瞼の裏に光を感じ、朝が来たことを知る。
頭に残る微睡みを、左右に振って振り払う。
そうして身体を起こして上掛けの布団を剥いだところで、
「はぁー……またかぁ……」
せっかく起こした上半身を再び布団の上へと投げ出した。
国永はここ数日、不可解な夢に悩まされていた。
詳しい内容は覚えておらず、断片的な情報すら瞬く間に忘れていく。
なのに悩まされているのは、どこかしっくりこない身体と頭痛、そして、
「この歳で夢精とは……溜まってる、だろうなぁ……」
寝ている間に何度も吐き出したのか、股の濡れた感触が気持ち悪い。
本当に溜まっているのなら寝る前に自分で処理をするが、国永が望むのは違う方。
性処理の仕方としては正しいが、本能としては満たされていない。
国永はオメガだ、それもアルファの番持ち。
どれだけ一人でいじろうと、処理をしようと、番に触れられなければ解消はされない。
国永と双子の弟である鶴の番は今、自領で突発的かつ連鎖的に起こる魔物の大量発生を処理するために王都から離れて居る。
本来であれば冒険者の介入も可能。
だが、個人業の冒険者ならばいざ知らず、ギルドに所属する者は登記街での待機が王命で下されていた。
各地で突発的、かつ連続的に発生する不可解なスタンピードの予測が付かず、戦力を温存するための処置だ。
騎兵隊ですら、今出ている遠征部隊以外は待機を命じられていて動けない状態だ。
「んん……もう何日、会ってないかな……」
はぁ、と内熱を含むため息を吐き、シャワーを浴びて気分を切り替えようと起き上がる。
ついでに、汚してしまった布団やシーツも乾かさなければならない。
今居る場所はギルドの仮眠室であり、備え付けの浴室へと汚れた物々を叩き込んでいく。
そのままシャワーで身体を洗い流し、ついでにそのまま石けんの泡で布団や衣服を踏み洗いで汚れを落とした。
タオルで肌をこする度、水が泡を流す度に肌が粟立つ感覚がする。
発情とはまた違った感覚に、いったい何に欲情したんだか、と鼻で笑った。
綺麗になった物々を除け、浴室の縁に腰を下ろす。
股の間に手を伸ばして、反応せずに萎えている逸物に手を伸ばした。
「ん、ぅ……はぁ……っ」
ただの性欲処理だと無心で手を動かす。
内腿が引き攣る感覚に添わせて一気に手で扱き上げれば、鈴口からとろりとあまり濃くない白濁が勢いなく何度かに分けて出てきた。
夢精をした後は必ず抜いているから濃くはない、むしろ頻度が多くて薄いそれ。
宗近に知られれば、淫乱だと笑われるだろう。
むしろ会えるならば、笑ってくれて構わない。
「はぁ、むなし……」
一人で処理をすると最後は空しさに胸が締め付けられる所が国永は好きではない。
そもそも自分からそんなにしたいとは思わない、どちらかと言えば淡泊な方だ。
普段は双子の弟である鶴丸との触れ合いで発散することの方が多い。
その鶴丸とも、今は必要最低限にしか会えていない。
「国永さーん、注文の品が来たので指示お願いしまーす」
「あー、分かった今上がるー」
外から掛けられる声で我に返り、慌ててシャワーの水を止める。
冒険者の出入りが規制されている今、流通を止めないためにも商業ギルドの仕事は多い。
ここ"天氣雨"は品物ではなく人材の提供を主にしているが、それでも負担は大きかった。
シャワーから上がり、髪を乾かすことなくタオルを首に引っ掛けてズボンを履いただけのラフな格好で執務室に入る。
中には顔見知りが数人、書類仕事をしていた。
その中の一人、緋色の髪をした青年が国永へと顔を向け、ぎょっと目を剥いて驚く。
「おま、なんつー格好してんだよ!?」
「……普通だろ? きみがそんな事を言い出すなんて珍しいな」
「いや、色気がなぁ……」
何事にも豪胆かつ細かい事は気にしない質であるギルドマスターには珍しい小言だ。
物心ついた時から一緒に暮らしているが、向こうも似たような格好をよくしている。
よく分からない、と素直に首を傾げれば盛大にため息を吐かれ、他の者には苦笑をされた。
「お前らの事は宗近に頼まれてんだよ」
「それこそよく分からない」
「離れるから心配なんだろ。つか……寝てないのか?」
「いや? 何故?」
「目が赤いし、クマできてるぜ」
するり、と男性にしては細い指が目と頬を撫でていく。
何気なく普段通りの近さで行われたそれに、背筋がぞわりと跳ねて思わず手を叩き落とした。
驚きに目を見開いて見つめられる。
今のは完全に悪手だったと、気まずさから目を逸らした。
横顔に刺さる視線が痛い。
「ふーん……?」
「ちょっと夢見が悪くて疲れただけさ」
まさか軽く触れられて欲情しそうになったとは言えず、誤魔化しから口にする。
と、逆にそれが気を引いたようでヒスイが訝しげに眉を跳ねさせた。
「夢見、ねぇ……ちょっと奥来い」
「定期検診には少し早いんじゃないか?」
「お鶴もな、夢見が悪いって漏らしてんだとよ」
鶴、という言葉に急に胸が不安に締め付けられる。
こちらが忙しくなったこともあるが、騎兵隊も今は各方面の調整で忙しくしていた。
隊長付である弟はその人懐っこさから交流の幅も広く、今は任される仕事も多いらしい。
幼い頃を同じ孤児院で過ごした仲の隊長に兄貴風を吹かせたい所があるため、嬉しい悲鳴だと言っていた。
その分すれ違って一緒に過ごす時間が減っているので、国永としては寂しい限りだ。
けれども隊長に頼られて嬉しいという気持ちも分かる。
「それなら検診はしなくて良いんじゃないか?」
「まあな。けど案外、お前の影響かも知れないぜ」
「それは、まあ……無くもない、か」
「双子ってのは厄介だな。ただの兄弟と違ってそういうとこも共感すんだからよ」
「俺は鶴の不調には鈍感だけどな」
肩を竦めて言い返し、服を引っ掛ける程度に羽織りながら執務室の奥、ヒスイの部屋へと入った。
あらかじめ用意されている魔方陣の中央に立ち、タオルで髪を拭き始める。
何故かは知らないが、国永には魔術耐性がない。
火や水を直接ぶつけるようなそれには防具で対処出来るのだが、呪いなどの内面に作用するものには抵抗出来ない。
他にそのような人間が居るとも聞いた事が無く、対処療法にはなるがヒスイが定期的に魔術で探って逐一解呪していくという方法を取っていた。
面倒な上に、探られている間は何とも言えない気持ち悪さが伴う。
出来れば遠慮願いたいが、放置して厄介なことになった前歴がある。
更に心配性な弟と番が居るため、もはや国永に拒否権はない。
「ん、なんもないな」
「はぁ……それならまあ、良いか」
「マジでお疲れだな? 今日は東二区の孤児院見に行ったら休んで良いぜ。騎兵隊行ってこいよ」
「え、良いのかい?」
「ん、今日は俺が居る。泊まってきても良いぜ」
後の事は任された、と勝手に決めてしまったヒスイに背中を圧され、ギルドハウスから追い出された。
外は最近の時勢とは違って晴天で、春から夏へ変わるこの時期は温かな風が心地良い。
すっかり晴れた青空はピクニック日和というやつで、街中を歩き回るだけでも気持ちが好いだろう。
暗いところから明るいところへ出たせいで眼が眩んで、一瞬視界にピンク色が過ぎった気がした。
何かあったかと周囲を見渡せば、工房へ新しい服飾作りの為にかピンクの布束が入れられていく。
うちのギルドで販売しているワンピースへと、きっと仕立て上げるのだろう。
多くのフリルとレースで飾り立て、少女趣味な出来映えの。
あるいは単にカーテンとして使うのかも知れない。
「さて、そんじゃあ歩くかぁ」
燦々と輝かしい日差しは心地良いものの、若干目が痛くなる。
いつも通りフードを目深に被って狐の面を付け、孤児院へ向けて国永は歩き出した。
近付いてくる度に聞こえが大きくなってくる子供の声に、国永は我知らず笑みを浮かべる。
他人を信用しない、というより他人と距離を取りがちな国永だが、子供は嫌いじゃない。
純粋さも突拍子の無さも、全力でぶつかってくるところも、双子の弟に似ていて好ましく思う。
東二区は孤児院と奥に小さな礼拝室があるだけで、一般には開放していない教会の建物になる。
「こんにちは、国永くん」
「神父様、こんにちは」
ホウキを手に門前を掃いていたらしい顔なじみの神父に会い、国永は頭を軽く下げて礼をした。
見た目は30代くらい、だろうか。
古都の教会本山に居る信者とはまた違い、けれど国永の育ての親とも違う聖職者。
「本日はどのようなご用で……あ!まず中でお茶にしよう」
いつもは一歩引いた態度で来る彼にしては珍しい誘いに、疑問を覚えた。
が、次の瞬間にエスコートのためか腰に手を回され、それがゆっくりと背筋の形をなぞるような動きだったために、国永は上がり掛けた嬌声を手で抑えるだけで精一杯で。
カクリ、と膝から力が抜けてしゃがみ込んでしまった。
今の一瞬だけで頭が真っ白になり、そして羞恥と屈辱で顔が赤くなっていく。
まさか"見知らぬ誰か"の手が腰に当たっただけで"感じ"てしまう、だなんて。
しかもそれだけではなく、感じたせいで腰抜け、ではないが足から力が抜けて仕舞うだなんて。
全くもって屈辱だ。
それもこれも、顔を見せない番のせいで熱が発散出来ないからだと一方的に怒りを覚える。
「国永くん? どうしたの、大丈夫?」
人の良さそうな神父が伸ばしてくる手を腕で払い、我に返った。
怒りをぶつける相手が違ったと苦笑いを浮かべてその場に立ち上がる。
「すみません、立ち眩みをしたみたいで。大丈夫です」
「……そうか。けれど、無理はしないで」
立ったままだったのに立ち眩みも何も無いだろうが、息を整えて思考を切り替えようとする国永は気付かない。
神父が酷く冷たい目で見つめている事も、払われた手を爪が食い込むほど握りしめていることも。
その場で深呼吸を繰り返した国永が神父に向き合う頃には、既に仮面を被り直している。
「それより、今子供達は?」
「菜園を見て貰っているよ。後は裁縫に……刺繍をあとで見て貰っても良いかい?」
「勿論。バザーに出せない端布はいつも通りうちで買い取りを」
普段より近い距離、馴れ馴れしい態度に違和感を感じつつも素っ気ない態度で流した。
王都の法律では孤児院は成人の15歳まで居られるが、実際は12.3歳で退所させられる。
後から入ってくる子供達を優先させるように言われているせいだ。
質素倹約を心掛けては居ても、定員というものがある。
ヒスイはそんな子供達が退所までに手に職を持てるよう、見習いという形での通い仕事を率先して振り分けていた。
更にバザーで売れないようないわゆる失敗作、習作の買い付けを。
試験的に複数の孤児院へ協力を取り付けたことで、利益が出るように調整している。
強い者は優遇され弱者は淘汰される世界だが、それ以外の道を模索していた。
「今年退所する予定の三人だけれど、雇われ先が見付かってね。国永くんの所での経験が役に立ちそうだよ」
「それって……ああ、あの子等か。礼儀正しいし、客への対応も良かったな。下位侍女やメイドなんか良いと思ったんだが、その子等はどこに?」
「国永くんの言う通り、貴族の家にね。所作が良いと評判だったよ」
「そうか……それは、めでたい。いや、良かったですね」
言葉では褒めつつも暗い顔の国永に、神父は薄い笑みを貼り付けたまま首を傾げて顔を覗き込む。
「もっと喜んで貰えるかと思ったんだが……」
「え? ああ、いや、喜んでますよ。ただ……すみません、疲れてるみたいで」
苦笑を浮かべて首を振る国永に、神父の目が微かに光った。
真一文字に潜めようとするも、口端が引き上がって不気味な笑みになっている。
そんなことにすら気付く余裕のない国永は、頬を数回叩くと笑みを浮かべて神父を見た。
「あの子達の夢が叶って良かったですよ。子供達のところに行っても?」
「ああ、勿論。彼らも喜ぶよ」
にっこりと人好きのする笑みを浮かべ、神父は先を歩くことで国永を案内するのだった。
陽に透ける桜色の髪を、小さく丸い頭を見ながら神父は込み上げる笑みを抑えていた。
今国永は彼の腰ほどの高さしかない子供達に囲まれている。
おんぶや抱っこを強請られ、手を引っ張られと忙しそうだ。
紅い瞳が慈愛に緩み、子供達の頭を撫でて優しげに笑っている。
「はぁ、国永……きみはやはり天使だ……」
うっとりと、自己陶酔に浸りながら神父は小さく言葉を零した。
子供達を見て輝くその宝石のような瞳が淀み、媚びを含んで蕩けるのを知っている。
桜色の髪がさらりと指先をすり抜けるほど柔らかく艶やかで、白濁とした液体がよく似合うのを知っている。
小さな子供が飛び込むその腰は細く、しなやかに反れる様を知っている。
小振りの尻の先、後孔は柔らかく締め付け、吸い付いてくるのを知っている。
白い肌はきめ細かい肌触りで、赤く色付いていく様が扇情的なのを知っている。
全部全部、己の為に用意されているのだと神父は笑う。
日頃は弟のことや子供達のことを闊達に語りながら、舌っ足らずにお強請りをすることを。
蕩ける肉襞が熱く、それを擦られるのがたまらなく好きだということを。
入り口の浅い辺りを何度も擦られ、きつく締め付けた末に奥まで一息に突かれると泣き叫んで悦ぶことを。
色事など知らないような顔が、蕩けて淫猥に微笑み舌を伸ばして誘い込むことを。
引き締まった内腿が引き連れ、離れる事を拒んで腰に絡みついてくることを。
知っている、知っている、知っている。
昨日の淫事でもそうだった。
国永は薬が好きで神父が好きで奥で出されるのも口に呑み込むのも好きで突かれる度に瞳を蕩けさせてよがっていた。
"恋人"の自分は国永の全てを知っている。
本当ならば毎日でも抱きたいが、贔屓の魔術師からは間を置くように止められていた。
それが不服であったが、こうして憔悴していく様を、疲れた顔を隠せなくなっていく国永もまた愛らしい。
もうすぐ、もうすぐで夢だけではなく現実に手に入れることが出来るのだ。
国永には子供の雇い先が見付かったとだけ言ったが、彼女らは本当によく売れた。
これでまた、国永のための部屋を飾り付けることが出来るだろう。
太陽の下で子供達と楽しげに笑う国永を見ながら、神父もまた暗い欲望に嗤うのだった。