・
「冬の方、御一つ御伺いしても宜しいでしょうか。」
全てを聞き終え、広間を後にした冬姫に幸村が声を掛ける。
冬姫は、歩みを止め、ゆっくりと幸村を振り返る。
「何をお聞きしたいのでしょうか。」
「はい、冬の方も、五徳の方も、直政殿をそれぞれ『ダメ政』『ダメ男』と呼称しておりますが、それは何故でしょうか。」
幸村の問いに冬姫の表情が険しくなる。
そして、其の険しくなった冬姫の表情を見た政宗と早川殿は、周りの空気が瞬時に冷たく一変した事を感じ、無意識に歩みを止めた。
一気に冷たくなった空気感に幸村は聞いてはいけない事だったのか、と感じ、少し恐縮する。
冬姫はゆっくりと幸村、政宗、早川殿を見渡す。
後に口を開く。
「…‥幸村殿、逆にお聞きします。例えば、貴方の親、昌幸殿がずっと、周りのご機嫌を常に伺い、常に誰かに頭を垂れ続け、口を開けば、『ごとき』『なんか』、そして、意味の無い謝罪を言葉にし続ける様を見て、どう感じますか?」
「え?其れと是と関係は…‥」
甲斐姫は、質問を質問で返した冬姫に対し、不愉快さを感じ、咄嗟に口を挟んだ。
「大いに関係が御座ります、甲斐殿。然し、今は少し口を閉じていて下さいますか?私は、幸村殿に聞いておるのです。貴女の答えは所望してはおりませぬ。」
が、冬姫は甲斐姫の言葉を途中で遮り、甲斐姫を一喝した。
「…‥どう感じますか?」
言い澱む幸村に、冬姫は再びキッパリと問い質す。
真っ直ぐに見つめてくる冬姫の瞳に、幸村は首筋がぞくり、と栗立ったのを感じた。
(信長公と同じ眼光…‥)
幸村は無意識に生唾を呑み込んだ。
誤魔化せない。
幸村は直感で感じた。
「…‥正直、肩身が狭く感じますね。そして、そんな光景を見ると、苛立ちます。」
幸村が緊張した面持ちで、正直に素直に答えた。
冬姫はじ、と幸村を見つめる。
幸村も緊張の面持ちで、冬姫から目を離さず、真っ直ぐに見つめ返す。
そして、幸村の答えに満足したのか、不意に冬姫がふ、と笑う。
「それが、私達が直政殿を『ダメ政』『ダメ男』と呼称する理由です。」
「…………‥?」
幸村が首を傾げる。
そして、政宗も、早川殿も、甲斐姫も、幸村と同じ様に首を傾げた。
「…‥貴方は、貴女達は、何不自由無く、生き育ったのですね。…‥いえ、若しくは、信之殿や氏康殿、輝宗殿が貴方方が不自由無く、生きられる様に常に守り、泥を全て被って来たか…‥」
冬姫は、眉間に皺を寄せ、本当に分からないと言わんばかりに首を傾げる幸村達を見て、羨ましそうに、少し、困惑した様に苦笑いを浮かべて呟いた。
「冬の方?」
「いえ、何でもありません。頭主とは其の家の顔で御座います。頭主がダメなら周りもダメになり、周りから見下され、罵られる対象になります。直虎殿は其れを全く理解しておりません。外交も、商売交渉も、足下を掬われれば終わりです。佇まいも、立ち振舞いも、語らずとも相手を畏縮する。そんな頭主でなければ、乱世で家を存続させる等、夢幻です。」
「だからこその貶し呼称か。」
冬姫の言葉に政宗が納得した様に頷いた。
「其れもありますが、要は、直虎への見せしめです。」
「見せしめ?」
「ええ、そうです。直虎殿の目の前で、直政殿を態と貶し罵る事で、貴女が態度を省みないせいで、周りの部下も、養息(ようそく)も、此の様に貶され続けているのですよ、と…‥」
「知らしめる為、ですか?」
幸村の答えに冬姫が満足気に頷いた。
「でも、ちょっと、回りくどいんじゃない?そんな事しないで、直虎に直に言ってあげれば…‥」
「本当に御目出度い頭をしていらっしゃるのですね、甲斐殿。貴女の脳ミソは御花畑で出来ている様ですね。」
冬姫は、悪びれも無く、清々しくもニッコリと笑って毒舌な言葉を甲斐姫に投げ掛ける。
「Σんなっ!?Σ( ̄ロ ̄lll)」
冬姫は、はぁ、と甲斐姫に聞こえる様に態と大きな溜め息を吐き出した。
「其れでは意味が無いのですよ、甲斐殿。」
冬姫の後ろから響いて来た別の声。
幸村達が振り向くと、其処には、昌幸が立っていた。
「確かに甲斐殿の仰有る通り、こうですよ、貴女は間違ってますよ、と直に言えば、直ぐに分かる事です。ですが、其れが効果的なのは、其の方に『何かをしてもらいたい』時か、或いは、誰かに『伝言』を頼んだ時ぐらいしかありません。」
「…‥意味分かんないんだけど。」
甲斐姫が少し拗ねる。
「では、甲斐殿。貴女にお聞きします。貴女は生まれて今日まで、一体何人の『言葉』を覚えておいでか?」
「え?何人って…‥そりゃあ…‥」
昌幸の言葉に、甲斐姫が考えを巡らす。
「…‥え…‥あれ…‥何で…‥?」
甲斐姫が困惑し始めた。
覚えていておかしくない人の言葉を一切頭に残っていない事に甲斐姫は慌てた。
「思い出せましたか?」
「え?そんな…‥嘘…‥思い出せない…‥姿や会話したって事は思い出せるんだけど…‥内容が思い出せない…‥‥」
「其れが直で言っても意味が無い、という答えですよ。」
甲斐姫の様子を昌幸は、柔かく笑みを溢しながらそう告げた。
「でも、何で…‥?」
「答えは簡単です。其の人の言葉に、貴女自身が、『重要性』を感じなかったからですよ。何気無い日常会話なんて、一言一句間違う事無く覚えている人なんて何人居ますか?然も、其の命尽きるまで沢山の人と交わした会話の内容等。」
「確かに…‥」
昌幸の言葉に、甲斐姫が納得した様に頷く。
「恨み節や旨の内に残る様な事は覚えていても、普通に交わす言葉は不思議と頭に残っていないんですよ。」
「ならば、もし、冬の方が直虎にそう警言(けいげん)しても、直虎自身が『重要性』を感じなければ警言も無駄になる、という事じゃな。」
昌幸の言葉に政宗がそう付け加える。
「その通りです、政宗殿。御理解がお早いですね。流石は伊達家御頭主で在られまする。ただ、小さい身成故に頭の中身も小さいかと懸念しておりましたが、そうでは無さそうで安堵致しました。」
「…………………………………‥本当に余計な一言が多い姫君じゃな(ー"ー#)」
にっこりと笑って、何気に政宗の触れてはいけない事をしれっと平気で言い切る所は矢張り、父親譲りである。
「ですが、此所までしても、気付いておらぬ御様子。是は、少し痛い目に遇ってもらわねばならぬ様ですね。」
「………………‥ふ、冬の方?」
ふふふ、と笑う口元は信長の魔王が取り憑いたか?と勘違いしそうな程の畏怖感を醸し出していた。
「御手柔らかに御願い致しますよ、冬の方。あくまで直虎殿は井伊家頭主ですので。」
「大丈夫です、昌幸殿。少し火傷を負わせてやる程度ですよ。」
「………………‥」
「………………‥」
((め、目が笑っておらぬ(いません)っ!!!(T▽T;)))
冬姫の表情は確かに笑っていた。
だが、完全に目付きは魔王を降臨させていた。
其れを見た政宗と幸村は、ただならぬ戦慄を覚え、思わず後退った。
「…‥私は、ただ、許せぬだけです。」
暫くして冬姫が口を開いた。
「直虎殿を見ていると、嘗ての父上の立場を思い起こして、苛立つのです。徳も、信忠義兄上も、永も、幼い頃からずっと父上の背中を見て育ちました。周りの者は何時も父上を罵り言、貶し言、恨み言を口にしていました。矛先は、私や五徳、義兄上や弟妹達にも及びました。『此の子は一体、誰に孕ませた御子か』『奥方様は子等成せぬ身体であるのをいい事にどこぞの馬の骨とも分からぬ女に孕ませるとは、女遊びの激しい御頭主だ』…‥もう、うんざりするぐらいに言われ続けました。」
冬姫が唇を噛み締めた。
「………………‥」
「………………‥」
幸村と政宗は、冬姫の悔しげな言葉に投げ掛けてやる言葉が見つからず、ただ黙って冬姫の悲悔の言葉を聞いていた。
「此の時ばかりは徳も、私も、永も、女子の身である事を強く恨みました。もし、男子であれば武器を奮い、威厳ある言葉で周りを蹴散らし、父上を敵対視する者達から守る事が出来たのに、と。」
冬姫は強く瞳を閉じ、強く唇を噛んだ。
「冬の方…‥」
「そう思っていたのですが、義兄上が私達に向かって言ったのです。」
『お前達は何もしなくても良い。其の役目は嫡男である俺の仕事だ。今はまだ力は無いが、何時か日ノ本全土に俺の名を轟かせてやる。甘い噂では無く、父上の様に畏怖する噂をな。今は耐えろ。何時かお前達にも父上の為に出来る事が必ず在る。其の何時かの為に知恵を、力を蓄えろ。いいな。』
「私達は、義兄上の言葉を信じ、耐えました。気が遠くなるぐらいの時を。」
冬姫の力強い言葉と迷いの無い真っ直ぐな気高い表情に、嘗ての正史の未来で冬姫と面通しした時の事を思い出し、昌幸の隣で黙って聞いていた信之は小さく、くすり、と笑った。
「兄上?」
突然、聞こえて来た笑い声に幸村が首を傾げた。
「いや、少し未来で会った冬の方の事を思い出してな。」
「未来?まだ、過去に遡っていない時のですか?」
「ああ、私が冬の方と初めて会ったのは、大坂の戦いが終わり、半日過ぎた後だった。突然、冬の方が私を訪ねて来たのだ。」
そう言うと、信之は其の時の冬姫を懐かしむ様に瞳をゆっくりと閉じた。
『冬の方?突然、如何なされましたか?』
『…‥少し、信之殿とお話しを致したく。』
『私と?』
『はい。』
冬姫は、氏郷、息子の秀行亡き後、髪を斬り(当時は此の漢字が正解)、出家し寺隠した。
其れ以来、表立って姿を見せる事無く、世の中を静観していた。
そんな冬姫が突然、自身を訪ねて来た事に、信之は少し驚きを覚えた。
『お話しとは?』
『…‥大坂での戦いで、幸村殿が討死し、豊臣家が滅亡しました。』
『……………………‥』
『そして、信之殿、貴方が生き残り、真田家は貴方の願い通り、存続しました。貴方の願いは成就致しました。信之殿、今の御気分は如何ですか?』
真っ直ぐに、率直に、言葉を濁す事無く、問い掛けてくる冬姫に信之は正直、心が揺らいだ。
『………………‥』
『幸村殿を討つ事で、泰平を脅かす者、豊臣家を討った事で、守られた真田家存続、どんな御気分ですか?』
『…‥っ!』
冬姫の声質が変わった。
信之は周りの空気が冷たくなったのを肌で感じた。
まるで…‥
(信長公が目の前に居る様だ。)
信之はゆっくりと顔を上げた。
そして、息を呑んだ。
其処には、穏やかで麗しい『女』である冬姫では無く、刺す様な鋭い眼差しを称え、真っ直ぐに威厳のある凛々しい『信長』の表情を持った冬姫が居た。
『…‥そうですね…‥確かに、私の願いは成就しました。ですが…‥此所が寒いのです。』
信之は自らの胸に掌を添え、ゆっくりと語りだした。
『此所に、大きな穴が空き、其処に冷たい風が吹きすさび…‥寒いのです。』
『…‥後悔しておりますか?』
『後悔は…‥して…‥』
『自身を偽る言の葉は申されるな。』
信之が吐き出すであろう言葉を悟り、冬姫はぴしゃり、と言い止めた。
『冬の方…‥』
『此所には、猪女(稲姫の事)も、腹太狸(家康の事)も居りませぬ。私は、偽りの信之殿と話に来たのではありません。真実の信之殿と話に来たのです。』
冬姫は、きっぱり、と言い切った。
そして、信之は悟った。
冬姫は、自身の心の奥底に隠し続けた自身の本心を炙り出しに来たのだ、と。
『此所に永く隠し通して来た真心を曝け出しなさい。』
冬姫は自らの掌を、既に胸に当ててある信之の掌の上に重ねた。
そんな冬姫に、信之は我に返り、うなだれて俯いた。
そして、呟いた。
『私は…‥幸村を…‥父上を、信長公を失いたくはなかった…‥っ!』
信之には似合わない弱気が含くまれた声。
『…………‥』
『幸村が、父上が、信長公が居なくなって…‥私だけが残されて…‥私はどうすれば良い?』
冬姫は信之の弱気な言葉に、顔を背ける事をせず、真っ直ぐに信之を見つめ、呟かれる彼の弱音を黙ったまま全てを聞いていた。
――――幸村や昌幸と過ごした想い出が、信長との想い出が一つずつ、泡の様に記憶の底から浮かんでくる。
信長と初めて会った日の事。
幸村と桜を見上げて、楽しく談笑した事。
幸村が、昌幸が、信長が、直ぐ自分の傍に居たから、気付かずにいた。
――――其れがどれ程大事なものだったか。
『信之殿…今この部屋には、私しか居りませぬ…』
冬姫は静かに口を開いた。
『誰も見ておりませぬ。故に、気を緩めて下さい。明日になったら…‥皆の前では、平気な顔、しなくてはいけないのですから。今は平気ではない顔をしても、構いませぬ。』
冬姫の気遣った言葉に、信之は微笑もうとした。
だが、顔が強張った。
『…‥有難う、冬の方。』
そう呟いた途端、胸の奥に熱いものが込み上げて来た。
――――堪え切れなかった。
唇をギュッと固く噛んだが、其れでも止められなかった。
視界がぼやけ、信之はうなだれた。
頬に涙が伝う。
声を殺して、信之は泣いた。
涙の滴が、頬を伝い静かに落ちた。
冬姫は、黙って信之の身体を抱き締めた。
そして、幼き子をあやす様に、ポンポン、と優しく背中を叩いた。
信之は冬姫の肩に顔を埋める様にして、また、声を殺して泣いた。
「…‥強き方でした。」
信之が清々しい笑みを浮かべた。
「その様じゃな。流石は信長の娘、と言ったところか。」
全てを聞き終えた政宗達が感嘆の溜め息を吐いた。
「強過ぎですよ(^_^;)」
幸村がそう呟いた。
「強くなければ、冬姫殿を取り巻く環境は過酷で生きるには難しかったのでしょう。」
幸村の呟きに、信之はそう言いながら目を細めた。
「…‥ですが、過去が変わった今、冬姫殿達は『あの時』よりは女性らしく生きておられる様だ。」
「そうですね、私もそう思います。私は幼い冬姫様しか会った事が御座いませんが、私が会った時と今の時とは表情が全然違います。未来が変わる前に出会った時の冬姫様の眼(まなこ)は人を全く信じていない刺す様な輝きがありましたから。」
光秀も信之の言葉に初めて冬姫と会った時を思い出しながら、今、目の前に居る冬姫を眩しそうに見つめた。
「冬姫殿の為にも、信長公の存在を日ノ本に認めさせよう。」
「はい!」
信之は、昌幸の言葉に、幸村が力強く返事を返す音を聞きながら、静かに顔を上げ、青天を見上げた。
そして、誰も悲しまず、誰も傷付かず、皆が幸せに笑って暮らせる、そんな日ノ本を造りあげよう、と決意を新たにしたーーーー…‥
ーーnext