ヒスイが本格的に店支度をするようになって幾日。
青年団は伊達男達の集まりという意味で伊達組に名前を変え、拠点を店近くの修繕した家へと拠点を移した。
国永と鶴丸はそこから少し離れた所にある、うち捨てられたアパートの二階に居を構え。
最初は何も無い部屋に不安を覚えた鶴丸だったが、引越祝いにと様々な家具が運ばれれば直ぐに気にならなくなった。
何よりも嬉しかったのは、人目を気にせず国永に甘えられる事。
国永を慕う人は本人が自覚するより多く、二人きりになりたくても必ず他人の気配があった。
けれど今は与えられた仕事をこなして帰れば夜は二人きり。
寂しくないかと聞かれたけれど、それ以上に嬉しいのだと鶴丸はご満悦で。
そんな暮らしが形を為してきたところで、懐かしい再会もあった。
調剤用、と育てていた生薬を教わったとおりに収穫していた時、来客を報せるベルが鳴る。
扉に仕掛けた簡素なそれは涼やかに響いた。
鶴丸に与えられた仕事は畑の世話と接客。
とくにヒスイが調剤中の間は目が離せないため、人手が必要となる。
あまり多くはない客にウキウキと逸る心を押さえ、急いでカゴを置いて店内に続く扉を潜った。
「いらっしゃい!」
「ああ、店主か。すまないが……――つるまる?」
突然呼ばれた名前に相手を見れば、目に優しい若葉の色合いを持つ瞳が片方覗いている。
見慣れたよりは精悍に、大人のそれとなった顔立ちは懐かしい。
孤児院で特に親しくしていた内の一人、うぐいすだった。
萌葱の髪がふわりと揺れる。
「生きて居るのは知っていたが、久しいな」
「ああ、手紙と食料ありがとな! うぐはどうしてここに?」
「今日は使いとして、だな。店主は居るか?」
「そこで俺だと思わない辺り、うぐだよな……。ちょっと待ってて」
言外にそこまで賢くないだろう、というからかいを含んだ言葉に頬を膨らませながら鶴丸は奥へと歩みを進めた。
調剤中は危険もあるから、と口を酸っぱく言われたので、扉の前でノックをして返事を待つ。
暫くしてから扉が顔半分ほど開き、ヒスイが翠の目を向けてきた。
来客だと告げれば奥で待て、と言われ手が離せないことを知る。
「今取り込んでるから、こっち来てくれ」
「ああ、分かった。ついでに茶があると嬉しいんだが」
「君、相変わらずだな。ちょっと待ってろ」
マイペースに微笑みを浮かべ、勝手知ったる我が家と言わんばかりにリラックスするうぐいすにお客様用の香茶を煎れる。
まさか本当に茶が出るのか、と不思議そうな顔をする彼に、少し良い気分になった。
「ここの店主、ヒスイって言うんだけどな、相談事も受けるからって用意してあるんだ」
「ほう、それはありがたい。しかし……見ない間に鶴は国永に似てきたな」
「本当!? へへ、嬉しい!」
「……そういう所は昔のままだな。口調は似せているのか?」
「ぅ……」
くすくすと殺しきれない笑みを屈託無く浮かべるうぐいすに、恥じらいから頬を赤らめる。
自覚して似せている訳ではなかったのだが、鶴丸の思い浮かべる大人の手本が兄だったからだろう。
そういった心の機微まで見透かされたような気がして、尚更羞恥を感じたのだ。
えほん、と空咳をしてから澄まし顔でうぐいすを見る。
「それで、用件は?」
「出来れば店主本人に告げたいのだが……」
「俺は店番を任されてるの! ちゃんと聞いておかないと、後で叱られるんだ」
叱られるのが嫌なのではなく、店番も出来ないと思われるのが嫌だと言外に告げた。
すると、勝手知ったる仲と言わんばかりにうぐいすはしたり顔で頷く。
メモとペンを用意し、聞く体勢を整えたところで茶を飲んだうぐいすは口を開いた。
「今回俺が来たのは孤児院の、というよりは院長先生の別の用向きでな。俺は孤児院を卒院してから先生に弟子入り、のようなものをして世話になっている」
「え、卒院なんてあるのかい?」
「本来ならば15を迎えた時点で仕事を斡旋、ないし街に出るようになっている」
「そうだったのか……」
ならば検査を受けてから数年で鶴丸も街に出ることとなったのだろうか。
国永は鶴丸を連れ出した時点で15歳、仕事の斡旋をされていたのかも知れない。
自分が居たから国永に自由はなかったのだろうか、と考えると気分が沈んでくる。
きっと、鶴丸が聞いても兄として当然だと答えてはくれないだろう。
番となり、一緒に居られることは嬉しいけれど、国永は一個人としてというより兄として振る舞おうとする所があった。
それが寂しいと思うのは、今が幸福だからだろうか。
「鶴丸、続けるぞ」
「あ、うん」
思考の渦にはまり込んでいた鶴丸を引き上げたのは、親友の声だった。
鶴丸が目に見えて落ち込んだことには気付いているだろうに、あえて告げないという優しさが心地良い。
「薬師というのは、本来なら教会が認可をして初めて名乗ることが出来る。今のままだと、ここはモグリという事になる」
「え、そんな決まりがあったのか?」
「調剤には知識が必要だ。医療は教会の区分だからな」
「……そういえば、そうだったかも」
「なので評判の良い、けれど教会に登録のないこの調剤所にスカウトに来たわけだ。……という訳で、ヒスイと言ったか? お前にはこの書類に目を通して貰いたい」
不意に、うぐいすが抱えていたファイルを横へと差し出した。
それを取る赤い腕があり、鶴丸はヒスイが来ていたことを知る。
紙タバコに火を点し、煙を吐き出しながら鶴丸の隣へと腰を下ろしてファイルを開く。
険しい顔をしているのは、先まで神経を使う調剤をしていたからか、情報不足だった事についてか。
後で別の理由から叱られるかも、と不安になりながら様子を見る。
うぐいすはのんびりと茶に口を付け、鶴丸を見た。
「そういえば、院長が代替わりをした。院長先生直々の指名でな、黒葉になったぞ」
「ええ!? 先生って、まだ若いよな? それに黒兄って、何で?」
「教会に呼び戻されたからな。本来、次の院長は別口で派遣される筈だったのだが……あそこは特別。それに、黒葉は優秀だ」
「特別? 孤児院て、全部教会の口だろ?」
「表向きは、な。……ふむ、まあお前ならば良いか。あそこは上層の人間が絡んでいるそうだ」
「じょう、そう……え、上の? 何で?」
「何でが多い」
それは決して、聞いてくれるなという意味では無く。
単に本人の性格上、説明が面倒だという事に起因する。
そういえばこいつはそうだった、と鶴丸も顔を顰めた。
という所で、今まで書類に目を通していたヒスイが顔を上げる。
「この治験への協力義務というのは絶対か? それに、調剤の固定化というのも」
「まあ、そうだな。薬にはランク付けがあり、あくまで教会指定の物を卸して貰う事になる」
「えっと……ヒスイ、それって何か困るのか?」
「……治験というのはな、効果の保証されない薬を試すことを言う」
「おや、保証されないとは心外だな。ある程度の効果が期待される物、と言ってくれ」
「……つまり、実験動物だよ。上の人間が安全に使う為の、な」
眉を跳ね上げて嘲笑を浮かべるヒスイに、鶴丸は言葉をなくした。
まさか友人がそんな非情な真似に荷担していると思いたくなかったのと、何と言って良いか純粋に分からなかったからだ。
上の人達、というのを普段の生活で鶴丸は意識したことはない。
雲の上の存在、居ると言われるもの。
その程度で、自分たちの生活とどう関わってくるのかを理解していなかった。
急に自分たちに押し迫る大きな影の存在を意識し、息が苦しくなる。
「見返りは教会の許しと材料の提供? 勝手に病気を治療されたくはない、教会のありがたさが減るとでも?」
尚も侮蔑の言葉を述べるヒスイは、明らかに憤っていた。
どうしてこの人はここまで下層の、弱者の為に怒ってくれるのか。
どうして親友がこんな酷い事を言っているのか。
分からない事が多く、頭が痛くなるのを感じる。
よく考えろ、と兄は常に言っていた。
大事な時に頭を働かせたいなら、常からそういう力を付けておけ、と。
「さて、俺は教会の人間ではないから知らんな。まあ、細かい事は気にするな」
「ん? 教会の人間じゃ、ない?」
「え? でも、さっき先生の弟子って……」
持ってきた書類も教会の正式なものだろうに、あっけらかんとした風にうぐいすは言う。
むしろ無責任じゃないか、と鶴丸は目を見開いた。
うぐいすはヒスイの持っていた書類を奪い、目の前で真っ二つに割いてみせる。
用済みの物は処分するに限る、とでも言いたげだ。
更にヒスイの使っていた灰皿に細かく割いた紙片を載せ、ヒスイの口から紙タバコを奪って火を付けてみせる。
「これで証拠は隠滅だな」
「……ぷ、ははは! お前、最初からこのつもりだったな?」
満足げに微笑んで灰になる様を見、全てが消え失せたところでうぐいすは頷いた。
様子を見ていたヒスイは一本取られた、と言いたげに快活に笑っている。
先の獰猛な様子は微塵もなかった。
付いていけないのは自分だけ、と鶴丸は何だか拗ねた気分になってしまう。
「結局、どういう事だ?」
「秘密裏にしてくれるって事さ。勝手にやれ、とよ」
「むしろ個人的な伝手として、生薬の取引を申し込みに来たのが本命だ。先生が教会の事で忙しくなると、調剤用の植物が無駄になる。そして、要事に孤児院に卸す薬が不足する」
「なるほど、孤児院に優先的に回す代わりに不足の材料の用意もしてくれる、と。願ってもないな」
「ちなみに先の取引、受ければ抑制剤の卸しも出来たが……まあ今となっては余分な話しだな」
さらりと重要事項を口にするうぐいすに、思わずヒスイを見た。
が、彼女は次の紙タバコに火を付けると肩を竦めて視線を外してみせる。
その線は無し、という事だ。
自分の流儀に合わない事にはとことんまで頑固になる、それがヒスイだった。
何度かそれで国永と衝突し、一週間以上口を利かないという大喧嘩もしてみせる。
結局は光忠達年少組に泣きつかれた鶴丸が間に入った事で互いに折り合い箇所を見いだし、以降は触れずにおく、という事もあった。
そんなヒスイが無しと決めたのなら、今後も覆す有用性がない限り無いだろう。
「そういえば、鶴丸もΩだろう。抑制剤はどうしている?」
「も? 他にも誰か居るのか?」
「俺と黒葉がそうだな。孤児院を通して俺達は抑制剤を受け取っている。だが、鶴丸はそうもいかない」
黒葉も、と言われて驚きに鶴丸は目を見開いた。
身体能力は高いとは言えず、けれど劣っているとも思えなかった。
というのも鶴丸は決められた運動の時間でしか黒葉が動いている所を見ていないから。
自由な時間はたいがい院長室で本を読んでいたし、喧嘩をするのも口だけだった。
鶴丸より小柄な身体は華奢で、体力は無さそうだったような。
Ωと言われれば納得出来るけれど、そんな彼が今は院長をしているという。
弱者として働く事自体が難しいという印象があっただけに、目から鱗が落ちる気分だ。
「それな……目下確認中だ。安易に手に入るのは粗悪品が多くてな」
「それでも手に入れてたのか……」
苦い顔をするヒスイに、知らなかったと鶴丸は呟く。
鶴丸に危ない事をさせたがらないから、報せなかったのか。
やっぱり自分は足手まといなのかと心根が萎れかける。
と、
「そりゃあ、俺の所に置いてくれってバカも居るからな。サンプルとして取り上げてはみたが、使えたもんじゃない」
「あ、そういう? ……そっか、そうだよな、薬屋さんだもんな」
危ない事云々より、そういった事情で手に入れてたのかと安堵した。
仲間はずれにされるような、自分だけ安全な所に留め置かれているのは悲しい。
無茶や無謀な、危険な事をしたいとは思わない。
けれど、鶴丸を理由に大好きな人達が傷付くかも知れないのは嫌だった。
だからヒスイの言葉は、鶴丸を安心させた。
「黒葉に言えば孤児院への来訪自体は容易になるだろう。国永も無事なら三人分、話しを付けておこう。客分として証明書を発行する」
「ふむ、薬を卸すなら容態を見る必要もあるからな、助かる。……ところでお前、うぐいす……だっけ?」
「ああ、うぐいす・ホケキヨと言う。調剤の行儀見習いのような事をしている」
「俺はヒスイ、見ての通りこの薬屋の店主。で、だ。お前、何か仕事してるか?」
「さて……仕事、と言える物は無いな。畑の世話、孤児院の手伝い、その程度だ」
「そうか。なら、鶴丸と仕事をしないか? なに、そんなに難しい事でも無い。お使いの延長のようなものだ」
「ほう? 面白そうだな、引き受けよう」
「え!? そんな簡単に……しかも俺と仕事って、何させる気だ??」
ヒスイが難しい事では無いというならそうなのだろうと思うが、初耳な上に自分に話しを通されていないうちに決まった事に鶴丸は驚く。
頼まれたなら断るつもりはないが、少々の強引さに頬を膨らませた。
そんな鶴丸を見てヒスイは喉を鳴らして笑い、口元に人差し指を立ててみせる。
「なぁに、簡単さ。街の連中と話をして、お願いを叶えて回ってくるだけ。何でも屋って奴さ」
「なんでも、や??」
「ほう、便利屋か」
頷き、ヒスイは腕を組んで椅子に深く座り直した。
そうして改めて考えれば、薬屋に顔を出す客の多くがちょっとした相談を持ち込んでいたのを思い出す。
いわく、片付けを手伝って欲しいや、荷運びの手伝い、壁の修繕、配管の点検。
大概が伊達組の誰かを派遣する事で解決していたが、その度にヒスイは調剤の手を止める羽目になり。
「鶴丸も要領は分かってるだろうけど、ここを受付に使って良い。報酬は仕事次第だろうが、頼まれてくれれば俺は確実に薬を用意出来るだろうな」
「そう言われては受けざるを得んな。なに、退屈しのぎには丁度良いだろう。承った」
こうして仕事がないときは各々手伝いを優先、発情期も除外とし。
色々簡単な取り決めをした上で、鶴丸とうぐいすの何でも屋が発足となった。
主な仕事筋が孤児院のものとなり、うぐいすの手伝いの延長のようなものとなるのだが、これはこれで立派な仕事として用立ち。
時には嬉しい臨時報酬も期待できるものとなり、下層で暮らしていく楽しみが増えたのだった。