・
地獄絵図、阿鼻叫喚、様々な言葉がある中でどの言葉で表現すればいいか分からない程に、其の光景は凄まじさを表していた。
「凄い…‥凄いぞ、ベイツ!レーダー管制とCIC、そして、編隊空戦によ我々の『一方的』な優勢だ。」
誰も此処で『一方的』という言葉に引っ掛かりを持つ者は居なかった。
其程に『優勢』だった。
目の前の『一方的な勝ち』という罠に、合衆国は完全に墜ちてしまった。
「空中待避させておった攻撃チームを空中集合させ、反撃開始だ!」
「yes,sir!」
もう、誰も『敗北』を省みなくなっていた。
優勢になればなる程、後は堕ちるだけになる、と誰も思わなくなった。
「全攻撃隊に命じる!攻撃の許可が下りた!此のまま、一気に敵艦隊を叩けっ!!」
此処で合衆国の狙いは唯一つ、戦艦『大和』を始めとする敵巨大装甲空母に絞られた。
此処で信長による全ての『策謀』は完全に成ったーーーー…‥
「是からが、いよいよ本番ぞ…‥帝国海軍の、いや、日ノ本の未来の運命を懸けた万単位の人間の命を『供物』にする…‥仮初めの『正義(ジャスティス)の裁き』を合衆国へと仕掛ける。最早、予に迷い無し。此処から先に待つものは…‥」
信長は其処まで呟くと、空を仰いだ。
(おびただしい量の鋼鉄(はがね)の嵐…‥呻き…‥硝煙と爆煙…‥将兵達の血と生命の喪失…‥人生の終了というおぞましい血の饗宴(きょうえん)に他ならぬ…‥)
信長は嘗ての姉川の戦いを思い返す。
此の戦いも、多くの犠牲を伴った。
そして、姉川が其の犠牲になった者の血で朱(あか)く染まった。
其の光景が、時代を越え、今度は空と海に甦ろうとしていた。
「…‥何としても、此の忌まわしい戦(いくさ)を終わらせるのだ。」
こうして、凄絶なる者達の全てを懸けた熾烈(しれつ)な戦い、其の幕がついに上がったーーーー…‥
「ちっ、まるで七面鳥だ!アマチュアそのものじゃねぇか?!」
日本の第一次攻撃隊は搭乗しているパイロットの大半が飛行時間二〇〇時間程度のレベルであり、飛行時間が漸く三〇〇時間を超えたばかりの『ベアキャット』に乗る新人パイロットにも撃墜出来る程度であった。
そして、TF31まで約八七キロの上空での戦闘の推移は此処でも似た様なものだった。
「けっ!何とも嫌な気分だぜ。ガキの死刑執行をしているようだ。アルファ2よりアイアン・メイデン!ターゲット・リクエステットオーダー!」
『アルファ2!此方アイアン・メイデン!進路、其のままで高度二万四〇〇〇フィートまで上昇!必要所要時間は四分!其の後、左へ六五度反転せよ!高度差二〇〇〇フィートで敵編隊を後方から叩ける!』
「ラジャー!アルファ2!『完璧』な邀撃指示に感謝するっての!」
彼等の邀撃指示は『完璧』だった。
FDO(※1)あるいはFCDO(※2)からのレーダー邀撃に従いつつ、まるで、標的の様に日本機を撃墜していった。
(※1・FDO=ファイター・ディレクター・オフィサーの略。戦闘機誘導将校の事。
※2・FCDO=ファイター・チーフ・ディレクター・オフィサーの略。戦闘機誘導先任将校の事。)
「TFG31.3より入電!インターセプターの発艦完了!VF-25編隊長より入電!『敵ヲ制圧シツツアリ』!VF-17編隊長より入電!『ジャップハ動ク標的問題ナシ』!」
次々に報告される嬉々なる結果。
其れを聞き、ウィリアム・F・ハルゼー中将は勝ち誇った表情で声を弾ませた。
「ジャップは練度に劣り、レーダー管制無しの戦闘か。彼等にとってはゾッとしない展開だな、ベイツ君。」
「はい、此方はレーダーによって『敵の現れる箇所に戦闘機を素早く配置転換』し、数的にも局部的な優勢を確保しています。」
「どう考えても負ける要素が見当たらんな。」
「確かに。では、敵艦隊に止めを刺しに参りましょうか。此のまま愉しむのも構いませんが、其れでは敵が可哀想過ぎです。せめて、軍人として死なせるのが情けというものでしょう。」
「ははは、其れもそうだな!では、墓標には『勇敢にも我が国に逆らった愚かなる黄色い七面鳥共』とでも刻んでやるか!」
高らかにそう日本軍人を侮辱する言葉を笑いながら叫ぶと、ハルゼーは全部隊に更なる攻撃の命令を発した。
ハルゼーがそんな攻撃命令を下した同時刻。
TF31から一五〇キロ上空六〇〇〇メートルでは、日本の二式飛行挺二二型が待機飛行していた。
其の挺に乗る一人の軍人が耳に当てているベッドフォンから聞こえる両軍の交信を聞きながら記録していた。
(…‥たく、器用な奴だぜ。右の耳で敵の交信を聞き、左の耳で友軍の交信を聞いて速記録をしやがるとは…‥奴の仕事は彼我の無線通信を傍受し、其の『死の記録』を暗号変換して『葛城』へと送信するっつーもんだが…‥)
「あんたよぉ…‥気が滅入らねぇのか?」
操縦士が疑問を口にする。
「何が?」
「何がって…‥撃墜されてんのは味方なんだぞ!」
「そうだ。」
「『そうだ』ってっ、それで良く平然と…‥っ!」
操縦士の言葉に将校はちらり、と横目で操縦士を見やる。
「味方の損害を正確に把握しない限り、合理的な判断は不可能だ。浪花節で戦争が勝てるのなら苦労はいらん。」
其処まで冷たく言い放つと、ふい、と再び記録帖に目をやり、ペンを走らせ始めた。
(いや…‥そもそも、其の浪花節が中枢で罷り通ってしまった為に、帝国は『やってはならない対米戦』をやる羽目になっちまった…‥厄介な武士道を残してくれたもんだ『家康』は…‥)
男は眉間に皺を寄せ、三方原の戦いで家康を生かす為に、次々と死して逝った愚かなる徳川家臣達を思い、苦々しく表情を歪ませた。
「ひでぇ…‥此のままでは…‥第一波は既に三割以上の機体がやられた様です。」
「そんな事は見れば分かるわ!其れより攻撃隊は?」
「取り敢えず、二三機が突破に成功した様ですが…‥」
「第二波の到着は?」
「報告から判断する限り、後七分。」
「敵の迎撃は?」
「推定で約二〇〇機…‥」
そう言い掛けた管制任を信長は手で制する。
「其れは第一波だろう。第二波は最初は推定で七〇機。最終的には三〇〇機を超える筈ぞ。」
「そ、それが分かっていて…‥っ!?」
勢い良く振り返った管制任は、振り返った先にある信長の表情を見て、次に其の言葉を途中で呑み込んだ。
信長は管制任を睨み付ける。
其の睨みで、管制任は完全に黙り込む。
「無駄死にだと申すか?」
「あ…‥そ、其れは…‥」
ごくり、と唾を呑み込む。
「無駄死にではない…‥否、予が絶対に無駄死にのままになぞ終わらせはせぬ。」
信長はそう呟くと、顔を上げ、目の前のスクリーンに映し出された複数の赤い点を凝視する。
(頃合い、ぞ。仮初めの『正義の裁き』を合衆国海軍任務部隊へと仕掛ける時が来た。数百名の搭乗員を『贄』として。)
信長はぐ、と掌を握り締める。
(今、此の瞬間、予の命令を受けた搭乗員達は攻撃を開始しておる。…‥そう…‥予の命令により、あやつ等は決死の任務を遂行しつつある。)
矢は放たれた。
後戻りは出来ない。
『殺す』事よりも、『殺せ』と命じる者の方が心の傷は深く残る。
殺す事を自らの手で行う訳ではない。
自らの手を汚さず、他人に人を殺す事を委ねるのだ。
他人に罪を擦り付ける罪悪感と擦り付けた事の罪を背負い続ける圧迫感の二重の苦しみを味わい続けなければいけない。
だが『殺した』方は、誰かを殺してしまったという罪悪感のみがのし掛かる。
同じ罪でも、立場が違うだけで重さが違ってくる。
(…‥結果がどう出ようと、全ての責は予にある。)
「攻撃隊からの無線発信を確認しました!!数は二〇…‥いえ、二一機の発信を確認!」
考えを巡らせていた信長に、一つの情報が入って来た。
「…‥分かった。」
(今、此の瞬間、敵ピケット艦に対する戦闘が開始された。そして、其れは、攻撃が成功するか、彼等が撃墜されてしまうまで継続される。)
信長は、スクリーンに映し出された移動する味方光の点を目で追いながら、徐々に修羅への幕が開かれていくのを感じながら、静かに成り行きを見守った。
ーーnext