「シュノ!」
シュノの腰に背中からギュッと抱き着く。
しっかりと鍛えられた身体の割には細くて薄い腰。
筋肉以外余分なものは無いその腰に抱きついて背中にスリスリと頬を寄せて甘える。
シュノは何も返さない。
いつもなら笑って抱き締めてくれたり、邪魔だから離れろとか言いつつも頭を撫でてくれるのに今日は全然反応がない。
「……シュノ?」
不安になってシュノの顔を覗き込むと、虚ろな人形みたいなシュノが立っていてヒュッと息が詰まる。
シュノはぼんやりどこかを見ていて、こっちを見たりしない。
「なん、で……シュノ?」
「シュノ」
不意に誰かの呼ぶ声にシュノは顔を上げた。
「シュノ、おいで」
誰かが手を伸ばす。
そっちは暗くて誰かは分からない。
暗闇の中からシュノに向かって差し出される手に、シュノは手を伸ばす。
「いや、いやだ、行かないで!」
ギュッとシュノの手に抱き着いて離れるのを阻止しようとすれば、シュノは初めてこちらを向いた。
邪魔だと言いたげな冷たい視線。
出会った頃のシュノみたいな視線にまた息が詰まる。
「離せ」
いつものイタズラを叱るような優しい口調じゃなく、嫌悪と侮蔑しかない冷たい言葉のナイフが胸に刺さる。
振り払われて床に倒れる僕を他所に誰かの手を取ると感情が宿ったかのようにふわりと幸せそうに微笑む。
それを向けられるのはいつも僕で、この先ずっと変わらないと思っていた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
自分の悲鳴の様な叫び声で目が覚めた。
飛び起きた体は嫌な汗でじっとり濡れていた。
「レイリ、どうした?」
ぜぇぜぇと呼吸が荒く体の震えが止まらない。
隣で寝ていたシュノが目を覚まして、手をつなぎながら背中を撫でてくれる。
「っ、は…あぅ……」
「落ち着いて息を整えろ。
俺がそばに居るから」
震える身体も荒い呼吸も中々収まらなくて、涙がボロボロと溢れてこぼれちていく。
前が見えない、シュノの顔がわからない。
こわい。
「あっ……あ、ぼくっ、しゅ……こわ、くて…」
「無理に話さなくていい、落ち着くまでずっとそばに居るから」
ギュッときつく抱き締められて、背中を撫でられる。
すっぽりと収まるシュノの胸に顔を埋めても、恐怖が次から次と泉のように湧き出てきて制御不能になる。
「あ、ああっ……いや、いやぁっ」
シュノは根気強く僕を宥めてくれるけどわかっていたんだ、それじゃダメだって。
「抱いて、シュノ……
こわい、こわいの、忘れさせて、何も考えたくない、全部シュノで満たして……」
「……わかった」
「んっ、あ…あぁっ、ひぁ」
今日のレイリは空っぽだ。
理由は分からない。
眠る前まではいつものレイリだった。
余程怖い夢を見たのか、夜中に突然叫びながら飛び起きたと思えば怖い怖いと幼子の様に震える始末。
それでもいつもなら抱きしめてあやしてやれば大概落ち着くのに、今日は触れているだけで苦しそうで、辛そうだ。
現に今も、なにかに耐えるみたいに涙を流してる。
レイリを抱いてるハズなのにカラッポの人形を抱いてるみたいで気分が乗らない。
それでも身体は快楽を拾おうと、レイリを腰に自身を擦り付ける。
いつもは暖かくてきゅんきゅん締め付けながら蕩けた笑みで気持ちよさそうな声を上げるのに、まるで生気が感じられない。
嫌がるレイリを強姦でもしてる気分になり腰を止めた
「………?
しゅの……あの……」
「止めよう、お前全然乗り気じゃないだろ」
「ちが、そうじゃ……なくて」
泣きながらレイリが何かを必死に伝えようとしている。
暫く待って居ても、どんどん呼吸も震えも酷くなって、もう前なんて見えてないんじゃないかってくらい涙を零してる。
泣いているレイリも可愛いと思っていたが今のレイリは壊れそうな硝子細工みたいで触れるのを躊躇ってしまう危うさしかない。
どうすれば、傷付けずに壊さずに触れられるのかがわからない。
初めて会った頃のもやもやする感じが腹の底で渦を巻いた。
「………ごめん。
どうかしてたよね、ちょっと、怖い夢見て……
付き合わせてごめん、シャワー浴びてくるから先寝てて?」
無理に笑って触れるだけのキスをして、ガウンを羽織ると寝室から出ていった。
手に残るレイリの温もりが、急速に失われていく。
「レイリ…」
シャワーのコックを捻ると温かなシャワーを頭から被る。
冷静になればあれはただの夢なんだと理解出来たはずだ。
そう、あれは、ただの夢…夢なんだから。
現実にあり得るはずなんて絶対ない夢。
「シュノ…あいして、あいして…
あれは夢だって、否定して…」
何をしても気分が晴れない。
恐怖が体の芯を冷やしていく。
好き、好き、好き……
この感情は君にとって重いのかな…?
考えがまとまらないままシャワーの水を浴びている。
一体どれくらいそうしていただろうか、シャワーの当たっていない部分が冷えて居るような気がしてきたのと同時にバスルームの扉が開いた。
「レイリ?」
シュノがバスルームを覗きに来た。
「あれ、シュノ…どうしたの?
寝てたんじゃなかったの」
「お前が戻ってこないから心配になって
もう一時間になるぞ、ほら身体もこんなに冷えて…」
腕を掴まれたと思うと、ぐいっとシュノの方に引き寄せられた。
「身体冷えてるからもうシャワーは終わりな」
そういってシャワーを止めてバスルームから連れ出された。
バスタオルで雑に身体を拭かれるのをぼんやりと眺めていた。
「レイリ、夢は所詮ただの夢だ。
俺には…言えない事なら無理に言わなくていい。
だがこれだけは言っておく、俺が愛してるのはレイリだけだ。
レイリ以外誰もいらない、レイリだけが居ればいい、そう思ってる」
シュノはいつでも僕の一番欲しい言葉をくれる。
不安になってシュノを見上げれば、少し困ったように微笑んでから頬に手をあててきた。
「シュノ…ぼく、ぼく……
こわい、夢を……夢だって判ってる、のに……
怖くて、それで……」
「そうだったのか。
ああ、それは夢だ。現実の俺はここに居てこうしてレイリを抱きしめている」
「そうだよね、うん…判ってるんだ。
あれは夢だった…夢、なんだ…。
シュノ、もっと強く抱きしめて。
息ができないくらい強く、骨が折れるほどに強く抱きしめて欲しい。
夢じゃないって、これが現実だって、痛みでわからせて」
シュノは困った顔をさらに困らせてから強く僕の身体を抱きしめてくれた。
ぎしぎしと骨が軋む位強い抱擁に僕は安堵を覚えた。
「ねぇ、シュノ……僕を置いて、居なくならないよね?
他の誰かの所、行ったりいないよね」
シュノが手を緩めると僕はがくっと床にへたり込んだ。
「あ、れ……」
腰が抜けたみたいに力が入らない。
「…身体を冷やし過ぎたんだろう、温めてやるからこっちこい」
バスルームからベットルームで姫抱きにされて運ばれると、ベットに横たえさせられた。
「こんなに身体を冷やして…。
心配になるだろ、それでなくてもお前はこんなに身体が小さくてほっせぇのに」
「…ん、ごめん…。
そんなに長く居たつもりはなくて…」
シュノがベットに入りながらぎゅうっと抱きしめる腕に力を込めた。
「シュノが……別の誰かの物にる夢を見た。
あの時みたいに虚ろなシュノが、僕が呼んでも何も反応してくれなくて…
でも誰かの声に嬉しそうに笑って差し出された手を取っていた…。
夢なのに、夢だって僕が一番よく知っているはずなのに…
怖かった、どうしようもなく怖くて、怖くて、堪らなくて…」
シュノは黙って僕を抱きしめる腕に力を込めた。
「そうか。でも大丈夫だ、それは夢でこれが現実だ。
俺はずっとレイリと一緒に居る、そばに居ない方が落ち着かない。
俺の可愛いレイリ、俺はお前の物でお前は俺だけの物だ」
「シュノ…誰の物にもならないで、ずっと僕だけ好きでいて、僕だけを愛して…
ぼく、今おかしくなってる、ごめんね、シュノを信じてないわけじゃないのに不安になって怖がって、僕は君の恋人失格だよね…」
そういってシュノの頬に手を添える。
「この体も心も全部シュノにあげたはずなのに…
空っぽなんだ、全部ばらばらに壊れて砕けてしまったみたいに。
ねぇ、どうしてだろう。どうして僕は何度も同じ過ちをり返すの?
バカみたい、もう嫌だ、もういや…どうして僕は……」
ボロボロと涙がこぼれる。
「ごめんなさい、もう辛くて、君を好きすぎて…」
「俺を好きなことが、辛いのか…?」
「違う、違うの、そうじゃないよ。
君を好きすぎて、君の周りの全てに嫉妬してる。
僕のシュノなのに、ちがう、そうじゃない!!
君を誰にも渡したくない!!」
小さな体を震わせて、涙を零しながらも漏らした悲鳴は俺への独占的な愛情。
狂気も似た憎悪すら孕んだ歪んだ愛情。
初めて会った時からレイリは実直で誰よりも正義感が強く、孤独だった。
愛情を一身に受けて育ち、突然それを全て奪われたレイリはずっと愛に餓えていた。
最初はそれが甘い理想論ばかりの現実逃避だと思っていた。
それでもレイリの細い肩に掛かる重圧を知った時、放っておくことができなかった。
15歳という年齢にしては余りにも無垢で未熟な精神を、傷ついて学習しながら適切な自分に塗り替えていく。
いつしか貼り付けの笑顔で穏やかな人柄も相まって、レイリの取り巻きは増えていった。
それはレイリが望んだ物ではなかったとしても、それを拒んだりはしなかった。
俺と付き合うまでは自分を殺して他人を受け入れていたレイリが、初めて俺に本音を吐露した。
「俺は、お前以外の物にもならない。
勝手に俺を手放すな、お前が俺の物でもあるんだから。
俺を手放そうとしても無駄だ、そうしたら俺はお前を攫って誰も俺達の事を知らない土地でも行く。
お前が望んでも逃がさない、お前がそれを望むはずがないと知ってるからな」
「…どうして、だって僕…僕は君みたいに強くない。
肉体的にも、精神的にも…だからもしシュノが…あの時みたいな事になってそのまま帰ってこなかったら、怖い。
遠征がそのまま永遠にさよならにるなんて、いや…いやなんだ。
僕の知らない君が憎い、君の全てを知っていたい、だってもう手放せないんだ。
僕は何もできない、なにも、なにも…」
両手で顔を覆って涙を零しながら震えているレイリの身体が何時もより小さく見えた。
「俺だって何でもできるわけじゃない、魔術に関してはからっきしだ。
もしお前が洗脳でもされて連れ去られても、俺はお前がしてくれたみたいに自分の力でお前を取り戻すことができない。
お前はただでさえその可愛い顔で貴族連中に愛想を振りまいてはつまみ食いされてくる。気に入らない、見ず知らずの男が俺の大事なレイリを傷つけるのが」
「……ごめん…でも、その……もちろんだけど、シュノと付き合ってからは最後まではしてない。
キスされたり、未遂とか…最悪口でするくらいで…最後までするのは、今はシュノだけ……」
「あたりまえだ、最後までしたら俺はお前を許さない」
レイリが腕の中でビクッと震えた。
「一生俺以外で満足できない身体にしてそんな考えすら起きない様にしてやる」
ああ、お前はどうしてそんな…
嬉しそうな顔をするんだ。
朝、目が覚めたらレイリが居ない。
昨日あれだけ鳴かせてやったのに仕事に出たらしい。
レイリは俺が居ないと仕事をしすぎるから、午後には隊舎に顔を出すかと思いながら暫くベットで微睡んでいると、玄関から誰かが乱暴にドアをノックする音がした、
暫くして、聞きなれた声がした。
「シュノー、居るんだろ、あけてー」
ツルのやかましい声に叩き起こされて玄関に向かうと、ツルがぐったりしたレイリをおぶって立っていた。
「どうしたんだ、それ」
「過労だって。シュノ、昨日の夕方帰ったから知らなかっただろうけど、実は王都の近くで小規模だけど魔物の襲撃があって、貧民街が被害を…。
レイリはそれを指揮して討伐に向かったんだけど…、被害が出て…。
酷い罵声を浴びせられて…。
レイリは全部隊長の自分の失態だから、叱責は全て自分が負うって…。
あ、これシュノには黙ってろって言われたんだった…」
ようやく合点が言った。
積もり積もった見ない振りしていた毒が昨日、とうとう悪夢という形で牙をむいたのだろう。
それは言葉の暴力で殴られ続けたレイリの心に亀裂を産んでしまった。
「溜まってた仕事も、やらなくていい分まで片付けてて…
俺、ちょっと働きすぎだって言ったんだけど、シュノが居ない家に居る方が落ち着かないからって聞かなくて…。
それに帰ってきたらシュノに一杯甘えたいから今から片しておくって…。
遅くまで明かりがついてたらしいし、隊舎の自室にも戻ってなくてソファーで軽く横になってたみたい」
ツルの小さな背中に背負われたレイリはぐったり意識を落しているが、眼の下に隈は見えない所から、休息はきちんと取っていたようだ。
「そうか、判った。
今朝も俺が寝ている間に仕事に行ってたみたいからな。
しっかりと甘やかしておく」
「うん、頼むなー」
ツルからレイリを受け取ると寝室に運ぶ。
パジャマに着替えさせていると、昨夜体中につけたキスマークに笑みがこぼれた。
お仕置きとして今日はトロトロになるまで目いっぱい甘やかしてやろう。
「あまり心配させるなよ、何かあれば俺がお前を守るからな」
眠ったままのレイリを抱きしめて額にキスを落とした。
夢をあまり見ない自分はレイリの苦しみや恐怖を理解できないことも多いが、せめてレイリが苦しい夢を見ている時に救い出せるように。
また夢を見た。
知らない誰かの手をシュノが嬉しそうにとって微笑む。
これは夢だ、そう判ってるのに恐怖で声が出ない、身体が動かない。
行かないで、たったその一言が言えずにいた。
僕も一緒に連れて行って、それがかなわないならいっそ逝かせて。
君のそばに居られないのなら、君の手で散らせて欲しい。
「…シュノ」
「呼んだか?」
不意に、ふわりと背後から抱きしめられた。
力強い腕できつく、きつく。
「……え?」
「そんな悲しそうな顔して、嫌な事でもあったのか?
俺が守ってやるから大丈夫だ、安心しろ」
これは夢なのに、居なくなったはずのシュノが僕をぎゅっと抱きしめてくれる。
「どうして…」
「お前は俺が守ると約束した。
レイリが苦しい時、辛いとき、悲しい時、何処へだって駆けつけてやる。
だからこっち向いていつもみたいに笑ってくれないか?
俺が一番好きなレイリの笑顔を見せてくれ」
「シュノ!」
振り向いて僕はシュノにぎゅっと抱き着いた。
「俺はレイリがどこに居ても絶対に迎えに行く。
絶対に離さないって言っただろ?」
「うん、うん、うんっ」
ぼろぼろと涙がこぼれるけど、それは温かくて、もう不安はない。
「シュノ、すき、だいすき」
精一杯笑いかければシュノが笑いかけてくれて、そこで目が覚めた。
「…あ、れ……なんで僕…」
今朝はシュノを起こさない様に隊舎に向かったはずだったのになぜか隣にシュノが寝ていて、僕も自宅のベットで眠っていて…。
「ツルが働き詰めでぶっ倒れたお前を背負って連れてきたんだ。
後でちゃんと礼言っとけよ」
眠っていたと思ったシュノが不意に僕を抱き寄せた。
「え、あ……あの…」
「今日はお前の望むままに甘やかしてやる。
言えよ、俺にどうしてほしいんだ?」
「あ、あ…シュノ、どこにも、いかない?
ずっと、一緒に居てくれる?」
涙があふれる。
僕は弱くて、こうしてすぐに不安になったりするけれど、それでも君は僕を愛してくれるいうの?
もう、シュノが居ない生活には戻れない。
シュノが僕の全てで、シュノが居ないと僕は自分すら保てなくなる。
「お前が何度不安になって同じことを聞いてきても、俺は何度でも同じことを言う。
レイリ、愛してる。俺は何があっても絶対にお前を独りにはさせない。
もう孤独におびえるな、俺はレイリを孤独にさせない」
「うん、うん………うんっ」
ぎゅっときつく抱きしめられて、シュノの愛情を、ぬくもりを噛み締める。
頭を撫でられて、額にキスを落とされる。
「シュノ、今日は甘やかしてくれるんだよね?」
「ああ、今日だけな」
「ふふ、じゃあこのままお昼まで寝坊しようか?
ぎゅって抱きしめて寝かせて欲しい。
また怖い夢を見たら夢の中まで迎えに来て、僕を掬い上げて?」
「レイリが望むなら、俺は必ずお前を迎えに行く。
安心して寝ろ」
「うん、それでね?お昼ご飯を食べに行きたい。
それから、昨日はなんだ不完全燃焼だったし一杯抱いて?
シュノで僕を満たして欲しい。気絶するほど強く抱いて」
「ああ、いいぜ。ほらおいで」
シュノが笑ってベットに横になると布団をめくる。
「ツルにお前を甘やかすって約束したから今日は徹底的に甘やかしてやるから覚悟しとけ?」
そういってシュノが笑って抱きしめてくる。
シュノは僕の心を解剖して適切につなぎ合わせる。
僕の壊れた心は何度でもシュノによって強固に繋がれる。
痛いくらいがいいんだ、現実と理解するために。