話題:ひとりごと

今日は天気が良くて暖かいが、10年前の今日は寒かったな。

余震が続く中、仙台から家に歩いて帰ったが地面は割れているし、周りのビルからは何かしら落ちてくるし、そこら辺から悲鳴が上がるし、吹雪いているしでこの世の終わりかと思った。
避難中にカーナビのテレビで見た、リアルタイムの津波の映像は未だに覚えている。

途中、祖母の家に立ち寄って様子を見たり、僅かながらも水と食べ物をどうにか調達して家に着いた頃にはすっかり暗くなっていた。
停電していたから家の中は寒いし暗いし、何処へ行ったのか家族は居ないしで不安だったが、全員が揃った時は誰も欠けていなかった事に安心した。
電気は駄目だったが水道とガスは使えて、冷蔵庫に残っていた食料を調理して夕飯を作った時には、何とかやっていけるなとまた安心した。


次の日以降には震災の現実を改めて目の当たりにした。
東部道路を境にした海側の景色は瓦礫と泥に覆われていて、怪獣でも通った後のようだった。
実際に目の当たりにしている光景なのに、フィクションの光景を見ているような宙ぶらりんな感覚。
見知った景色は何処にも無くて、どうにか残っていた痕跡が其処が自分の知る場所だという事を示していた。

普段何気なく過ごしている日々や誰かと一緒に過ごせる事というのは当たり前の事ではなく、奇跡なんだろうと思う。
色々な奇跡が重なって当たり前の日々が続き、何かしらの偶然によって簡単にそれが奪われてしまう。
私にとって、あの日がきっとそうだった。


私がこのブログを始めたのは東日本大震災が切っ掛けだった。
いつ何が起こるか分からない事を自覚したのと、突然死んで自分という存在が無くなるのが何となく嫌で、下らない事でも良いから記録して残しておきたかったし、一人でも多くの人に私という存在を知っておいてほしかった。
今では惰性で続けている面もあるが、当初の目的は成せたと思っている。

これからも私が居た痕跡を出来る限り残しておくつもりだ。