新しい講読者様5名様、5名!?あらまぁなんと、ありがとうございます
びっくりです
早速こんな暗い話、どうしよう…
名前を呼んでほしいです
またのぴ太が訳分からんこと言い出したと思ってください
たまにある訳分からんやつです
「おい」や「お前」と呼ばれるから、名前で呼んでほしい 、というわけではありません
たとえ「お前」でも、呼ぶ人にとってはぼくの立派な名前になります
ひとの名前を呼ぶことは、そのひとを自分の思考の中に組み込むことです
それは存在の確認であり、懇願であり、伝達です
例えば小学校の出欠です
担任は朝のホームルームで生徒の名前を呼ぶことによって、その子が教室に来ているか、脅かす問題がないかを確認し、自分との関係が担任と生徒であることをその子に伝えます
では、出欠名簿に書いてある名前を読み上げない、もしくは黒く塗り潰すことが、名前を呼ばないことなのか
ちがいます、名前を呼ばれないことは「無視をされる」とは異なります
「無視をする」とは、存在を否定し、無関係を願い、無関心を伝えることです
在るからこそ為せるもの、という視点で考えれば、名前を呼ぶことと大して変わりません、自分が受ける印象に大きな差はありますが
名前を呼ばれないことは、自分の代わりを宛がわれることだと思います
出欠名簿の名前を消されるのではなく、「ぼくがあるはずの位置に全く別の人物の名前を書かれること」です
いくら名前を呼んでも、自分の名前を呼んでもらえないと、まるでぼくだけ別の次元にいるような気になるのです
あちらからは、ぼくのことがシンバルを持ったサルのオモチャにでも見えていて、ぼくの声はそのシンバルのカシャン、カシャン、という金属音に変換されているんじゃないかって
オモチャだから笑顔になって、オモチャだから触れて、オモチャだから飽きて棄てるんじゃないかって
自分の存在を別のものに宛がわれるのは、辛くて寂しいです
一人のひとにでも、大切なひとにたくさん名前を呼んでもらえるだけで幸せになれるのに、たとえ通りすがりの見知らぬ美女たちに濡れた瞳で見つめられながら艶っぽい声で繰り返し名前を呼ばれたとしても、それは違うじゃないですか
ぼくを、ぼくとして見ながら名前を呼んでほしい
叶わないと分かっているから、余計に憧れてしまいます
名前を呼ばれないときは、耳を塞いで音楽を流し込むことが多いです
いま脳に注ぎ込んでいる音はぼくだけのために存在し、ぼくに聴いてもらうことで価値が生まれ、ぼくのために伝えているんだと思うと、安心するからです
勿論音楽をいつもこういう役割として聴いているわけではありません
耳を塞ぐことで、自らの意志で自分を別のものに宛がうのも効果的です
例えば木彫りの熊であったり、信楽焼の狸であったり、何でも良いですができるだけ無機物にします
そうすることで自分を自分と切り離して考え、「ぼくは木彫りの熊である、だからいまこんな目に遭っているのは自分ではない」という思考にもっていきます
そうすると大概の現象から逃避することができるし、少なくとも喧嘩の声や壁に穴があく音を聴かなくてよくなるのは、中学生の時に学びました
必要とされたい、ともまた異なります
名前を呼んでほしいんです
とんでもなくワガママな願いです
意味分からんですよね、すみません
信楽焼の狸とか何わけ分からんこと言ってんだって話ですよ
わけ分からんね
わけわからん
最近起こった事件
@ウォークマンが壊れました、ボリューム表示されなくなりました、専用のスピーカーでしか聴けないとんだワガママなやつになりました、鬱です、ウォークマンが壊れるってもうお先真っ暗です、電車の中で立ってるとき何すればいいんだよ!馬鹿野郎!
Aコンタクトレンズデビューしました、当たり前のこと言いますが、違和感とんでもないです、ゴロゴロゴロゴロしてもうお前は休みの日の自分かってくらいです
でも1日くらいで慣れるあたり自分の体に無限の可能性を感じています…!空も飛べるはず…!高所恐怖症だけど…!
何かいてるか分からなくなってきたのでそろそろやめます!
いまの感じでコメントのお返事打つとなんか良くない気がするので次やります、ごめんなさい!
元気やし、楽しいし、いまめっちゃ幸せです、気を病んでるとか全然そんなことないので!
ウォークマンが壊れて膝から崩れ落ちたくらいで、ほんとにそれ以外は何もありません
ただバランスが悪いのかなぁと思います
だから、そういうのじゃないです!
はい、ではサラバ!(^o^)