今世間では「いじめ」に関して盛り上がっているようで。いや、盛り上がってるっていう言い方は悪いか。
でもやっぱりメディアは『盛り上がってる』ようですね。取り上げ方に異常性感じてるのはぼくだけじゃないと思いますが。
ということで今日の記事は「いじめ」についてなので、読みたくない興味がない方は読まない方が良いです。
たまーにある真面目記事です。
ぼくは小学校六年生のときにいじめられたことがあります。
仲良かった4人の友人に、ある日、突然、何の前触れもなく、ぼくが朝いつも通り「おはよう」って言ったら、無視されたんです。これが始まりでした。
ぼくの場合は有り難いことにいじめられる理由があったんですが。
この話はどうしよう…一応打ったんだけど更新するかは保留します。
ところでさっき“有り難いことに”って言いましたが。
ぼくは理由がないイジメが、本当に恐いと思うんです。
純粋な、ただ人を傷つけて自分の欲だけを満たしたい丸裸の『悪意』を向けられた人間に与えられる恐怖は、他のものと質が違うと思います。
受け入れるのも地獄、拒否するのも地獄、それがどんなに恐くて、閉鎖的で、絶望か。
その悪意を向けられた人はどこに居ても、何をしてても、頭の隅にその『悪意』がこびり付いて離れない。おれはいつでも見てるぞ、お前を苦しめるためだけにあるんだぞ、って言わんばかりに、その『悪意』が何度も何度も心をよぎって離れない。
するとおかしなことに、だんだんその『悪意』に慣れてくる。
苦しいことを受け入れてしまう。外部からきたウイルスなのに、初めからそれがあるかのように、あたかも運命のように、体に取り込んでしまう。
苦しいのは、悪意のせい。初めからそれをもってるぼくのせいなんだ、って。
ウイルスからランクアップされ体の一部になった『悪意』は、感情を浸食していく。希望とか、信じる心とか、生きる気力とかをどんどん食っていく。
どんどん、どんどんどんどんどんどん。
ある日気がつくと、そこにはもう『悪意』しかない。
丸々と太った孤独な『悪意』がぽつん。
頭の中にも心の中にも。
それに気づいてしまった後、どうするか。
この『悪意』を取り除くにはどうしよう…体中にある『悪意』をどうしよう…今更これを浄化する希望も信じる心も生きる気力もない。ぼくにはこの『悪意』が全て。ぼくの世界には『悪意』しか居ないんだ。
そうか、
それならいっそ
『悪意』ごと体をころしちゃおう。
そうすればこの『悪意』に苦しめられることもない。
ぼくはいじめによる死をこのように感じます。
その悪意を植え付けたイジメ側は、植え付けた感覚がない。投げつけただけ。真っ黒なボールを投げつけただけ。ただ、その代わり、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。
何度も何度も、ぶつけられた側がボールの黒で真っ黒になるまで。
いじめる側がどうだの、いじめられた側がどうだの、止めなかった周りがどうだの。
違うよ。
いじめた側に、その真っ黒なボールを与えた奴に問題があるんだよ。真っ黒なボールを作れる環境に問題があるんだよ。
誰が悪いとは言わない。
あえて言うならその真っ黒なボールが悪い。その悪意が。
わざとボカした言い方をしてる理由は感じ取っていただければ幸いです。
いじめはどこにでもあるけど、死に繋がるものはどうなんだろ、日本は多いんじゃないかな。同調好きの日本人にとって、いじめも日本人が好き(とされている)なツイッターに通じるものがあるんじゃないかな。宗教的な問題もあると思いますけど。話ズレました。
ツイッターでも、一人を大人数で叩いたり、一つの意見をまるで世界の理のように流したり、不特定多数の仮面を付ければその他大勢にされて、自分を消せるから。こういうときだけね、消したがる。
大勢の内の一人っていうのも、立派な立場なのに。
ぼくと意見が違うのは当たり前です。その気持ちを大事にして下さい。ぼくの意見は流して下さって結構です。なので『間違ってる!』などのコメントはお控え願います。分かっています。
あとあくまでもこれはぼくの「想像」なので。実際酷いイジメを受けたことはありません。
ツイッターでも言ったけど、ぼくに対するイジメは夏風邪のようなその程度でした。時間の経過によって過ぎ去っていく、そんなものでした。
ただ、それが癌の人もいる、ということです。
先言った「想像」だけどさ、これがほんとに大事で。相手の気持ちを想像することができない、又はしない、又は「想像した上で」苦しみを与える、これが厄介なんだよな。特に三番目。
イジメをするやつは想像力が乏しいんだろうな。人の気持ちなんて考えたことなくて、自分が世界の主人公で、苦しんでる様子を見るのがとんでもなく快感で、自分の感情しか脳になくて、、、
でも中学生なんて、みんなそんなもんなんですよ
自分のことで精一杯で
何もなくてもムシャクシャして、強くなりたくて
存在を証明したくて
そのくせ何もかも未発達で、でもそれに気付けなくてキャパオーバーして
ただ、そのやり場のない気持ちの使いどころを、先生や保護者がどうやって導いてやるのか
部活かもしれないし勉強かもしれないし、自分で恋愛に見つけるかもしれない
でもここで誤った方に導いてしまったり、むしろ導くことすらしなかったりすると、行き場の無い感情はストレスとなり、周囲への発散が始まるかもしれない
これがさっき言った真っ黒なボールの例えに繋がるんですが…
話長いな、ごめんなさい
本を読むと想像力がつくんですがねー、もっと本を読むべきだ、うん、漫画じゃなくて
んー、まとめが思いつかない(笑)
あ、最後に一つ。
例のイジメの事件だけど、ネットとかでも『イジメた奴死ね!』みたいな、ね、あるじゃん。
ともちゃん(母)も、イジメで自殺したニュースが流れたときはよく『自分を殺すくらいなら相手を殺せばいい』みたいなことを言ってたんだけど…( ̄∇ ̄;)
確かにそうかもしれないけど、部外者のぼくたちが考えるべき点はそこじゃない。
そこまでの思考の流れを忘れないことだ。怒りと嫌悪感を忘れないことだ。無関係と思わないことだ。考え方を見直すことだ。そして周囲を見渡すことだ。
死ね、とまで感情移入ができるなら、これくらい簡単だし、なによりよっぽど亡くなった子のためになるとぼくは思う
長々と失礼しましたm(_ _)m
全部読まれた方はあんまりいらっしゃらないと思いますが、ありがとうございますm(_ _)m
ちょっとでも読んで下さった方もありがとうございますm(_ _)m
上手くまとめられなくてごめんなさいm(_ _)m
では、長文駄文失礼いたしました。