「教(きょう)」の旧字は
「
爻(こう)」と「
子」と
「
攵(ぼく)」を組み合わせた字でした
この「
爻」は、屋根に交差(×)した木のある建物の事です
この場合は学校の校舎です「
子」はそこで学ぶ子弟たち
「
攵」の元の字は「
攴」で
「
ト」の部分は木の枝やムチの形で下の「
又(ゆう)」は手を表します
ですから「
攵(攴)」は
手に木の枝やムチを持って何かを
打つ事です
ですから「
爻」「
子」「
攵」を合わせた
「教」の旧字は、
校舎に子供たちを集めて指導する先生たちがムチ(木の枝)で打って励ます事です
古代の中国では一定の歳に達した若者たちは、建物に集められ、一族の長老たちから伝統や生活の規則などを厳しく教えられました
子供の持つものを伸ばす今の教育とはずいぶんちがう教えかたですね
儀式の時に塩物や飲み物を入れる器として使用しました
後に「
荅(とう)アズキ」と音が通じて「
まめ」の意味になりました
前にも書きましたが
「登(とう)」の字の
「
豆」を除いた上部分は
「
両足」を開いている「
足」の形です
ですから「
登」は高い脚部分を持つ器である「
豆」を台にして、両足を開いてその上に「
のぼる」と言う字です
「豊(ほう)」の旧字は
「豐」です
旧字の「
豐」の「
豆」以外の部分は、穀物の
「
黍(きび)」の類を盛っている形です
つまり「
豐」は
食器である「
豆」の中に黍の類を盛って供えるてる姿です
多くの「
黍」を盛って供えるので「
ゆたか」の意味になりました
「黍(きび)」はイネ科の一年生作物で、中国では古くから主要な穀物である
「
五穀」の一つ
五穀はいろいろな説は有りますが、
米、麦、粟、豆、黍、等です
「
豆(とう)」は脚部分が高くクビの部分が短い食器です
儀式の時に塩物や飲み物を入れる器として使用しました
後に「
荅(とう)アズキ」と音が通じて「
まめ」の意味になりました
「短(たん)」の「
矢」は弓矢の「
や」です
古代では「矢」で物の長短を計りました
それに「
豆」を加えた「
短」は、「
短い矢」の事です
そこから「
みじかい」の意味になりました
その食器「
豆」の形を横から見たら、まっすぐ伸ばした首の上に人の頭がある形に似てます
「頭(とう)」の「
頁(くつ)」は、儀式の際に使う帽子を着けて、おごそかに儀式に参列してる人を横から見た形、
その「
豆」と「
頁」を合わせて「
あたま」の意味になりました
「
足」を意味する文字の基本型は「
止」で
止は足跡の形です
この「
止」を3つ含む形に
「奔走」の
「奔(ほん)」が有ります
上の「
大」の形は
「
夭(よう)」の事で
人が走る姿です
それに
「
止(足)」を3つ加えて、早足に走る意味で「
はしる」「
はやい」の事です
また「
止」が4つ合わせた字が
「渋(じゅう)」で、旧字は「
澀(右上の刃部分が止」で「
止」が3つですが
古代文字では4つ書かれてて、それが二個ずつ向かい合う形で書かれてます
両足を揃えて相向かう形なので進む事は出来ずに
「
渋滞」の意味になるのです
現在の「
渋」の形は
水にはばまれて進めない状態の事です
また
渋(しぶ)い食べ物は口を通らないので
「
しぶい」意味にも使います