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あおいろの朝の淋しさ時鳥

声に出してしまうと■■って死んでしまうんだよ。

選ばれた■■は生きていけるけど、選ばれなかった■■はもう自分の「現在」からは外れ落ちて、そのうち遠くへいってしまう。
殺してしまうくらいならはじめからあやをなさずにずっとずっと心の中にあるほうが幸せだよ。

私が特別だと想ってきたことが何らかの形をもって外に投げ出された瞬間に、それが世界ではあまりに些末でとるに足らないものだという事実を思い知ることが怖いんだ。
それでもすくわれたい。

私の■■を掬いとって、特別などこかに残しておいてくれ。


──以上が今夜の、十六歳コーナーでした。
(内容を鑑みて決定)



さて奇妙なメモを残して短い夢は私のもとを去ってしまったわけですが。
あれに記されたものが何かというと、ずばり■■の■■です。

あのメモ(前日参照)を見る限りとても真面目な夢とは思えないのだけど、夢の中の自分はいたって真剣だった。
その■■は夢の世界において確かに美しいものだったし、目の覚めるようなあたらしさがあった。
それなのに目が覚めて記録する段階になると、まるでその通りに再現できない。あんなに素敵だと感じた■■たちが、現実の言葉に置き換わったとたん陳腐な擬音の羅列に変わってしまう。

伏せ字の部分、はじめはストレートに書いていたけど秘密にしたままのほうが美しくまとまるような気がしたから私の心の中だけに留めておきます。一ヶ所を除いてすべて同じ言葉が入ります。
さてなんでしょう?
おわかりでしょうが言わずもがな■■です。

伏せる効果はないけど伏せる意味はそれなりにあるのだ。
思うことぜんぶをそのまま形にしていたら生きていけないよ。



〈もっと話そうよ目前の明日のことも〉

宇多田ヒカルの「光」を車のなかで流しているこのごろ

切実な感じがするのに幸福感に満ちあふれている。
切実だからこそ、そう歌わせる何かがあるのかもしれない。

〈今時約束なんて不安にさせるだけかな/願いを口にしたいだけさ/家族にも紹介するよ/きっとうまくいくよ〉

と激しく、たたみかけるように伝えてくるのに、

〈未来はずっと先だよ/僕にも分からない〉

そんなふうに冷静に言い換えて、

〈どんなに良くたって/信じきれないね/そんな時だって側にいるから〉

静かな光のような肯定が〈君〉へと残される。
それなのに終わりには

〈もっと話そうよ目前の明日のことも/テレビ消して私のことだけを見ていてよ〉

またこのフレーズが繰り返されて、それはつまり〈突然の光の中、目が覚める〉という結果ではなく、〈どんな時だって側にいるから〉という決意とも違う。
〈私のことだけを見ていてよ〉という、〈君〉に対する〈私〉の切実な〈願い〉によってこの歌の幕は閉ざされる。

まるでこの曲それ自体が〈願いを口にしたい〉という感情のあらわれであるように。

〈どんな時だってずっと二人で〉と言い切ってしまうこの歌は、ラブソングだけどラブソングじゃなくてどう考えても孤独の歌だ。限りなく片想い。
二人きりというよりも二人ぼっちの世界にいる。それも〈私〉から見た二人ぼっち。
〈私〉はひたすらに〈君〉のほうだけを向いているけど〈君〉の世界にはまだ〈テレビ〉がある。笑い事じゃなくて、〈君〉はまだ〈私〉以外の〈光〉を見ているということ。

でも、好きなんだろうなあーーと聴いていておもう。たぶんうまくいってないときもあるんだろうけど、それでもむちゃくちゃ好きで繋ぎ止めたくて、前にだけ進んでいきたくて仕方がないんだろうなぁと思う。
〈君〉のことが。

〈未来はずっと先だよ僕にも分からない〉の〈僕〉はもしかすると〈君〉なのかもしれない。

偏見かなあ。でも好きだよ絶対。
好きだから二人ぼっちになりたいんだよ。


なんとなく乙一の『暗いところで待ち合わせ』を思い出すのだった。いやそういう話とはまた違うんだけど。

待ち合わせ、って素敵な言葉だよね。
待つ がひとりだけの行為じゃないんだよ。



英詞版はアンサーソングというか、なんというか。「COLORS」と同じ盤に収録されていることもあってふたつ合わせて聴くと非常に意味深な感じがしますね。




今日の一曲

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