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『信長の命を奪え』
此れが、自分が信長に近付く切欠となった主からの命令。
最初は、自分を拾ってくれた師匠へ恩返しが出来る、と張り切っていた。
簡単な任務。
そう軽く考えていた。
だけど、信長は主より、一枚、否二枚も三枚もかなり上だった。
自分を徳川の間者だ、と知りながらも、自分を雇い、そして、偽りの情報を自分に流し、嘘偽りの上塗りで主を翻弄した。
何て奴だ、と思った。
そして、完全なる完敗。
今川に勝利し、自分は処される。
そう考えていた。
だけど、信長は処するどころか、自分を赦し、解放した。
主に聞いていた信長とかけ離れた決断。
自分は、信長の側に居たい、信長が目指す先を見てみたい、そう感じた。
だから、信長の側付きの忍になった。
側付きになり、信長を身近に感じる様になってから、見えて来た『真』の信長の本質。
皆が口々に揃えて言う言葉は、冷酷、残酷、無慈悲、老若男女子供すらも容赦無く惨殺する冷血人。
だが、其れは戦場に出た時の顔。
戦場から離れた信長は、冷酷さとはかけ離れた心優しき麗人。
優しいからこそ、『真』に冷酷で残酷になれる。
優しいからこそ、無慈悲になれるのだ。
是を皆知らないでいる。
信長は、好き放題に言っている人達に何か反論するでも無く、ただ、傍観者に徹している。
其れが我慢出来なくて、信長に進言してみた。
すると、信長はただ、小さく笑って、
『正義を翳(かざ)すには、悪が必要であろう?正しきを成すには、悪名が必要であろう?故に、皆、予を悪と掲げ、自らを正義と成しておる。何も言わずとも良い。全ての『真』の正しきは、後世にて証明される。証明するは、『現在(いま)』では無い。』
と言った。
納得は出来なかった。
けど、信長が全ての『悪』と言う泥を被ると言うなら、自分は其の『悪』と言う名の血を浴びる。
是が自分の信長への忠誠心。
幸村や信之、直政みたいに先陣を切って、敵将を倒す事は、自分には出来ない。
なら、自分は自分が出来る遣り方で、信長を護る。
そう、自分は誓ったーーーー…‥
「矢張り、アンタか、『くのいち』。」
俺は、目の前に居る女忍を睨む様に見据える。
信長の命で、小十郎を唆した相手が居る筈だから、と其れを調べて、調べていくうちに、とある人物に辿り付いた。
其れが、今、俺の目の前に居る女忍・くのいち。
そして、くのいちもまた、睨む様に俺を見据えた。
「…‥何?何か文句ある?」
「真田が織田と同盟組んでから、忽然と姿が見えなくなったと思ったら、徳川に鞍替えしてたとはね。」
「悪い?」
「いや、悪くは無いけどさ。アンタ、あんだけ、『幸村様、幸村様』って五月蝿ぇぐらいに幸村にくっ付いてたから、幸村と敵対関係になるなんて珍しいなって思っただけだ。」
俺がそう言うと、くのいちは唇をぎゅっ、と強く結んだ。
「…‥徳川に鞍替えした理由、聞いてもいいか?…‥てか、まあ、言わなくても、理由は想像付くけどな。」
はぁ、と大袈裟に溜め息を吐いて挑発的な言の葉を投げ掛ける。
「アンタに何が分かるって言うのっ?!あたしは、幸村様の一番の忍だったのにっ!!アイツがっ、信長が幸村様の中で『一番』になったっ!!!幼い頃から、幸村様に仕えていたあたしじゃなく、途中で横槍入れて来たアイツがっ!!!」
「…………………‥」
想像通りの御決まりの言(げん)、御苦労さん。
ほんと、期待を裏切らないわ、コイツ。
「……………‥くだんねぇ。」
ぼそり、と呟いた。
くのいちは、俺の呟きが聞こえたみたいで、鋭い視線を向けて来た。
ほんと、くだらねぇ。
初めて言の葉を覚えた餓鬼じゃあるまいし。
二言目には『幸村様の一番の忍』って…‥
はぁ、ほんと、コイツには程々呆れるわ。
「下らないって、アンタ…‥っ!!」
「ほんとの事じゃん。そんな下らない理由で徳川に鞍替えだ、なんてさ。家康も有り難迷惑じゃねぇか。俺だったら、願い下げだ、阿呆。」
俺はそう吐き捨てた。
「で、序でに、信長を悪く言い触らしているのも、アンタって訳だ。ほんと、餓鬼じゃあるまいし。」
再び、そう吐き捨てると、俺は一気にくのいちとの距離を縮め、くのいちの腕を掴んだ。
「…‥忍は、任務の途中で誰かに捕まったり、誰かに遂行中の任務を悟られたりしたら、自ら命を絶つ。で、くのいちは、任務遂行中に俺に見つかり、捕まった訳だし、さっさと命を絶てよ。忍は常に闇に生きる存在でなければいけない。」
くのいちが息を呑むのを感じた。
コイツは、死を恐れている。
根っからの忍じゃねぇから、仕方が無い。
だが、自分は絶対に殺されない、なんて自我自負気分はどうにかならねぇかな。
女だから、と言うのもあるだろうが、俺の主、信長は敵だ、と思ったら最後、自分が大切にしているものを護る為に、徹底的なまでに冷酷になる。
そうなってしまえば、農民、女子供、老人、皆関係が無い。
さて、信長はくのいちを『敵』と見なすのか。
「悪ぃが、アンタを死なせる訳にはいかねぇ。信長の下に連れて行く。命が欲しけりゃ大人しくしとくんだな。」
って言っても、言う事聞かねぇんだろうなぁ…‥はぁ…‥
「いやっ!!絶対、信長の所なんか行かないからっ!!」
「何、聞き分けのねぇ餓鬼みたいな事言ってやがる。アンタはもう、捕縛されてんだよ、大人しく連行されやがれ。」
「いやっ!!」
っ、俺、マジでキレそう。
すると、俺とくのいちの間に、一振りの槍が突き刺さった。
「っ!?」
「いい加減になされませ、くのいち殿。」
凛とした真っ直ぐな声音。
俺が振り向くと、其処には鋭く冷たく刺す様な視線を此方に向けている丹羽長秀が居た。
「黙って聞いていれば、一番だ、二番だ、の。幸村殿は、そなたの『物』では御座らん。幸村殿は一人の『人間』だ。其れを物の様に、幸村殿の感情を無視しての其の物言い、許すまじ事ぞ。」
声自体が低い。
こりゃ、長秀さん、相当怒ってんなぁ。
「幸村殿に振り向いて欲しくば、何故、幸村殿の為に働かぬ?何故、命を張り、幸村殿を御護りせぬ?何も成ぬのに、此方を向け、等と虫が善すぎではないか?」
「……………‥」
長秀さんの言の葉に、くのいちが黙り込む。
「さあ、大人しく…‥っ」
長秀さんが、腕を伸ばした瞬間、くのいちが煙幕玉を投げ付けた。
「しまった!このっ!」
俺が慌てて追い掛け様としたが、其れを長秀さんが止める。
「何でっ!」
「大丈夫だ、佐助殿。御屋舘様が何も策を講じずに居るとお思いか?」
にやり、と長秀さんが笑う。
ああ、成る程ね。
俺一人じゃ手に負えない相手だ、と詠んだか。
ほんと、聡いねぇ、ウチの主様は。
「そう、拗ねるな。御屋舘様は御主の腕を評価しておる。あくまで、御屋舘様が講じた策は、足掻いて逃げられた時のみの策。」
長秀さんは、小さく笑って、ぽん、と俺の頭を突いた。
そう、話している間に、遠くでくのいちの悲鳴が響くのが聞こえた。
「…‥殺しはせぬ。くのいち殿には、死と言う逃げはさせぬ。死ぬ事は、断じて赦さぬ。」
長秀さんが、悲鳴が聞こえた方角を睨む様に見つめながら、憎々しげに吐き出した。
其れを見た俺は、自分の背筋に冷たい空気が走るのを感じたーーーー…‥
幸村は『物』じゃない。
幸村を、人を人と見ないくのいち。
そんなくのいちに、信長はどんな罪決(ざいけつ)を下すのだろうかーーーー…‥
俺は知らない、知る術は何も無かったーーーー…‥
ーーnext