曼珠沙華が咲いていると悲しくなる。
咲くまでは心待ちにしているのだけど、赤くすらっと伸びた姿を見るとつい裏切られたような気分になる―――あの花は、いつも私の知らない間にひらく。

連休の最後は私も珍しく休日で、遅く起きて洗濯と朝食をもそもそと済ませる。
どうして最近日記を書かないの、と聞かれたことを思い出しながらシャツを干した。書くことはある。書こうと思えばいつでもある。でも書くことができない。書こうとしてそのまま、寝てしまうのだ。前はそれでも起きてから続きを書いていた。今はもうそれをしない。しようという気持ちが起こらない。
その気まぐれが一過性のものなのか、慢性的なものなのかは分からない。それは、これからの私が決める。それでもこんなに暗く話すようなことではない。ただ単に怠けているだけ。
でもそれは、長い長い目でみつめれば死に至る病なのかもしれない。


部屋の片付けをしていると缶の中から海で拾った硝子が出てきた。海が見たいなぁと思いをはせる。京都にいたころは海を見に行くことが簡単には出来なかった。今は車を走らせれば三十分とかからずに浜辺につく。幸せなことではあるけれど、その事実に気がふさぐこともある。
できることが増えるということは、できないことが減って、「しないこと」が増えていくということだ。どうして海で拾う硝子は青いものが多いのだろう。


今日は髪を切りに行く約束をしていた。
ゆきがけに、曼珠沙華の群集を窓越しに見つけた。また、知らないうちにあんなにも咲いてしまった。中にはもう色が白んで枯れかかっているものもある。私は曼珠沙華の蕾を見たことがない。思い出せる範囲では一度も。
でも蝉だって今日は鳴いている。むかし一度だけ夏の終わりに遭遇したことがある。
夏休み明けの教室にいたとき、蝉が突然それまでとは比にならないような大きな音で鳴き出した。大げさだけど窓が割れるようなけたたましい音で、それまで騒いでいた悪ガキも隅でしんとしていた私も皆が一瞬、その音に心を奪われているのが分かった。
しばらくするとぱたりと音が鳴りやんで、その日以来、蝉の音を聞く日は無かった。夏はこれで終わったんだなぁと、はっきり悟ることができたのはあの夏たった一度きりだ。
今日は蝉も鳴いているから、夏はまだ生きている。


鏡越しに、お仕事どうですか、という質問が飛んできた。連休中の美容室は意外なことにお客さんが少ない。今日はおうちでゆっくりする人も多いですからね。と言われて、近所の家に停められていた車の数がいつもより多かったことを思い出す。みんな今晩帰っていくのかな。
鏡の人へ、だめですね、と答えると何かあったんですか、言ってくださいよと優しい声が鏡の向こうから飛んでくる。
言ってもいいならいくらでも言いたいけど、たぶん小一時間かかるよ。それにそれに……

思い出してもちょっとおかしいのだけど、やや考えた結果、私は、もうやめましょう、と言ってしまった。この話、もうだめです。
へ?とすっとんきょうな声が飛んでくる。だめなんですか。だめです。
そのあとも、最近お買い物しましたか? とか聞かれる。それもだめです。
髪の毛、だいぶよくなってきましたね。と言われて、それも、やめましょう。と言葉をどんどん狩っていく。そういう日なんですね。鏡の向こうの人はひとつも態度を変えずに言う。
私は心の中でごめんねと謝りながら、雑誌を開いて腕がまた疲れていく。

色々とおかしいところはあるのだけど、いくら私とはいえ誰に対してもこんな非常識なことをするわけではなくて、他の人から同じことを聞かれたら答えたくなくても、なんとか普通に、差し障りなく答えると思う。

答えなくてもこの鏡の向こうの人はたぶん分かってくれてるだろう、と信じた上で駄々をこねている。言葉にしないので、そこまで伝わるはずもないのだけど。

結果、前髪がひどく短くなって私はしばらく落ち込み、帰りの車を発進させることができなかった。
人に甘えてコミュニケーションを怠ったむくいが、こんな形できてしまった。ちょっと反省した。でもこれは、コミュニケーション不足だけで説明できることでもないぞ。きっとない。

前髪事件は帰り道のあいだも、私の心にしばし暗い影を落とした。もっと本当のことを本当のままに伝えられたらどんなに楽になるのだろうか。愚痴だって今日の希望だって話題だって好きなものも最近したあれやこれも何でも頭で考えたまま口から出ていけばいいのに。どんな場所であっても。

心が刺々しくなっているなあ、と思いながら家に帰る。前髪はスイッチだったんだ。前髪のことがつらいんじゃなくて、つまりは私の生きざま全部がつらい。

夜、ふと小腹が空いたので小さな菓子パンを口にする。反射的に牛乳がほしいな、と思う。しかし本日の冷蔵庫にその姿はない。
パンを食べるときは牛乳があるとより美味しい。でも牛乳が無くともさして問題はない。より良いだけで、そこに必然性は存在しない。
曼珠沙華も、咲くまでの過程を私は知りたいけれど、知らなくとも花はきちんと咲いていてそれを素直に綺麗と思えるほど、私の心も乱れはしない。
それらと同じで、言葉もまた、その全てを費やさずとも世界は成立してしまう。

でも、だから、
その後に続く結論をまだ定められない。
人と関わっていくことの絶望は曼珠沙華を見つけてしまったときの感情と似ている。



〈今の私はあなたの知らない色〉

私なら、新婚旅行のあとに嫁さんにこんな歌作られたら泣きますね(畏れで)。


〈大体あんな2人が続くわけないじゃんか/あほらし〉


磯谷友紀『海とドリトル(3)』
万里子さんこわすぎ
でも私もあの二人は続かないと思う(おい)
というかあの二人が続くことで幸せになれる人があまり多くないのでは……読者も含め(おい)。

先生が、どう関わってくるのか気になるけどあと一巻で終わるらしいのではたして丸くおさまるのか
あの二人は続かないと思ったけど連載も続かないだろうなと思ってたけどとりあえず三巻で終わらなくて良かった……
面白いのになー、 せめてあと二巻くらい続いてもいいのにな。
「死に至る病」とか「深く潜ったペンギンは光を見たか?」とか、サブタイトルの付け方とその使い方が好き。表紙のペンギンもかわいいのだが、その隣でさりげなく七海ちゃんと先生のツーショットということに気づいてニヤリとする。


専門誌です。美容師さんがみる本。美容師さんからえた情報でその存在を知りました。
この号はちなみに「美容師と本」という特集があって、個人的に買いたくなりました。
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