仕事場の窓を閉めようとすると、斜め後ろから「まだいますよ」と声がする。ふりかえり、あと十分したら帰ろうと話してカーテンをひく。背中を向けたときにこの人のことが好きだと思う。特別な意味ではなく。
雨が降っていると教えると、もうひとりいた人が、家がこの近くだと教えてくれる。近いから大丈夫だと笑う。ここにいるみんなは優しい。

結局ひとりで残っていると、業者の人がやってくる。ちょうどさっき、くればいいのにと考えていたところだった。「ハッピーバースデー!まだですけど!」というと笑ってくれる。本当は少し早いけど、そのときまで覚えていられる自信がなかった。カレンダーを見るまで忘れてしまっていたのだ。他愛のない話を重ねながら、その残酷さにお互いふれることはない。

台風が来ると誰かが話す声がして、じっとりと湿った風があたる。何か思うことがあるけど感情に蓋がされている。

先日伯母と話したときに、いつも夢に出てくる場所があるという話題で盛り上がった。伯母の夢にはいつも同じ家が三軒(自分の家だったり、自分の家とは少し違う家)ランダムで出てくるのだという。私の場合は学校が繰り返し出てくる。前はよく、授業を休むか休まないかという夢を見ていた。でも仕事が変わってからそういえばあまりその夢を見ていない。学校は相変わらず出てくるけれど。でも学校ではなく、どこなのかわからないけれど同じ空間がもう一箇所、何度も夢に現れる。あれはどこなのだろうと思う。見知らぬ家を夢みる伯母の気持ちがなんとなくわかる。
母は、そもそもそんなに夢を見ないと言う。前も違う人に同じことを言われたことがある。私は、夢にこだわりがあるのかもしれない。

この前、本を積み上げた上に檸檬を乗せる人を見た。妄想でも嘘でもない。そういう体験をする場があったのだ。
私は生まれつき、人より手のひらがあたたかい。手のひらを冷やしたくて机の上に手を乗せる。ひんやりとした天板に熱を移していると、「檸檬」の一文が頭にうかぶ。
「その檸檬の冷たさはたとえようもなくよかった」
おもちゃ売り場にあった、偽物のナイフをなんとなく思い出した。刺せば刃がひっこむフェイクのものだ。
あれと、檸檬、似ている。
この感覚は、本を読まなければ生まれてこなかったものだと思う。こういう瞬間がよくあって、感情より先にいつか読んだ言葉たちが浮かんでくる。私はその言葉をたよりにして自分の感情にたどり着く。
それが、私が思う読書のよさなのだが、いつもうまく伝えられない。


『言の葉連想辞典』

この本はめちゃ良いですよ。今年読んだなかでもピカイチってかんじ。すごく言語欲がそそられるかんじ。