図書館の本の頁のあいだから人魚が出てきた。
アリエルの形をした青色のクリップ。
なんとなく、とっている。持ち主は誰かわからない。
『図書室の海』という本の題名を思い出す午後だった。

海と言えば、梶井基次郎の作品で「Kの昇天」がすごく好きだと思っていたことをこの前思い出した。そのとき話していた人は、「檸檬」の主人公は梶井とは思っていない派だった。でもあれはやっぱり、梶井基次郎の話だと思う。
あと、「不吉な塊」はわかる人とわからない人がいるんだろうなというのは何となく思う。

梶井基次郎
『檸檬』(乙女の本棚シリーズ)

この本、途中からハワイなんだけど
なんでハワイなんだ。


ふとしたときに胸が苦しくなる。
何言ってるんだと思うけど胸がいたい。
関係ないけど、胸が苦しいと思うと、昔すすめた本を「胸が締め付けられる」って表現してくれた人のことをいつも思い出す。あの人にいまの私からいまの話をしてみたい。

今日はサカナクションの「忘れられないの」をずっと聞いていた。〈素晴らしい日々よ/噛み続けたガムを夜になって吐き捨てた〉という部分が頭に残っていてガムを買った。とりだした一粒めは檸檬の色と味だった。

職場のカレンダーには人の誕生日がメモしてある。誰のというか、いつも職場に来てくれる業者の人の誕生日。とくに何もしないけど、「忘れられているから」とその人が言っていたので忘れないように印をつけたのだった。
そんなことを忘れた夜に、久しぶりに会う子が隣でふいに教えてくれる。「この前二十六歳になりました」

所用で中学校を訪れたら、向こうで驚いている子どもがいた。少し前、一緒に過ごしたことのある顔がふたりいた。声が変わっていたけど、まだ子どものままだった。嬉しかった。

いつも聞かれることがある。「本好きですか?」今日はじめて、「いまはあんまり好きじゃないかも」と答えた。
「でも本を眺めているのは好き」と付け足すと「どういうこと?」と困り顔。「並んでいるなーと嬉しくなるよ」そう言った。
「それはめちゃくちゃ好きってことでしょう」と言われてしまった。好きなのか。

文章が書きたい。ほんとうは面白いこともたくさんあるのに。


植本一子『台風一過』

「私は変わった」と書いて、途中からだんだんと記述が増えていく知らない男の人の名前。人は変わらないのだと思い知りながら、かえってこの人のもつしなやかさを感じとるような読書の時間。読みながらこの人を心の中で汚していって自分を棚にあげていく実感がある。植本さんの本にはいつも、彼女ではなく私たちのうしろめたさがまとわりついている。


吉本ばなな
『吉本ばななが友だちの悩みたちにこたえる』

やっぱりこのおばさん文章うまいな。
的確にとらえ、するどく、品よく突き刺さる答えたち。


最近読んだ本