中国の思想家「孔子」も
「
心をふるい起こして勉学に熱中して食事を取る事を忘れる」と言ってます
この
「
忘」も「
意識に存在しないこと」の意味です
「荒(こう)」の
「
草カンムリ」は草原のことです
「
亡(ぼう)」の下の
「
川」のような字形は死体に残った髪の毛です
この「
荒」の「川」のような字形は「
流」にもありますが、こちらも「
髪の毛」です
「
流」の右上は「
育」の上部と同じ形で、これは「
頭を下にして産まれて来た子」のことです
「
育」の下の「月」は、
「
月(にくづき)」です
つまり「
育」は子供が産まれる形の字で「
うむ」「
そだてる」の意味になりました
「流」は右側は「
下向きの頭の髪が乱れた子の姿」です
それに「
サンズイ」を加えたのが「
流」で
これは子供が水に流されてる姿です
そこから「
ながれる」の意味になりました
「〇〇流」と言う言葉は
名流(名高い人たち)のような「
なかま」の意味にも使い、水流から
流派のの意味が生まれ、その流派の仲間の意味になりました