話題:創作小説
医療用クローンが、世に定着してから十数年程の月日が流れた。
倫理的・道徳的観点から禁止されていたクローン人間だが、今現在、医療行為で使用する目的に限り、自身のクローンを保管する事を国が推奨し、国民の多くが自身のコピーを持つ時代となった。
クローンの主な用途は、オリジナルのドナーである。
医療用クローンがドナーとして主流になる前は、患者は臓器移植が必要な際、臓器提供者が現れるのを待たなければならなかったが、クローンからその必要な臓器を摘出、移植をする事によりスピーディーな治療が可能となり、ドナー待ちをしている間に患者が症状の悪化等で死亡する事は無くなった。
自身のクローンをドナーとする最も大きなメリットは、何といっても拒絶反応が出ない事である。
人間の身体には、自分自身以外のものが体内に侵入してくると、それを異物として認識し、排除しようとする免疫機能が備わっている。風邪等で細菌やウイルスが体内に入ると熱が出たりするのはその為だ。
分かりやすく云えば、移植された臓器を異物と認識し、攻撃してしまうのが拒絶反応である。
拒絶反応は免疫抑制薬により抑えられるが、一部の臓器を除いて一生涯服用し続ける必要があり当然、副作用もある。
だが、クローンからの臓器移植であれば、拒絶反応が出る事はない。クローンはオリジナルのコピー故、移植された臓器を異物と認識しないからである(例外はあるが稀なケースである為、ここに記述はしない)。
将来的にはオリジナルの脳をクローンの身体に移植する事を目標としており、現在は実用に向けて動物を利用しての臨床研究の段階である。
これが実用化されれば、一部の難病患者については完治が望めるだろう。
とはいえ、医療用クローンが認められていると云っても、やはり倫理的・道徳的観点からその存在を疑問視する声は少なくない。
またクローンの殆どが部位毎にではなく完全な人の姿で造られる為、彼らの『人権』の有無について屡々、論争が起こっている。
しかし、クローンには基本的に意識や意思は存在しないとされており、医療従者にとってクローンは人間というよりも臓器というパーツを取る、生きた消耗品という認識であった。
『raison d'etre』
午後から行われる移植手術に使用する医療用クローンを手術室に搬入する為、地下へと足を運んだ。
僕が勤めている病院の敷地には、提供体と呼ばれる医療用クローンが保管されている施設がある。
幾つかの手続きを経て許可を取ると、職員のみ利用可能な専用のエレベーターを使い、施設の地下に降りた。
エレベーターの扉の先には広大な提供体の保管室が広がっており、これより更に地下には同じ規模の保管室が3層程続いている。
此処に保管されている提供体の数は10000体を超えるそうだが、完全に数字を把握している関係者は院内でも極僅かだろう。
この膨大な数の提供体は生まれた年月日と性別毎に分けられていて、必要な提供体の検索や提供体の取り違いといったミスが起こらないよう、AIにより管理されている。
医療用クローンが一般化して間もない頃は人間が管理していたが、保管する提供体の数が増えるにつれ人の手で全てを管理する事が困難になり、保管施設の新設と共にAIによる管理に切り替わったそうだ。
入り口近くに止めてある搬送用カートに乗るとカートに搭載されたナビに、カルテに記載されたバーコード化したIDを登録した。IDを登録すればカートが自動的に、その提供体が保管されている区画まで移動してくれるのだから便利なものだ。
微かなモーターの回転音と共に、自転車が走る程の速さで施設内の通路を進んでいると、硝子窓の向こうで天井から下げられた幾つものバッグが僅かな光源の中、整然と並ぶ光景が目に入った。
点滴のバッグにも似たそれは、人工子宮と呼ばれ、人工羊水に満たされた一つ一つの中には、ある程度の年齢まで育ち成長を止められた提供体が胎児のように丸まって漂っている。
彼らは造られた揺り籠の中、揺蕩いながら自らの役割が来るまで、原始の夢を見続けるのだろう。
暫くしてカートはある区画に入ると、一つのバッグの前で停止した。
中の提供体は十代半ば程の幼さの残る少年で、外気に触れた事のない白く滑らかな肌には細かい気泡が張り付き、コポコポと人工羊水の循環する音がしている。
カートから降り、カルテに記載された提供体のIDと、バッグに刻印されたIDが同じものか再びバーコードを読み込んで確認すると、バッグ下部に付けられた人工羊水の循環装置の栓を閉める。
この循環装置は胎盤の役割も果たしており、栓が閉まると臍の緒を通じて行われていた酸素や栄養の供給が止まってしまう。一応、バッグ下部の人工胎盤により、酸素のみの供給は行われるが時間が限られている為、素早く全ての装置を取り外し、カートへ積み込まなければならない。
カートのアームを使い、バッグ上部のコードを外して持ち上げると循環装置を外し、荷台へと積み込む。バッテリー式の循環装置にバッグを接続し、振動等で落下しないようバッグを荷台から伸びるベルトで固定すれば、あとは手術室へと運ぶだけだ。
元来た通路を戻り、地上に通じるエレベーターにカートごと乗り込むと、目的階のボタンを押す。緩慢な動きでドアが閉まると、重力に逆らいゆっくりと箱が動く感覚にひと心地ついた。
この施設へは何度か足を踏み入れているが、未だに此処の雰囲気には慣れない。
塵一つ落ちていない、清潔で無機質な広大な空間と、薄明るい室内に無数に並んだ提供体のバッグ。
静まり返った室内に響く、人工羊水が流れ循環する音。その中で漂い、眠り続ける提供体達。
子供の頃、ゲームの中に出てきた怪しげな研究施設の雰囲気が怖くて仕方がなかったが、あの時抱いた不安感と、僕がこの施設に抱いている感情はよく似ている気がする。
実際、此処の雰囲気は架空の世界に出てきた研究施設とそう変わらない。バッグの中身が提供体か実験体か…それだけの違いしかない。これで何処からか逃げ出した提供体が襲ってきたら完璧だろう。
とは云っても、ただの人間のクローンが数百リットルもの人工羊水を支えている頑丈なバッグを内部から破る事は不可能だし、そもそも提供体には意識など無いのだ。
幼い頃の記憶に浸りつつ、そんな事を考えていると軽い振動を伴って身体の重力に逆らう感覚が消える。どうやら目的階に着いたようだ。
エレベーターのドアが完全に開くのを待っていると、ふと何者かの視線に気付いた。
だが、エレベーター内には僕しか居ないし、エレベーターの周囲を見回しても誰かが居る気配は無い。
…否、もう一人居る。
痛いほどの視線を追うように振り返り、荷台に積んだ人工子宮のバッグへ目を向けると、中で眠っている筈の少年と目が合った。
少年は丸めていた身体を伸ばして膝立ちのような姿勢になると、何かを訴えるように口を開く。
ゴポリと音を立てて口から空気の塊が漏れたが、人工胎盤から伸びる臍の緒の機能により溺れるような様子は無く、此方に向かって手を伸ばしバッグを内側から叩くような仕草を見せた。
『出してほしい』と訴えているのか、或いは『此処から出たい』という意思の表れなのだろう。しかし、だからといって大切な提供体を僕の一存でどうこうする事は出来ない。
荷台に積まれていた毛布をバッグに被せエレベーターを出ると、再び自動操縦に切り替わったカートは手術室へと向かった。
一般的に提供体には意識は存在せず、眠り続けたままだとされている。
僕がその瞬間に立ち会う事になったのはこれが初めてだが、ごく稀に目を覚ます者が居るのだ。この少年のように。
クローンを造る事が容易になった現代においても、人間の意識の発生原理はまだよく分かっていない。
彼ら提供体に関しては『実は潜在的に意識が存在していて、人工子宮から循環装置を外す行為が人間でいうところの出産としてキーとなり、意識が顕在化する』との説もあるが、それについての研究は進んでおらず、解明されるとすれば、もう少し先の事になるだろう。
提供体はあくまでも新鮮な臓器を保管する為の“器”扱いで、意識の有無は然したる問題ではないというところか。
とはいえ、少なくとも意識があり尚且つ、意思を持っているこの提供体の、これからの運命を考えると気の毒でならない。
ドナーとして臓器を摘出された提供体は、利用されなかった他の臓器が残っていたとしても処分する事が決められている。
これは手術の際にレシピエントへの輸血が必要となる為、殆どの血液を抜いてしまうのと、臓器を摘出した提供体の生命維持をするよりも、新しいものを造ってしまった方がコストが掛からないからである。
移植部分によっては例外もあるが、処分されてしまう提供体の方が多いのが現実だ。
用済みとなった提供体は、自身のクローンを持たないレシピエントのドナーとして残った臓器を摘出されるか、需要が無ければそのまま焼却されて一生を終える。
つまり、あの提供体の運命は“死”しか残されていないのだ。
一生の大半を人工子宮のバッグの中で眠り続け、目覚めたと思ったら、薬剤によってすぐに脳死状態にされ、臓器と血液を奪われて死ぬ。
恐らく何も分からないまま彼は死ぬのだろうが、もしも僕が“彼”だったなら…考えたくもない。
いつの間にかカートは手術室の前で止まっていた。摘出手術室の時間が近いからか、入り口の前で待っていた医師によって中へ誘導されると、それからすぐに確認が行われた。
彼は目隠しに被せていた毛布を剥ぐと手元のタブレットを使い、淡々とバッグに刻印されたIDとレシピエントのIDを照合し始める。その視線の範囲には、相変わらず出たがる仕草をし続けている提供体が居るが、慣れているのか気にしている様子はない。
IDの確認自体は、ほんの数秒で終わるがこんな時に限って、やたら時間が掛かっているように感じる。
ぼんやりと提供体を眺めていると確認が完了したのか単調な電子音が鳴り、ふと我に返った。
確認印を押した目の前の彼と目が合うと、余程酷い顔をしていたのか『あまり気にしないように』と僕の肩を叩いたが、曖昧に頷く事しか出来なかった。
提供体をカートごと彼に引き継ぐと手術室を出た。
これからあの提供体は臓器の摘出の為、薬物を使用して脳死状態にされる。意識を持ってからが人生の始まりだというのなら、あまりにも短い人生だ。
あの提供体に限らず、オリジナルを生かす為だけに造られ、その身に収まる臓器と血液の一滴まで奪われ利用される事が、彼ら提供体の存在理由だというのならば、それはあまりにも残酷過ぎる。
有価値であり無価値。
それが彼らにとって、最も当てはまる言葉だろう。
彼らがもし、自身の意思を言葉で伝える事が出来るのだとしたら、何と云うのだろうか。
在り来たりだが『死にたくない』『生きたい』と、そう云うのだろう。彼らが言葉を持っていなくて良かったと思うと同時に、酷くやるせなかった。
不意に情けない声が喉の奥から漏れ、静まり返るリノリウムの廊下に響く。
これから先、この仕事を続けている限り、僕は同じ光景を何度も見る事になるのだろうか。
そして、いつしかそれが当たり前になり、こんな感情すらも無くなるのかもしれない。
ふと振り返り、赤く点灯する『手術中』のランプを一瞥すると自身の中でぐるぐると巡る感情や思考を振り払い、その場を後にした。
私もあちこち悪いんで、身体のパーツ新品に替えられたら、どれだけ楽かとは思いますが・・・
その為に他人の命奪うのもねぇ・・・(いや、この場合はある意味「他人」ではないのですが)
クローンの研究が、今後間違った方向に進まない事を祈るばかりです。