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乗れない電車ばかり数えている


〈たしか東京二十二時発だった。/こちらとは番線ひとつの違いなのに、あの寝台特急「瀬戸」に乗って服を脱ぎ、寝台に寝転んでいれば、あすの朝は四国の高松だ。〉

うちに帰ると母が雑誌の一頁を開いてそこを読んでくれと言う。

お腹がすいてそれどころじゃないようと言いながらしばらくして目を通した。
その旅は東京駅のホームから始まる。


〈やさしく寄せる瀬戸の海がある。女木・男木・豊島・小豊島・小豆島と並ぶ島々がある。美味しいおうどんと「何しとるん?」「おいでまぁせ」と話しかける讃岐弁がある。東京の酷薄な日常とは比較すらできない、ゆったりと時の流れる異次元の町。〉


つつけば溢れる水風船のように、読みながら今かいまかと目元が熱くなっていて、本州で読んでいたらたぶんわーわー泣いていたことだろう。
「いい文」だった。
読みやすく優しい。誇張もなく、ごく自然な香川の姿が記されている。
この人は私たちと同じ香川の空気を吸ったことがあるのだな、と、わかる。
彼が思いを馳せる香川は私の知る香川そのものなのだから。

言うなれば香川の景色を、記憶や情緒を織り交ぜて書いているだけの随筆なのだけどここ最近読んだもののなかではとりわけよい出逢いだった。母に感謝。


友人と話していたとき「たまには本州に来てね」と言われて、言われると確かにそうなのだけどそうか自分は本州にいないのだ、と軽く衝撃を受けたことがあった。
岡山駅で新幹線から降りて快速でも一時間強。三宮から船に乗れば四時間の旅になる。天気予報で見る本州との距離がどれだけ近いように見えていても海を隔てるということはそういうことだ。


そして時間の流れが違うというのは事実だと思う。あと空があまり怖くない。さみしくない。(と思う)



〈東京駅のプラットホームに立ち、何度、ああ高松へ行ってしまいたいと思ったことだろう。〉

海を隔てるということはそういうことだよね。(二回目)



上記〈 〉内の文章はすべて
文藝春秋平成16年9月臨時増刊号
徳岡孝夫「和し響きあう風景と言葉」
より引用しました。






〈このままこの電車に乗ってゆけば海に行けるんだな、と思いながら、会社のある駅で降りる。それが二十年も続いて、海には一度も行ったことがない。当たり前と云えば当たり前だが、異常と云えば異常ではないか。〉
ほむらさんのエッセイでこの本が一番好き。
反対側のホームに止まる電車に飛び乗って全然違うどこかへ行きたくなったり目的地でどうしてもどうしても降りたくなかったり、するのに結局いつも同じ駅で降りてしまう決断ばかりさせられるから電車は苦手です。


電車といえば

「Just Missed The Train」が好きで、なぜかたまにスーパーとかでも流れるんだけどそしたら嬉しくなって合わせて歌ってしまう。





本の感想

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