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ダンデライオン8




学校長の話が終わり、席につくのを見届けると、シュノがレイリに手を差し出した。
「騎兵隊より皆様へお知らせが御座います。隊長、どうぞ。」
レイリはシュノの手を借りて立ち上がると、静かに話始めた。
「魔物から受ける強襲への戦力増加として、キシュ神殿よりお力添えを受ける事になりました。
彼らはこちらの風習には不慣れな為、皆様と同じ学生として籍を置く事となります。」

シュノが、不意に留学生とおぼしき二人組を呼び出した。
一人は先程シルフィスから紹介を受けたヴェリテ。
もう一人は褐色の肌に、水色の髪を団子状にまとめた小柄な少女。
ドレスから覗く両腕には、蔦のような白い紋様が刻まれていた。

「彼女はリアン・エトワール、彼はヴェリテ・モンド。
2人には留学生として在籍してもらい、同時に騎兵隊の臨時要員として配属されます。2人とも、挨拶を。」
「リアンはヴェリテとキシュ神殿にて来ました、よろしくがお願いします!」
「頼む。」
自分と年齢も変わらない二人が、最早騎兵隊に属するという事に、ロゼットは純粋に憧れた。
騎兵隊は騎士団程狭き門ではない。
身分も問われなければ、コネも要らない。
必要なのは実力という、至ってシンプルな組織だ。
しかし、騎兵隊にも規律はある。
その規律を守るためには一定の基準も必要になり、入隊に関しては隊長が直々に選別し、ふるいに掛ける。
そして眼鏡にかなったものだけが試験採用され、試験期間が終われば本採用になるシステムだ。
しかし、この二人はそれをパスして入隊を前提としてこのアカデミーに通っているという事になる。
それは、まさにエリートと呼ぶに相応しい。

「勿論このような連絡をさせる為に、わざわざ忙殺されている彼らをお呼びしたわけではありません。
今期より特別実戦講義の講師として来て頂く事となりました。」

学校長の言葉に、レイリがにこりと微笑んで一礼した。
どうやら隊長自らが教鞭を取るらしい。
周囲が一気にざわつき、ロゼットの胸も高鳴った。
憧れていた人に、直に教えを乞う機会があるとは思わなかったからだ。
高鳴る胸を落ち着かせるように、胸にてを当てて深呼吸をする。

「マグノリアの聖名は伊達じゃない、という事か」
隣でフィオルがぽつりと呟いた。
「聖名?」
耳慣れない言葉に首をかしげると、フィオルが噛み砕いて説明してくれた。
「王国の守護を担う聖騎士の中でも、特に有能な彼らを賞賛してそう言うんだ。」

マグノリアは血によって受け継がれる一族ではなく、能力によって増え、貴族である事が許されている。
それは、王国自体が幾度となく彼らに救われた過去があるからだと説明され、自分とは余りに縁遠い話にどこか他人事のように聞いていた。
恵まれた才能や、恵まれた環境というのは存在するものなのだと。
そして、努力を重ねたものこそがそういった結果を残せるのだ。

「恐ろしい傑物だよ、ルーシェス・マグノリアは。」
感心したようにフィオルがルーシェスを見上げた。
「へぇ……そうは見えないけど。」
彼女はロゼットの目には芯のしっかりとした女性という印象しかなかった。
しかしながら、彼女も高貴な気品があり、威圧感というか、そう言った類いの何か…牙のようなものは隠し持っているのだろうと、直感が告げていた。
ただの女性が、女手ひとつでここまでの規模のアカデミーを統率するなど、不可能だろう。
「人の中身は見た目と同じとは限らない、という事だね。
そして詐欺師とは往々にして親切な顔をしている者である、とカレンツ博士の論文に書かれていたよ。」
どうやらフィオルもロゼットと同様なにかを感じ取っていたらしい。
しかしながら、妙な本から得たらしい片寄った知識の使い方に、ロゼットは思わず笑みをこぼした。
「……カレンツって誰?」
「犯罪心理学者だよ。
魔とはどこから生まれるものか、というのを追求する研究している。」
本当に予想もできない答えが帰ってくる度に、ロゼットは驚かせた。
そして、ジャンルを問わず幅広い知識を持つフィオルを純粋に凄いと思い、つい負けたくない気持ちに刈られる。
式典は既に終盤になり、講師陣の挨拶がおわれば、あとは会食して各自解散になる。

「そういえば、ルージュはこの学校に入った目標はあるのかい?」
唐突に聞かれた疑問に、ロゼットは驚いてフィオルを見上げた。
貴族の彼が一平民のロゼットの目標に興味を示すと思わなかったからだ。
「まさかノーツから聞かれるとは思わなかった。そっちは騎士団に?」
世間話程度に流して、当たり障りなく聞き返してみた。
なぜ、そんなことを聞くのか、興味がわいたから。
「どうかな。騎士叙勲を受けられれば自領へ戻るという選択肢もあるのだけれど……
せっかくの学べる機会にそれは勿体ないね。」
返答は思っていたものとは違った。
てっきり家を継ぐためにアカデミーに通うのだと思っていたから。
フィオルの貪欲なまでの知識欲には素直に感銘を受けた。
そして、フィオルの事情を聞いた今、自分は黙りというわけにもいかずに、遠くを見ながらぽつりと呟く。
「そうだな。……俺は、騎兵隊に入りたいんだ。」
あの時、純粋に誰かを護るために戦う二人を格好いいと思った。
そして二人のような大人になりたいと。
平民が騎兵隊に入隊する事ができれば、ほぼ将来は安泰。
家族を養うこともできる。
年老いた両親や、年頃の姉を朝から晩まで働かせなくて済むし、まだ幼い妹と弟に自分と同じ苦労をさせずに済む。
もちろん、それだけが理由では無いのだけれど…。

「素敵な夢だ。
ルージュなら、諦めなければきっとなれる。」
「そうかな?」
「そうとも、その為に私も居るのだと思う。
まずは君の力になる事が私の夢だ。」

柔らかく微笑んだフィオルに、ロゼットは驚きを隠せなかった。
そして、ますます自分が彼のために出来ることは何かと頭を悩ませることになる。

ダンデライオン7



「本当に、姉さんはどこにいるんだろう?」
「騒ぎ起こさないで大人しくしてくれてればいいけど。」
内心穏やかではない二人は、ここにいない幼なじみが問題を起こさないかと肝を冷やした。
ただでさえ平民には風当たりが強いアカデミーで問題を起こされては困る。
さすがに、出発前にこれでもかと言うほどにロゼットに説教喰らったトラヴィスだ。
今日くらいは大人しくしているだろうと、探すのをあきらめた。
「もしかしたら、ドレスが窮屈でどこかで休んでるのかも。」
「Σはぁ!?トラヴィスがドレス!?」
ロゼットは驚いて思わず声を上げた。
あたりが不審な目で彼を見る中、声を潜めてロゼットが訊ねた。
「ドレス、着てるの?」
「うん…そのはず。
そんな高価なものじゃないけど、姉さんは女の子だからやっぱり学生服は可哀想だって、親が。」
「想像できない…」
「試着したの見たけど、まぁ大人しくすればそれなりには見えるよ。
ただ、姉さんは嫌がってたけどね。」
「大人しいトラヴィスも怖いんだけど。」
「まぁね…姉さんは、ロゼに見て欲しいんだろうけど…」
「?」
ぽつりとシルフィスが漏らした本音に、ロゼットは訳が判らないと言った風に首を傾げた。
これは先が遠そうだと、シルフィスが苦笑した時だ、会場が歓喜の声に包まれた。
何が起きたのかと、あたりを見渡せば
壁際の台座に設えた椅子に座る複数の人影が見える。
学園の関係者や講師陣に混じって、見覚えのある二人組が席に着いた。

「騎兵隊のレイリ・クライン隊長とシュノ・ヴィラス副隊長だ」

誰かが声を上げてたのすら、ロゼットには届かない。
「ロゼ…あの人達…」
「間違いない!あの人だ…。」
高鳴る鼓動が抑えられない。
ロゼットが熱心に見つめる2人組は、金髪碧眼の青年と、紫銀の髪の見慣れない服装の青年。
あの時より多少成長しているせいか、少年っぽさが抜けて大人びた印象だが、身に纏う雰囲気は一切変わっていなかった。


「大丈夫、怪我はない?」


あの日、暗い森の中で優しく手を差し伸べてくれた時のまま。
流石に式典ともあり、隊長の方は正装しているが、副隊長は相変わらず見慣れない服装のままだが、それが彼には一番似合う正装なのだろうと解釈した。
初代隊長の生き写しと言われ、由緒正しい貴族の出身である現隊長は16歳という異例の若さで隊長職に就いたと、ロゼットは風の噂で耳にしていた。
今の自分と同じ年齢で隊長になり、隊をまとめて壊滅状態だった騎兵隊を見事再興させるという偉業を成し遂げた彼は、まさに絵本で読んだ騎兵隊の隊長そのものだった。
そして、そんな彼に寄り添い、第一線で数々の戦果を上げている副隊長。
自分がこの二人に命を救われたのは確かな過去で、原点だった。
二人の様に強くて誰かを守れるようになりたいと、ロゼットは二人に強く憧れを抱き、騎兵隊に入るという目標の元に彼らの役に立てるようにこれからこのアカデミーで学ぶのだと思うと、胸が躍るようだった。
一旦落ち着こうと、大きく深呼吸をしたロゼットは、フィオルが見ていた事に気付くと気まずそうに目を逸らした。
「何で見てるんだよ…」
まさか見られてるなどとは露にも思わなかったロゼットは、照れたように頬を赤く染めた。
「有名人が来ているのが珍しいと思ってね」
相変わらず、よく読めない笑みで、フィオルは舞台に視線をやった。
「……変なやつ」
まるで構って欲しがる子犬みたいで、つい笑みがこぼれた。

壇上では、副隊長が隊長の耳元で何かを囁いている。
何となくロゼットは二人のやりとりに目をやり、何の気なしに二人を眺めていた
二人は本当に信頼し合ってるんだなと、羨ましく思えて、隣に立つ不思議な同室者を見上げた。


「お集まりの皆様にはご機嫌麗しく存じます。ご入学の御方々にはお祝いの言葉を。ようこそいらっしゃいました」

不意に、喧噪をかき消す声が響きわたり、辺りは一斉に静まった。
些細な光彩の変化により、濃淡を変える鋼色の髪をした女性が立ち上がり、視線は彼女、アカデミー学校長のルーシェス・マグノリアに集中した。
ルーシェスは優雅に一礼をし微笑みを浮かべると、そのよく通った声で静かに語り出した。

「どうぞ気軽な気持ちでお聞き下さい。
騎士騎兵王立学校、通称アカデミーはアルメセラ王国が民衆を守る為、自衛の手段を授けるという目的で創設した王国最大の学校です。
そして、広き門は学ぶ意欲のある者に対して閉ざされる事はありません」

ルーシェスは学制服に身を包んだ奨学生達を見つめた。
優しい微笑みに、奨学生達は安堵を覚えたことだろう。
初日から緊張していた生徒達も、落ち着いた表情を浮かべていた。

「我がアカデミーの基本にして絶対となる理念は、生徒は全て平等であるというもの。
何人たりとも、これを犯す事は許されません。
君達の価値は君達が決める。
親の装飾品、愛玩人形に学ぶ権利などありません」

今の貴族や大臣連中にその様な考え方をする方が少ないのは、ロゼットですら知っていた。
それを、あえてここで言葉を選ばずに言い放つのは、並の神経では成し遂げられないことだ。
全ての人間が、生きるために何らかの努力をしているわけで。
その全てが報われるという訳でもない。
それでも、努力しなければ報われることもないのだ。

「伊達や酔狂で通う者など不要です。生きる力の無い者は廃れるが世の定め、その様に倣うがよろしいでしょう。力の無い者は何もする事が出来ないのですから、泣いて喚いて暮らせばよろしい。ですが力を望む者には、我がアカデミーは全てを与えましょう。庇護も手段も、仲間もです」

ルーシェスはマントを翻して笑った。
チェスのキングの様に、絶対的な王者の風格。
その一瞬に全生徒が押し黙った。
圧倒的な存在感に、ロゼットも身震いした。


「私がまず与えるのは君達の力になりうるであろう同室者。誉れあるアカデミーの一生徒である自覚を持ってその意味をよくお考えなさい」


ロゼットは隣の同室者を見た。
貴族である彼は自分の後ろ盾という意味ならその役割は十分果たしている。
しかしそれはロゼット自身は望んでいない。
貴族を毛嫌いするわけではないが、やはり自分の力で何とかしたい気持ちが強かった。
そして、自分が彼の為に何が出来るかが判らない。
何かしたいという気持ちはあるが、それは自分のエゴではないかと不安になる。

フィオルが何を望むのか…
それを理解しないとロゼットは先には進めない気がした。


ダンデライオン6


初日から、やらかしてしまった。

「有り得ない……」

ため息混じりで呟かれた一言には、疲労と困惑が入り交じっていた。
今ロゼットの頭を悩ませているのは、どこかしこを見ても綺麗な衣装を纏い、正装した学生達だ。

2人は式典が行われるホールへ向かい歩いている最中だが、すれ違う人の殆どが正装の中、突き刺さる視線が痛い。
「そんなに気にする事かい?」
「知ってたなら教えてくれても良いだろ。
そうしたら髪なんてまとめなかったのに。」
何とも呑気そうなフィオルに、ロゼットは学生服の裾を摘まんでみた。
式典は正装で参加すると言うことが、ドレスコードの事だと知ったのは朝食後で、貸衣装屋にも間に合わない時間だった。
そもそも、こういった堅苦しい式典には参加する機会も興味も無かったロゼットとしては、真っ先に教えて欲しかった情報であった。
式典には正装でないと出席できない。
ロゼットの手元に残る、正式な服とはもはや学生服一択だった。
もはや選択の意味もないと、自嘲気味に袖を通す。
すると、フィオルも学生服に身を包んだ。
しかも髪はロゼットがまとめた姿のまま、いじる様子はない。
一見したら奨学生と間違われそうだが、全く持ってコート一枚羽織るだけで彼は見事に化けて見せた。
生まれ持った気品というものは、どんな状況でもその尊厳を失わないもので、おなじ学生服なのに、高級なスーツでも着こなすかの様なフィオルを、少しだけ恨めしく思った。
それでも、同じ制服に身を包み、ロゼットの纏めた髪を手直す様子がないことに、嬉しさも感じていた。
「ロゼットは手先が器用だね。」
褒められるのは慣れていないロゼットは、それが当たり前だったからしただけだと、小さく呟いた。
それが彼の耳に届いていなくても、構わないほどに浮かれていた。
綺麗にめかし込んだ自費生達の中には制服の者を見てかすかに笑う者も居たが、ロゼットは全く気にならなかった。
ただ、気になるのは隣の特殊な貴族だけだ。
「何も制服まで着る事も無かったんじゃ……。」
きちんと正装すれば、フィオルも奇異の目に晒されることはなかっただろう。
「これは私なりのけじめだよ。」
そう告げられ、それが確たる意志を持っての行為だと理解するのに暫く時間がかかった。その間、惚けたように見上げるロゼットに、フィオルは黙って先を促した。

「ノーツって……変わってるよね」
「そうかい」
「うん」

会話が続かないと、人はぎくしゃくしがちだが、フィオルが作り出す独特の雰囲気に呑まれ、苦にならない。
どこまでも不思議な奴だと思い、フィオルの隣を歩いていくと、大広間に着いた。
中にはすでに多くの着飾った学生や関係者で埋め尽くされていたが、これだけの人数を抱えて、圧迫感を感じない広々とした広間。
高くつり上げられた豪華なシャンデリアが、煌びやかな会場を更に華やかにしていた。
広間について、ロゼットは昨日結局会うことができなかった幼なじみの姿を探そうと、辺りを見回した。
すると、不意に背後から聞き慣れた声に振り返った。

「ロゼ!」
「シルフ!?」

ようやく馴染みの顔を見つけて駆け寄った。
「ロゼ、その人は……?」
「初めまして、ルージュの同室者だ。フィオル・ノーツと言う」
「ノーツさん……、ボクはシルフィス・アンフレールです。あの、ロゼと同郷で」

妙な言い回しをするシルフィスに、ロゼットは少し押し黙ってしまった。
シルフィスの耳にも入ってしまったらしい昨日の一件。
目立つことは避けたかったが、つい勢いで言い返してしまえば後の祭りだ。
やはり、平民と貴族は相容れないものなのかと、少し感傷的になったりもして。

「賢い子だ」
「え?」
「いや、気にしないでくれ。君の同室者は?」
「ボクは三人部屋で、一人はちょっと……。もう一人が今一緒に――……あれ?」

シルフィスが振り返ると、件の同室者の姿はなく、周りを見渡す。
「あ、ヴェリテ!」
シルフィスが同室者の名前を呼び止めると、人形の様な人影がふわりと揺れた。
「シルフ、その人は?」
「ボクのもう一人の同室者で、留学生のヴェリテ・モンド」
「留学生、なるほど」
フィオルが何かに納得したように頷いた。

「そういえば、トラヴィスの姿を見てないけど…」
「うん…僕もなんだ。」
二人の表情が一気に重くなる。
「トラヴィスの心配はしてないさ。」
「むしろ姉さんの同室の人が心配だよ…」
二人は破天荒なトラヴィスの同室者の身を案じ、深く溜め息を吐いた。
「昨日は全然眠れなかったんだ。
僕の部屋はほら…あんな感じだし。
姉さんが貴族の人と一緒の部屋で何か問題を起こしてたらと思うと…」
「あぁ、それは判るよ。
でもちゃんと休まないと体に悪いよ?」
「判ってるよ、昨日は緊張してただけだから。」
居ないはずの姉を思いだし、シルフィスはもう一度溜め息を吐いた

ダンデライオン5



朝に目を覚まして、ロゼットは右手を差し出してフィオルを起こした。
どうしてか、それが自分たちの今後に大きく関わっていく気がしたから。

朝には強いロゼットは、手早く準備を進めていた。
フィオルから、式典の前に身を清めると教えられ、シャワーを勧められた。
自分では気が付かないが、こういった基礎知識さえ知らなかったのかと思うと、なんだか気分が冴えない。
こういった正式な式典というのに不慣れなロゼットには、何をしていいか判らず戸惑うことも多かった。
体を清めて、服に袖を通すと、乱雑に髪をタオルで拭いながら浴室の扉を開けたところでこちらを向いていたフィオルと目があった。
「何でこっち見てるの……
今誰か居なかった?」
扉を開ける瞬間に、一瞬だけ何かが横切ったような気がしたから、問いかけてみたが、フィオルはいつものようにただ笑みを浮かべるだけだった。
「誰も。ルージュは髪、乾かさなくて良いのかい?」
余りに自然に流されたので、気のせいかとも思い、不思議な気持ちで首を傾げながらフィオルのそばに近づくと、不意にクッキーが皿に盛られてるのに気がついた。
そう言えば、妹と弟も朝食前によくお菓子を盗み食いして叱った記憶が甦り、少し懐かしくなってフィオルを見た。
「朝からクッキーって、そんなにお腹が空いてるのか?」
「いや……ああ、うん、そうかも知れないね。」
やっぱり曖昧な態度に、見えない距離感を感じる。
「自分の事なのにその反応?
ていうかノーツ、君こそ髪乾いてないよ。」
フィオルは今気がついたように、おや…といいながら、タオルで乱雑に髪を拭き始める。
しかし、柔らかな髪はあらぬ方向に跳ねて、このままでは取り返しがつかないことになりそうだった。
「貸して。任せてたらとんでもない事になりそうだ。」
半ば奪うようにタオルを取り上げる。
よく妹の髪を結ってた事もあり、ついでに髪をまとめて良いかと聞けば、黙って頷いた。
柔らかなタオルで髪の水分をしっかりとふき取り、柔らかな髪に指を落とす。
「すまないね。」
「良いよ。ノーツって意外と不器用なんだな。」
なんだか、完璧に見えていたフィオルの人間らしさを垣間見た気がして、少しだけ特別な気分にロゼットは浮かれていた。
しかし、フィオルはまた曖昧な笑みで、そうなんだとフィオルがいった。
それがまるで、拒絶されてるようでロゼットは手を止めた。
フィオルがロゼットを不思議そうに見上げ、ロゼットは溜め息を吐いた。
「思っても無い事言うなよ。」
「そう聞こえたかい?」
くすくすと笑えうフィオルに、少しだけ安堵し、お返しに乱雑に頭をなでた。

くすぐったそうにフィオルが笑うので、ロゼットもつられて小さくほほえんだ。
髪を乾かしたは良いが、不意に後ろ髪がグチャグチャになっていることに気がつき、ポケットの中のブラシを掴んで、無意識にその髪へ。
急に髪を梳かされて、一瞬驚いた様子のフィオルだったが、嫌がる風でもなく身を任せていた。
「ノーツの髪って、見た目通り柔らかいんだな。」
さらさらと金色の絹糸の様に手から滑り落ちていく髪を梳かしながら、ロゼットはブラシを動かした。
「そうだろうか?
ああ、でもルージュの髪は手触りが良さそうだな。」
「そんな事ないよ。」
ロゼットも髪質は柔らかいが、手入れらしい手入れをしたことがないためか、フィオルほどなめらかな手触りはしていないだろうなぁと、心の内でぼんやり考えていた。
「ルージュの髪は暁色で温かそうだ。」
それは、何の気はないただの社交辞令だと理解できたはずなのに、ロゼットは一瞬胸が高鳴った。
「何か口説かれてるみたいだ。
女の子に言ってやりなよ……はい、出来た。」
その胸の高鳴りに気がつかない不利をして、慌てて話題を逸らした。
すると、振り返ったフィオルがきょとんとして見上げてきた。
「気に入らない?」
「そんな事はないよ、ありがとう。
ただその、ルージュの持っているブラシが可愛らしくてね。」
「え?あ、これは!
妹と弟が買ってくれて……」
はっとして手元に握られたピンク色のブラシを隠して、目を逸らした。
一気に顔に血液が集まる感じがする。
しかし、普段叱ってばかりだったのに、少ないお小遣いを出し合って、自分に内緒でプレゼントしてくれた事は、やはりうれしかった。

「ルージュはご家族と仲が良いのだね。」
ぽつり、とフィオルが呟いたのに対して、ロゼットの顔は更に赤くなる。
「いきなり何言って……
そっちはそうじゃないのか?」
平静を装って、聞き返すと不意にフィオルが困ったように笑った。
「妹が居るけれど、プレゼントを贈り合う仲では無いね。」
フィオルの妹と聞いて、真っ先に浮かんだのは絵本のお姫様だった。
貴族のお嬢様というだけなら高飛車な少女を思い浮かべたが、フィオルの妹と聞くだけで、優雅なイメージが尾を引いた。
あくまで、ロゼットの憶測の域をすぎないが、自分の野生児のような妹とは似てもに似かない事だけは確かだ。
「へぇ……でもノーツなら、嫌われる事はまず無いと思うよ。」
さりげなく気配りができるフィオルは、独特の柔らかな空気から、嫌う者の方が特殊だと思った。
フィオルの目をじっと見ながら、つい本音をもらしてしまうと、フィオルは困ったように笑った。
それが、無理に笑っているようで、時々息が詰まりそうになる。

「今度ご妹弟に礼を言っておいて貰えるかな。
さっそく私の髪をまとめて貰った、ありがとうと。」
「何それ、変。」
突然何を言い出すかと思えば、突拍子もない言葉に、ロゼットはおかしそうに笑った。
フィオルも、つられて笑顔になり、なんだか胸がほっとして、ポケットのブラシをぎゅっと握った。

ダンデライオン4



部屋に戻ってきたはいいが、何となく話を切り出すタイミングがつかめなく、どうしようかと、フィオルをチラチラと見上げた。
すると、フィオルが先に重い沈黙を破った。
「何か言いたい事があるのじゃないかい?」
優しく諭すような声に、また気を使わせてしまったんだと感じた。
「今後、平民だからと表立って騒ぐ者は出ないだろう。
暫くは余り良い噂も聞かないと思うが。」
「ノーツ。」
それ以上、気を使って欲しくなくて、ロゼットはフィオルの言葉を遮った。
「何だい?」
「何で俺を庇ったんだ。」
もし本当に、フィオルがロゼットを友と認めてくれるなら、その優しさはフェアじゃない。
ロゼットにしてみれば、かわいそうな平民に優しくして自尊心を満たしているのと変わらない。
それでもフィオルを突き放せないのは、彼がそういった類の人間ではなく、純粋な好意からくるものだからと感じ取っているからだ。
フィオルは、初めて戸惑った様な表情を見せた。
ロゼットは静かに、真っ直ぐにフィオルを見つめた。
「君が……右手を差し出してくれたから。」
「右手?」
フィオルの言わんとする意味が判らなくて首を傾げた。
「家名で呼ぶけれど、君は私を貴族として見ようとはしなかったから。」
「腹が立った?」
「いや……」
そこでフィオルは詰まってしまった。
何を、どう切り出せばいいか、言葉を選んでいるようだった。
確かにロゼットはフィオルも、ロベリエも貴族扱いせずに、平等に接していた。
おそらく、これからできる友人やクラスメートにも同様に接するだろう。
それが、フィオルに何をもたらしたのかは、判らないが。
「ノーツ、言わないと伝わらない。
伝えてくれないと、分からない。
伝えないと決めたのなら、最初から突き通せ。」
言いたくないことや知られたくないことは誰にだってある。
だから、言いたくないことは言わなくていいのだと伝えたかった。
相手の顔色を伺わずに、自分の意志で決めたことを貫いていいのだと。
「ふふ、手厳しいな。」
フィオルにそれが伝わったか判らないが、苦笑するフィオルから何故か目が離せなかった。
「君の好意が嬉しかった。
だから、俺も好意で返したかった」
やはり、純粋な好意なんだ。
だからこんな、やり場のない気持ちにもやもやするんだ。
「それがあれか?
貴族とお気に入りごっこみたいな。」
これがたとえば、真っ向から向けられた悪意であったり、はたまた自尊心を満たすためのエゴであるなら、ロゼットは激しく反発して終わっていた。
しかし、それが善意からくるものなら話は変わってくる。
やり方はどうであれ、フィオルはロゼットを守ろうとした。
それが、ただ純粋に嬉しかった。
でも、それを素直に認められるほど、冷静でもいられなかった。
「すまないね、君の矜持を傷つけた。」
「別に良い、こんな程度で傷ついたりしない。
俺が平民で貧乏なのは事実だ。」
そこまで自分を卑下しても、詮無きこと。
それでもロゼットは悔しかったのだ。
貴族の家に生まれなかったというだけで、何かを選ぶ権利も、すべて否定された気がして。

ただ、嫌だったんだ。
平民と貴族は平等といいながら、一番その枠組みに自分が深く囚われてることが。

不意に、フィオルが苦笑する。
苦笑するフィオルに、何故笑われたのか判らないロゼットは、一瞬拗ねた顔を見せた。
しかし、フィオルの表情を見て、その表情を変えた。
はぁ…と、小さくため息を吐いた。
「何で泣きそうな笑い方するの。」
今にも泣きそうな顔で、無理に笑おうとする、フィオルの気持ちが痛々しかった。
「いや、君が余りにも、素直だから。
ルージュは面白いね。」
「ふん……別に良いけど。
ただし、今度は庇わなくて良いからな。」
「嫌になったかい?」
「別に。ただ、フェアじゃない。
平等だと言い説くなら、俺も平等じゃないと、公平じゃない。」
めんどくさい奴と思われるかもしれない。
でも、それだけはロゼットの中で譲れない絶対信念だった。


「友だと思っても、良いのかい?」


その言葉に、ロゼットは救われた。
でも、たぶん言葉にしなくても伝わる気がした。

「おやすみ。」

そう言ってゆっくりとベットに入った。
明日になれば、いつもの自分に戻れるはずだ。
もし、明日早く起きれたら、右手を差し出して起こしてあげようと思って眠りに就いた。


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