There is strong shadow where there is much light.

悲惨に焼け爛れた皮膚、裂傷、刺傷、打撲傷、etc.。見ている方の気分が悪くなる程の傷を負って、徨夜が2日ぶりに帰還した。
逃げるように後退りする徨夜を見て虐待された。と理解したレイが静かに問い掛ける。


「何に捲き込まれたんだ」

「………っ、―――!!」


徨夜の喉は声を生み出さずに呼吸の音だけ。
まさか喉を潰されたのか、とレイが更に近寄ると同じ分だけ徨夜も距離を取る。そのまま、殴られた際に切れたのであろう、赤黒い口角をこれでもかと引き上げて笑う。

近寄るな。

聞こえない筈の徨夜の声が錯覚として耳に届く。ジリジリと後退するその姿に既視感を感じて、ふと視線を外した。


「………手負いの獣…」


そう呟くと同時に、目の前に突き出された紙。
やけに艶かしく光る、黒いインク。


―着替えを取りに来ただけ。時間がない、すぐ仕事に戻る。責任を感じる必要はない。


「責任を…?」


レイの呟きに応える声は、当たり前だが無く。徨夜の姿は地下へと続く階段へと吸い込まれていく最中だった。風の動きに乗って、鉄錆の匂いが通る。それは握られた紙からも。まだ乾いていない艶かしく光るインクを指で擦った。

擦られたそれ、は黒ではなく黒味を帯びた赤。つまりは血文字。ハッとして徨夜の自室へと繋がる階段を降た。ポツポツと血の跡がある。しかし、もう徨夜はいない。血とその匂いが辺りに蟠っているだけ。


「……………」


降りたばかりの階段を上る。ギリリと奥歯が鳴るほど噛み締めて、レイは自らの執務室へと急いだ。

















―――――――――――――――――







「ァ、ぐゥうゥ、」


ばちん、ばちん。
まるで剪定をしているかのように鋏が鳴る。がらんどうの部屋に響く。重く、濡れた音を立てて美しく磨かれた床へ足指が落ちた。
宙吊りで痛みに脂汗を流す男、徨夜の切り落とされた指の断面へ金髪の、いかにも貴公子然とした男が舌を這わせる。


「ーっ!!〜〜!!!!」

「あっは。まだ死なない?死なないよね?もっと楽しませてよ。そうだ!!僕が飽きるまで死ななかったら支援金増やしてあげる♪欲しいだけ言って、強請ってよ。お金はあるに越したことはないでしょ」


封魔石と呼ばれる魔石を魔角の箇所、つまりは額と蟀谷(こめかみ)に結ばれた徨夜は無抵抗のまま、ともすれば消え入りそうになる意識を必死に繋ぎ止めた。

変態野郎とでも呼びたくなる目の前の男の言う通り、資金は余りあってこそ。身売りで痛む心など端から持ち合わせていない。


「……もっと、ちょうだい?」


媚を前面に押し出した甘えた声で誘う。その声に気をよくした男が後ろ手に隠していた注射器を徨夜の太股に突き刺した。針が刺さる痛みよりも、強制的に体内へ流れていく液体の方が痛い。熱い、痛い。


「あ、ァ……」

「どう?感じる?今射れたヤツ、αの血液なんだけど」

「くっ、ふゥ……あ、つ…」


熱さが痛みを凌駕した。括られた腕がギシリと戦慄く。体内を虫が這いずり回っているかのような不快感、脂汗ではなく冷や汗で服が湿る
潜在遺伝子学曰く、全ての頂点に立つαが持つ体液、特に血液はβには薬となりΩには毒となる。

この男は徨夜がΩだと知って資金援助の話を持ち掛けてきたのである。レイに話を通すのに骨が折れたが、何とか丸め込めた。あとは帰還するだけ。今日で期限の3日だ。この変態野郎を煙に撒いても良い、なんなら殺しても良い。早く帰りたい。


「君のギルド、こういう事はさせないのかと思ったよ?」

「はっ、そり、ャあ……目出度い頭だな、この、変態野郎が…」

「んん、言葉が悪いね。それとも追加のオネダリなのかな?」


男が微笑みながらもう1つの注射器を取り出した。やはり中には血液と見られる液体が。でもその前に、と
目にも留まらぬ俊敏さで小刀が右の肺へと突き刺さる。


「がっ、……は、…」

「あんまり痛くない?良い声で鳴いて欲しいのに。」


αの血液による熱と麻痺、肺を貫く小刀。ざあざあと土砂降りのような音が徨夜を苛む。帰りたい、還りたい。返り血を浴びた男は、おもむろに徨夜の首へ噛みつき、その反対側へと注射器を刺した。


「あっ、ああ、ァァァァああ゛っ!!」


刺された首の、皮膚が沸騰したかのように内側から爛れていく。咆哮は徐々に消えて、身体の至るところから血が噴き出す


「あはっ、あはははは!!やっぱりぃ?君ってば今までに遊んできたどのΩよりも面白い!!分かるとは思うけど、今射れたのは聖属性を得意とするαの血液だよ」


男は手を叩いて幼児のように喜んだ。それどころではないのは徨夜の方だ。死ぬ。死んでしまう。
封魔石が魔力の要である魔角を塞いでいては魔術を使う事はおろか空気中にある魔力を取り込み傷を癒す事も出来ない。しかも、常夜国の人間が忌み嫌う聖属性ときた。相反する属性は使用者を容赦なく滅ぼす。


「初日は水と暴力でしょー?昨日は電気と?細菌。今日で死んじゃう?あーあ、死んじゃうの?ギルドに忠誠を立てて?それってΩらしいね。可愛い!!犬、というよりも奴隷?あ、Ωって奴隷か。僕たちαの為の玩具でしょ?」


喘鳴を繰り返すだけの徨夜に、果たしてαである男の言葉は聞こえているだろうか。反応がないと気付いたのか、はたまた気が変わったのか。徨夜を吊っていたロープを切り落とした。

べしゃり。

まるで濡れ雑巾が落ちたかのような音を立てて徨夜が落ちた。酷使されていた両手首を労る余裕も、楽な体勢を取ることも出来ずにただ落ちたままでいる。


「ねーえ、聞いてる?」

「噫。聞いているとも。」


αの男の背後、布面を着けた男がひとり。影から抜け出してきたかのような黒を纏った得体の知れない男。それ、が徨夜へと足を進めた。


「やぁやぁいい姿だ。」

「貴様…それは僕の玩具だ!!」


ぐうるり。布面の男が騒ぎ立てるαの男へと顔を向けた。顔、だけを。


「囀ずるな。」

「ヒッ…」


顔だけがαの男を見たまま、身体は、腕は徨夜を難なく抱えあげた。布面の下で、口角が上がる気配がする。


「理不尽な世界よな。生物の頂に立ちながらも更にその上が居る。潜在遺伝子に意味は有りや?人間は歴史を繰り返すと聞くが、また始めようとしておるのか。何とも愚かな……」


布面の向きに合わせて身体が向きを変えた。ただ震えてばかりいるαの男への興味は失せたのかチラとも見ずに扉へと向かう。


「クソっ!!バカにしやがってぇぇぇ!!!!」


――ゴォッ!!


一面の火の海。
αの男が魔術を使ったのであろう、有り得ない勢いで燃え盛る火焔。αの男が何かを言っているが、それすらも分からない。


「やれやれ…」


どこか楽しそうに布面の男は抱えていた徨夜を火の海に投げ入れた。人形を捨てるかのように。


「!!??」


αの男が驚くのも無理はない。本当に、燃えているのである。意識のない徨夜が。肉の焼ける匂いが辺りに充満する頃、布面の男がぼそりと呟いた


「The cruelest lies are often told in silence.( いちばん残酷な嘘は、しばしば沈黙という形をとる。)」

「は…?」

「くっひひひ!!!!違いない!!」


突如、笑い声が燃え盛る火焔の音を凌駕した。海が紅蓮から黒へと色を変え、勢いを削がれて呑み込まれていく。笑いながら起き上がった徨夜を中心にして。


「Allerdings ist eine L ge n tzlich manchmal.(しかし、嘘は時として役に立つ)」


火焔が、炎の海が消えた。火焔を呑み込んだ中心にいた徨夜のコートからパチパチとまるで拍手のように火の粉が上がる。


「っ、!!??」


αの男が引き攣った声を上げるのを、蘇った徨夜がニンマリと笑いながら見ている。その、背から生えた1対の鹿角が翼を広げるようにざわめいた。


「あっはははは!!何その顔!!……笑える。」

「ば、化物!!来るなっ!!来るなぁ!!!!」


布面の男と、徨夜。2人に前後から包囲されαの男は後退る。火の海に落とされた事によって、魔角を封じていた封魔石は焼け落ちた。あとは本能のままに。魔角が辺りの魔力を手当たり次第(手はないので、角当たり次第。とでも言おうか)吸収し、散々痛め付けられた身体を再生させた。


ヒタッ…


「ひっ、ひぃぃぃぃ!!!!」


αの男の首へと絡み付く白色の手。振り解こうと藻掻くが、まるで蛇のようにキチキチと締め付けて外れない。


「さァ、報酬授与と行こうか?」

「放せ!!そしたら言い値を払う!!だから…ぐあ!?」

「言い値を?はっ、そんなの当たり前だろォ?良いかな、変態αよ。これまでにこの屋敷に招待して虐待死させたΩ、或いはβの人数と、死にはしなかったが取り返しのつかない所まで追い詰められたΩ、βの人数。如何に償うね?刑に処される?ないない、金を積めばすゥぐ出られるあんな場所に入れるだなんてとてもとても…」


憐憫を浮かべて首を振る。αの男は気付いていただろうか、白色の手が首に食い込み、侵食されている事に。布面の男の姿が手を残して霞のように薄れている事に。


――――――もし、この場でそれに気付いていたならば。




「金も貰うけど、お前も、貰うよ」

「ぎっ、ひ、がぁあああ!!!!」


αの男が奇声を発し白眼を剥き、口から泡を吐き出し始めた。それを褪めた眼で見ながら徨夜が口角を吊り上げ笑う。布面の男は居ない。

男の奇声は唐突に止み、ゆっくりと瞬きを繰り返して徨夜に微笑みかけた。


「ふむ……悪くはないな」

「あっはー♪それは良かったよ、アニムス」


声の、雰囲気の変わったαの男に垂れかかり徨夜が名を呼ぶ。

―アニムス―
それは徨夜のもうひとつのガーディアン。アニマと対を成す存在。正体不明の、布面の男がつまりはアニムスであったのだ。そしてαの男に憑依した。


「さァてと…レイが来ちまった」

「やれ、常の様にか?」

「だな。よろしュう♪」


そのやり取りの直ぐ後に扉が弾けんばかりに開いた。
銃剣を構えたレイが素早く辺りを見回して叫ぶ。


「徨夜!!」

「はァい♪親愛なるギルド長。今から帰ろうとしてた所さね♪」

「は…?」


レイが驚くのも無理はない。2日ぶりに帰還した徨夜は傷だらけで、誰が見ても虐待されたのだと思うほどの酷さだった。それが、どうだ。1日、たった1日で何事も無かったかのように傷が消えている。剰え、2人で優雅にティータイムを楽しんでいるときた。

疑わしげな視線を隠しもせずに、レイは徨夜を見る


「あ?あァ、傷?魔術の披露でちョいちョい。この貴族サマに如何に-シャングリ・ラ-が素晴らしく仕事をこなすか説明して、あとはお茶してたのよ♪」

「ケガをさせたままギルドに戻してしまい、大変申し訳ない。どうやら…要らぬ心配もかけさせてしまったようですし…」


貴公子然とした男がレイの持つ銃剣を一瞥し、苦笑いを浮かべた。


「いえ、此方こそ無礼をお許しく―――」

「んっんー♪そろそろ帰るかなァ」


レイの謝罪を遮って徨夜がイスから立ち、伸びをする。男も見送りのために席を離れ、レイに微笑みかけた後、扉を開けた。


「じャあねェ、貴族サマ〜♪」


レイに手招き、男に手を振り徨夜が出ていった。嵐のような徨夜に着いていけないレイは男に一礼して後を追いかけていった。


「やれ…あの男、我に刃を向けたままであったな…。」


貴公子然とした表情から一変。どこか徨夜に似た笑みを浮かべてアニムスが扉を締めた。
















その後、報酬はシャングリ・ラへと定期的に送られ続けた。