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桜舞う随想【十六幕・徳川討伐の刻】







「なっ、何だとっ!!北条までも、織田の手に堕ちたと申すかっ!!」

突然の知らせに男は驚愕する。



今川が織田との同盟を組んだ事で、事実上、男の人質としての役目は、自然と消滅した。

今川との接点が無くなり、今川を攻め、今まで占領されていた徳川領地を取り戻そうとした。

が、今川が織田との同盟を組んだ事で、今川家は弱体化する所か、織田の協力を得て、今川家は力を取り戻し、進攻が儘ならなくなってしまった。

ならば、と思い、男が次に頼ったのは、今川と同盟を組み、盟友関係にあった北条との同盟である。

何とか北条を味方に付け、難攻不落の小田原城を手中に納めた。

此で、防衛は確固たるものとなった。

北条を味方に着けた強味で、伊達をも味方に、と考えを巡らせてはいたのだが、伊達の当主である政宗は男の命令を聞くどころか、叛く素振りを見せ、男に従う様子は見られなかった。

そんな政宗の態度に煮え切らない思いを抱いていると、突然、政宗が奥州統一を成し遂げる為、兵を挙げた、という情報を得た。

此の情報で、信長は今川だけでなく、伊達までも自身の手中に納めたのか、と悔しさで爪を噛んだ。

真田家、武田家、に続いて今川、伊達と、自分より先手を抑える信長の動きに男は焦りを見せ始めていた。



ーーーー…‥矢先の北条敗北の報。



何故、信長はこうも早く自分より動く事が出来るのか。

信長の動きは、まるで男が次にどう動くか全て熟知しているかの様だ。

(忌々しい…‥っ)

男は、ぎり、と唇を噛み締める。

信長は、着々と順調に力を拡げている。

(後は、毛利、島津、立花、長曽我部…‥)

男は、今残っている地方大名だけでも、信長より先に味方に着ける事が出来れば、と考える。

(信長より、早く…‥否、速く動かねば…‥っ)

男は、そう考えに至る。

「誰かっ!誰か居らぬかっ!」

思い起ったが吉日。

男は、素早く伝令を、と思い声を荒げた。

が、其れよりも速く別の伝令が広間へと駆け込んで来た。

男は、頭に嫌な予感を巡らせる。

「御伝え致します!中国地方、織田の手に堕ちて御座いますっ!毛利、無条件で和睦を承諾!」

「なっ!?」

またしても、先手を取られてしまった。

「何故だっ!何故っ、こうも、儂の先を往けるのだっ!!」

男は、苛立ちで畳に拳を叩き付ける。

(此のままでは、織田軍勢に周りを堅められ、儂等が包囲される。そうなれば、儂達に勝目は無い。全てを掌握される前に何とかせねばっ!)

「半蔵っ!半蔵は何処(いずこ)かっ!!」

男は、一人の忍びを呼び付けた。

其の男の呼び付けと共に、一人の忍びが静かに降り立つ。

「半蔵、急ぎ、『片倉』の下へ行けっ!!」

「……‥伊達は、織田の支配下に在る。」

「片倉は、承知しておらぬっ!全てを掌握されては遅いのだ。片倉を利用し、伊達を此方に引き込むっ!」

「御意。」

男の言葉に、半蔵は短めに返事を返すと、其の場から姿を消したーーーー…‥










「…‥次は『片倉』。」

こつん、と信長は駒を奥州に置く。

「まあ、流れからして、必然的に『そう』なりましょうな。」

其の様子を見つめながら、昌幸が呟く。

「『家康』の動ける範囲はもう限られておる。もう『其れ』しか手は無かろうて。」

くく、と信長は喉を鳴らして愉しそうに笑う。

「片倉は、簡単に家康の掌の上に『堕ち』ましょうな。」

「で、あるな。彼奴の織田嫌いは筋金入りであるからな。堕ちるがよかろう。全ては此方の『思惑』通りよ。」

そう言いながら、奥州に置いた駒を指先でこん、と弾き飛ばす。

「…‥片倉は頭は良い方だが、時勢を読めぬ『愚か者』よ。頭が良くとも、愚かならば、ただの阿呆に過ぎぬ。」

信長は、政宗の隣に佇む小十郎を思い出す。

「さあ、片倉よ、家康の掌に安堵して堕ちるがよい。さすれば、此の信長が全てを断滅させてやろうぞ。」

くく、と喉を鳴らして信長は再び笑い、自分の思い通りに動くであろう哀れな片倉に思いを馳せた。










「小十郎が、徳川に?」

政宗は、小十郎が家康と接触し、家康に着いた事を信長付きの忍・佐助から聞いた。

聞いた瞬間、小十郎程の知将が、と思ったが、小十郎は織田に降る事を頻りに反対していた。

織田に降れば、何時か浅井家の様に伊達家も滅ぼされる、と。

だが、政宗は小十郎の言う事は聞かずに、織田に着く事を独断で決めた。

其れを知った小十郎は、主が決意した事とあって黙ってはいたが、内心では腸が煮え繰り返っていただろう。

其の証拠に、小十郎は織田に降ってからと言うもの、全くと言っていい程、喋らなくなった。

信長と謁見する時は、黙ったまま何処かに姿を消してしまう。

其処まで信長の事を嫌悪しなくても、と思うのだが、小十郎の頑固さは筋金入りだ。

『ああなって』しまっては、主である政宗の言葉すら聞く耳持たずになる。

「小十郎の気持ちも分からぬ事も無い。」

「なら、一緒に家康に着くか?」

「着かぬ。着く理由も無い。着いてしまえば、今までの家康に対しての態度に有ること無いこと理由を付けて、儂を処断するに決まっておる。そう分かっていて、家康に着けるか。」

「ま、其の通りだな。家康の遣り方は、手段を選ばぬ汚ねぇ遣り方ばっかだしな。」

佐助は、唇を噛み締め、信長に着いた事で浮き彫りにされてきた家康の汚い遣り方に、佐助はこんな奴を少しでも尊敬の念を自分が抱いていたのかと思うと、虫酸が走った。

「アイツは、殺ってもいねぇ事を殺ったと言って、罪のねぇ奴に無理矢理『大罪』を着せて処断したり、盗人では無い奴を盗人にしたりして、『善人』を『悪人』にする事で、自分を『聖人君子』にして、周りに崇拝して貰う様に仕向けるのが得意な奴だ。恐らく、小十郎に信長の悪意の限りの罵りを聞かせて、小十郎を完全に自分の体の良い捨て駒にするのが目的だろうな。」



家康は、手段を選ばない。

徳川を脅かす者は、容赦ない断罪を与える。

其の遣り方は、子々孫々に受け継られ、戊辰戦争が勃発するまで職権乱用でありとあらゆる民が罪を押し付けられ、乱殺され続けた。

そして、其の結果、現在も尚、徳川政権の独裁ぶりを知り尽くしている長州人達は未だに消える事の無い罪に苦しみ続けている。

坂本龍馬暗殺、朝廷謀叛、井伊直弼暗殺、京都焼き討ち、二条城砲撃、天子誘拐、懸けられた罪は数知れず。

『冤罪、未だ晴れず』

久坂玄瑞の最後の此の言葉は、声にならない、叫びにならない長州人達の深い苦しみや無罪訴え全てが、凝縮されている重い、実に重過ぎる一言である。



政宗は、佐助の言葉に、ぐ、と拳を握り締める。

小十郎は、自分が幼い頃より、ずっと側に仕えていた。

時には厳しく、時には優しく、そう接してくれた。

だから、政宗自身、小十郎になついていたし、小十郎の言葉には嘘はないから、今まで小十郎の言葉だけに従って生きてきた。

其れ程に信頼していた。

「何とか、小十郎を救い出せぬだろうか。」

「無理な話だ。」

「何故じゃっ?!」

「良く考えてみろよ。アイツは政宗の気性も性格も重々熟知している。だとすれば、小十郎を自らに引き入れ、政宗がどう動くかも把握しているって事だ。つまり、小十郎を自らに引き入れた真の目的は、政宗、お前だ。小十郎と言う餌を使って、お前と言う魚を釣ろうという魂胆だ。だから、今動いてしまえば、アイツの思う壷だ。辛いだろうが、今は大人しくするのが得策だ。」

「…………‥」

政宗は、佐助の言葉に悔しげに唇を噛み締める。

「…‥信長を信じろ。今の俺からは、其れしか言えない。」

「分かっておる。儂は信長を疑っている訳ではない。寧ろ、信長には絶対なる信を儂は抱いておる。」

「そうか。」

「信長は、自身が不利なのにも関わらず、儂に奥州平定を薦めて来た。そして、奥州を平定しておる間、織田が徳川を抑えてくれていたお陰まで、奥州を統一出来た。」

政宗は、顔を上げ、空を仰ぐ。

「信長は、約束を守った。ならば、其の志に儂は応える。儂は、信長の空を駆けよう。信長の空を汚す輩を此の竜の爪で討ち祓おう。」

政宗は、そう新たに決意した志を佐助に伝える。

そんな政宗に、佐助は満足そうな笑みを浮かべ、黙って頷いてみせた。

「其の決意、真実(ほんもの)と判断した。大丈夫だ、信長は、自身の味方になった者には深い慈悲を見せる。お前を裏切る事はしない。」

佐助は、そう政宗に告げると、次の一手を既に伐っているであろう信長の下へと駆ける為、政宗と共に地を蹴った。










運命の天下分け目の戦いまで、後僅かーーーー…‥










ーーnext

桜舞う随想【十五幕・約定の真実の刻】







広間に広がる緊張感。

中央に座するは、北条氏康が嫡女・早川殿。

上座に座するは、織田が当主・織田信長。

其れを囲む様に幸村、信之、昌幸、勝頼、義元等が座する。





八王子城を堕とした後、小田原城を攻めた信長。

城を囲み、何時でも攻める事が出来ると皆が決意した後直ぐに、北条からの使者が信長の下を訪れ、北条は織田に降る、と報せて来た。

そう告げたと同時にざわめきが起こり、今更、何を、と呟く者、やっと、降参したか、と呟く者、と様々なざわめきが生まれた。

其の中で、信長は、静かに空を仰ぐと、

「…‥氏康、卯ぬとのもう一つの約定、果たせる時が来た様だ。」

そう小さくぼそり、と呟き、

「早川殿に承諾した、と伝えよ。そして、早川殿一人だけで、安土を訪れよ、とも伝えよ。もし、是が破られるならば、其れ相応の断罪を与える故に確と心得よ。」

と使者に言及した。

使者は、信長の此の言葉に、恐縮しながら、深く頭を下げると、其のまま踵を返し、小田原城へと帰って行った。





そして、其の言い付け通りに、早川殿は一人で安土を訪れた。

「早川殿、漸く、降伏を受け入れてくれた様だな。」

「…‥はい、今更な降伏受け入れですが…‥」

「構わぬ。」

「……………‥」

「……………‥」

短めに会話をした後、沈黙が支配する。

早川殿は俯いたまま、顔を上げようとはせず、唇を噛み締めたまま、口を開こうとはしない。

「…‥予が憎いか?」

信長の思い掛けない問い掛けに、早川殿がは、として顔を上げる。

「弟である景虎を此の手で殺した予が許せぬか?」

「そっ、其れは…‥っ、私達が抵抗止めないから、殺されるのは…‥っ!」

「『仕方が無い』。此の短い一言で済ませられる程、卯ぬ等の家族の絆とやらは、薄っぺらいものか?」

「……‥っ!!」

早川殿が息を呑む。

「景虎の命は、卯ぬ等にとって、其の命を奪った者に憎しみを抱く事が出来ぬ程、簡単に軽んじられるものか?」

「そんな訳ないじゃないっ!!憎いわよっ!!三郎の命を奪った信長公がすっごく憎いっ!!でも、どうしようもないじゃないっ!憎いからって、信長公の命を奪ったって、三郎が生き返る訳じゃないんだからっ!!」

早川殿はそう信長に叫ぶと、肩で息をした。

其の叫びを聞き、信長は薄く唇に笑みを乗せると、す、と立ち上がり、早川殿の近くに寄った。

一瞬、早川殿の身体が強張る。

「…‥着いて参れ。」

信長はそう一言告げると、早川殿の返事を待たずに、部屋を後にした。

其れを見た早川殿は、状況を呑み込めずに、唖然としていた。

「行かられよ、早川殿。」

反応が遅れた早川殿に、昌幸が優しく声を掛ける。

「あ、はい…‥」

昌幸の言葉に、早川殿は漸く我に返り、そう返事を返すと、慌てた様子で立ち上がり、信長が歩いて行った方向へと走って行った。

「…‥本に信長公は御人が悪い。」

早川殿が信長を追い掛けて行った事を確認した昌幸が苦笑いと共にそう呟いた。

そんな昌幸の言葉に、信之も、幸村も、皆が皆、肩をすぼめて苦笑いを浮かべた。










信長が歩く後を追い掛けながら、早川殿は何処に向かってるのか、と考えていた。

幾つかの部屋を通り過ぎて行き、次第に日の光が届かぬ場所へと辿り着く。

が、信長の歩む足が止まる事は無く、更に先へと進んでいく。

そして、廊下の行き止まりに辿り着くと、信長は軽く、拳でこん、と壁を叩いた。

すると、がこん、と言う音と共に、壁が横に擦れ、其の先に穴が開ける。

信長は、迷う事無く、穴の中へと歩みを進めた。

早川殿も慌てて後を追う。

薄暗い闇を進んで行くと、やがて、視界が開けた。

開けた場所を見ると、所々鉄格子が見える。

どうやら、辿り着いた場所は、地下牢の様だ。

こんな所に、何が、と思いながら、早川殿は未だに足を止めない信長に着いて行く。

そして、地下牢の行き止まりへと着いたと同時に、信長は懐から一束の鍵を取り出す。

かち、と牢を開け、信長は早川殿に入れ、と顎をしゃくる。

早川殿は、信長は自分を捕虜として扱うものだ、と思い、少し顔を俯かせる。

「…‥入ってみらば、理解する。」

其の意図を読んだのか、信長は多くを語らず、短めにそう告げると、牢から僅かに離れる。

早川殿は、信長の意図が読めずに、首を傾げ、入るのを躊躇っていたが、信長はただ黙ったまま、早川殿を見据えているだけで、何も語らなかった。

早川殿は、暫くは迷って立ち止まってはいたが、何時までも信長を待たせてもいけない、と思い、中へと入る。

入って直ぐ薄暗く湿った空気が早川殿の肌にまとわりつく。

不意に、視線を前に向けると、薄暗い闇の中に誰かが居る事に気付く。

誰かを知る為に歩みを更に進めていくと、ぼんやりとだが、其の誰かがしっかりとした輪郭となる。

其の輪郭が誰かなのか理解した瞬間、早川殿の表情が驚愕に変わる。

「さ、三郎っ!!」

「姉上っ!!」

「ど、どうして此処にっ?!と言うより、殺されたんじゃ…‥っ!」

早川殿は、錯乱していた。

景虎は信長に殺された筈。

小田原城で確かに景虎の死体を此の目で見た。

だが、今目の前に居る人物も見間違う事の無い景虎本人。

では、小田原城で見た景虎は一体誰だったのか。

「卯ぬ等は小田原城内で死体を見たのだ。天守近くで外を見らば、顔が分からずとも、背格好、着物が景虎と同じならば、景虎と思い込ませる事は造作も無い事。」

「其れじゃあ、私達は、まんまと…‥」

「予の策略に引っ掛かった、と言う事ぞ。」

「でも、どうして…‥?」

「綾御前よ。」





降り下ろされる麁正ーーーー…‥



景虎は、殺される、と思い、きつく目を閉じる。

だが、何時まで経っても、斬られた時の熱さと、意識が徐々に奪われていく様な痺れは訪れなかった。

景虎は恐る恐る目を開けると、其処には景虎を庇い、信長の麁正の衝撃を其のほっそりとした白い肩で受け止めていた。

「はっ、義母上っ!!」

肩口に食い込む麁正。

綾御前が斬られたのだ、と理解するのに、景虎は時間を要した。

全てを理解し、義理の母を呼ぶと、綾御前は苦痛に顔を歪めながら、景虎を振り返る。

「心配いりませんよ、景虎。信長公は最初から、此の私が景虎を庇う事は承知済みだった様ですから…‥」

綾御前がそう言いながら、うっすらと笑みを浮かべる。

景虎が再び綾御前の肩口に視線を向ける。

そして、気付く。

斬られた割には血が流れていない事に。

再び気付く。

麁正の刃は天へと向けられている事に。

つまり、綾御前は『斬られた』のでは無く、麁正の背で『殴打』されたのだ。

然し、斬られてはいないとは言え、信長は容赦無く力強く麁正を降り下ろしている。

其の衝撃は計り知れない程の痛みを綾御前に与えた筈だ。

痣となり、一生残る事は、誰が見ても明らかだった。

然し…‥

「私はこんな痣等、どうと言う事はありません。私が苦痛と思う事は、景虎が此の世から消え、景虎の居ない日ノ本で、一人寂しく生きる事の方が苦痛で耐え難い事です。」

女性が一生涯痕が消えない程の傷を抱えて生きていく事は、死ぬよりも苦痛であり、屈辱的な事である。

だが、綾御前は消えない痣よりも、景虎が消える事の方が苦痛だと言う。

(景虎よ、綾御前は卯ぬに二度の命を懸けた覚悟を見せた。さて、其の覚悟にどう応える?応えぬのならば…‥)

信長は、二人に気付かれない様に、くつり、と笑う。

麁正が綾御前の肩口から離れる。

そして、今度は肩口ではなく、綾御前の心の臓に向かって、切っ先を突き出される。

「っ!!?義母上っ!!!」

景虎は、咄嗟に綾御前を抱き締める。

綾御前を庇う様に。

二人で此のまま斬られる、と景虎は考える。

(俺は、どうなってもいい!せめて、義母上だけでも…‥っ!)

そう景虎が考えた瞬間、別の者の断末魔が響いてくる。

景虎が何事か、と思い、顔を上げると、自分と背格好が似た男の人が直ぐ側で倒れていた。

「…‥利用させて貰うぞ。景虎、卯ぬは此のまま地下牢に幽閉する。全てが公表されては厄介だからな。」

信長はにやり、と笑いながらそう告げると、景虎の影武者となり死んでしまった男の遺体を軽々と持ち上げると、綾御前と景虎を残して小田原城へと向かって行ったーーーー…‥





「そんな事…‥」

話を一通り聞いた早川殿が驚きを隠せずに、ぽつり、と呟く。

「予の真の目的は、小田原の連中の戦意を削ぎ、降伏させる事。抵抗が止むまで誰かを根絶やしにする事が目的ではない。」

早川殿の呟きに、信長がそう答えた。

「小田原を攻める事も目的では無い。氏康と交わした約定は、氏康亡き後もまだ『生きて』おるからの。」

「え?」

信長の言葉に早川殿は驚く。

其の驚きに、信長は黙ったまま懐から氏康と交わした約定書を取り出し、其れを早川殿に差し出す。

早川殿は、其れを受け取り、約定書に目を通した。

内容を読んでいく内に、早川殿の目から一粒、また一粒と涙の雫が流れ出す。

「そんな‥…っ、御父様‥…っ」

早川殿は泣き崩れた。

其の姿に、信長は静かに瞳を閉じる。





『おい、信長。図々しい序でに、テメェに頼みてぇ事がある。』

『何ぞ。』

『俺が死んじまったら、娘達を頼む。アイツ等は頑なで、曲がった事が大嫌ぇだから、テメェの事は嫌いの部類に入っている。だから、テメェの遣り方に、全力で抵抗してくるかも知れねぇ。だがな、俺にとっては、命よりも懸け代えのねぇ大切な家族だ。こんな事を言うのは、理不尽かも知れねぇ。テメェにとっては迷惑な事かも知れねぇ。けどな、頼む。俺が死んだ後も、アイツ等を護ってやってくれ。』

『…‥彼奴(あやつ)等が全力の抵抗をする事で、卯ぬが言う大切な家族の消えなくてもよい命が沢山消えるやも知れぬぞ。』

『そんな事ぁ、分かってる。分かってて言ってんだ。覚悟は当に出来てる。だから、此の約定の証は俺の命だ。』

『良い。其処までの覚悟ならば、予に断る理由は無い。氏康、其の約定承認しよう。』

『ありがとよ、信長。』





「…‥そうですか、御父様とそんな約定を交わしていたのね。」

早川殿は、信長の口から聞かされた真実に再び涙を溢した。

景虎も、初めて聞かされる内容に、黙って顔を俯かせていた。

「信長公、散々、抵抗し続けて、私達の処遇は断罪かも知れません。ですが、自身に利も無いそんな約定を交わした貴方です。だから、厚かましい事は重々承知しています。ですが…‥」

「良い。北条との約定、此処に新たに交わそうぞ。」

「…‥っ、有り難う御座います。信長公。」

早川殿は、自分が言いたい事を瞬時に理解し、瞬時に迷い無き決断を下した信長に、敬意を称し、深々と頭を下げたーーーー…‥










後に北条は、徳川との同盟を破棄し、徳川と完全に敵対した。










ーーnext

桜舞う随想【閑幕4・変革の代償の刻】







信長の命が救われて数年後。

信之も、幸村も、信長の姪っ子・茶々も、歳を重ねて成長した。



だがーーーー…‥



「信長公、貴方は歳を重ねてはおられぬのですね。」

幸村が信長と共に居続けて気付いた事を口にした。

信長は、そんな幸村の言葉に、少し肩をすぼめて苦笑いした。

「あ、確かにそうですね。私が幼い頃、一緒に居た頃と変わらぬお姿です。」

茶々もまた、幸村に反応してそう言葉を紡ぐ。

そんな幸村の言葉に、信長はゆっくりと瞳を閉じ、考えに耽る。

そして、ゆっくりと顔を上げると、

「信之、皆を謁見の間に集合させよ。」

と、真剣な表情で告げた。

信之は何か言いたげだったが、信長の深刻な表情に何も言えずに黙って頷いた。










広間にざわめきが起こった。

広間に集まった皆に信長が話して聞かせた内容に騒然とした。

「信之…‥信長公の話は『真実』か?」

「…‥はい、真実で御座います。」

昌幸が信之に問い掛ける。

信之は、真っ直ぐに、真撃に偽りも無く、こくり、と頷いた。

「私や、信長公は『未来人』です。私は、泰平が訪れた未来の日ノ本で後悔し続け、毎日を過ごし、無駄に生きて来ました。頭に浮かぶのは『もし』や『だったら』等、過去を振り返る言の葉ばかりで、そう考える度、涙で頬を濡らす毎日でした。ですが…‥」

「予が信之を時渡りをさせたのだ。幸村や昌幸を死なせてしまった未来を変えたい。其れが信之の望みだった故。本来なら信之のみが、過去に戻る筈だったのだ。だが、然し、予想外にも予までもが、理由は分からぬが過去に戻ってしもうてな。」

信長が、信之に続けて説明をする。

「戻った理由は分からず仕舞いだったが、予も戻ったならば、予も信之の手助けをしてやろうと思うてな。義元、勝頼の死ぬ未来を覆えさせてもらった。昌幸や幸村の未来を変えるならば、片方だけ流れを変えても、絶対に其の未来はやっては来ぬと言う確実性は皆無故な。」

「成る程、其れでか。」

勝頼は納得した様に頷いた。

其れに続いて義元も、光秀も、同じ様に頷いた。

「何が其れで、なのですか?」

話を聞いていた茶々が、首を傾げる。

「信長だけじゃなく、俺達も歳をとっていない。」

「あ…‥」

勝頼の返事に、茶々が小さく声を上げる。

信長だけで無く、義元も勝頼も、光秀まで歳を重ねず成長する気配も無かった。

ずっと不思議だった事が、信長の説明で理解したのだ。

「…‥では、何故、信長公達は歳を重ねないのでしょうか。」

幸村が次に疑問に思った事を口にした。

「恐らく、刻の『呪縛』であろう。」

「呪縛?」

「予は本能寺で、勝頼は長篠で、義元は桶狭間で、光秀は天王山で、其々命を落とし、其処で信長達の時は途切れた。が、本来死ぬべき箇所で死なずに、時の流れを歪めた故に、其の代償として、不老不死になったのであろう。」

信長の言葉に信之達は黙り込む。

「…‥儂等は何時、どの様な形で死を迎えるのだ?」

「ち、父上っ!!」

突然の昌幸の質問に、信之は驚き、声を荒げる。

信長は昌幸を見つめる。

「其れを知って、どうする?」

「片方だけ流れを変えても、絶対に其の未来はやって来ないという確実性はない、と信長公は仰有った。ならば、其れを知っていれば、儂等も其の道を歩まぬ様に、と心構えが出来る。」

昌幸の言葉に、幸村もまた頷く。

「兄上が、一生涯後悔し続ける程です。防げるのならば、防いで差し上げたい。私もしても、兄上を悲しませる様な未来は御免蒙りたい故。」

幸村がそう強く言った。

「あい、解った。卯ぬ等の覚悟確と見届けた。卯ぬ等がそう申すのならば、教えよう。信之。」

「…‥はい、分かりました。」

信長の言葉に、信之は少し迷ったが、自身を見て、しっかりと頷く二人に覚悟を決めた。










「…‥そうか、其の様に、儂等は命を落とすのだな。」

全てを信之から聞き終えた昌幸は、静かに瞳を閉じた。

「袂を別ったのも、幸村も、父上も、お互い譲れぬ志があっての事。…‥そう心に何度も言い聞かせて戦場へ参陣しておりました。ですが…‥」

信之は、自らの両手を広げて見つめながら、

「此の手に残っているのです。幸村を、弟を手に懸けた感触が…‥っ」

と言いながら、ぐ、と力強く握り締め、唇を噛み締める。

「…………‥」

信長は、そんな信之を黙って見つめる。

「済まなんだな、信之。『未来』の話とは言え、御主には辛い思いをさせた。」

「幸村、昌幸、家を守るだけなら、誰でも出来る。敵味方に別れ、どちらが生き残っても真田は守られる。其れも確か。だがな、孤独になってまで家を守って何の価値がある?家を守る、と言う事は、幸村が、昌幸が、真田家に通ずる者が皆生きてこそ意味があるのだ。信之だけ残ったとて、意味はないのだ。」

「はい、痛み入りまする。」

信長の言葉に、幸村が頭を下げる。

「だが、今は幸村も、昌幸も、生きて此処に居る。是からは、幸村が『武』で、昌幸と信之が『智』で真田家を守ってゆけ。」

「はい。」

信長の言葉に、昌幸も、幸村も、信之も、力強く、真っ直ぐに返事を返した。










「信長公、刻の呪縛に捕らわれ、齢(よわい)を重ねぬからと申して隠居するとは進言してくれるなよ。」

昌幸は、信長が次に言及しそうな事を信長が言うよりも先に、そう言葉を発した。

そんな昌幸の言葉に、信長は苦笑いをしながらも、少し困惑した表情を見せた。

「確かに、齢を重ねぬのは、儂等から見れば不可思議な事。然し、もう貴方は天下を統べるには無くてはならぬ存在。勝頼様と義元様の命を助け、此処まで導いたは貴方です。」

「四国同盟を組んだのだ。今更、信忠に家督を譲り、後を任せた等と抜かすのならば、同盟を破棄させて貰い、即刻、織田と敵対するぞ。」

昌幸の言葉に、勝頼がそう告げる。

其の勝頼の言葉に義元もまた、こくり、と頷く。

「信長の下に皆、集ったのだ。今更、息子に忠誠は誓えぬ。」

昌幸がはっきりとそう告げた。

「護ってみせます、信長公。私が兄上が、そして、父上が。其れに、私達だけでは御座いません。勝頼様も、義元様も皆、貴方を如何なる苦行からも護ってくれます。ですから、此のまま、天下を手にして頂けませぬか?」

幸村が切実に信長にそう言及した。

「………‥」

信長は、皆の視線を受け、静かに思考を巡らせる。

そして、不意にふ、と笑みを浮かべると、

「卯ぬ等には、敵わぬな。あい、分かった。隠居はせぬ。予は此のまま、天下を目指そうぞ。」

そう肩をすぼめて言いながら、両手を軽く上げ、降参の仕草をした。

そんな信長の言葉に、皆が皆、ほ、と息を吐き出し、此のまま、天下を目指す事を決意した信長に安心感を抱き、広間に一時の和やかさが漂った。










そして、此の数日後。

八王子城の悲劇が生まれる。

北条が滅びが、静かに、だが、確実に近付いていたーーーー…‥










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