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返せない手紙が届く

郵便受けに私宛ての手紙が一通入っていた。小ぶりな女性の字で書かれていて、なぜか「様」ではなく「行」になっている。
差出人を見ると私の名前だった。

高校生のとき、授業で未来の自分にむけて書いた手紙──二十歳のときに届けられるのではなかったのか、なぜ今。しかも封筒の裏に先生の文字で「遅くなってごめん!」とある。でも同じ面の下側に「2015年1月1日」とも書いてあるから、どうやら今年の年始に受け取りを設定して書いていたらしい。

取り急ぎびりびりと封筒を開けて、中のものを読んだ。便箋一枚ぎっしりと二枚目に軽くかかるくらいの分量で、まだあどけない字が並べられている。書いたときのことは覚えている。十八歳の冬、受験の合格発表の前日だった。もう六年も前の話になると思うとぞっとする。

恥をしのんでいくらか転記する。


〈前略/新春のお喜びを申し上げます。いかがお過ごしでしょうか。/私は今、それなりに苦しくも楽しく過ごしています。
(中略)
そちらは今、24歳でしょうか。4年前に小6の私からの手紙は届いたでしょうか。〉

小6の手紙というのは小学校を卒業するときにタイムカプセルみたいなものにおさめたもので、今もまだ取りに行ってはいない。
手紙の序盤はとにかく質問ばかりで、まあ合格発表の前日だから自然とそうなるのかもしれないけれど、やがて話題は将来の生活のことへ移った。

〈まず、学校はどこを出たのでしょうか。××には、合格したのでしょうか。
(中略)
というか、今何をしているのでしょうか。仕事は、希望通りに就けたのでしょうか。/もしかしたら、でもどんな未来でも、楽しければそれでいいです。〉

でしょうかでしょうか言いすぎな。

もうこれ以上はあまりにもあれなので書きませんけど、なぜか手紙の半分くらいが(今の)私の生死を心配していて笑った。死んでないか、とか落ち込んだときは、とかなんとかなるよ、とか。
そんでもって当時の私も記憶にあるよりは何割か増しで切羽詰まっていそうな雰囲気を文章から感じとる。お前はお前で色々あったんだな。(思い出せない)

あと、京都には住んでいないと思う、って予見されていてどきりとした。でも香川に対しては消極的でどちらかといえば奈良に住みたがっていたようだ。そうとはつゆぞ知らなかった。


元気だし過去の自分としても今の私としてもよかったんじゃない。


この手紙を届けてくれた先生は私のなかで『ななつのこ』のふみさんみたいなイメージ。

未来の自分から手紙が届く話。
高野苺は漫画の中に可愛いだけじゃなく意外に哀しい淋しい空気をつくりだす。

そういえば私の母がレモン柄の手帳を使っているのだけど、それを期に梶井基次郎の「檸檬」を読ませてみた。
母は梶井を知らなかったらしく、読み終えてから初めて過去の人物だと気が付いたそうでひどく驚いていた。
「現代かと思って読んでいたらいつの間にか大正の街に行ってたのね〜」
母はロマンチストです。


ぼくの持ってる「檸檬」はこれなんですけど安野光雄が表紙書いてたの気付かなかった。


物語にしても手紙にしても言葉は時を止めたり運んだりできるけどその発生時以前には決して影響を及ぼせない一方通行な限界がある。

今日、香川県庁舎の旧本館を見たんだけど外観だけでだいぶ迫力があって、ああやって視界からぐわーって時代を持ってこられるのも文章で行うタイムリープとはまたちがうアプローチがあって、心バンって叩かれたみたい。
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