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「…‥ほう、此処が…‥西の京都か。」
「確かに、街並みも、街路樹も、全て京都風ですね。」
初めて見るもう一つの『京都』に信長と信之は、感嘆な声を上げる。
ーーーーが…‥
「…‥民達の警戒心が異常、ですね。」
信之が周りに居る民達の様子を見て、在るが侭に感じた事を直言した。
「…………‥」
街並みは、本都・京都に負けじと発展してはいる。
商売も、何の不自由も無く、商い人も生き生きとしている。
本国人だけでなく、様々な種族の人達が行き交う様は、他の国に比べて新鮮さを感じる。
が、信長や信之を見た途端、皆の表情ががらり、と変わり、向けられる視線は嫌悪を感じるという気分が良いものでは無かった。
「何故…‥」
「此れが、毛利が私益や自得の為だけに行った政策の『結果』ぞ。」
「…‥?」
信之は、信長の言葉に首を傾げる。
「毛利は、戦を嫌った。攻めるも攻められるのも嫌った。自身が統治する国を荒らされるのを酷く嫌った。中国統一に限らず、他国でも統一すらば、真っ先に狙われるは、一律以上に発展した国ぞ。周防長門国は『西の京』と呼ばれ、外交も盛んで、富も豊富。となれば…‥?」
「狙われるのは、周防長門国、という事ですね。」
信長の言葉に、信之は即座に理解し答える。
「故に、毛利は周防長門国を封国した。封国し、外部との接触を全て禁じた。逆らおうものなら、無慈悲な処罰を下した。そして、此れ以上、栄えぬ様に、貯蓄されていた富も全て取り上げたのだ。」
信長はそう信之に語る。
「…‥民が潤うから、国が潤う。国が、民が潤えば、自らも潤う。国を栄えさせる為には、民、国、領主、此れ等が同率で栄えなければならぬ。一つでも欠ければ、国の安寧は皆無。其れを毛利も、小早川も分かっておらぬ。」
信長は、此処まで言うと、静かに目を閉じる。
「…‥此の国を救う事は出来ないのでしょうか。」
「難儀な事ぞ。」
「………………‥」
「一度、植え込まれた疑念や嫌悪を消すには、相当な時を要する。一人一人を説得しようものなら、更に刻が掛かる……‥うむ、元就、此れが『狙い』か。」
説明を一度、途切らせ考えを巡らせ、信長は納得した様に頷いた。
「信長公?」
「元就は『わざと』此の国の全てを封じたのだ。」
「其れはどういう…‥?」
「信之よ、卯ぬならば、自らに強き疑念を向け、何を言っても、信じる事をせぬ。民の心は頑なに閉じられている。そんな国を、どうする?」
「…‥切り捨てますでしょうか。どんなに政策を変えても、民の暮らしを豊かにしても、心を開かぬならば、そんな国など…‥っ!?ま、まさかっ?!」
「流石、信之。気付きおったか。そう、其の『まさか』ぞ。元就は其れを此の国に行ったのだ。全てを奪い、此の国を救う等、微塵も無い。そうする事で、此の国の民の心までも封じたのだ。さすれば、奪う側は、こんな国等要らぬ、と攻めては来ぬだろう?」
信長は、そう説明し、周りを見渡す。
相変わらず、民達の視線は疑念を帯びたものだ。
其れを信之は哀しげに表情を歪ませた。
「そんな事をすれば…‥此の国は…‥っ!」
「日ノ本に在りながら、日ノ本では無い国になるであろうな。」
「……………‥」
信之は思い出す。
家康もまた、元就と同じ様な処罰を与えた事を。
『未来』での関ヶ原合戦で、家康の味方に着き、家康の戦を助け、勝利に貢献したというのに、家康は領地を、富を、元就の様に再び奪った。
一度ならずも二度までも、と苦汁を飲まされたのにも関わらず、明治に入り、奇兵隊結成を許した毛利が、戊辰戦争が終結した後、掌を返し、奇兵隊狩りを行い、まさかの三度目は同族の裏切りで、全てを失った。
そうした経緯の結果、此の国の者達は、『国内人』は信じられない、信じられるのは己が自身、若しくは『国外人』だ、と考える様になり、国内人との交流をせず、海外との交流を主とした現在の『山口』が出来上がった。
米国が山口に米軍基地を配備したのは、こういった理由からでもある。
山口は、北朝鮮、韓国、中国(2014年までは友好であったが、2017年現在は不明)とは友好関係にある。
つまりは、山口に何か遭った時、山口住民達が其の国と手を組み、何等かの紛争を起こしてしまえば、不利になるのは米国である。
そうさせない為に、山口を『監視』する目的で米国は基地を据えたのだ。
「…………‥」
信之は黙り込む。
「気に病む事は無い、信之。此の国の者達は『分かって』おる。」
「……‥?」
信長の言葉に、信之は再び首は傾げる。
「確かに、他から来訪した『国内人』には警戒心が強いが、同じ国内人でも心を開き、許した者には『おおらか』ぞ。」
「ですが、心を開くには難儀だと…‥」
「確かに、難儀ではある。だが、逆を考えれば、心を許した相手には、強き『約定』若しくは、『同盟』を結んでくれる、という事ではないか?『盟友』になってしまえば、其の強き疑念も、強き『力』になると思わぬか?」
「あ…‥っ!」
信長の言葉に、信之は小さく声を上げた。
「だが、『今』は動かぬ方がよかろう。元就が植え込んでしまった疑念が強過ぎて、予達を完全に元就と『同人』と思われておる様だからな。」
「はい、哀しい事ではありますが、今は視察という名の物見遊を楽しみましょう。」
信長は、信之の思いも寄らない言葉に少し目を見開くが、直ぐに目を細めて、喉を鳴らして笑った。
「信之も言う様になったの。そうさの、予も国内に頼らず、国外を頼り、発展した国には興味がある。見て廻るには異存は無い。」
「其れは良かった。では、参りましょうか、信長公。」
「うむ。」
信之の言葉に、信長は短めに返事を返すと、ゆっくりと足を進めていった。
色々な市を見て回りながら、信之はちらり、と隣に居る信長を盗み見る。
自国では見掛けない品がある度、信長の表情は輝いていく。
中でも、自国では見掛けない食物に興味津々で、信之の存在すら忘れて魅入るぐらいで、正直、信之はその食物に悋気(嫉妬)すら覚えてしまう。
人ではない物にまで悋気してしまう自分に信之は苦笑いを浮かべるが、其れだけ、自分は信長に惹かれている事を改めて自覚する。
だが、信長が何時も以上に楽しんでいる事に、信之は自然と笑顔になり、素直に嬉しいとも感じた。
「…‥?此れは何ぞ?」
信長が何かに気付き、商人に聞く。
そんな信長の声に、我に返った信之も信長の隣から覗き込む。
「此れは…‥?」
其れを見た瞬間、覗き込んだ信之ですら、眉間に皺を寄せ、難しい表情をする。
魚の身と呼ぶには、若干薄く、少し皺があり、見た目、パサつきがありそうな粉っぽい姿身をしている。
「ああ、此れですかい?此れは、『おばいけ(尾羽毛)』と呼ばれるもんでさ。」
「…‥?」
信長と信之は、聞き慣れない言葉に、益々分からんとでも言わんばかりの表情をする。
其れを見た商人は、二人の反応に小さくくすり、と笑った。
「此の周防長門国で一般に食されているもんでさ。尾羽毛ってのは、鯨の肉の中で最も美味しいとされる、身と尾の間の部分の肉を指すんでさ。塩漬にして、薄く切って熱湯をかけ、冷水でさらしたものを「さらしくじら」と言って、「おば雪」「花くじら」とも呼ばれてますわ。」
「ほう、此方では、鯨は食用として重用されておるのか。」
信長は、鯨が食せるものだ、と理解したと同時に、鯨が食べれるものだ、という事に驚きを素直に示した。
「…‥此の国に措かれた状況を考えれば、食えるもんは食うって感覚ですわ。」
次に発した商人の言葉に、信長と信之は怪訝そうな表情をした。
「領地を縮小され、稼いだもんまで奪われて、土地は毛利の殿様が大内一族を追い詰め、根絶やしにする為、火攻めを行った。結果、土はどす黒く『死んで』しまい、作物は録に育たなくなってもうた。で、陸からは食いもんは手に入らんちゅうんで、海から食料調達せにゃあならんようになってもうたんや。「うに」も其の一つでさ。」
商人はそう言いながら、土色の食材を差し示す。
「殻に載せて炭火などで焼いて焼きうにとして、湯通しをしてお吸い物の具として食べられる他、長門国では、萩の「うにめし」が有名でさ。他には、飛龍頭(ひりょうず)がありまさぁ。飛龍頭とは、豆腐を小さく擦り潰した小魚と混ぜ合わせ、丸く形を整え油で揚げたもんでさ。で、長門国の岩国で主に食されている「茶がゆ」がありまさぁ。」
「茶がゆなら、私も聞いた事があります。」
信之が不意に信長に声を掛けるが、直ぐに少し眉間に皺を寄せ、説明しても良いものかどうか、悩む様な難しそうな表情をした。
信長が信之に説明の続きを促す様に、側に寄り、耳を寄せた。
信之は、そんな信長に商人にだけ聞こえない程の小さな声で耳打ちした。
「番茶を煎じた中にお米を入れて炊き上げたものです。あっさりとした番茶独特の風味と味わいがお米にしみ込んで美味しいのですが、此の料理が生まれた一番の原因は、関ヶ原の戦の後に行われた、家康の土地滅封です。『当時』の岩国藩の厳しい情勢の下、米の節約をするための食事として食べられるようになったそうです。」
「……………………‥」
信長は、信之の説明を聞き、眉間に深い皺を寄せる。
そして、関ヶ原合戦後、民だけで無く、役人から武士まで、そんな貧しい食事をせざるを得ない状況下にあった『当時』の周防長門国に哀れみの意を示した。
『現在』の周防長門国が置かれている状況を作ったのは、徳川ではなく毛利だが、食糧難や生活苦は『未来』での関ヶ原合戦後と何等変わりは無かった。
信之はそんな周防長門国を見つめ続けて来た。
都会大名は豊かに、繁栄を続ける一方で、家康の比護下にない地方大名は次々に衰えていった。
其の様を信之は否応なしに見つめて来た。
見つめるだけで何も出来ずにいた自身を呪った。
家康の圧力も掛かり、自身も自由に動けずにいた信之。
家康に味方したばかりに、自由を奪われ、半ば軟禁状態にあった。
そして、歳を重ね、隠居しても不思議は無いくらいの歳になった時、此処で信之は漸く気付く。
自分は家康に『嵌められた』のだ、と。
真田家を守りたい、幸村を昌幸を護りたい、そんな強き思いを家康に利用されたのだ、と。
其れを知った時、信之は自身を酷く罵った。
何が、昌幸に劣らずの叡智の持ち主か、と。
だからこそ、『救えないか』という言葉が信之の口から出たのだ。
『未来』では救えなかったが、『現在』では救える。
其の想いが信之の中にはあるのだ。
「『救う』為に動くは、『今』に非ず。」
そんな信之の想いを信長は親身に受け止め、今度は信長が信之に耳打ちする。
「信長公…‥」
「信之の気持ちは、重々理解出来る。が、今動いては、予達は元就と『同じ』になる。事を急いては、事を仕損じる。事を起こすも、先読みが吉ぞ。」
「はい…‥」
信長の言葉に、信之は唇を噛み締め、小さく短めに二つ返事を返した。
「其れに、時は早い内に訪れる。」
そう信長は、ちらり、と商人に目を向ける。
信之も信長の視線を追い掛け、商人を見る。
そして、気付く。
「あ…‥っ」
商人の表情が一変していた。
商人だけではない。
周りに居る民達の表情も変わっていた。
信長達を見る目が、嫌悪感、警戒心が含んだものではなくなっていた。
恐らく、信長が彼是商人に問いを投げ掛け、其の説明を真剣に聞き、表情豊かに頷いていた為、信長達は毛利とは違う、と判断したのだろう。
そんな姿を見て、信之は信長が先程言っていた言葉の意味を理解した。
そして、まだ動く時ではない、と言った言葉も。
今はまだ、皆の心は開き掛けの状態。
此の時に、動いてしまえば、再び心は閉じられてしまう。
そうならない為に、今は見守りの時期。
信之は、何時か此の国の民達とも理解し合い、揺るぐ事の無い約定が結べる日が来れば良いと願いながら、先の未来では得られなかった違う未来が此の後に訪れようとしている事に心を踊らせた。
ーーnext