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「我は、織田信長が嫡男、織田信忠っ!上田城を奪還すべく、馳せ参じたっ!いざっ、参るっ!!」
声高に宣戦布告を堂々と行い、敵軍に恐れる事無く、信忠は自身が跨がる馬の腹を蹴る。
其れを合図に、馬もまた、声高に嘶き、威勢良く走り出す。
後に続けと言わんばかりに、信忠の部下達の馬も走り出す。
「何だ?織田軍のお出ましか?上田城は難攻不落の城と知らずの進攻か?」
そんな信忠を徳川軍は櫓から眺めながら、そう嘲笑った。
「其れとも、知っていての進攻か?なら、ただの無謀で、相当な阿呆だな。」
からから、と徳川軍は笑う。
(ふ、『思った通り』だな。)
徳川軍の様子をちらり、と見た信忠は、ふ、と笑う。
徳川軍共が何を言っているのか、信忠には聞こえない。
だが、身振り手振りを見る限り、信忠達を嘲笑っているのは分かった。
上田城奪還の命を受けた昌幸からの指示は、真正面からの馬鹿正直な進攻のみ。
上田城は、様々な仕掛けが施された城。
そんな城へ、ただ、進攻するのみはむざむざ死に往く様なものだ。
だと言うに、昌幸は其れ以外の策は提示しなかった。
ざわめき、困惑する他の者達に混ざり、信忠と成可と長秀は、少し思案した表情をしたが、昌幸の表情を見た瞬間、一同にこくり、と頷いた。
全てを理解した。
説明等、必要は無かった。
何故なら、昌幸の迷い無き、真っ直ぐな表情が全てを語っていたのだから。
(私の役目は、主力隊を此方に釘付けにすること。…‥其れ以上も、其れ以下でも無い。役割を違えてはいけない。私はただ、昌幸殿達の策を完璧に成功させる為に、尽力するのみ。其れが今、私が此処に在る理由。)
「其の為にも…‥暫く私の相手をして貰うぞ。ただの引き付けだけでは面白くない。長秀殿、成可殿、一暴れしようか。」
「そうだな、ただ、足止めするだけではつまらん。後々の戦の為、何隊か潰させて頂く。」
「では…‥」
二人の言葉に、長秀も周りを見渡す。
するとーーーー…‥
長秀は、ふ、と笑う。
「退屈しのぎには丁度良い人材が在ったわ。我は『あの者』を叩かさせて頂く。」
長秀はそう呟くと、手綱を引いて馬首を返したかと思うと、其のまま駆け出した。
そして、二人は長秀の言葉に視線を長秀が向かった方向へ向けると、納得した様に笑い合った。
「御手柔らかに頼むぞ、長秀。『あの者』は、あくまで、古今無双の異名を持った者の『娘』だからな。」
信忠は、長秀の御目に掛かった『娘』の身を案じながらも、面白気にそう忠告した。
「さて、参ろうか。」
「そうさの。だが、信忠様。貴方様も御無理を為さらぬ様。貴方の身に何か遭らば、御屋形様に顔向け出来ませぬ故。」
「忠告済まぬ。だが、此度は聞けそうにないぞ?成可殿。」
「確かに。では、程々に。」
「了解した。」
信忠と成可はそう互いに言葉を交わすと、目の前で自ら達を嘲笑っている徳川軍に苦汁を呑ませるべく進軍を開始したーーーー…‥
ざわり、と城内が蠢きざわめく空気が流れた。
其れを感じた昌幸が、ゆっくりと顔を上げた。
「動いたか。」
「はい、動いた様です。」
「では、儂等も行くか、信之。」
「はい、父上。」
昌幸は、ぐ、と御旗槍の柄を握り締めると、身を屈め、ゆっくりと上田城の反石垣に近付く為、歩みを進めた。
そして、石垣に辿り着くと、其の石垣に掌を置き、何かを探す様にまさぐり始めた。
(信忠殿、長秀殿の働きを無に帰っす訳には参らぬ。必ず成し遂げねばならぬ。彼等は織田軍の要。何人たりとも欠けさす訳にはいかぬ。全てを生かして信長公に会見合えさせなくては。)
昌幸はそう決意したと同時に、目的の箇所を見つけた。
迷わず掌で石垣の一部を押すと、がこん、と鈍い音と共に石垣の一部が沈み、人一人がギリギリ通れる程の幅の石垣が横にずれた。
其れを確認した昌幸は、迷う事無く、開いた石垣の中へとぐぐった。
そして、昌幸に続き、信之も昌幸と同じ様に、迷う事無くぐぐって行った。
二人が通ったと同時に石垣は再びがこん、と音を立て、其の空間を閉じたーーーー…‥
其れは、突然だった。
織田軍相手に奮闘していた女性の前に鋭い風が走った。
女性は、其の風を寸での所でかわす。
「古今無双の異名を持つ男を父君として持つだけはあるな。良き反応だ。」
からから、と笑いながら、風を起こした本人が女性の動きを絶賛した。
「お前は…‥っ!」
「戦場では、御初、になるのかな?御機嫌麗しゅう稲殿。」
「…‥よくも、いけしゃあしゃあとっ!」
女性・稲は、目の前の者を鋭い形相で睨み付ける。
「そんな表情をなさるな、稲殿。折角の別嬪が台無しだ。」
「五月蝿いっ!!」
稲は憤怒した。
(此の男の顔、忘れ等しない。)
傷付いた父・忠勝を救う為に、屈辱にも信長に頭を下げる事になった時、稲姫は誇り高いが故に、頭を下げる事が出来ずにいた。
其れを見た長秀が、
『誇り高い事は良き事だが、其の意地が父君にとっても、そなたにとっても、不利に働く場合がある。其れでも良いなら、其の下らぬ意地を貫くが良かろう。』
と稲姫を嗜めた。
(私の誇りを此の男は『下らぬ』と吐き捨てた。絶対に許さない!)
自らを睨み付ける稲姫に、長秀はふ、と笑う。
「暫く会わぬ間に、下らぬ意地を捨てて柔らかくなったか、と思うたが、どうやら、意地を通り越して、分からず屋の頭でっかちになられた御様子。」
長秀は、からから、と笑う。
人を小馬鹿にした様な笑い。
そんな笑いを見て、稲姫がキレない筈も無い。
「貴方こそ、人を見下す言動は変わらぬ様ですね。其の人を侮蔑する言動、此度は改めさせて頂きます!」
頭に血が昇った状態で興奮気味に叫ぶ稲姫。
長秀はちらり、と上田城の表門に視線を向ける。
そして、見つける。
昌幸による潜入成功の狼煙が上がったのを。
其れを見た長秀はにやり、と再びほくそ笑む。
何も知らない稲姫は其の長秀の笑みを見て、怒りを更に心頭させた。
「…‥っ!其の厭らしい笑みを止めなさいっ!!」
(偉そうに命令か。)
何様のつもりか。
長秀は、そう思い稲姫を見た。
(だが、其れは其れで好都合。怒り心頭で周りが見えていない御様子。利用のしがいがあるわ。)
ひゅ、と朱槍を薙ぎ払い、其れを避ける為に稲姫が後ろに後退したのを見て、再び一歩踏み込み、構えを変え、突きを繰り出す。
其の突きを稲姫は再び後退して回避する。
(距離を取り、矢をつがえる隙を作るつもりでおるのだろうが、そうはさせぬ。)
長秀は、後退する度、弦を引こうとする稲姫との距離を素早く詰める。
薙ぎ払い、突きを繰り出し、柄で弓を穿つ。
其の度に、稲姫の表情に苛立ちの色が濃くなっていくのが手に取る様に分かった。
時折、矢を放つ事が出来る機会に恵まれるが、長秀は放たれた矢の放物線を正確に読み取り、全てを避けながら、徐々に稲姫を追い詰めていく。
「…‥くっ!!」
「稲姫よ、必定な弓使いは太鼓壁から隠れて矢を放ち、前線に立つ兵達の援助を行う者。貴方の様に前線に立ちながら、弓を使うは愚策なり。」
「また…‥侮蔑…‥っ!」
「…‥はあ、また、『侮蔑』ととりますか。」
長秀は、呆れた様な溜め息を吐き出し、稲姫を態と見下す。
(何故、助言(アドバイス)と受け取れぬのか。)
「貴女がそう融通が効かぬ者ならば、忠勝の名も堕ちたものですね。」
「!?き、貴様ぁっ、私だけでなく父上すらも侮辱するかぁっ!!!」
稲姫はそう激昂すると、其のまま見境無く長秀に無謀な攻撃を仕掛ける。
(掛かった!)
長秀は、槍の柄を短めに握ると、とん、と地を蹴り、後ろへと飛び退いた。
そして、弓柄に向かって一閃を叩き込む。
ぴし、と亀裂が走る音が走ったが、自我を忘れた稲姫には聞こえてはいなかった。
「ふんっ!」
長秀は、稲姫の得物に向かって渾身の一閃を放った。
亀裂が走った部分に一閃が当たり、許容を超えた力を受けた弓柄は無惨にも木っ端微塵に砕けた。
「な…‥っ!」
亀裂が走った事を知らない稲姫は、意図も簡単に砕けた自らの得物を唖然と見つめた。
長秀は、そんな稲姫の懐に入り込み、
「是で、詰みだ。」
と呟くと、稲姫の横っ腹を愛槍の柄で力強く突いた。
「そ…んな…‥っ、ち…父…上…‥何故…徳川…‥を、うら…‥っ」
意識を飛ばす一瞬、稲姫は織田の下へと去って行ってしまった父・忠勝を思い浮かべると、そう呟き、其の場へと倒れ込んだ。
「…‥稲殿、忠勝殿は誰も裏切っては居らぬよ。武士だ、と豪語するならば、父君の真心を読み取れよ。其れが出来ぬならば、貴女は唯の無能者だ。」
長秀は、忠勝が我が主君である信長に謁見した際に見た強き眼差しを思い出しながら、意識を飛ばし、倒れている稲姫に寂しく呟いた。
と同時に、遠くで上田城が陥落した事を報せる狼煙が上がったーーーー…‥
ーーnext