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桜舞う随想【二十五幕・魔王降臨の刻】







泣いている。

心が哭いている。

泣けないから、貴方は笑う。

哭けないから、貴方は穢れを背負う。

鳴けないからーーーー…‥





貴方はーーーー…‥





感情を殺すーーーー…‥









突然だった。

其の報が届いたのは。

長島一向一揆の哨戒に能っていた信長の兄と弟達が農民達に殺された、と。

此の報を受けた瞬間、広間にざわめきが走った。

昌幸は、何気に上座に座る信長を見た。

そして、目を見開く。



一瞬だった。



誰も、気付いていない。

だが、其の一瞬を昌幸は見逃さなかった。

信長の表情が、一瞬ではあったが、悲哀に歪んだのだ。



だがーーーー…‥



其の表情は、他の家臣に知られる事なく静かに消えた。

「矢張り、動きおったか。」

信長は、何時もの不敵な笑みを浮かべる。

本願寺とは今現在、和睦交渉を行っている最中である。

だが、顕如がそう簡単に和睦を申し受ける筈がない事は、信長自身も、他の家臣達も承知済みだった。

故に、信長は何か遭ってはならぬ、と感じ、顕如と一向衆の監視を兼ねて、弟達に哨戒を命じていた。

「…‥素直に受け入れぬと思うておったわ。五郎佐、光秀、軍を率い、直ぐに長島へ向かえ。」

「はっ!」

「はい、お任せ下さい。」

二人は信長の命令に直ぐ様反応し、一礼を返すと立ち上がった。

二人は、信長を見た後、昌幸を見た。

二人の言いたい事を瞬時に理解した昌幸は、二人に頷き返す。

其れに二人も頷き返し、広間を後にした。

「予も向かうぞ。」

信長が二人が出て行ったのを見計らい、す、と立ち上がった。

「お待ち下さい、信長公。『忘れ物』で御座りまする。」

だが、其れを昌幸が、信長の腕を掴む事で止める。

「何を…‥っ!?」

信長が昌幸の言葉に、一瞬首を傾げた。

瞬間、ぐい、と腕を引かれ、再び上座へと座らされる。

「な…‥っ!?」

昌幸に抗議しようと口を開くが、座った信長にばさり、と何かが頭に被さられた事により、其の抗議は途切れた。

横目で被さられたものを見ると、其れは紅地に金の六文銭が模された昌幸が常に羽織っている外套である事が分かった。

昌幸の意図が読めずに、顔を上げようとしたが、昌幸の掌が頭に乗せられ、

「お泣き下され。」

と優しく咎められた。

「なっ!?」

突然の昌幸の言葉に、信長は驚き、そして、揺らぐ。

「全ての哀を吐き出し下され。」

昌幸の掌が、魔王の能面を矧がそうとしていた。

「…‥っ」

息を詰まらせ、其れでも、魔王の能面を矧がされまいと信長は抗う。

然し、其の思いと裏腹に、感情が激しく波打ち、信長の喉を震わす。

「御心配は御座らぬ。他の者には、何時もの『居眠り』にしか見えませぬ故。」

信長が未だ、泣き出すの堪え、魔王の能面を外さないのを見て、昌幸は更に言い説く。

「此の時だけでも構いませぬ。どうか、今だけ『人』に戻り、お泣き下され。大事な方を失われたのです。今、泣かずば、次は泣きたくとも泣けなくなります。故に、どうか、今だけ、『魔王』の能面を御外し下さいませ。」

其の言葉を皮切りに、信長が黙って俯く。



そして、魔王の能面が、外れたーーーー…‥



其の様子を見て、昌幸は満足そうに頷いた。



そう、其れで良いのです。

『魔王』になるのは、全ての哀を吐き出した後でいい。

今は…‥



「ーーーー童子の様に泣きなされ。」

昌幸の言葉が小さく広間に響く。

其の呟きが響いた後直ぐ、嗚咽は聞こえなかったが、俯いた信長の頬から一筋の涙が静かに伝ったーーーー…‥










「何を血迷うた事を仰有っておられるのです?」

顕如が高らかに笑う。

昌幸は、そんな顕如を刺す様な瞳で睨み付ける。

「先に和睦の意思の無い素振りを見せたのはそちらではありませんか?」

くつり、と顕如が笑う。

其の笑いを昌幸は、嫌悪感を隠す事無く見つめる。

「和睦を持ち出しておきながら、何時まで経っても、長島から織田軍が撤退する様子も無い。長島を権力と力で抑え付けた状態で、和睦を持ち掛けられても、此方としても、はい、とは素直に頷く事は出来ないのですよ。」

「…………‥」

(よくもまあ、いけしゃあしゃあと…‥)

昌幸は、不敵に笑いながら、そう告げる顕如を睨み付ける。

(『こうなる』事を分かっていて、和睦を受け入れるのを見送りにしていたのだろうが。腹黒堕僧が…‥っ!)

昌幸は、顕如が次に『どう動く』か全てお見通しだった。

故に、軍勢を率い、長島へ向かおうとする光秀達を引き留め、先ずは自分が顕如に謁見する事を提案した。

先に軍を動かしてしまえば、全ては顕如の思う壺、全ては手中に嵌まり、身動き出来なくなり、周りに織田征伐の号令を出してしまう口実を与えてしまう。

そうなっては、未来を変えようと奮走している信長や信之の今までの行いが無駄になってしまう。

(其れだけは、何が遭っても阻止しなければ。)

昌幸は、深く息を吐く。

そして、冷静に切り出す。

「貴方の其の御言葉で、全て理解しました。」

「何?」

「貴方は、第六天魔王の障りに堕ちた下僧だ、と。」

がたり、と肘掛けが倒れる。

「堕ちてはおらぬ!魔王に等、屈してはおらぬ!」

「顕如殿、『何』を勘違いしておられる?私は仏教での第六天魔王を指しておるのですよ?」

昌幸の言葉を今一、理解出来ないのか、顕如は怪訝そうな表情を昌幸に向ける。

「おや?知らないのですか?最高位に位置する僧侶でありながら、仏教における第六天魔王の存在を知らないのですか?確か…‥仏教用語で、仏道修行を妨げている魔王を指す、と聞いたのですが…‥?」

「…………‥っ」

顕如が唇を噛む。

昌幸は、目を細め、其れを見つめる。

そして、確信する。

顕如は、説法修行を行わず、荒修行のみで僧侶になったのだ、と。

「知らないのなら、お教え差し上げましょうか?」



第六天魔王は、仏教用語で、仏道修行を妨げている魔王を指す。

天魔(てんま)・天子魔(てんしま)・他化自在天(たけじざいてん)・第六天魔王波旬(だいろくてんまおうはじゅん)とも呼称する。

また、第六天とは仏教における天の内、欲界の六欲天の最高位(下から第六位)にある他化自在天を指し、この天に生まれた者は他人の楽しみを自由に奪い自らの物とする事が出来ると伝えられている。

だが日蓮宗では、修行者を法華経からあえて遠ざけて純粋な信者には力を貸すというありがたい仏の一人とされている。

他には、天魔(てんま)と称される場合もあり、此の場合は、第六天魔王波旬(はじゅん、サンスクリット語:pāpīyas、より邪悪なもの)と称される。

また、天魔の配下の神霊のことを表す場合もある。

『大智度論』巻9に「此の天は他の所化を奪いて自ら娯楽す、故に他化自在と言う。」とあり、他の者の教化を奪い取る天としている。

また『起世経』巻1には「他化天の上、梵身天の下、其の中間に摩羅波旬・諸天の宮殿有り。」とあり、他化自在天と梵衆天の中間に天魔が住んでいるとする。

また『過去現在因果経』巻3には「第六天魔王」が登場し、「自在天王」と称している。

これらを踏まえ、『仏祖統紀』巻2には「諸経に云う、魔波旬六欲の頂に在りて別に宮殿有り。今因果経すなわち自在天王を指す。是の如くなれば則ち第六天に当たる。」とあり、他化自在天=天魔であると考察している。

逆に日蓮は、第六天の魔王を、仏道修行者を法華経から遠ざけようとして現れる魔であると説いた。

しかし、純粋な法華経の強信者の祈りの前には第六天の魔王も味方すると、日蓮は自筆の御書で説いている。

日蓮があらわした法華経の曼荼羅に第六天の魔王が含まれているのは、第六天の魔王も、結局は法華経の味方となるという意味である。

第六天の魔王は、仏道修行者の修行が進むと、さまざまな障りで仏道修行者の信心の邪魔をするが、それに負けず、一途に信心を貫くものにとっては、さらなる信心を重ねるきっかけとなるにすぎない。

なぜなら、信心を深めることにより、過去世からの業が軽減・消滅し、さらなる信心により功徳が増すきっかけとなるからであると日蓮は説いている。

現世で受ける第六天の魔王の障りも、「転重軽受(重きを転じて軽く受く)」で一生の間の難に収まる、としている。

余談として、能の「第六天」においては解脱上人を堕落させようと第六天魔王が眷属を率いてやってくるも、上人の祈りに応じて顕現したスサノオノミコトに宝棒で打ちすえられて逃げ出すと言う役回りで登場する。

信長は天台座主沙門信玄を解脱上人に見立て、自分は『それに災いをなそうとするも逃げ出してしまう第六天魔王に過ぎない』と謙遜して自称したという説も存在する。



「…‥私を惑わさせるおつもりか?」

全てを聞いた顕如が憎々しげにそう吐き捨てる。

「貴方を惑わさせた処で、私に利がありますかな?」

「……………‥」

昌幸の言葉に、ぎり、と唇を噛む顕如。

「………‥何が、目的ですか?」

顕如の其の言葉に、昌幸はくつり、と笑う。

「長島から全ての一揆衆撤退。」

「なっ!?其れは…‥っ!!」

「でなければ、織田軍全軍撤退の命は下りませぬぞ。其れでも宜しいのであれば、一揆衆を長島に布陣していても構わんぞ。」

「脅しか?」

「先程の顕如殿の御言葉では御座いませぬが、最初に進軍を行い、殺戮行為を行ったは、そちらですぞ?」

「…………‥っ!?」

顕如が息を呑む。

「今更、脅されたとしても、弁解の余地も御座りますまい。」

くく、と昌幸は喉を鳴らす。

「…‥撤退に応じれば、織田軍も撤退されると?」

「然り。」

こくり、と昌幸は頷く。

「………………‥」

暫く、顕如は考えに耽る。

「………………‥」

昌幸もまた、黙ったまま顕如の答えを待つ。

「…‥宜しいでしょう。一揆衆を引かせましょう。」

顕如が決断した。

其の決断に、昌幸は目を細め、に、と笑う。

「寛大なる御決断、痛み入る。」

昌幸が深々と頭を下げる。

「決断したのです。貴方達も必ず引くのですよ。」

「承知。」

す、と立ち上がり、顕如が広間を出ていく。

其れを頭を下げた状態で見送る。

そしてーーーー…‥

「佐助、其所に居るか?」

「ああ、居るよ。」

す、と音も無く、佐助が昌幸の側に降り立つ。

「長島に待機している光秀達に、伝達を。『手筈通りに』と。」

「あいよ。」

昌幸の伝言に、佐助は頷き、す、と姿を消す。



昌幸は笑う。



「…‥墜ちた、な。」

昌幸は、そう呟くと、冷酷に残酷に、冷たく笑ったーーーー…‥










是から、更なる殺戮が始まるーーーー…‥










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