〈新しいものが大好きな私達は飽き易いからこの気持ちも早く君が食べないと冷めてしまう〉
(宇多田ヒカル/タイム・リミット)
宇多田さんのうたのなかでトップ三に入るくらい「タイム・リミット」が好きなのですがタイム・リミットがいい曲であるということを私に教えてくれたのはテニプリを書いている許斐先生でした(当時のコミックに作者の好きな歌だと書いていた)
〈仮に今しか言えない言葉があるとしたら/それを聞かせる声が私かもよ〉
ここんとこのフレーズとかすごく好きです。セブンティーンそこらの女の子が書く言葉じゃないよね
京都にいたとき一度だけ本当の〈夜の底〉という世界を歩いたことがあって、あの夜は冷たくて音がなくてさみしくてたった一人で、あれが私の知るうちではしんじつ〈夜〉だったなあと、そういうことを今の季節になると時折思い出します。
あのときと少し似た気持ちになったから、心を揺さぶるような漫画が読みたくなって手にこの三冊をとりました。
わりと適当に選んだつもりが、ひとつのテーマを複数の主体から描くオムニバス的な短編集ばかりが揃いました。
一.住居
ねむようこ『くらすはこ』
「こないだのミステリー、犯人の正体108円で買わない?」
おうちをテーマにした短編集。トイレからはじまりキッチン、玄関、押し入れ、子ども部屋、バスルームと続きます。
玄関になんでも置いて半分そこを住まいにして客人を待つ話(「玄関の住人」)と風呂に居合わせる話(「バスルーム綺譚」scene.2)と「なんでも堂」が好きです。
病んでるというか若干患っているけどそれぞれどこかに爽やかさがあって軽いタッチで読み終えられるところがよいと思います。あとキュート。
引用してる台詞は「なんでも堂」のお話からです。
二.感覚
雁須磨子『感覚★ソーダファウンテン(1)』
〈プレゼントは開ける前が一番嬉しい/本は選んでる時/お出かけは計画してる時〉
人間の五感(プラス霊感)がテーマ。
私個人のこととして他人への感情がどの器官を通じて自分のなかに入ってくるのかなと考えると一番はやっぱり視覚なのかなと思います。が、感情を強く呼び戻す(スイッチとしての役割が大きい)のは意外と嗅覚のような気がします。好きな洗剤の香りとか……それと同じ香りがしていた人のこととか……思い出せないけど感覚として思い出す瞬間がある。聴覚は賢い子です。わりとずっと覚えているし、名前と声が一致しやすい。
最後まで残るのは姿なのか声なのかみたいな話はハチクロでもありましたね。
聴覚の話が好き。耳にふんりゅうができる話です。雁須磨子さんはこの前『こくごの時間』を読み返していいなーと再確認したので他のも読みたくなって借りました。……実は今日生まれて初めてレンタル店で本を借りました。なぜか生まれる罪悪感。まあそういうとこから始める読書もいいかなと思って。
六話入っているので一巻だけで五感の全てを使い果たしているのですが二巻からどう展開するのでしょう。考えたけど「輪郭」という語句しか浮かびませんでした。(ちがう)
ひとつ「痛覚」というものを思い出したけれどあれは案外忘れてしまう。一種の防衛本能だと思う。
三.きょうだい
磯谷友紀『恋と病熱』
「わたしのことも殴ったり蹴ったりしていいよ」
テーマはきょうだい愛です。きょうだいではなくきょうだい愛です。さらにラブのほうです。
自然妊娠の確率が下がった時代において、子どもはそれぞれの家庭に一人だけ産むということがならわしとなっていた。同一の親が二人以上の子ども、いわゆる「きょうだい」を産み落とすことは忌避され偏見や差別の的になり、産まれてしまった「きょうだい」達は養子に出され互いにその存在を知らないまま育っていく
……という世界の「きょうだい」達の物語。
言ってしまうとほぼ近親相姦のような内容になっているのですがたぶんその根底にあるのは近親相姦そのものではなく、血を分けたきょうだいであるという断ち切ることのできない関係、ひいては二人の人間のあいだに存在する運命的な関係性、そんなかんじの絆を描いている話だと思います。三話だけはちょっと別の観点からつくられています。(ある意味もっとも重要なテーマだ)
きょうだいだからより強く惹かれあう物語になるし、きょうだいだからこそ異常な関係になりえる。愛と狂気の二面性がある物語。
磯谷さんは『本屋の森のあかり』で好きな人と繋いだ手が汗でべったべたになっても離さないというシーンを描いているのを見たときに「この人やるな……」と何となく感じていて、『屋根裏の魔女』という短編集(うろ覚え)を読んだときにあまりの気持ち悪さにドン引きしてしまい本物だと確信した記憶があります。
ほめてます……ほめているんですよ……
で今回これを読んでやっぱりこの人変態だなって思いました。文系よりの変態。甘くて熱くてとてもきもちわるい。どろどろチョコレートのような作品でした。いや、いい意味なんです……たぶん
世界からきょうだいが排除されてきたが故に「きょうだい」という関係の名前だけがそこに存在していて、誰も「きょうだい」であるということがどういうことなのかわからない、あり方を知らないまま飲み込めないまま惹かれていってしまうんです。だから歯止めもうまくかけられず、すごく純粋な気持ちで相手を求めてしまう。
メリーバッドエンドの逆のような終わり方が多いです。何て言うんだろうこのかんじ……
一話目からトバすなあとハラハラしていたら二話目であ……こいつ笑ってる……となり最後の話でどうしたら……私はどうしたら……となります。誰かこれを読んでそういう気持ちになったら私に教えてください。
私は最後の話好きです。好きだけどどう表していいのか悩む。色々と倒錯している。
あと私きょうだいがいないのでいる人が読むとまた感想が違ってくるんだろうなと思う。もっと生々しい感覚になるのかもしれない。
作中に宮澤賢治の詩がでてきて、そうか賢治か……賢治か、となりました。私は賢治はただ、人より人へ向ける熱量が大きい人、それだけなのだと思っている。
髪をちょっと切ってしまったのでロングはまた未来の話になりました。早く伸ばして楽になりたい。
漫画の感想