「海を見に行くといいですよ」
と、言われたことを思い出して
「海を見に行きたいです。今日このまま」
と、いう会話を別の人からされたこともあって。
先日仕事の終わりに海を見に行った。

港に車を停めて、灯台まで歩いた。
海辺には夜でもたくさんの人がいて、海はそう簡単にひとりじめできるものではないのだとがっかりした。そのとき海はすでにそこにいる人たちのものであって、私が邪魔することはできない。海はすでに人のものだった。
この前は太平洋を見た。
綺麗と思うより怖いという感情が先にあった。
それに比べれば瀬戸内海は終わりが見えるのでいいと思う。
歩く舗道は、左右に段差があり、真ん中が低くなっていた。歩いていると真横の海面が高く見えて、自分が沈んでいくように思った。
海を眺めるとなんだか思い出してもしかたないことばかりをたくさん思い浮かべてしまった。
元気を出すために行ったのに、しっとりして帰る道で、波止場に着く船と行く船は夢のように綺麗だった。
アイスコーヒーを飲んでも、平気なところまで体が戻った。体に悪いものを食べてもそう簡単に倒れない。心もそうかも。

こんな恥ずかしい言葉を二度と書けない歳になってしまったのかも。でもこれからも厚顔無恥で書き続けるのかも。
知り合いのSNSに「夏はじまる」と書いてあったのをみて少し笑った。ようやく心がゆるんだ。

元気になるためではなく、自分と向かい合うための海だったと思うことにした。
下から見る赤灯台はグロテスク。

そういえば海辺から本屋さんに電話をかけた。汽笛の音が聞こえていればいい。
なんとなく週末はだめな予感につつまれる。

高橋和巳『消えたい』


信田さよ子『共依存』


この二冊を職場の机の上においているわたし……



ねむようこ『パンドラ』

手放そうとして戻ってきてしまった本。


indigo la End
『忘れて花束』