Clowns and Avengers.1

――いつの時代、いつの場所にも優劣は存在して、それはやがて差別へと姿を変え、万人の知らぬ間に命を奪う。
虐げられた劣性は胎に憎しみを宿しながら叶わぬ夢に涙を流す。

雌雄よりも潜在遺伝子。貧富の差も、発達の差も次の次に回されて何よりも大切なのはその人間の、その国人口の潜在遺伝子率。優位1位であるα人口が多ければ多いほどその国の長に8つの国の長たる「ホド」の座が譲られ、創造主たるファイエルン(エテルノ・クレアシオンを筆頭に残りの国を創造し直した神)に匹敵する権力を持つことができる。

今のところ「ホド」の座に就いているのは人種の坩堝となっているエテルノ・クレアシオンの国王だが、近年はどの国民も自らの潜在遺伝子を隠す風潮が見られており、それは数年前に起きた劣性の潜在遺伝子を持つΩが主体となった「咎獣討伐作戦」とは名ばかりのΩ大量虐殺を警戒しての事であろうと予測されている。


その作戦はとある国のα至上主義者達が自らの財力、権力を最大限活用して実行されたもので、当時、作戦立案者は他のα至上主義者に神のように崇められ、裏ではその主義に則って無数のΩを虐げた。
ちなみに、その当時ですら表立ってΩを差別すれば世間から糾弾される。が、何故かこの時ばかりはその声は小さく、反対に賛同の声ばかりが高らかに響いていた。それほど「咎獣」による被害は大きかったのだ。

社会的地位の低いΩではあるが、魔術が使える者や身体能力に優れている者、とαの特徴を1つだけ持っている者が大多数を占めており、国の名誉に関わるαを犠牲にするよりならば。と白羽の矢が立った。

そうして出来た指揮者のいない寄せ集めのΩ部隊は確実に咎獣を討伐していくものの、その数に反比例して犠牲者は100人を超え、世間も手のひらを返したようにα至上主義者達を批判し始めた。
この事から、立案者は作戦の見直しを余儀なくされ、「咎獣討伐」は休戦になり以前のように国民への被害(Ωは非国民とでも言いたげである。)が出るかと思われたが、時同じくして各国のギルドが力を持ち、Ω部隊に頼らずとも咎獣を討伐出来るようになってきた。その事からΩのみの咎獣討伐作戦は完全に頓挫し、立案者及び支援者は法に依って罰せられ、今日に至る。―――



すっ。と細められた眼は実に不愉快な史実をおどろおどろしく描いた絵画から、前を行くレイと黒兎に移った。
今歩いているこの屋敷の持ち主はα至上主義者達の生き残りで、刑にこそ伏したものの金にものを言わせて通常よりも早く釈放された所謂お貴族さまで、何を血迷ったかシャングリ・ラ(徨夜がΩだと知っていて)に依頼を寄越したのである。

当然、レイは猜疑した。依頼人の素性を知った黒兎ですら難色を示したくらいだ。
「3人で依頼内容を聞きに来い?」
このお貴族さまはギルドを何だと思っているのか。古参とまではいかないが、閑古鳥を招くほどではないギルドの3トップを呼びつけるとは。案の定、屋敷を尋ねれば門前で潜在遺伝子を問われ、αであるレイと黒兎はすんなり通されたが「Ω」だと正直に答えた徨夜は別の部屋へと連行され、しばらく経ってから額と両蟀谷(こめかみ)に封魔石を結ばれた状態で2人と合流した。


いつも以上に顔色の悪い徨夜を心配しながらもお貴族さまの執事と思われる初老の男に導かれるまま広間へと通された。大きな扉を潜れば眼に飛び込んでくるのは悪趣味な程に贅を尽くされた室内。10人以上掛けられそうな長いテーブルとそれを囲むように飾られている絵画。無数の絵画の中でも1番巨大な絵画の前にまるで王のように座っている中年の男こそが今回の依頼人であるナタージュ・アーネット元公爵。どうにも絞まりのない体型を緩い服装で隠してはいるものの、でっぷりと太った短い指で神経質にてらりと光る髪を撫で付けては不満げに舌打ちを繰り返している。
なんというか、色んな意味で典型的なお貴族さまである。
レイや黒兎は分別があるので、どのようなものを見ても平常心を保てる(もしくは保てるようにしている)が、徨夜は違う。真っ青を通り越して灰色になっている顔が強張って視線を泳がせて最終的には床を見詰めることにしたらしく、タイミングを見計らってレイが元公爵へと声を掛けた


「お初にお目にかかります。ギルド・シャングリ・ラが長レイと右がシャングリ・ラ次席、黒兎。左が…」

「結構。…穢らわしい劣種に興味ない」

「…………」

「座りたまえ」


場が凍ったにも関わらずナタージュは座るように身振りした。レイ達の前に置かれた椅子は2つ。その意図に気付いた黒兎が抗議するようにナタージュを睨むが、レイは知らん顔で着席し、徨夜に至っては椅子の真後ろに従者のように控えた。


「黒兎、座れ」

「でも」

「なァに。偶々椅子出すの忘れただけなんだろうよ。……というか立ってた方が幾らか楽だから、あとは、早く話聞いて帰ろうぜ」


徨夜が軽く黒兎の背中を押して着席を促す。押す、というよりももっと弱々しく撫でる、に近いような力加減で、いつになく徨夜が病んでいるのが分かる。
蟀谷と額の封魔石はその澄んだ色味からしてかなり値の張る高ランクの物を結ばれており、相手が筋金入りのΩ嫌悪者であることが窺えた。


「さて、今回君らに依頼したいのは――――」

























「ぃ、――徨夜、……おい、大丈夫か」



レイの声がぼやけた意識を引き戻した。ゆっくりと瞬きをすれば不安そうな黒兎と眼が合い、ハンカチを渡された。それを訝しげに見ているといつの間にか滴っていた血が着ている服に落ちる。血は、封魔石を結ばれた箇所から流れ出していた。拭いながら場の空気を窺うに、ナタージュの話はとっくに終わっており、部屋の扉近くには先程誘導した執事が此方を見ていた。


「…………あァ」

「ならいい。屈め」

「は……ァ?」


レイが指を床に向けて、さらにもう1度「屈め」と言う。
訳も分からず、レイに向けて頭を垂れる格好になった徨夜の額と両蟀谷の封魔石へ指が伸びた。


「グゥッ…」


まるで獣が呻くような潰れた声を物ともせずに指は結ばれている紐を解き、その手のひらに封魔石を納めていく。
都合3つ。カラコロと軽い音を立てる石を視界に納めながらも脇で控えていた黒兎に徨夜を連れて行くように合図して、扉が閉まると同時にテーブルへとそれらを叩き付けた。紐は反動で床へと落ち、封魔石は砕けている。
無礼ともとれる行動にナタージュが口を開こうとした瞬間、吸った息が気管を越して肺を冷やした。
吐く息は白く、今まで適温であった室内が凍り付いたように冷えたのだ。


「貴方の主義主張はどうでもいいが、それをこちらにまで押し付けないでいただきたい。Ωだろうがαだろうが、もちろんβとて人間には変わりないのですから。…気に障ったようならば、今回の話は無かったことにしても宜しいですよ。ナタージュ・アーネットさま」


室温と遜色ない程に冷えきった声でレイは言い、猫のように細く尖った瞳孔を隠すように眼を細めて笑った。ナタージュはただただ震えて無言のままだ。その震えは寒さからのものか、それとも恐怖からか。

同じαでも格と呼ばれる「ギフト(純優性)」がある。
持っているαの数こそ少ないが、それはα同士にしか分からないもので、αがギフトを持つαを見つけ、そのギフトを理解してしまった場合、劣ったαは生涯そのギフトを持つαに勝つことは出来ない。という格付けのような性質があり、今まさにナタージュはレイの「ギフト」を理解し、自らを貶めてしまった。


「では、お返事をお待ちしておりますね」


半ば呆然としているナタージュに構うことなくレイは部屋を出た。廊下には黒兎しかいない。屋敷内を抜けて敷地の入り口に見慣れた馬車の影を見つけると黒兎が口を開いた


「お疲れ」

「あぁ。」

「…………」

「依頼が流れたらすまんな」

「んや。別に。僕は流れたら良いなぁって。でも、これってノルマ変動なしだよね?徨夜、ドンマイだな」


馬車に乗り込みながら明るく振る舞う黒兎にそう言えば、と徨夜の所在を問う。どうせいつものようにアニマに連れられて帰還したのだろう。愚問だったな。と言いかける前に黒兎が言った


「多分、帰ったと思う」

「多分?」

「うん。…アニマ見えなかったから、多分、自力で帰った、んだと思うよ」


馬車の外では馬が嘶き、ゆっくりと歩き始めた。歩調に合わせて揺れるレイのピアス、黒兎のチョーカーに付いたシルバー。小さな声が、そこから聞こえた


―ウィ。オレはとっくの昔に帰還済みだぜェ……。


そういえば、ピアスにも、シルバーにも通信魔術をかけているんだった。やや雑音が混じっているが確かに徨夜の声だ。


「依頼が流れたら」

―へーへー。ノルマノルマ。

「分かってるなら良いがな」


そう締め括るとピアスもシルバーも静かになった。
果たして依頼の返事が来るかどうか、それだけが気掛かりだが仮に返事が来たとして、徨夜をどうするか。
黒兎も同じ事を考えていたらしく、視線がぶつかった。馬車内で話す話題ではないがまぁ良しとしよう。



が、その話し合いが無駄だったと知るのはそれから4日後のことであった。














ナタージュの屋敷から戻って早4日。待てど暮らせど返事が来ないので依頼の書類やら何やらを処分しようとしていると、ギルドの窓口担当であるレイの部下のネーヴェが来客を告げた。なんでも、ナタージュの遣いの者であるとか。

わざわざ人を寄越すとはよっぽどレイのギフトが恐ろしかったんだろうなァ?と口角を上げたのはやっとノルマを達成して書類提出に来ていた徨夜で、黒兎はそんなに怖いんだぁ、ちょっと見てみたいな。とレイの自室に庭で咲かせた桜を飾っている

ネーヴェが主であるレイの返答を待つ


「……応接室に通してくれ。」

「かしこまりました」


書類を見るのを諦めたのか机の片隅にまとめて置き、黒兎に付いてくるように目配せする。それを見た徨夜は小さくガッツポーズしてネーヴェに続いて部屋を後にした。

それを見送って2人も応接室へと向かう。