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桜舞う随想【七幕・真実の刻】






「上手くいったか?」

男は、目の前に跪く男にそう問い掛ける。

「はい…‥全ては、『義昭』様の思う通りに…‥」

其の男・義昭の言の葉に、跪く男がそう答える。

「くくく…‥そうか、そうか。でかしたぞ、『光秀』!」

「はっ!」

義昭へと頭を下げた光秀は、義昭に気付かれない様に、男・光秀は口元に笑みを浮かべた。



本能寺へと辿り着いた義昭達は、表門の前に終結していた。

光秀は、何気に視線を自分の後ろに控えていた部下に向けた。

部下は、其の視線に気付き、黙ったまま、こくり、と頷き、其のまま、義昭に気付かれない様に、そ、と其の場を離れた。

其れを確認すると、光秀は本能寺の本殿を真っ直ぐに見据えた。

「此れで全て、私達の『思惑通り』…‥くくく、さて、義昭、お手並み拝見と参りましょうか。」

光秀はそう呟くと、既に本殿にて集結しているであろう『皆』を思い、目を細める。

「全軍、突入っ!」

義昭の合図に、全軍が中へと雪崩れ込む。

其の中で明智軍は、遅れて進む。

そして、義昭に気付かれぬ様に、一度入った門から外へと出た。

「此れは、将軍自らわざわざ何用ですかな?」

其れを合図にするかの様に、本殿から信長がほくそ笑みながら、目の前の義昭を見据えた。

「ふん、偉そうにするでないわっ!其の減らず口利けるのも今日限りよっ!」

「ほう…‥」

義昭の勝ち誇った物言いに、信長は全く動じずに、更に意味ありげな深い笑みを口元に称えた。

「御主を殺し、我が威光を再び取り戻すっ!」

義昭はそう叫び、全軍に攻撃命令を下した。

瞬間、信長の口元が三日月形を描いた。



義昭は、まだ知らない。

自らが、信長が張り巡らした罠に完全に填まっている事にーーーー…‥











信長が渾身の力を込めて、兵士に斬り掛かった。

小さく翻った切っ先は、兵士の腕を強かに打ち据える。

その直後、兵士が攻撃に転じるが、腕の損害が大きい為、信長が受けた損害は少ないもので済んだ。



――――信長は、『あの時』と同じ様に一人、足利軍を相手にしていた。



ただ、『あの時』と違うのは、現在、相対しているのは、明智軍でなく、足利軍であるという事。

此の時点で、信長は光秀の未来をも変わった事を確信した。

一人で無謀だと思ってはいたが、この狭い本殿では思う様に刀を振り回す事が出来ない上に、大勢で信長を囲む事も出来ない。

黄金の瞳を煌めかせ、信長は他の兵士に向かう。

力強い踏み込みで、捻り込む様に麁正を打ち込む。

腰から肩、腕、と伝わった螺旋の衝撃が、兵士の胴を貫いた。

胴に深々と突き刺さった麁正を引き抜くと、新たな兵士へ鋭い視線を向けた。



――――言葉は要らなかった。



睨むだけで、信長の心境は手に取る様に理解出来た。



――――予は、死なぬ。



その思いが、信長の心を完全に支配していた。

(後、少し…‥後、少し堪え抜けば、信之が、氏郷を連れ、頃合いを見て、本能寺を囲み、足利軍の退路を完全に塞ぐ。)



信長は、信之から、

『氏郷様を味方に付けました。信長公の策通りに、蒲生軍と父上率いる真田軍で本能寺を包囲致します。其れまで信長公は堪えて下さい。』

と聞いていた。

そして、武田軍も今川軍も本能寺へ向かっている、とも聞いた。



(此処が踏ん張り所と言う訳だな。)

信長は、フッと笑みを浮かべた。

その瞬間に、兵士の一人が信長に斬り掛かってくる。

信長も其れに気付き、麁正を振り翳したが、僅かに反応が遅れてしまった。

(斬られる…‥っ)

そう覚悟した瞬間、信長の横を疾風の様に、影が駆け抜ける。

その影の振り翳した槍は、狙い違わず、信長を斬ろうとした兵士の首筋に食い込んだ。

血飛沫が舞い、兵士はそのまま絶命する。

勢い良く倒れ込んだ兵士の首から槍を引き抜き、影は信長を振り向く。

「昌…幸?!何故、此処にっ?!」

信長はその影の正体が昌幸だと気付くと、驚きの表情で昌幸を見た。



信長が驚くのは無理も無かった。

昌幸は、光秀の説得しに行き、説得が成功していれば、其のまま真田軍を率いてまだ、此方に向かっている最中の筈だ。

なのに、何故か昌幸が此処に居る。

真田軍を率いた後に此処に来たとしても、西国に向かう分かれ道から、この本能寺まで、時間的に間に合う筈も無い。



――――なら、何故?



「…‥皆に気付かれぬ様、山道を通って来た。」

疑問に思った事が表情に出ていたのだろう。

昌幸が信長を見ながら、そう説明をした。

「…‥っ」

「説明は後でしてやる。今は此奴等をどうにかしないとな。」

昌幸が視線を信長から離し、視線を鋭いものに変化させ、目の前の兵士達を見据える。

信長は、まだ納得していなかったが、残っている兵士を片付けた後でも良い、と考えを改め、自分も麁正を構え直し、兵士を見据えた。



――――御旗槍を構えた昌幸が、目で信長に合図を送る。



其れに気付いた信長が黙って頷く。

信長が兵士に斬り掛かる。

素早く銀色の閃光が浮き上がったかと思うと、忽ち、鋭く兵士の肩を引き裂いた。

そんな信長の攻撃によろめいた兵士の隣から踊り出た新たな兵士へ、今度は素早く走り抜けた昌幸が、そのまま御旗槍を打ち振るう。

すると、その動きに伴って切っ先より生み出された断裂が左右から相手を切り刻んだ。

次の兵士が攻撃して来ると、隼の様に素早く翻った信長の麁正が弾き飛ばした。

眼前の敵にどんな攻撃が効果的か、其れを瞬時に判断して攻撃に転じ、直ぐに跳ね戻って、背中合わせになる。



信長の背中を昌幸が。

昌幸の背中を信長が。



この狭い本殿で、互いが互いを守り、二人は兵士達を確実に倒していった――――…‥










最後の兵士を倒し、兵士が絶命したのを確認すると、昌幸が御旗槍を背に戻した。

そして、信長も其れに習い、麁正を鞘に納めると、鋭い視線を昌幸に向けた。

そんな信長の視線を受け、昌幸は寂し気な笑みを浮かべた。

そんな昌幸の表情を見て、信長は一瞬、困惑する。

「御主は、儂の事が嫌いか?」

何かを言おうと、信長が口を開いたと同時に、昌幸の寂し気な言葉が、静かな本殿に響き渡った。

「急に、何を言っておる?」

信長は、一瞬、焦りを覚えた。

いきなり、こんな事を昌幸が言ってくる筈は無いと思っていたからだ。



信長は、時代を遡る時、過去に生きる者達には絶対に関わらない、昌幸や信之達に自分に対して、絶対に好意を持たせない、という強い決意を持っていた。

だからこそ、今まで昌幸には冷たく当たっていたし、周りから信頼される様な事は、一切してこなかった。

その為、何時も信長に付いて回った異名は『魔王』とあの時と同じ不名誉なものであった。



――――だが、其れでも、敢えて全てを受け止めた。



真田家を、昌幸を、幸村を、散らなくていいのに惜しくも散っていった者達の命を救えるのなら、違う未来を与えられるのなら、喜んで自分は『悪』にでもなろう、と固く自ら誓った。

だから、昌幸が自分を嫌ってはいても、自ら自分に好意を持つ事は絶対に有り得無かった。



――――だが…‥



今、目の前に居る昌幸は何処か寂し気で、何処か傷付いた様な表情をしていた。

其れを見る限りでは、昌幸は自分の事を――――…‥

(そんな事、絶対に有り得ぬ…‥)

信長は辿り着いた一つの可能性を打ち消した。

「急にではない。ずっと、考えておった。御主は幸村や信之と話す時は普通に話すに、儂と話す時は、突き放す様な話し方だ。」

『其れは卯ぬを死なせぬが為』と出掛かった言葉を信長は何とか飲み込む。

信長が黙り込んでいると、昌幸が信長に近付いてくる。

「信長公…御主、何を隠しておる…‥?」

昌幸はそう信長に問い質す。

その言葉に信長の身体が一瞬、震える。

「…‥別に何も隠してはおらぬ。」

信長は再び『能面』を被る。

成る可く感情を表に出ない様に、冷静さを演じる。

「白を切るでない。儂が何も気付いておらぬとでも思うておるのか?」

そんな信長を睨み付け、昌幸はそう強めの声音で信長を咎める。

「…‥何時まで、そうやって、自分ではない自分を演じるつもりだ?」

「…‥っ!」

昌幸の思い掛けない言葉に信長は息を呑む。

(気付かれていた…‥?)

どくり、と心臓が跳ねた。



こう見えても信長は、真の自身を隠すのが得意だ。

『魔王』の能面を被り続け、其の裏で感情も、表情も、全て隠し続けて来た。

現に、今まで誰一人として気付かれずに此処まで来れた。

だから、昌幸も騙せたと思っていた。



「儂が何も知らぬとでも、思うていたのか?」

「………‥」

信長は黙り込む。

そして、静かに目を伏せる。

「…‥卯ぬは、騙されぬか…‥」

「信長公?」

信長の呟きに、昌幸が首を傾げる。

「矢張り、卯ぬには接触すべきでは無かったな。」

「接触すべきでないとは…、信長公…っ」

昌幸の呟きに、信長がハッと我に返る。

そして、信長は昌幸の問いに答えず、そのまま踵を返し、本殿の中へと去って行った。

「信長公っ!」

昌幸は、信長を追い掛けようと、彼が入って行った本殿方へと駆け出そうとした。

だが、その駆け出そうとした昌幸の前に、誰かが立ち塞がる。

「…‥!?おっ、御主…‥っ!?」

「是以上、追い掛ける事は止めて下さい、父上。」

その誰かは、昌幸にそう告げると、真っ直ぐに昌幸を見据える。

「…‥っ、信之?御主、何を知っておる?」

昌幸も信之を睨む様に見据え、そう問い質す。

「…‥私は何も知りませぬ。唯、信長公は私がしている事に協力しているだけに過ぎません。」

信之は、静かにそう語る。



――――本当は、何もかもを知っている。



違えてしまった昌幸と幸村の未来を変えたい、という信之の強い願いを受け止め、自身をこの過去に送ったのは、他ならぬ信長なのだから、知らない筈は無かった。

が、今、自身がしようとしている事は、昌幸に悟られてはいけない。

悟られ、全てを知ってしまえば、自身がしようとしている事は全て無駄になってしまう。



――――其れだけは、絶対に避けなければいけない。



「何をしておるのだ?信長公は。」

「其れは、申し訳ありませんが話す事は出来ません。ですが、真田を陥れようとする行動では無い、と言う事だけ、申しておきます。」

信之は其処まで言うと、静かに昌幸を見据えた。

昌幸も、信之を見つめる。

「納得がいかないとは思いますが、そのまま引き下がってくれませぬか?」

信之が肩を窄めながら、昌幸にそう告げる。

「そう思うなら、少しは教えてくれても良いではないか?何も知らぬのは、正直、辛過ぎる。」

昌幸はそう言って、表情を苦しいものに変える。

「父上…‥っ」

信之はそう呟き、目を驚きで見開く。

だが、直ぐに目を細め、俯いている昌幸をじっと見つめた。

(…‥矢張り、『あの時』と同じ様に惹かれてしまわれるのですね。)

信之はそう考えを巡らすと、静かに目を閉じた。



――――そして…‥



「分かりました、全て、とまではいきませぬが、許す限りの範囲で語りましょう。」

信之がそう言うと、昌幸は弾かれた様に顔を上げた。

「信之…‥」

「…‥後は、信長公と父上の問題です。納得のいく限り、話し合って下さい。」

「ああ、分かった。」

信之の言葉に、昌幸は強く頷き、そして、信之はゆっくりと昌幸に真実を語り始めた――――










――next

幼恋 (後編)(幸村(幼年)×信長)







帰って来るなり、幸村は昌幸にしがみ付き、嗚咽を漏らしながら、肩を震わせた。

昌幸は、幸村が何も言わずとも、何が遭ったかは自然と理解出来た。



ーーーー別れが来たのだ。



自らの正体を偽り、幸村と共に過ごしていた信長。

恐らく、信長自身が切り出した別れだろう事は、幸村の態度で分かった。

織田家の頭主ならば、尚更、長居は出来ない。

此処が、武田領なら尚の事だ。

然し、今の幸村に其れを明かしてしまえば、幸村を思ってギリギリまで正体を隠し通した信長の努力が無駄になる。

(さて、どうしたものか。)



昌幸は、信長が此の地に来ている事は、くのいちからの頼んでもいない報告で知っていた。

信長が鼻っから、真田に仇成す存在と決め込んでの報告に、昌幸は正直うんざりしながら聞いていた。

真田を滅ぼすつもりならば、わざわざ幼い幸村を利用する等というまどろっこしい事は信長はしない筈だ。

逆に、信長なら、武田を滅ぼした勢いで、真田領に攻め込んで来る筈である。

其れをせずに幸村との逢瀬に乗じている。

そして、何より、信長が長期に渡り、武田領内に居るにも関わらず、織田家臣達の動きが全くないのが可笑しい。

幸村の話(帰る度に、嬉しそうに話してくれる)を聞く限り、信長が幸村に昌幸の事や、真田の事を聞いて来る事はない。

ならば、信長自身の言う通り、此の郷に寄ったのは本当に偶然で、幸村と会ったのも偶然なのだろう。

となれば・・・



(此の別れは幸村にとって、非常に辛いものになるであろうな。)

「幸村、そんなに、信・・・『吉』殿と別れるは嫌か?」

「嫌で御座います・・・っ」

「そうか・・・」

昌幸は考え込む。

幸村の願いを叶える事は、実に簡単な事だ。

真田が織田に降ればいいだけの事だ。

拠り所である武田はもう弱体化され、滅びの道は必定。

言う事は簡単だ。

然し、其れを実行するとなれば、色々と問題は山積みだ。

例えば、くのいちが良い例だ。

くのいちの様に、信長を目の敵にして拒絶する者が存在する。

つまり、織田に降るとなれば、其の者達を説得しなければならない。

(だが・・・)

昌幸は、信長との別れが純粋に嫌だと泣いている幸村を見ると、昌幸が考えた理由は、大人達の勝手な考えで、幸村の気持ちを考慮していない結論だ。

信長が嫌いだの、憎いだの、そんなのは、幼い幸村にとっては、どうでもいい考えなのだ。

然し、幸村の気持ちを考慮して降る決断をすれば、周りから幸村が断叫の対象になってしまう。

父親としては、其れはどうしても避けたい。

昌幸は、暫く思案すると、思い切って、口を開いた。

「幸村、吉殿と別れなくて済む方法がある。」

「・・・っ!本当ですか!」

昌幸の言の葉に、幸村が勢い良く顔を上げる。

「ああ、だが、其の方法を実行してしまうと、周りが喧しくなってしまうが・・・」

「周り等、関係ありませんっ!私は、吉殿とただ一緒に居たいだけです・・・周り等・・・関係ありませぬ・・・」

幸村は、切実な願いを昌幸に訴える。

其れを見た昌幸は、迷わず決意した。

迷う理由は、昌幸にもう、何も無かったーーーー・・・










暖かい風が吹く。

其の風が、縁側で微睡む一人の男の黒髪をふわり、と揺らす。

穏やかに流れる暖かさに、男は目を細める。

と、自らの膝元でごそり、と小さき塊が動く。

膝に眠るは小さき幼子。

優しく柔らかい髪を撫でれば、ふにゃり、と笑みが浮かぶ。

年相応の可愛さに、自然と男の表情が緩む。



ーーーーのだが・・・



実は、此の幼子が眠る膝とは反対側の膝にも小さき塊。

自らの膝元を二人の幼子が占領している。

男が動こうものなら、二人の幼子が紅き外套の端を握り締めて来るので、動きたくても動けないでいた。

小さく緩んだ表情が、僅かに歪む。

だが、男は其れを邪険に思う事も無く、だからといって、無下に退かすつもりも無かった。

困惑した表情で苦笑すれば、今度は背中に何やら重みを感じた。

「三人で日向拠り(日向ぼっこの事)か?」

「・・・重い。」

「そんなに拠り掛かっては居らぬぞ?」

「・・・幸村達が潰れる。退かぬか。」

「大袈裟な事だな、信長。」

男・信長の払い言の葉に、背中に拠り掛かった男が、くく、と喉を鳴らして笑いながら、そう告げる。

「此のままでは、予が幸村達を潰してしまうと言っておるのだ。」

信長の言の葉に、男が信長の肩越しから覗き見る。

「うむ・・・其れは困るな。」

そう言いながら、男は体勢を整える。

・・・とは言っても、正面を向き、背中から信長を抱き締める形になっただけなのだが。

「・・・昌幸。」

「何だ。」

「予の話を聞いておったか?」

「聞いていたぞ。」

「ならば、何故、背中から退かぬ?」

「何故、退かねばならぬ?」

「・・・・」

「・・・・」

昌幸の問い返しに、信長は眉間に皺を寄せる。

そんな信長の表情を見て、昌幸はくすり、と笑う。

「そんな顔をするな。可愛らしさが台無しだ。」

「・・・男性相手に可愛い、等と言われても嬉しくないわ。」

「そうか?」

ふい、と顔を背け、眠っている幸村達に視線を向ける。

其れを見て、昌幸は益々、笑みを深くする。



二月(ふつき)前、真田は織田に降る決断をした。

そして、此の期に幸村に全てを明かした。

洗いざらい、包み隠さずに昌幸は信長の事を語った。

騙した事に激怒するのか、と思っていたが、幸村は寸なりと昌幸の言の葉を受け入れ、吉が武田を滅ぼした仇敵、信長だと知っても、幸村の気持ちは揺るぐ事無く、心変わりする事は無かった。

信長と一緒に居られる事を素直に喜び、幸村を連れて、信長の下に赴き、幸村が全てを知った上で信長と一緒に居る事を望んだ、と伝えれば、信長は一瞬、目を見開いたが、直ぐに困惑した表情になると、苦笑いを浮かべた。



あの時の信長の表情は、昌幸にとって、初めて見るものだった事を鮮明に覚えている。

そして、幸村が惹かれる理由が分かった。

戦場で見せる表情、戦場以外で見せる表情、全てが違う。

戦場のみだけの信長を知る昌幸は、全てが新鮮だった。

故に、信長に惹かれるのは早かった。



今では常に、信長にべったりの幸村に悋気する程の独占欲丸出しの感情を秘めてしまう程の惹かれっぷりである。

(其れにしても・・・)

昌幸は、幸村が寝ている膝とは反対側の膝をちらり、と見る。

(まさか、信之まで信長に囚われてしまう、とはな。人を女子供、異性問わず、惹き付けてしまうとは、ある意味、魔王ではあるな。)

「正直、気に入らんな。」

「何がだ?」

急に呟いた昌幸の言の葉に、信長が首を傾げながら振り向く。

「いや、何でも無い。」

昌幸は、そう呟くと、手を伸ばし、紅色の結い紐を指に絡ませ、するり、とほどいてしまった。

はらり、と艶やかな黒が首筋に、肩にと流れる。

「何を・・・?」

突然の事に驚きながら、信長は身動ぎする。

「うん?いや・・・触れたい、と思うてな。」

黒髪を一房指に絡ませ、其のまま、自らの唇に運ぶ。

愛しげに黒髪に口付けを落とす昌幸の姿に、信長は僅かに頬に朱を走らせる。

そんな信長の姿を見て、昌幸は目を細めて、小さく笑う。

そして、こんな雰囲気のまま、信長を美味しく頂こうと思った瞬間・・・

「父上っ!信長公から御離れ下さいっ!」

都合良く信之が目覚めてしまった。

「そうですっ、父上、御離れ下さいっ!」

信之が目を覚ましたと同時に、幸村まで目覚めてしまった。

ち、と昌幸は小さく舌打ちし、名残惜しそうに信長から離れた。

「父上と言えども、信長公を独占する事は許しませぬっ!」

信之は、昌幸の身体を少しでも信長から引き離そうと、ぐいぐい、と両手で押し出そうとする。

「信長公、危のう御座ります故、此方に。」

「あ、ああ。」

其の隙に、幸村が信長の外套の裾を引っ張り、昌幸から遠ざける。

其れを見て、昌幸は更に小さく舌打ちをする。

幸村と共に、此の場を離れていく幸村達を見て、昌幸は、

(此れは、信長を手に入れるには、骨が折れそうだ。)

と考えながら、小さく苦笑いをした。










「座って下さい、信長公。」

「ん?」

暫く幸村に引かれ、自らの部屋に連れて来られ、幸村に座る様に言われる。

「御髪が・・・」

「ん?ああ・・・」

幸村に言われ、信長は髪が解かれていた事に気付く。

「上手く結わえる事が出来るか分かりませんが・・・」

「構わん。」

幸村が遠慮がちに言えば、信長は直ぐに即答する。

其の即答に、幸村はこくり、と頷くと慎重に、緊張ぎみに信長の髪に触れ、信長の髪を不器用に結わえていく。

そして、結わえ終えた髪を鏡で見る。

所々に結わえ損ねた髪がばらついている。

束ねている紐は緩い為、結い上げている髪も心許ない。

「済みませぬ。誰か…‥」

「良い。」

誰か結髪師でも呼んで貰おうとした幸村を信長が止める。

「し、然し…‥」

「卯ぬが懸命に結ったものぞ。此のままで良い。」

柔らかい表情で笑いながら、信長は幸村の頭を撫でる。

「はい。」

信長の意図が分かり、幸村は笑顔で頷いた。



幸村は、信長の柔らかい笑みを見ながら、此の笑顔を守って行こうと強く願った。

其の為には…‥



「もっと、強くならなくては!」

と強く決意した。










「何か、ムカつきますね。」

「そうだな。儂等を差し置いて、何、甘い雰囲気を醸し出しておるか。」

「…‥申し訳ありませんが、信長公は例え、弟や父上であっても譲る気は御座いません。」

「そうか、だが、儂とて譲らぬ。」

信長達より、離れた箇所で父・昌幸と兄・信之が即発な空気を作りながら、信長とほのぼのと笑いあっている幸村に、敵意を剥き出しにしていた。



幼い恋は、前途多難な予感が漂っていた。










ーーEND

桜舞う随想【六幕・政宗迷走の刻】







さわさわ、と風が草木を揺らす。

其の風が奏でる草木の音を聞きながら、一人の成女が凛と佇む。

手には、女性らしからぬ薙刀を持つ。

誰も通らぬ道の真ん中に佇み、何かを待ち続ける。



すると…‥



遠くで馬が走る蹄の音が響き始める。

女性は、ふ、と瞳を開き、音が聞こえた方向へと視線を向ける。

蹄の音が近付くにつれ、女性の瞳にも険しさが表れる。

ぐ、と薙刀を握り、鋭く正面を射抜く。



そして…‥



「伊達藤次郎政宗殿っ!此処より先通る事罷り成りませぬっ!止まられよっ!」

女性は、最初に現れた影に向かって、そう叫んだ。

「…‥っ!?なっ、何じゃっ?!」

政宗と呼ばれた男は、突然の女性の声に驚き、慌てて手綱を引き、馬を止めさせた。

「誰じゃっ!!」

何の前触れも無く、馬を止められた事に政宗は苛立ちながら、馬を止めさせた張本人を見た。

「女…‥?」

「政宗様、あの御方は確か蒲生氏郷殿の正室…‥」

「ああ、あの魔王の娘か。」

隣に佇んでいた従者が男・政宗に耳打ちする。

そして、誰かが分かると、ふん、と鼻で笑い、政宗は女を見下した。

「其の魔王の娘が、此の儂に何用か?」

「政宗殿、どちらへ向かわれるか分かりませぬが、此処を通す訳には参りませぬ。」

「ほう?貴様一人で、我が大軍を止めると言うか。なめられたものよ。」

政宗は、そう笑いながら言うと、す、と手を上げ、静かに其の手を下ろした。

すると、周りに居た騎馬隊の二人が女目掛けて駆け出した。

政宗は、目を細め、にやり、と笑った。

だが、女は慌てる事無く、す、と座居合いの型を取り、迷う事無く、薙刀を払った。

瞬間、馬が均等を崩し、其の場で倒れ込む。

そして、馬に乗っていた兵士が其の勢いで、宙に投げ出され、其のまま地面に叩き付けられた。

「!!?」

「『騎馬を御すには、疾走してくる馬の足を狙え。さすれば、疾走したまま馬は均等を崩し、兵士は投げ出され、地へと落ちる。』…‥我が父上の教えで御座います。」

「き、貴様…‥っ!?」

女の落ち着いた言葉に政宗は、歯軋りする。

「そして…‥」

女は、静かに背中へと手を伸ばす。

手にしたのは、一丁の火縄銃。

其れを見た政宗は、険しい表情をし、何時でも態勢が取れる様に、自らの刀の柄に手を添える。

其の行動とは裏腹に、女は其れを空に向け、引き金を引いた。

すると、大音響と共に周りの草木がぴりり、と揺れた。

政宗は、暫く唖然としていたが、

「く、あはははは、何処を狙っておるっ!杤狂ったかっ!」

と高笑いし、女を嘲笑った。

「此れで良いのです。」

女は、ふ、と笑う。

と同時に、馬が高らかに嘶き、両前足を上げ、突然、暴れ始めた。

其れは政宗の馬だけで無く、他の馬も同じだった。

何とか、制御しようと誰もが手綱を操るが、馬は混乱に陥り、人が乗っていようが容赦無く暴れ捲る。

そして、遂には、皆、馬に乗っている事が出来ずに次々と落馬し始めた。

政宗もまた、条件は一緒だった。

落馬した時、背中を強かに打ち付けたのか、政宗は中々起き上がれずにいた。

其の隙に、女は一気に政宗へと駆け寄り、薙刀の鋒(きっさき)を政宗の喉元へと突き付けた。

「…‥っ!」

「『馬は繊細な生き物故、臆病でもある。其の為、大きな音を立てれば、其の音に畏怖し、混乱し、暴走する。そう成れば、人の命令等、全く受け付けぬ。』…‥此れもまた、父上の教えで御座います。政宗殿。」

「く…‥っ!き、貴様っ、何が目的じゃっ!!」

「私の目的は、政宗殿達をこの場で足止めする事で御座います。皆の者っ、此の場はお引き下さりませっ!其れが出来ぬと言うなれば、貴方方の御当主、政宗殿の御首、飛ぶものと覚悟なされませっ!!」

薙刀の先端が政宗の喉元の皮を切り、一筋の血が流れる。

「冬姫様、こんな事をして、ただで済むとお思いか?貴女様の御行為は蒲生家の将来を潰す行為と知っての狼藉で御座いますか?」

「貴方方こそ、力付くで此の場を切り抜け、『徳川』へ馳せ参じて御覧なされませ。さすれば、瞬時に、父上達は、伊達家は我が『敵』と見なし、父上の滅する対象となりましょう。」

女・冬はそう笑って、従者の言葉を一瞥した。

(…‥何故、我ら伊達軍が『徳川』へ行く、と知っておられるのか。)

小十郎の中に生まれる疑問符を抱く。

「其れがお望みならば、どうぞ、政宗殿を『お見捨て』になって、駆けて行くがよいでしょう。」

「………‥っ」

従者は、ち、と小さく舌打ちした。

此処で、駆けて行くは簡単である。

然し、我が主、政宗の命は冬の手で絶たれてしまう。

そうなれば、従者達に付き纏うは、主見殺しの汚名。

『義』より『利』を取った、と罵りを受けてしまう。

そうなれば、伊達家存続は不可能となる。

(其れだけは避けなければ…‥)

「小十郎様、有らぬ詮索はされませぬ様。父上は全て『お見通し』故。」

冬は、従者・小十郎の先手を打ち、言葉を放つ。

そして、其の冬の言葉に対しても、ち、と舌打ちした。

小十郎は、面白くない、と感じた。



何故、こんな女ごときに…‥



小十郎は、冬を見つめ、ちらり、とまだ、冬の手によって捩じ伏せられている政宗を見る。



家存続か、主君か。



「どちらを優先すべきか、悩むぐらいなら、政宗殿を見捨てれば良いのです。」

「なっ?!」

思いがけない冬の言葉に政宗は驚きで目を見開く。

「伊達家を存続させる事が出来るのは、何も政宗殿だけとは限りませんもの。」

冬は目を細め、挑発する様に小十郎に告げる。

「きっ、貴様っ!?」

冬の言葉に反応したのは、小十郎では無く、政宗だった。

「あら?どうして、政宗殿が腹を立てる必要があるのですか?私は小十郎殿に言っているのですが?」

「ふざけるなっ!!貴様の言動、伊達家への冒涜じゃっ!!」

「冒涜?何故、そう聞こえるのですか?私は、何も伊達家の冒涜した覚えは御座りませぬが?」

政宗の激昂に、冬は心外だ、と言わんばかりの表情で政宗にそう告げる。

其の白を切る様な冬の態度に政宗は益々激昂する。

「貴様…‥っ!」

「私の態度に激昂するのは、政宗殿が自分の考えで伊達家の行く末を決め、伊達家の存続の為に自らが奮闘している訳ではないからですよ。」

「……‥っ!?」

政宗の言葉を遮り、冬がそう厳しく批判した。

「伊達家の全てを従者である小十郎殿に全て委ね、全てを小十郎殿に決めさせているから、私の言の葉に対して、憤怒するのです。」

「貴様に何が分かるっ!!」

「分かりまする。私も父上が織田家を存続させる為に、何れだけの御苦労をなされたか、幼いながらも身近で見ておりました故、家を存続させる気苦労は良く存じております。」

冬は真剣な表情で、そう告げる。

「ならば、何故、必要に儂を罵るっ!!」

「政宗殿が父上と違うからです。」

「何じゃとっ!!何が違うのじゃっ!!御家存続の理由なら、一緒ではないかっ!!」

「違います。政宗殿と父上は、考え方が根本的に違いまする。父上は、誰の手も借りず、誰の知恵も借りず、自らが決めた考えで行動し、御家存続の為に奮闘したからです。」

「……‥っ!」

冬の言葉に政宗は息を呑む。

「貴方は、伊達家を守る為に自身の力で何かを成してみましたか?」

「く…‥っ」

冬の言の葉に、政宗は口を閉ざす。

「もし、自身の力で伊達家存続を望むならば、今は駆ける時では御座いませぬ。」

「信長公は……‥」

政宗はそう言い掛けて、口を閉ざす。

「政宗殿、父上が私に命じた事は、徳川へと駆け参じる伊達軍の足止めをせよ、とのみ。後は、どうするかは、政宗殿が御決め下さりませ。」

冬は目を細め、政宗にそう告げる。

「冬、御主…‥」

冬は、す、と政宗の喉元に宛がっていた薙刀を引いた。

「っ!」

其の行動に、政宗は驚く。

「…‥私の役目は終わりました。引き返すか、徳川の元に向かうかは、貴方の判断にお任せします。」

冬はそう告げると、政宗へ頭を下げる。

そして、其のまま踵を返すと、其の場から立ち去って行ったーーーー…‥










「父上、刻は稼ぎました。後は、お任せ致します。」

冬は、晴れ渡った空を見上げ、今頃、我が夫・氏郷と共に居るであろう父・信長へと思いを馳せた。










ーーnext

桜舞う随想【五幕・真説本能寺の変の刻】







『卯ぬは、『氏郷』に接触しろ。』

信長が、自分と共に協力して、流れを変えると言った時、彼が信之にそう伝えた。

何故、氏郷に?と信之は疑問に思ったが、

『氏郷は、予の娘・冬を正室に迎えておる。故に蒲生家は信長の忠実なる家臣。予が絡んだ事柄ならば、二つ返事で動いてくれるだろう。』

と言う信長の言葉に、信之は小さく『あっ』と叫んだ。

『その氏郷に、全てを暴露しろ。』

『全て、ですか?』

『勘違いするでないぞ?予と卯ぬがしようとしている事を伏せた状態で、全てを話せ、と言っているんだ。』

信長の言葉を聞いて難しい事を、と感じたが、信長の、

『氏郷と冬の協力が無ければ、予が自由に動けん。』

と言う言葉に、信之は少し納得すると、小さくこくり、と頷いた――――










――――全ては、本能寺で決まる…‥










「氏郷様。」

氏郷は、信長が事前に屋敷に呼びつけていた。

氏郷に、信之は信長と約束した通りに、接触をした。

「話は御屋館様より伺っております。信之殿で御座いますね?」

力強く、優しい声。

信之は、氏郷を見て、少し思い出した事があった。



『あの時』、信長が本能寺で討たれた後、氏郷は、秀吉に付き、信長の仇を討った。

だが、其の裏で、氏郷は秀吉に内密に、織田家の者、織田家臣、女中、信長の息子達、娘達を可能な限り、自分の城に匿っていた。

見つかれば、自分は処断の対象になるにも関わらず、織田の血族者達を城に匿い続けた。

其の為、三成から豊臣の天下に害なす者、秀吉の天下を狙う者と見なされ、様々な脅し、領地没収等されてしまった。

然し、三成のそんな脅しがあっても、氏郷は自分の主は、織田信長唯一人と譲る事はしなかった。



(そんな御方だ。きっと、協力して下さるに違いない。)

信之はこくり、と頷いた。

氏郷を味方に付けれるか、付けれないかで、信長の今後の未来が決まる。

「話たい事があります。少し宜しいですか?」

「構いませんよ。何用でしょうか?」

「はい、話と言うのは――――…‥」










「…‥其れは、真実ですか?」

黙って信之の話を聞いていた氏郷が真剣な表情で問い質してきた。

「其れを判断するのは、氏郷様です。私は貴男とは、今此処で初めて御会い致しました。そんな人物の話でもあります。ですから、真実か否かは、其方の判断にお任せます。」

「…‥貴方は、何がしたいのですか?」

「深い意味はありません。」



『信長公を救いたいだけ。』



そう続く言葉を信之は、喉の奥で必死で止める。

氏郷は、一度、ゆっくりと瞳を閉じた。



――――そして…‥



「…‥分かりました。協力致しましょう。」

「氏郷様…‥」

「確かに貴方は、此の私とは初対面です。…‥ですが、貴方方、真田家には色々と御屋館様を救ってくれた恩があります。其れを今、御屋館様に代わって御返し致します。」

氏郷らしい答え。

信之は、氏郷の答えに満足すると、

「有難う御座います、氏郷様。」

と深々と頭を下げた。

氏郷は、信之に唯、一礼すると、そのままゆっくりと踵を返した。










――――そして、運命の時がやって来た。










光秀は、じ、と夜空に浮かぶ月を見つめていた。

そして、二つに割れた道へと視線を移した。



『御主は可哀想な男よの。信長の為、あれほど身も心も犠牲にして働いたと言うに、何時も、誉められるは、御主ではない。』



光秀は、自らの掌を見つめる。



『憎いか?信長が。怨めしいか?殺したいであろう?』



ぎゅ、と唇を噛み締める。

光秀は、今まで信長の背中しか見て来なかった。

信長が、自らを振り向く事は一度も無かった。

其れでも、光秀は信長の為に、信長が背負い切れなかったものすらも背負って来た。

(憎い、等と一度も思わなかった。ましてや、殺したい等と…‥っ!)

光秀は、首を左右に振る。

だが、光秀の耳には嘗て、信長の遣いで京を訪れた時に自らと対面し、自らの耳元で囁かれた足利義昭の言葉が反復される。

そして、光秀の心が揺らぐ。

ふつふつ、と黒き感情が、光秀の意思を無視して心を支配していく。



心に浮かぶは、自分に険しく、冷酷な表情を向ける信長の姿ばかり。



「私は…‥っ」

そう、苦し気に呟いた瞬間…‥

「明智殿ーっ!」

光秀の後ろから、自らを呼ぶ幼子の声で光秀は、我に返った。

振り向くと、幼子二人が跨がった馬が、此方に向かって来るのが見えた。

「幸村殿に、茶々様。」

光秀の傍らに馬を止め、二人は馬を降り、光秀を見上げた。

「何故、此方に?」

「叔父上から明智様に文を渡す様、言い付けられました。」

「…‥っ、信長様から?」

信長の名前を聞いた光秀の表情が苦痛に歪む。

「………‥?」

其れを、茶々の隣に佇んでいた幸村が怪訝そうな表情で光秀を見つめていた。

そして、何かに気付き、幸村は表情を険しいものに変え、光秀を睨み付けた。

「はい、此れ…‥」

『です』と続く筈の言葉は、幸村の思いがけない行動で遮られた。

思いがけない行動とは、茶々が渡そうとした文を幸村が取り上げたのだ。

「幸村!」

「…‥『今』の明智様に、此の文は渡せられません。」

「…‥何故?」

真剣な表情で、そう告げる幸村に光秀は、怪訝そうに問い掛ける。

「だって、今の明智様は、心の奥底から信長公をお慕いしておられないからです。」

「…‥っ!?」

幼子に真撃を突かれ、光秀は息を詰める。

「中身の内容は分かりませんが、此の文は信長公が明智様を心の奥底から『信頼』して、明智様なら託せると思ったからこその文だと、私は思うのです。だとしたら、今の明智様には御見せ出来ない文だと、私は判断致します。」

幼子とは思えぬ思考。

幸村はじっと光秀を見つめる。

光秀は、幸村の真っ直ぐな視線に下手な誤魔化しは効かない、と判断して、ぽつり、とゆっくりと話し出した。

「私は、戦無き世を求めて、今まで戦って参りました。其の果てしない戦いの中で、信長様と出会いました。信長様の采配を見て、此の方なら、戦無き世を創れると思い、信長様の天下を支えて来ました。ですが…‥」

光秀は一旦言葉を切り、目を伏せた。

「…‥信長様が創り出すものは、深い哀しみ、苦しみ、恨み。そして、生み出すものは、地獄、深い闇。其処には、光も希望もありはしなかった。」

光秀は、吐き捨てる様に、そう慟哭する。

「だから…‥殺すの?」

「……………‥」

幸村の言葉に、光秀は黙り込む。

「ねえ、其れって、無責任じゃない?」

「……‥?」

茶々の突然の発言に光秀は首を傾げる。

「だって、叔父上、戦無き世を創る、なんて一言も言ってないよ。言ってないのに、明智様が勝手に叔父上に期待して、勝手に失望しただけじゃない。なのに、期待通りじゃなかったから殺すって、そんなの身勝手だよ。」

「…‥明智様は、自身の力で其の戦無き世を創ろう、と思い、少しでも近付ける様、努力したのですか?自身の力で頑張って、がむしゃらに頑張って、其れでも無理だったから、信長公に助けて、力を貸してって進言したなら、失望しても納得出来ますけど…‥そうじゃなかったら、明智様、最低の人間ですよ。」

幸村と茶々の容赦無い言の葉に、光秀は言い返す術は無く、ただ、黙るしか無かった。

「明智様は、叔父上の何を見て来たの?叔父上の『何』を見て失望したの?」

「何を…‥?」

「小谷城が落城した時、私は織田軍の手で保護されたんだけど、其の時、叔父上がどんな表情で燃え堕ちていく城を見つめていたと思う?」

茶々が其の時を思い出しながら、光秀にそう告げる。

「光秀殿は知らない。冷酷で、苛烈な戦をする度に、信長公の心が傷付き、荒れていく事を。」

茶々と幸村とは違う別の声。

声が聞こえて来た方向を振り向くと、其処には、

「父上っ!」

幸村の父親、真田昌幸が織田家臣の一人、蒲生氏郷と共に立っていた。





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桜舞う随想【閑幕2・明智光秀決断の刻】







「光秀、少し、話がある。」

「…‥は。」

信之と共に本能寺の変の流れを変える、と話し、屋敷に戻って直ぐ信長は、光秀を自らの部屋に呼び付けた。



信長は、薄々、勘付いていた。

光秀が、朝廷と義昭と繋がっている事に。

そして、『あの時』、光秀は朝廷から直接、朝令(朝廷からの命令)を聞かされていた筈だ。



ーーーー『援軍に向かうふりをして出陣し、途中で本能寺へ向かい、朝敵・信長を討て』と…‥



信長は、其れを『知っていた』。

知っていて、敢えて、光秀に討たれた。

時代の流れに、天が自らを必要としなくなったから、信長は討たれるのだ、とそう割り切り、覚悟を持った。

だが、天は再び信長を蘇らせた。

時代の流れを変える為、遡(さかのぼ)りすらも起こした。

『現在』、信長が存在する意味は何のかは、信長自身、まだ、分かってはいない。

否、分かっていない、では無く、薄々、分かり出した、と言った方が正確だろう。



(予が過去に遡った意味、其れは光秀にまとわり付いている『死』の闇を払う為であろう…‥)



信之は昌幸と幸村の『死』の闇を払う為に過去へ遡った。

ならば、信長が過去へと遡った意味は、光秀に関わっているのだろう。



(だとすれば、予が取るべき行動は…‥)



主も、部下も、関係無い。

『織田信長』一個人として、『明智光秀』一個人と腰を据えて話し合わなければいけない。



暫く物思いに耽っていると、す、と襖が開き、光秀が入って来た。

信長の真正面に座ると、深々と頭を下げた。

「向き用は…‥」

「堅苦しい言の葉は良い。」

「は…‥?」

信長の言葉に、光秀は怪訝そうに首を傾げる。

「…‥卯ぬは、真の泰平とは、何であると考えておる?」

「真の泰平で…‥御座いますか…‥?」

「『戦無き世』と一言で言うても、色々とある。戦が終わり、荒れ果てた大地、あるいは、日ノ本中、争いを生む原因を持つ者を絶ち、生きとし生ける者、全て居らぬ国、此れも一つの『戦無き世』である。卯ぬが目指す『戦無き世』とは何ぞ?」



『あの時』、光秀が口癖の様に言っていた『戦無き世』。

信長は、光秀が目指す『戦無き世』とは何か?をずっと、何時か、聞いてみたいと思っていた。

『あの時』は、光秀が謀反を起こしたが為に聞けなかったが、『現在』は違う。



信長は、光秀に進撃に問い質す。

「………‥」

光秀は、信長の言葉に黙り込む。

「戦無き世に、民は何を望むと思うか?」

「そ、其れは…‥」

「戦無き世を見るまで刀を奮う事を止めなきは善き事。が、戦無き後は、どうするのだ?」

信長は、光秀に容赦無い言の葉を投げ付ける。

「光秀…‥『先』を視よ。」

「『先』で御座いますか?」

「光秀、戦無き世の『先』に、卯ぬは何を視る?戦を無くすだけでは、民の暮らしは、良くはならぬ。大事は、戦無き後、ぞ。」

「大事は、戦無き後…‥」

信長は、一つ一つ、光秀の迷いの殻を剥がしていく。

「優しさだけでは、日ノ本は統一出来ぬ。無情にも、優しさを無残に踏みにじる輩も居る。其の時、必要となるは『毅さ』よ。何者にも屈しない『強さ』であり、誰にでも挫けぬ『剛さ』ぞ。」

「強さ…‥」

光秀は、信長の言葉を復唱する。

「光秀、血に濡れるは、予一人だけで良い。」

「…‥っ!?」

信長の思いがけない言葉に光秀は、勢い良く顔を上げる。

其処には、光秀が今まで見た事が無い穏やかな笑みを浮かべた信長の姿があった。

「苦しみも、哀しみも、憎しみも、全て予に託すが良い。予が全てを背負おうぞ。血に濡れ、泥に濡れるは予が全て引き受けよう。卯ぬは、卯ぬが望む世を目指せば良い。」

信長は光秀に其処まで言うと、す、と立ち上がった。

そして、光秀の前で跪くと、光秀の手を取り、掌の上に一つの包みを乗せた。

「此れは…‥?」

「頭の疲れには、甘いものが良いと聞いたのでな。卯ぬは、常に、思考を巡らせておる故、甘いものでも食して一息吐くが良い。そして…‥」

信長は、其処まで言うと、一旦、口を閉ざし、光秀を見た。

そして、再び口を開き、『あの時』言えなかった言葉を光秀に告げた。

「ーーーーっ!!!」

光秀は、目を見開いたかと思うと、見開いたまま、信長を凝視した。

信長は、黙って頷く。

其の頷きを見た光秀は、唇を噛み締め、はらはら、と涙を流し始めたーーーー…‥










「叔父上っ!」

甲高い呼び声と共に、とん、と背中に衝撃が走った。

振り向くと、腰に小さき幼子。

そして、其の後ろには、少し困った様に笑うもう一人の幼子。

「茶々、に幸村か。」



幸村は、織田と真田が同盟を組んだ際、織田への人質として差し出された村松殿の護衛と称して、安土まで付いて来た昌幸の次男坊。

信長は、人質は必要無いと昌幸に言ったのだが、昌幸は『貌(かたち)』だけはしっかりしておかないと、周りに示しが付かない、との事で、強引に、村松殿を織田へと送り出してしまった。

信長は、来てしまった者を、帰れ、と無下には出来ず、盟友の大事な『預り者』として、幸村と村松殿を受け入れた。

最初の頃は、其れこそ、信長を畏れ、警戒心丸出しだったが、信長が二人が暮らしていくのに不自由が無い様に、雑貨や着物を支給したり、何かと気に掛けてやったりしていく内に、幸村達は織田家の人達や織田家臣達と次第に打ち解けていった。

そして、此の暮らしの中で、幸村は信長の姪に中る娘・茶々と仲良くなった。

恐らく、同年というのが、仲良くなった原因の一つだろう。



「はい、申し訳御座りませぬ、信長公。私は、信長公は政で忙しいのだ、と申したのですが…‥」

其処まで言って、苦笑いを浮かべる幸村。

信長は、幸村の言葉に、全ての展開が容易に想像出来た。

「茶々、あまり、幸村を困らせるでない。幸村は、盟友の大事な御子息ぞ。」

「困らせてはいませんっ!私は、ただ、叔父上の御側に行きたいって申しただけです!」

其れを、困らせている、と言うのだ、と信長は口に出さずに、ツッコミをした。

だが、茶々の機嫌を損ねても、何の得にもならない。

そう考えた信長は、幸村達に気付かれない様に、小さく、其れでいて、深い溜め息を吐いた。

「不自由はないか?」

「はい!不自由等ありませぬ。茶々様にも信長公にも、良くして頂いております故。」

にっこり、と笑いながら幸村はそう答える。

「そうか、ならば、良い。茶々も不自由はないか?」

「私も御座いません。良くして頂いて貰って逆に申し訳ないぐらい。」

「……‥」

茶々もまた、幸村と同じ様ににっこり、と笑ってそう答える。



唯一、変える事が出来なかった事。

其れは、長政の裏切り。



どんなに、流れを変える切欠を作ってやっても

長政が決断し易い様に、取り繕っても

長政は、『あの時』と同じで変わる事は無かった。

市もまた、変わる事は無かった。

『あの時』と同じで、最後まで信長に抗い続けた。

変わったと言えば唯一変わった事があった。

其れは、市もまた長政と共に命を絶った事だ。

一つの流れが変われば、もう一つの流れも変わる。

其れは、信長自身も理解していた。

が、こうまで変わらぬ輩も居ると、最後に溢れて来るのは怒りでしかない。

「阿呆は何時まで経っても阿呆よ。此れは、『時代の流れ』が変わろうとも、変えようがない、あやつ等が持つ気性よ。」

何時か、義元がそう言っていた。

そして、高虎もまた、変わる事は無かった。

信長では天下は治まらない、と怒りを露にし、織田に降る事を断固として拒否し続け、家康へと降った。

「此れだから、思考が凝り固まった餓鬼共は…‥」

と昌幸が憤りを表情に露にしながら、言った言葉が印象的だった。



「叔父上っ!」

茶々の叫びで、我に返った。

「ん?どうした?」

「どうした、ではありません!急に黙り込んだら、心配するではありませんか!ねっ!幸村。」

「はい。」

ぷく、と頬を膨らませ、呆けてしまった自分に詰め寄って来る。

同意を求めた幸村も、心配そうな表情で此方を見つめていた。

「済まぬな、少し思考が飛んでおった。」

そして、信長は何かを思い出したかの様に、懐から一つの書束を取り出した。

「其れは…‥?」

幸村が不思議そうに見つめていると、其の書束を茶々に渡した。

「幸村、茶々。卯ぬ等に頼み事をしたいのだが、良いか?」

信長がそう告げれば、二人の顔が、ぱぁ、と明るくなった。

「お役目ですか?」

茶々が嬉々として聞き返す。

「うむ、此の書束を『光秀』に渡して欲しいのだ。」

「明智様に?」

「ああ。中身は光秀が見れば、直ぐに分かる内容になっておる。」

「はい、分かりました。して、明智殿は今何処に?」

「光秀は、本能寺に向かっておる。」

「はい、本能寺で御座いますね。では、行って参ります!」

「頼んだぞ。」

「はい!」

元気に返事を返し、幸村と茶々は部屋を飛び出して行った。

「…‥御膳立ては全て整った。後は、信之に任せよう。」

信長は、そう呟くと、ゆっくりと顔を上げ、静かに天を仰いだ。










『敵』は本能寺に在り。

さて、『真』の敵はーーーー…‥?










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