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「……………‥」
「三成殿。」
無視。
「…………‥」
「三成殿っ!」
更に、無視。
「…………‥」
「みーつーなーりーどー…‥」
「煩いっ!そんなに騒がずとも、聞こえている!」
我慢の限界突破で、三成は自分に声を掛ける人物を怒鳴りながら振り返る。
「なら、直ぐに返事を返さぬかっ!それだから、『岩』成と呼ばれるのだ!」
「狽ネっ!何だっ、其のふざけた名前はっ!」
「がっちがちの固まった考えしか持たない救いようのない頭でっかちの誰かさんの別名。」
しれ、と本人目の前にして、悪びれた様子も無くずばっ、と言い切る。
「…‥相変わらず、口の悪い女だ。其れだから、嫁いだ先で苦労するのだよ。」
「其れを三成殿が申しますか?三成殿とて、私に負けず劣らず、口が悪いではありませぬか。」
三成の嫌味に臆する事無く、女性は言い返す。
「口が悪いのは、治しようが無いにしても、心許した者、若しくは、私の様に、三成殿の味方する者には、少し柔らかくなった方が宜しいのでは?」
「………………‥」
「今直ぐに、とは申しません。少しずつでも良いのです。相手が自分に歩み寄るのを待つのでは無く、自分から相手に歩み寄る事も大切な事ですよ。」
女性は其処まで言うと、ふに、と三成の頬を摘まんだ。
「煤I?」
「頭もそうですが、凝り固まった言葉しか吐き出さない口も十分解した方が宜しいですよ。」
ふにふに、と頬を揉み解しながら女性は三成にそう告げる。
「ーーっ!?離せっ!!」
頬にある手を退かすと、三成は自分の手で頬を撫でる。
「良いのです。三成。」
「何を…‥っ」
顔を上げると、三成は言葉を無くす。
女性の顔は全てを悟った涼やかな表情をしていた。
「三成殿は三成殿の心から支えたいと、思う人に着きなされ。三成殿が父上に仕えたくはない、と思うなら、其の心を抑えたままで父上に仕く事はしなくて良いのです。三成殿は自身が命ずるままの素直な志に従えば良いのです。」
「秀子、お前…‥」
「私は、筒井家が父上に対して裏切りの刃を向けた為、織田に戻って来ました。ですが、私は筒井家に裏切りの手引きをした、と罵りを受けました。故に父上は、皆に示しを付ける為、私を別屋敷に隔離をし、軟禁されました。」
秀子は、天正6年(1578年)、織田有力家臣筒井家との政略結婚で筒井順慶の養嗣子・定次へ嫁いだ。
然し、筒井定次が、本願寺と織田が敵対した時、織田に着く事をせずに、信長の遣り方は、強引過ぎる、との理由から、本願寺側に味方した。
其れを知った秀子は、必死に定次を説得したが、逆に信長に筒井家の情報を流しているのだろう、と疑われ、執拗な罵りを受けた。
そんな秀子を筒井家に支えていた島左近が、なんの証拠も無しに疑うのはいけない、と助けた。
が、左近もまた秀子を庇ったが為に共謀の疑いを掛け、二人を罵った。
定次の態度に、秀子は精神的打撃を受け、悲愴感を抱いた。
織田方に味方していた順慶は、此のまま筒井家に居ては何時か冤罪で秀子が処断されると懸念し、信長の大事な息女を殺めてはいけない、と左近に秀子を闇夜に紛れて織田家へと帰国させろ、と命令した。
だが、織田家に帰った秀子を待っていたのは、温かく帰りを迎えた言葉では無く、筒井家に裏切りの手引きをした、との疑いを掛けられ、信長の前へと突き出された。
其の時、信長は情を見せるでも無い。
娘を前にして甘やかすでも無い。
ただ、坦々と秀子の処分を言い渡したのだ。
そんな信長の態度に、一部の家臣がなんて無慈悲冷酷な、矢張り、使えぬ者は身内だろうが容赦が無い、等と小声で罵り合っていた。
「……………‥」
「ですが、其の事で父上を咎め非難するは、間違いです。身内ですらも厳しい処罰を与える事が出来る事もまた『優しさ』です。」
女性・秀子は、三成の手を取る。
「優しさと甘さは表裏一体。一歩間違えれば、優しさは甘さに変わります。三成殿、間違いなされるな。」
秀子は、そう告げると、す、と立ち上がり、三成の部屋を後にしようとする。
「秀子。」
「何か?」
「貴様も間違えるな。誰も信長公に仕えるのが嫌だ、とは言っていない。」
「ふふ、そうですか。」
秀子は三成の言葉に、多くを語らなかった。
だが、秀子は三成が何を言いたいのか理解していた。
「…‥信長公の周りは、相変わらず敵だらけだ。其の敵対する者共をどう蹴散らすか、頭を悩ませていただけだ。」
「そうですか、ですが、余り、硬く考えては疲れるだけですよ。其れに…………‥禿げますよ。」
「煤I?余計な世話だっ!!」
「ふふ」
秀子は静かに部屋を出た。
「………………‥」
三成は、秀子が握り締めた掌をじ、と見つめた。
「優しさと甘さは、表裏一体…‥か。」
三成は、静かに目を閉じる。
そして、先程、秀子が見せた笑みを思い出す。
三成は秀子が織田家に帰って来た時の事を覚えていた。
疲労困憊で、左近が支えていなければ、倒れてしまうのが分かるぐらいだった。
左近は、秀子に声を掛けながら、秀子の意識を保させていたが、其の左近の声すら秀子に届いていないのでは?と思うぐらい、意気消沈していた。
だが、見慣れた織田家屋敷を目にすると、漸く、安心出来る場所へ戻って来たという安堵の表情を見せた。
此れで自分に対する脅威は無くなった、と思っていたのだろう。
だが、そんな秀子に周りは『優しく』はなかった。
筒井家に裏切りの手引きをした疑いが掛けられ、秀子を乱暴に扱い、鼻っから罪人扱い。
支えていた左近を無理矢理剥がし、強引に腕を引かれ、もう、動かす事すら出来なくなった足等、気遣う事もせず、半ば引き摺る様に秀子を信長が待つ広間へと連れて行った。
三成は、其の様子を一部始終見ていた。
見ていたなら助ければ良いものを、と思うだろうが、此の状況で秀子を助け、庇いでもしたら、今度は三成までも秀子の共犯と見なされ、罪人にされてしまう。
其れが解っていたからこそ、三成は敢えて助ける事をしなかった。
そして、其れは信長にも同じ事が言えた。
信長が、あの場で秀子を庇う様な言動や秀子に優しい言葉を投げ掛けたなら、周りは、矢張り、親子で共謀していたか、と罵りを受ける。
だからこその厳しい処断。
厳しい処断を下す信長は、冷酷と言う言葉が似合う程、冷たい表情だった。
周りは、家族ですら、使えなくなれば斬り捨てるのか、と信長を非難した。
だが、何も感じていない筈は無かった。
其の証拠に、三成は皆が居なくなった頃合いで信長に呼ばれた。
『三成、卯ぬは秀子をどう見たか?』
『どう、とは?』
『筒井家に裏切りの手引きをしたと思うてか?』
『いえ、其れは無いと断言出来ます。』
『で、あるか。』
信長は三成の答えに満足した笑みを浮かべた。
『秀子姫の表情からは、窶れ、悲愴を感じ取れました。恐らく、筒井家でも強引な尋問が行われたと考えた方が妥当か、と。』
『矢張り、な。』
信長は一瞬、考えを巡らすと、再び三成を見た。
『三成。卯ぬに秀子を預ける。暫くは、秀子と共に居れ。』
『其れはどういう……‥』
三成は、信長を見つめる。
だが、信長は何も語らずに、ただ、笑みを浮かべる。
『…‥成る程、そういう事ですか、解りました。信長公の命に従い、秀子姫をお預かり致します。』
三成は笑みを深くすると、そう信長に告げ、深々と頭を垂れた。
そんな三成に信長は満足そうに頷いてみせた。
ただ、命ずるままに『監視』するつもりだった。
秀子に同情し、優しくしたところで自身に何の得がある。
三成はそう考えていた。
だが…‥
固く閉じられた襖。
閉じ籠り、姿すらも見せない。
手付かずのままで放置された食事。
そんな光景を一月も見てしまうと、流石の三成も心配にもなってくる。
三成は、襖越しに声を掛けてみる。
が、中から返事が返って来る事がなかった。
三成は、周りに自分以外の人間が居るから心を閉ざしているのか、と考え、周りの人間を払い、三成自身が食事を運び、襖越しに声を掛ける。
そんな日々を三成は欠かせず行った。
其れ以外でも、襖の前に座り、秀子を一人にしない様に心掛けた。
そして、何度目かの春を迎えた日、閉ざされ開かれる事が無かった襖が僅かに開いた。
三成は、此の時、何とも言えない歓喜を抱いた。
其れを見た左近もまた、ほ、と胸を撫で下ろした。
其の日から、三成は秀子を成るべく一人にする事をせず、秀子と共に在った。
其れを繰り返した結果、笑顔を見せる回数が増え、何時しか、三成の言葉に対して辛口言葉を返せる程になった。
「…‥信長公は、『こうなる事』が分かっていて、殿に秀子姫を預けたんでしょうな。」
「…‥恐らく、な。」
三成は、左近の言葉に、ち、と舌打ちしながら、気に入らないとでも言うかの様な表情をした。
「信長公は、人を良く見ていらっしゃる。」
「何が言いたい?」
三成は、左近の意味有り気な言葉に睨む様な視線を向けた。
「そう睨みなさんなって。決して悪い意味では御座いませんよ。」
「では、どういう意味だ。」
「殿は、強情で、頑固で、意地っ張り。おまけに、ひねくれていて、吐き出す言動で誤解を受け易い。だから、周りは殿を敬遠し、嫌悪する。だが、信長公は違う。敬遠するどころか、殿を評価し、殿を重宝する。」
「………………‥」
左近の言葉に三成は黙り込む。
「どんなに汚い言葉を吐こうが、どんなに横柄な態度をしようが其れは関係ない。信長公にとって大事なのは、『中身』であり、其の人が持つ本質だ。信長公は、人を『見ている』様で、実は、其の人を『見てはいない』。」
「見てはいるが、其の人物に巧妙に隠された真像のみを『観』る。」
「そう、『見る』では無く『観る』だ。だからこそ、信長公は問うのさ。『何を望む?』とね。」
左近は、そう告げると、再び三成を見た。
「孫市に問い掛けた言葉の『みる』もまた、違った意味の『みる』だな。」
「ああ、孫市の場合は『視る』だな。」
「だが、問い掛けられた方は、信長公の言葉の真意を解っちゃあいなかったみたいだがな。」
「アイツは、馬鹿では無い。ただの阿呆だ。言葉を吐き出したままの意味で受け止める。阿呆以外の何者でもない。」
三成は吐き捨てる様に、孫市を批判する。
「まあ、一々、誰かが殺される度に『信長、許せねぇ』等と憎しみ言を吐き出されたんじゃあ、堪ったもんじゃないねぇ。いい加減うざったくなってくる。」
「………‥矢張り、先ずは、雑賀衆か。」
「だな。潰すなら、『そっち』が先だ。」
三成は、目の前に拡げた地図を見ながら、そう呟いた。
「孫市は、泳がせ過ぎた。もう、頃合いだろうな。」
とん、と左近が軍配の先で紀伊国を指した。
「北条、伊達 、毛利が織田に降った。信長公の天下も…‥」
「…‥後、一息ってとこだ。」
三成の言葉に、左近が頷く。
そして、二人は地図を見つめ、どう雑賀衆を堕とすか思考を巡らし始めたーーーー…‥
「…‥此の際だ、殿。」
「何だ?」
「秀子姫を側室に迎えたらどうですかい?」
「煤I!??なっ、ななな、何を言っているっ!?ばっ、馬鹿な事を言うなっ!!!」
「お似合いだと思うんですがねぇ。」
「…………………‥」
左近は、何だかんだと言いながらも、三成の満更でも無い表情を見逃す事は無かった。
ーーnext