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――――孤高の決意…‥
真実を伝える事が無くとも、戦士はその行動で輝きを示す。
真実に強く想いを馳せる者…‥
その瞳に迷いは無い。
迷う事は悪ではない。
失敗を糧とし、希望は生まれる。
迷い選ぶものが何か。
その答えが確信に変わる時、戦士はその剣で己の在り方を証明する。
――――在りし日の語り手が語って来た様に、迷える永遠の輪廻を解き放つ為…‥
貴男もまた此処に存在する――――
信長が討ち取られる過去は変えられ、信長の命は救われた。
信長が生きている事、光秀が謀反を起こさず、信長に対して、確実な忠誠心を表した事で、光秀が山崎で討ち取られる過去も変えられた。
信長が生き永らえた事で、武田の、今川の滅亡する過去も変わった。
そして、もう一つ変わった事は…‥
「信長公、御初にお目に掛かります。養母、伊井直虎が養子・伊井直政と申します。以後、お見知り置きを。」
伊井家が今川から離れる事なく、今川家臣で居続けた事。
其の事で、伊井家の養子になった虎松こと、直政が必然と織田家臣になった事。
流れ的には、義元の家臣になるのが、自然だが、直虎曰く、
「信長公は、義元様を救って下さいました。そして、傾いた今川家を再建する為、御力添えまでして下さいました。今、伊井家があるのも、信長公が今川家に尽力して下さったこそです。だから、其のご恩返しに直政をお仕え下さい。」
との事。
信長は少し困惑したものの、直政本人もまた、仕える気満々で自身と合間見えているのだから、無下に『要らない』とは言えず、結局、直政は其のまま、織田家家臣に着任した。
真田家もまた、織田との同盟も其のままで、上田城にて徳川と北条の抑えとして貢献していた。
今の今まで、徳川が大人しいのも、真田の睨みが効いているからと言っても過言ではない。
信長は、自身が討ち取られる前の時と同じ様に、長曽我部の抑えを四男・信孝に、毛利、本願寺、雑賀の抑えを秀吉に、上杉の抑えを勝家に任せた。
そして、新たに、北条、徳川の抑えに、勝頼、昌幸に添えた。
信長は、家康より早く、家康が頼りとする大名家を次々と抑え込んでいった。
信長は、過去とは違った身の回りの状況を即座に読み取り、家康ならば、こう動く、と熟知した上で、思考を巡らせていた。
過去に家康と同盟を組んでいたのだ。
家康の事を知らない筈は無かった。
案の定、信長の動きに、家康は焦りを覚え始めた。
今川、武田、真田が織田に着き、朝廷まで織田と条約を結んだ。
其の三家に、毛利、雑賀、本願寺、上杉と完全に抑えられ、今や家康が好しみとするのは、北条のみ。
伊達を頼りにする傾向があるが、当主である政宗は、冬の言葉のお陰で今、迷いの中にある。
(さて、どう動く?)
信長は、地形が描かれた地図を見ながら、ふ、と笑った。
「叔父上っ!」
考えに耽っていると、不意に声が掛かって来る。
(ん?此の展開、以前にも経験した様な…‥)
そう考えていると、背中に誰かがぶつかる様な衝撃に襲われる。
「………‥茶々様…‥」
其の背後から、矢張り、予想通りの声。
信長は苦笑いを浮かべながら、背中を振り返る。
と、矢張り、予想は当たっていた。
背中に張り付いていたのは、小谷城から保護した時より、大人に成長した信長から見れば、姪っ子に当たる茶々であった。
そして、其の後ろには、肩をすぼめて、あの時と同じ様に、苦笑いを浮かべた幸村が立っていた。
「叔父上、北条は徹底抗戦の姿勢を崩さないのですか?」
ちら、と信長の足元に広がる地図を見て、茶々がそう問い質す。
信長はそんな茶々に小さく頷いた。
「…‥北条は、領民達を死なせたいのでしょうか。」
幸村もまた、そう問い質す。
其の質問に、信長は黙って、筆と筆竹を、懐から半紙を取り出した。
「幸村、『守る』と『護る』では、意味合いが違って来る。」
信長は二種類の文字を半紙に描く。
「北条の言う『まもる』は、此方の『守る』ぞ。」
一つの文字を、円で囲む。
「…‥?」
幸村は、信長の言う意味が分からず、首を傾げる。
「『守る』は守る者が常に守られる対象の側にあり、行動を共にし、其の対象を守る事。此方の『護る』は対象を安全な場所に隠し、危険が其の対象に及ばない様に護る事を言う。」
「では、北条は守るべき対象を戦わせているから、此方の『守る』ですか?」
「御名答。」
幸村の問いに、信長は頷く。
「此の違いを表すなら、真田は此方の『護る』ぞ。」
信長は、指先でとん、と文字を示した。
「あ…‥」
幸村が信長の言葉の意味を理解し、小さく声を上げる。
「其の言葉の違いを解らぬ限り、北条に降伏は有り得ぬよ。」
「……………‥」
「徹底抗戦をする裏側には、矢張り、小田原城が堕ちぬから、というのもあるのでしょうか。」
茶々がそう呟き、地図を見下ろす。
「北条は、完全に城に『憑かれて』おるよ。人が『物』に頼る様になっては、もう、終いよ。」
例え、城が堅城でも、守るは『人間』。
城は、其の場に在り続けるのみである。
雑賀は、銃という『物』に依存し、自ら最強を持する。
城にせよ、銃にせよ、人が手を加えなければ、物云わぬ『物』に過ぎない。
人が力を与えているからこそ、銃は本来の力を発揮し、最強になり、城は強硬な堅城となる。
雑賀も、北条も、其れを全く理解していない。
信長は、そう告げると、ぴん、と指先で駒を弾く。
其の弾かれた駒は、別の駒に当たり、周りに散らばる。
『敵対したとは言え、実の妹や義弟まで殺す残虐さは、許すまじ行為よ。其れに、私はアンタが比叡山でやった事を忘れた訳じゃないわ。女子供を平気で焼き殺し、家族ですらも、其の手に掛ける慈悲も何もない化け物なんかの下に私は、いえ、北条家は、絶対に屈しないし、降らない。』
信長の降伏を促す言葉に、甲斐姫は力強く、そう反言した。
其の言葉に対して茶々が、何か反論しようとしたが、其れを信長は止めた。
茶々は、そんな信長に苛立ちを覚えたが、此処で何かを言ってしまえば、全ては向こうの思うツボになってしまう。
茶々は、唇を噛み締め、悔しさを堪えていた。
「あの者達は、もう既に守るべきもの、護るべきものが真に何なのかが分かっておらぬ。」
信長は、愁いを瞳に馴染ませ、嘆きに近い呟きを漏らした。
其の言葉に、茶々も幸村も黙り込んだ。
(…‥矢張り、強硬な絆を徹底的に潰すしかあるまいな。そうなれば…‥)
信長はそう考えを巡らせ、視線をとある一点に向けたーーーー…‥
「八王子城を完封無きまでに叩き潰す。」
信長は、皆が集まる中、そう宣言をして愛刀を八王子城が記された印に突き刺す。
周りが一瞬ざわめいたが、義元、昌幸、勝頼は冷静に信長の言葉を受け止めた。
「…‥矢張り、『そっち』に行くか。」
勝頼がそう呟くと、信長は勝頼に視線を向けた。
「真田、今川、武田の軍は、其のまま、小田原城を牽制し続けよ。」
「なっ!おいっ、まさか、全てをアンタ一人が背負おうとするつもりかっ!」
信長がやろうとしている事を理解した上で、勝頼は発言したのだが、信長の予想外の言葉に、勝頼が驚きの声を上げ、瞬時に、信長の意図を読み取り、更に食って掛かる。
「…‥誰かが、手を汚さねばならぬなら、予独りで十分よ。予ならば、此の手は、様々な業で汚し尽くされておる故。卯ぬ等はまだ完全に汚れてはおらぬ。其れに、『此れ』は卯ぬ等が背負うには重た過ぎる業ぞ。」
「だがっ!」
勝頼は納得出来ずにいた。
「甲斐姫が申しておっただろう?『実の妹や義弟まで殺す残虐さ』『女子供を平気で焼き殺し、家族ですらも、其の手に掛ける慈悲も何もない化け物』と。ならば、此の『業』を背負うのは、予が相応しいかろう?」
「……………‥」
信長の言葉に、勝頼は黙り込む。
此処に居る皆は知っている。
比叡山焼き討ちは、誰一人として焼き死んでいない、という事に。
建物は焼いたが、焼き討ちをした場所には、民は、僧兵は、女子供ですら何人も居なかった。
甲斐姫の言う事は、遠くから比叡山が燃える様を見ただけで、女子供が焼け死んだ、と自己判断しただけに過ぎない。
実際は、そうではないのだが、甲斐姫だけでなく、毛利、本願寺、雑賀は自己の解釈で、焼け死んだと思い込んでしまっていた。
だが、信長にとって、其の『思い込み』は好都合だった。
此の『思い込み』が、皮肉にも抵抗勢力の抑止力になり、信長に逆らう者は少なくなった。
然し、逆に敵対する勢力が増えてしまったのも、事実だった。
勝頼は、何も言えなかった。
信長は、再び魔王という異名を背負う事を選んだ。
勝頼は、否、勝頼だけでなく、昌幸も義元も、信長が再び魔王の異名を背負わない様にと、政も戦も惜しみ無く尽力してきた。
其のお陰で、信長から魔王の異名が薄れて来た。
にも関わらず、また、信長は魔王という異名を背負ってしまった。
皆は、魔王の異名を信長に再び背負わせてしまった北条を心底憎んだ。
「全ては、もう、既に決定済みぞ。皆の者、出陣致せ。」
信長は、そう皆に命令を下すと、踵を返し、部屋を後にした。
「くそ…‥っ!」
「勝頼様、此処は私に任せて頂けませんか?」
「昌幸?」
「私は、信長公の支えになりたい、と常に思っておりました。信長公が堕ちるというのであらば、私も共に堕ちましょう。信長公お一人に全てを背負わせません。」
「昌幸…‥」
勝頼は、昌幸の想いを知っていた。
知っているからこそ、昌幸の言葉は心に染み込んできた。
「…‥任せてもよいか?」
「はい、お任せ下さい。」
昌幸はそう頭を深々下げた。
そして、昌幸は静かに立ち上がり、部屋を後にした。
「父上、私も共に、堕ちまする。」
昌幸から、事の事情を聞き、信之は迷う事無く、そう答えた。
そして、其の信之の言葉に、光秀も、茶々も、幸村も、氏郷や冬、五徳、嫁いだ先が信長と敵対したと同時に離縁をし、織田に戻って来た秀子も、お犬も、永姫も、同じ気持ちだと言わんばかりに強く頷いた。
其の頷きに、昌幸は満足そうに頷き返した。
「後は…‥まだ、動きを見せぬ伊達が気掛かりだが…‥」
「昌幸様、其れには御心配は御座りませぬ。此の冬に考えがあります故。」
冬が目を細め、にこり、と笑う。
其の笑みに、昌幸は一抹の不安が過ったが、此処は、冬の言葉に従う事にした。
そんな昌幸の様子に、氏郷は苦笑いを浮かべるしか術は無かった。
貴方が堕ちると決めたなら、共に堕ちるが、真友と言うもの。
さあ、何処へなりとも、共にーーーー…‥
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