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トロンプ・ルイユ 8

学校長が優雅に椅子へと腰を掛けると、それまで副隊長と顔を近づけ合っていた騎兵隊の隊長が顔を上げた。
流れる動作で副隊長が立ち上がり、口を開く。

「騎兵隊より皆様へお知らせが御座います。隊長、どうぞ」
「魔物から受ける強襲への戦力増加として、キシュ神殿よりお力添えを受ける事になりました。彼らはこちらの風習には不慣れな為、皆様と同じ学生として籍を置く事となります」

副隊長から差し出された手を借りて立ち上がった隊長が言葉にした内容は、キシュ神殿からの留学生に関するもの。
恐らくヴェリテの事だろう。
副隊長が自分たちの立つ壇上の一段下に、彼を呼び出す。
だがフィオルの予想を裏切り、人垣から出て行ったのは2人。
片方はヴェリテだがもう片方に見覚えはなかった。
褐色の肌に水色の髪を団子状にまとめた、小柄な少女。
身体を包むドレスから覗くのは、蔦のような白い紋様が刻まれた両腕だ。

「彼女はリアン・エトワール、彼はヴェリテ・モンド。2人には留学生として在籍してもらい、同時に騎兵隊の臨時要員として配属されます。2人とも、挨拶を」
「リアンはヴェリテとキシュ神殿にて来ました、よろしくがお願いします!」
「頼む」

にこにこと満面の笑みで挨拶をする小柄な少女と、無表情に立ちすくみながら一言だけ口にする青年。
正反対な2人に周りからは若干の戸惑いが見られた。
そして直に、騎兵隊への入隊が決定しているエリートへの憧れの言葉が溢れる。
クレイハウンドも同室者の経歴に満足げだ。
フィオルはただ、これだけ語彙が偏っていれば意思の疎通が難しいのだろうと思う。

「勿論このような連絡をさせる為に、わざわざ忙殺されている彼らをお呼びしたわけではありません。今期より特別実戦講義の講師として来て頂く事となりました」

学校長の言葉に生徒のざわめきは増すばかり。
当然だろう、それだけ再興した今の騎兵隊へ向けられる憧憬は凄まじい。
何よりフィオルも、この機会は素直に嬉しく思っている。
学べる事は多い方が良い。

「マグノリアの聖名は伊達じゃない、という事か」
「聖名?」
「王国の守護を担う聖騎士の中でも、特に有能な彼らを賞賛してそう言うんだ」

マグノリアは血によって受け継がれる一族ではなく、能力によって増える者たち。
それでも貴族である事が許されているのは、幾度となく彼らに救われた過去があるからだ。
掻い摘んでロゼットに説明しながら、当代の主を見る。
恐らく寵児と喚べる者たちを既に召し上げているだろう彼女の実績は、王ですら容易く口を挟めないほどだ。
あえて国の中の小さな領域、王の膝元で飼われているが、王立学校は治外法権であり彼女が全ての主である。
そうでなければ、基本的絶対理念の平等を実現する事は出来ない。

「恐ろしい傑物だよ、ルーシェス・マグノリアは」
「へぇ……そうは見えないけど」
「人の中身は見た目と同じとは限らない、という事だね。そして詐欺師とは往々にして親切な顔をしている者である、とカレンツ博士の論文に書かれていたよ」
「……カレンツって誰?」
「犯罪心理学者だよ。魔とはどこから生まれるものか、というのを追求する研究している」

驚いた顔で見返してくるロゼットに、フィオルは笑って首を傾げた。
妹には知識が偏っていると言われたが、そうなのだろうかと頭の片隅で考えてみる。
が、気にする事でも無い気がしてフィオルは考えるのを止めた。
壇上では並んで椅子に座った講師が次々と挨拶の言葉を上げている。
これが済んでしまえば後は会食となり、互いに交友を深めて解散となる。

「そういえば、ルージュはこの学校に入った目標はあるのかい?」
「まさかノーツから聞かれるとは思わなかった。そっちは騎士団に?」
「どうかな。騎士叙勲を受けられれば自領へ戻るという選択肢もあるのだけれど……せっかくの学べる機会にそれは勿体ないね」
「そうだな。……俺は、騎兵隊に入りたいんだ」

憧れている人が居て、守りたい人達が居るとロゼットが言った。
恐らくは家族の者であり、故郷の街の人達なのだろう。
素直に守りたいと思える何かがある事を、フィオルは微笑ましく思った。

「素敵な夢だ。ルージュなら、諦めなければきっとなれる」
「そうかな」
「そうとも、その為に私も居るのだと思う。まずは君の力になる事が私の夢だ」

学校長の言葉を借りた一言に、ロゼットは驚いた表情から笑顔へと変えてみせる。
照れくさそうに笑うその顔に似たような笑顔を、フィオルも返した。

 

トロンプ・ルイユ 7

 

ヴェリテと隣り合って立っていると、聞き慣れた声に呼ばれた。
振り返れば笑みを浮かべて歩み寄ってくる青年の姿。
煌びやかな正装に身を包み、茶色の髪を後ろへと撫で付けたクレイハウンドだった。

「やあ、ノーツ。モンドと会っていたのか」
「ロベリエの知り合いかい?」
「ああ、彼は同室者でね。キシュ神殿からの留学生なんだそうだよ」

キシュ神殿、と言われてフィオルが真っ先に思い浮かべたのは高陵の峰が連なった山の一つ、聖地オトラ山。
巫女や祈祷師と呼ばれる職業を輩出する、特殊な文化の者たちが暮らすというその場所。
初代騎兵隊のお伽話にも出てきていた筈だ。
遥か昔の話が実際にあった事なのだと、何となしにフィオルは実感する。

「そうか、では彼は貴祖なのか」

ノーブルクラシックという、お伽の勇者の直系を示すそれを口にすると、ヴェリテは微かに首を横に振った。
クレイハウンドが驚いた顔で目を剥いたのを見ながら、フィオルも素直に驚く。
キシュ神殿の出でノーブルクラシックでは無いというのも珍しい話だ。

「客位だ」
「客位? キシュ神殿に客として招かれてたのか?」

客人を留学に出す、というのもおかしな話だが、フィオル以上にクレイハウンドが微妙な顔をしていた。
貴族では無かったのか、と言いたげな顔である。
が、彼が何かを言うよりも先に、大広間中に歓声が響き渡った。
何事かと皆が視線を向ける先を見れば、壁際の台座に設えた椅子に座る複数の人影が見える。
フィオルが特に目を向けたのは端の2人組だった。
金髪碧眼の柔和な笑顔を浮かべる青年と、紫銀の髪に菫色の切れ長の瞳をした青年。
紫銀の青年の方は見慣れない服装を着ていて、肩には蝶や花が描かれた青色の布地を羽織っている。

「騎兵隊のレイリ・クライン隊長とシュノ・ヴィラス副隊長だ」

隣りで呆けた声音で呟くクレイハウンドの声を聞いた。
彼らの噂はフィオルも知っている。
壊滅状態だった騎兵隊を見事再興させた隊長と、第一線で数々の戦果を上げている副隊長。
想像していたよりよほど若い姿に素直に驚いた。

「彼らが来ているとは思わなかったな」
「ああ、まさか実物を見られるとは思わなかった! 凄いなこの学校は!」

クレイハウンドの上擦った言葉に生返事で返しながら、フィオルは近くに居る筈のロゼットを何となしに目で探す。
すぐに見付かった彼は、頬を紅潮させて潤む瞳で舞台上を見ていた。
ただ有名人を見かけたよりも熱の籠もった視線に驚く。
ロゼットはどちらかというと、何かに心酔する質では無さそうに思えていたからだ。
大きく深呼吸をしたロゼットは次の瞬間にはいつもの表情になおり、フィオルが見ていた事に気付くと気まずそうに目を逸らした。

「何で見てるんだよ」
「有名人が来ているのが珍しいと思ってね」
「……変なやつ」

くすり、と笑ったロゼットに笑みで返す。
ころころと表情の変わる彼に満足し、再び壇上を見るといつの間にやら隊長の耳元に副隊長が顔を近づけていた。
嬉しそうな笑顔で副隊長の声に耳を澄ましているらしい彼は、次の瞬間に頬を紅潮させて副隊長を見返す。
フィオルの居た位置からでは見えなかったが、どうやら副隊長が何かをしたらしい。
お返しとばかりに隊長も副隊長の耳へと顔を近づけ、手をそばだて、

「お集まりの皆様にはご機嫌麗しく存じます。ご入学の御方々にはお祝いの言葉を。ようこそいらっしゃいました」

離れた位置にいる光によって濃淡を変える鋼色の髪をした女性が立ち上がり、皆はそちらに注目した。
アカデミー学校長のルーシェス・マグノリアだ。
女性でありながら騎士団の将軍を勤め上げ、怪我により退役した後も尚語り継がれているその名。
御年50を越えるはずの彼女は、未だ若々しく輝いている。
アカデミーに流れる噂の一つでは、彼女は不老の血筋であるフィーニクスなのだとか。
現役の頃と変わらぬ容姿への皮肉だろう。
優雅に一礼をし微笑みを浮かべる姿は淑女であるが、彼女の格好は男装にゆとりのあるマントを羽織った物だ。
女性という甘さをはね除けた格好は、油断を許さない。

「どうぞ気軽な気持ちでお聞き下さい。騎士騎兵王立学校、通称アカデミーはアルメセラ王国が民衆を守る為、自衛の手段を授けるという目的で創設した王国最大の学校です。そして、広き門は学ぶ意欲のある者に対して閉ざされる事はありません」

ちらり、と彼女が目を向けるのは制服に身を包んだ奨学生達だ。
微笑みは彼らに向けられ、鼓舞をする。

「我がアカデミーの基本にして絶対となる理念は、生徒は全て平等であるというもの。何人たりとも、これを犯す事は許されません。君達の価値は君達が決める。親の装飾品、愛玩人形に学ぶ権利などありません」
「……凄いな」

小さく呟いた声に、けれどヴェリテが視線を向けた。
気付かれた事を苦笑で誤魔化し、首を振って何でもないと示す。
親の言いなりになり、血筋を増やすだけの血統主義はいらないのだと、彼女は言う。
ましてや親の力を笠に着る者など言わずもがな。

「伊達や酔狂で通う者など不要です。生きる力の無い者は廃れるが世の定め、その様に倣うがよろしいでしょう。力の無い者は何もする事が出来ないのですから、泣いて喚いて暮らせばよろしい。ですが力を望む者には、我がアカデミーは全てを与えましょう。庇護も手段も、仲間もです」

そうして彼女、ルーシェス・マグノリアは笑うのだ。
マントの端を摘み上げて紳士の様に、あるいは道化の様に。
聖者の名を冠された彼女は聖母のように笑い、王のように不遜に振る舞う。

「私がまず与えるのは君達の力になりうるであろう同室者。誉れあるアカデミーの一生徒である自覚を持ってその意味をよくお考えなさい」

果たして自分はロゼットの力になれるのだろうかと、フィオルは考える。
貴族という後ろ盾ならば充分に、けれど友という情は、彼の目的の為の仲間としては、過不足無いだろうか、と。

トロンプ・ルイユ 6

「有り得ない……」

疲れた声で吐き出されたその一言に、フィオルはチラリと横目で声の主を見た。
迂闊だったとでも言いたげで表情を沈ませているのは同室者のロゼットだ。
今2人は式典が行われるホールへ向けて歩いている。
広い廊下にも沢山の人は居るが、全員と言って良いほど彼らは正装でめかし込んでいた。

「そんなに気にする事かい?」
「知ってたなら教えてくれても良いだろ。そうしたら髪なんてまとめなかったのに」

悔しそうに言うロゼットはめかし込んだ服ではなく、学生服だ。
式典は正装で参加する、というフィオルの言葉を聞いて初めてドレスコードを要求されている事を知ったのだ。
朝ご飯を食べ終わって部屋へ引き返して知った事実は、どうにかするには時間が足りなかった。
街へ降りれば貸衣装屋などもあったのだが、間に合わない。
仕方なく、学生服も正装だからと腹をくくったロゼットは、同じように学生服に袖を通したフィオルに度肝を抜いた。
しかも髪はロゼットがまとめた姿のまま、いじる様子はない。
フィオルはドレスコードが必要な事は知っていたが、あえて用意していなかったのだ。

「ロゼットは手先が器用だね」

王立学校の制服が他の学生達に見苦しいわけもなく、ただ物珍しげに向けられる目線を微笑みながら交わすフィオル。
立ち振る舞いが貴族然としているだけあって、それらしいコートを一枚羽織るだけで正装に見えなくもない。
が、歩く時にコートがめくれ、中の服を見た者たちは驚いている。

「何も制服まで着る事も無かったんじゃ……」

「これは私なりのけじめだよ」

王立学校の生徒になった以上、一貴族としてではなく学徒として過ごそうという、フィオルなりのけじめ。
その第一歩が式典であるのだから、正装に制服を選ぶのは当然だ。
ここは社交場ではないし、それに連なる姿を披露する訳では無いのだから。
他人に同調を求める気はないが、フィオルの考えとしてはそんな所だ。
不思議そうな顔で見上げてくるロゼットに、黙ったまま首を傾げて先を促した。

「ノーツって……変わってるよね」
「そうかい」
「うん」

短い会話はまもなく着いた大広間の喧騒で完全にかき消される事になる。
相当数の人が既に集まっているのに息苦しさを感じさせないというだけで、相当な広さがある事が窺えた。
上を見ても高い天井に大きなシャンデリア。
流石に周りを見渡すと人だらけだが、どれも小綺麗な格好をしている。
そんな中で制服を着ている者というのは、どう贔屓目に見ても浮いてしまっていた。
だがそのお陰で、

「ロゼ!」
「シルフ!?」

思いも寄らない人物と再会したらしい。
驚いた顔でロゼットが駆け寄ったのは同じ年頃の少年で、彼もまた制服に身を包んでいる。
嬉しそうにしている様子や愛称で呼んでいる所を見ると、どうやら仲の良い間柄らしい。

「ロゼ、その人は……?」
「初めまして、ルージュの同室者だ。フィオル・ノーツと言う」
「ノーツさん……、ボクはシルフィス・アンフレールです。あの、ロゼと同郷で」

不用意に近付こうと、関係を持とうとする言葉を選ばないように気を付けている様子に、フィオルは頷いて返した。
恐らく彼は、食堂の出来事を知っているのだろう。
そこからフィオルが貴族である事、それも高位貴族である事に気付いたのかも知れない。
ロゼットの同郷、現在制服を着ている事を考えるに、彼もまた奨学生なのだ。
平民が貴族と縁を持つ事を、周りの者は良しとしない。

「賢い子だ」
「え?」
「いや、気にしないでくれ。君の同室者は?」
「ボクは三人部屋で、一人はちょっと……。もう一人が今一緒に――……あれ?」

振り返った先に予想した人物が居なかったらしく、驚いた声を上げた。
シルフィスがきょろきょろと周りを見回すのを、黙って見守る。
三人部屋、というのが少し気になった。
女子寮ならば数人で部屋を使う様に組まれているが、男子寮にしてみれば珍しい。
はてこれは何の意図があってか、と思ったところで前方に白い人が居るのを見つけた。

「あ、ヴェリテ!」

シルフィスが声を上げたところで、白い人影がこちらを向く。
驚いた事に、琥珀色の瞳以外は髪の毛の先まで白かった。
整った顔が微塵も動かずに無表情を貫いているところを見ていると、人形だと言われても頷いただろう。

「シルフ、その人は?」
「ボクのもう一人の同室者で、留学生のヴェリテ・モンド」
「留学生、なるほど」

それなら人数が多い部屋に割り当てられたのも頷けた。
彼への後ろ盾として留学生、そして留学生への後ろ盾として貴族の誰かだろう。
シルフィスの様子からするに、貴族の彼とも良好とはいかないようだ。
留学生であるヴェリテが上手い緩衝剤になれば良かったのだろうが、彼は無言でシルフィスを見ている。

「こちらの言葉はどの位話せるんだい?」

シルフィスと話しているロゼットを横目に、ヴェリテに話しかけた。
彼も正装として制服を着ている。
目線を向けていると、同じように目だけでこちらの顔を覗き込んできたヴェリテと視線がかち合った。

「ある程度」

静かな声に、これは少し苦労をしそうだな、と苦笑を浮かべる。
笑みの意味が分からなかったらしいヴェリテは尚も視線を向けていたが、やがてシルフィスの方へと視線を戻していった。

 

トロンプ・ルイユ 5

朝早く、入学式典の為にとロゼットに起こされたフィオルは浴室で濡れた髪をタオルで拭き取りながら部屋の窓辺に背を向けて椅子に座っていた。
ロゼットも式典へ出る前に身を清める為、浴室を使っていて今は部屋に居ない。
いわゆる儀式の一つなので身儀礼を正す、という行為になれて居ない彼は戸惑っていた。
が、そんな中でも想像した通りに右手を差し出して起こしてくれた事を、フィオルは嬉しく思っている。

「やあ、灰猫」
「ご機嫌だねぇ」
「そう見えるかい?」

チリン、と鳴らない鈴の音がした気がして声を掛けると、窓の外から返答があった。
フィオルの方から姿を見ようとは思わないので、そのまま話を続ける。
ただ、机に置いたクッキーの皿と袋入りのそれだけを窓の方に押し出した。

「ノーツ・ソロルの事は公式的に元々病弱なお嬢様が長旅と慣れない環境によって伏せっていて、王城の医師に掛かってる事になったよ」
「ふうん」
「因みに部屋は4人部屋、同室者は平民一人に貴族一人、それと留学生」
「留学生……どこからのだろうか」
「それは――」

ガチャリ、扉の開く音が響く。
浴室から出てきたロゼットは、出てきて直ぐにフィオルと目が合って驚いたように固まった。
髪から垂れる水滴がぽたり、床に落ちる。
窓の外の気配は既に消えていて、机に乗っていた袋も当然の様に無かった。
ただ一つ、皿に盛ったクッキーも数枚無くなっている事にフィオルは少し驚く。

「何でこっち見てるの……今誰か居なかった?」
「誰も。ルージュは髪、渇かさなくて良いのかい?」

丸くなった目のまま固まるロゼットの様子に、警戒する猫を思い浮かべながら笑いかけた。
首を傾げて促せば、不審な顔をしながら近付いて来るロゼット。
それが机の上を見た瞬間、呆れた顔に変わった。

「朝からクッキーって、そんなにお腹が空いてるのか?」
「いや……ああ、うん、そうかも知れないね」
「自分の事なのにその反応? ていうかノーツ、君こそ髪渇いてないよ」

言われ、おやそういえば、と頭に乗せたままだったタオルを掴んで髪を拭き始める。
ゆるく跳ねている髪は気を抜けばとんでもない方向に飛び跳ねた。
それを見て更に呆れた顔をして、仕方ないなと言うように小さく笑ったロゼットがフィオルの手を押さえる。
椅子に座ったままだったフィオルは首を傾げ、少し高い位置にあるロゼットの顔を覗き見た。

「貸して。任せてたらとんでもない事になりそうだ」

ついでに纏めて良いよね、と言うロゼットの声はどこか楽しげだ。
手際よく、優しく頭を撫でてくるタオル越しの感触が心地よくて、フィオルは頷く。

「すまないね」
「良いよ。ノーツって意外と不器用なんだな」

うん、そうなんだ。と返すとロゼットの手が止まった。
仰ぎ見れば微妙な顔をしていて、溜め息を一つ吐く。
何か困らせるような事をしただろうかと考えたが、あいにくフィオルには思いつかない。

「思っても無い事言うなよ」
「そう聞こえたかい?」

くすくすと笑えば、今度は乱暴に頭を掻かれる。
くすぐったいそれに更に笑うと、ロゼットの笑みが小さく零れた声を聞いた気がした。
暫くされるがままになっていると、急にタオルが取り除かれて視界が広がる。
動かそうとした頭を押さえられ、今度は髪の毛が引っ張られた。
どうやら梳かしてくれているらしい。

「ノーツの髪って、見た目通り柔らかいんだな」
「そうだろうか? ああ、でもルージュの髪は手触りが良さそうだな」
「そんな事ないよ」

頭の後ろから聞こえる否定の言葉に、ロゼットの髪を思い出す。
オレンジ色が陽に透けて鮮やかに輝き、触れば温かさが伝わってきそうだった。
髪質は細く、真っ直ぐでロゼットの心根を表すよう。

「ルージュの髪は暁色で温かそうだ」
「何か口説かれてるみたいだ。女の子に言ってやりなよ……はい、出来た」

綺麗に纏められた髪を鏡で見、ありがとうと礼を言う為に振り返ったフィオルは少し驚いた。
そんなフィオルを、不思議そうな顔でロゼットが見返す。

「気に入らない?」
「そんな事はないよ、ありがとう。ただその、ルージュの持っているブラシが可愛らしくてね」
「え? あ、これは! 妹と弟が買ってくれて……」

朱に染まる頬と気まずそうに目を逸らすロゼットを見ながら、聞き慣れない言葉にフィオルは頷いた。
そういえば、妹とはプレゼントを贈り合う事などほとんど無かった。
あの子はフィオルの側に居られるだけで良い、とよく言っていた。
環境が違えば、自分たちもそんな事をしただろうかと考えて、フィオルは首を傾げる。
どんなに違ったとしても、ロゼットの家族のようにはならない気がした。

「ルージュはご家族と仲が良いのだね」
「いきなり何言って……そっちはそうじゃないのか?」
「妹が居るけれど、プレゼントを贈り合う仲では無いね」
「へぇ……でもノーツなら、嫌われる事はまず無いと思うよ」

真面目に、目を覗き込んで言ってくるロゼットの言葉にフィオルは驚く。
どこにそんな要素があったのか、確信を持って言われた言葉に少し困りながら、嬉しくもあり笑った。
少し不機嫌そうに、それでもしっかりと自分を見てくる小さな妹を思い浮かべ、そうだと良いと思う。

「今度ご妹弟に礼を言っておいて貰えるかな。さっそく私の髪をまとめて貰った、ありがとうと」
「何それ、変」

噴き出して笑うロゼットの顔が、決して嫌がっているものでは無い事を認めて、フィオルも笑みを浮かべた。

 

トロンプ・ルイユ 4

部屋に戻ってからのロゼットは無口だった。
それを、机に腰を掛けた状態のフィオルが見下ろす。
ちらりと部屋に備え付けられた学習用の椅子から見上げてきた。
が、視線は直ぐに外される。


「何か言いたい事があるのじゃないかい?」


なるべく優しい声を出すように努め、フィオルから切り出した。
沈黙に耐えかねた訳では無く、むしろ、ちらちらと見上げてくるロゼットが不憫に思えたからだ。
慣れない環境に初日から風当たりが強い事を知って、衝撃を受けていると思って。


「今後、平民だからと表立って騒ぐ者は出ないだろう。暫くは余り良い噂も聞かないと思うが」

「ノーツ」

「何だい?」

「何で俺を庇ったんだ」


今度こそ真っ向から見返してくる緑の目に、失敗したなと思った。
これは雨に濡れて震えているだけの猫ではない、むしろ誇りを持った気高い獅子の子だったのだと。
今更ながらに気付く。
守られるだけを良しとしない目だった。


「君が……右手を差し出してくれたから」

「右手?」

「家名で呼ぶけれど、君は私を貴族として見ようとはしなかったから」

「腹が立った?」

「いや……」


むしろ逆だった。
嬉しかったのだと、素直に言ってしまって良いのか迷う。
ロゼットがフィオルを利用しようと安易に考える人間で無い事はもう充分に分かっていた。
が、自分の心に立ち入らせて良い者かに迷う。
それはロゼットを傷つけてしまうのではないか、と。


「ノーツ、言わないと伝わらない。伝えてくれないと、分からない。伝えないと決めたのなら、最初から突き通せ」

「ふふ、手厳しいな」


フィオルが迷っている様子を見ていたロゼットは、幼い子を諫めるように言葉を紡ぐ。
そんな風に真綿で包むような叱られ方をされた事の無いフィオルは、むしろ胸が痛かった。
苦笑をするフィオルを、目線を外すことなく見上げ続けるロゼット。


「君の好意が嬉しかった。だから、俺も好意で返したかった」

「それがあれか? 貴族とお気に入りごっこみたいな」

「すまないね、君の矜持を傷つけた」

「別に良い、こんな程度で傷ついたりしない。俺が平民で貧乏なのは事実だ」


何もそこまで聞いてないのだけれど、と思ったフィオルは一瞬きょとんとした顔をし、笑った。
何故笑われたのか思いつかなかったロゼットは一瞬むっとした顔をしたが、フィオルの表情を見て呆れる。


「何で泣きそうな笑い方するの」

「いや、君が余りにも、素直だから。ルージュは面白いね」

「ふん……別に良いけど。ただし、今度は庇わなくて良いからな」


不遜な表情で、ともすれば拗ねているような声で。
けれど少しだけきつい言い方でロゼットは釘を刺した。
それを、フィオルは苦い笑いで受け止める。


「嫌になったかい?」

「別に。ただ、フェアじゃない。平等だと言い説くなら、俺も平等じゃないと、公平じゃない」


この話は終わりとばかりに、肩を竦めて言い置いたロゼットは自分のベッドへと向かって歩き出した。
その背を見送りながら、フィオルには一つだけ気がかりな事があった。
今度は庇わなくて良い、という事はつまり、次があると考えて良いのだろうか。
ロゼットに、


「友だと思っても、良いのかい?」


考えるだけに留めようとした言葉は、口をついて出ていた。
これは多分、それだけ伝えたい気持ちがあったのだと、理解する。
チラリと振り返ったロゼットは、その事には返事をせずに。


「おやすみ」


とだけ言った。
けれどその口元が笑みを描いていたから、フィオルも笑顔でおやすみと返した。
明日はきっと、右手を差し出して起こしてくれるのだろうと思い浮かべて。
自分もまた眠りに付く為に、ベッドへと向きを変えて視線を外した。

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