戦況に関して、審神者に送られてくる情報というのは端的な結果のみが伝えられる。
進む方向と事前に知らされるルートを元に、どの道から遡行軍の瘴気が濃いかを占い、それを指し示す。
そして敵との遭遇があればどのように倒し、どれだけの損害を受けたのかが簡素な数値で知らされた。
実際には刀装から具現化した兵を率いての乱戦になるのだが、ほとんどの審神者はそれを知らずに過ごしている。
だからこそ、緋翠は男士からの直接の報告と、場合によっては男士の目を通して記憶を垣間見ることを重視していた。
此度の現世への出陣は稀なことであり、そして思う限り最低の結果となった。
隊長を任じた五虎退は縮こまり、涙を零し、けれどその緊急性から手入れ部屋へ入る前にと緋翠へ報告を上げた。
同時に、隣り合う本丸から隊長を任じた一期一振も同様に場に列び、深く頭を垂れて消沈する。
そんな二人から記憶を見取り、直ぐさま手入れ部屋に放り込んで、今。
蝶の模様が描かれた煙管筒に口をつけ、紫煙を吐き出す。
片足を立て、そこに肘を置いて渋い顔をしている姿は雌雄のどちらとも言いがたい。
乱雑に、殺気立ち、緑の目を細めてぎらつかせ、まるで獣のような様相だ。
室内の畳が血で濡れて渇いていないこともまた、彼女をけだものに見せている。
「主、邪魔をするぞ」
「ああ……、来たか」
「三日月宗近、鶴丸国永、泛塵、お呼びにより参上仕る」
往時の気取らぬ態度のまま宗近が、跪座に頭を垂れた姿で国永と泛塵が襖の向こうに。
それらの姿を確認し、緋翠は再度煙管に口をつけ、紫煙を薫らせてから口を開いた。
「許す。ここへ」
普段の気安さはなりを潜めた、本丸を与る主としての気迫。
顔を上げた国永は一瞬眉を潜め、しかしすぐに笑みを象り平素と変わらぬ様子で血糊の上へ座り直す。
その後に泛塵も従い、宗近も鷹揚な笑みを浮かべて御前に跪座をした。
「部屋を整えてからでも良かったんだぜ?」
「ん? ああ……そうだな」
言外に汚れを厭う国永の言葉に空返事をしながら、緋翠は深く考え込む。
先の出陣で負った犠牲は、彼らにも既に通達されている。
鶴丸の違反行為に対しても、だ。
そもそも出陣を予定していた国永が見付かった時点でそれは知れていた。
帰還をさせなかったのは、囮がどちらの鶴丸国永でも構わないと審神者として判断したから。
「まずは、だ。鶴丸は隠行の術で国永になりすまし、此度の戦場へ無断で出陣した。近侍への報告や相談もなしに成されたそれは、俺への叛逆行為にも等しい」
「……っ」
叛逆、という生々しい言葉に泛塵が歯を食いしばる。
握り締めた手が白くなるほど力が込められているのを見たが、緋翠はひとまず彼を横目で一寸見るに留めておいた。
次いで近侍である宗近へ視線を送れば、一つ頷いて返される。
「この陣が内通者をあぶり出すための囮であることは、宗近と国永には伝えておいたな」
「ああ。だからこそ、俺が行くべきだと進言した」
「そちらは、俺は聞いておらぬがな。理解はしていた」
ぎりり、と歯ぎしりの音が静かに響く。
それを聞いて、緋翠はため息を一つ吐いてから煙管をくゆらせた。
「囮とは言っても、御守りを配備させた上で生き残るだろう布陣だったんだが。まあ、それは良い。混合部隊だったお陰で隊長格は帰還出来た。が……」
「向こう方の薬研藤四郎とこちらの鶴丸は破壊、だろう。やはり術式阻害のすべを持っているようだな」
「ああ。……俺が居れば、あるいは拾ってやれたんだが」
「あの時の加州のように、か? けれど、きみが戦場に顔を出すのは――」
「分かってるさ。今回に限っては、それでは意味が無い」
油断を誘い、二つの本丸に分けて配備した刀剣男士だからこそ、次の機会はないと行動することを予想した。
緋翠が居れば、契約をしるべに男士の魂を身の内に抱えて回収し、新たな刀へと移す事が出来る。
連結、習合といったものに似ているが、感覚としては式神を使うのに近い。
長く生き、陰陽師として技を磨いたから出来る禁忌に近い荒技だ。
「何にせよ、あちらの目的と思われた玉藻様の身はこちらが保護した」
「保護というと、政府に居るのかい?」
「いいや。玉藻の前は他の審神者、竜胆殿の親元。お山におわす」
首を傾げる国永に、宗近が首を振って返す。
相手は大昔の大妖怪、それも神に匹敵すると言われる力を持つ。
今の勢力バランスを簡単に覆すことが出来る御仁なだけに、扱いもまた繊細だ。
ひとまずは闇に生きる者の現まとめ役である山に任せるのが良いだろう。
そこまでを話したところで、緋翠は口を閉じて一同を見渡した。
本題は、ここから話す事にある。
「西の方の知識だが、ろぼっと三原則というのを知っているか?」
西洋の知識というのは、日ノ本の国で生まれ育った緋翠にも刀剣男士にも不慣れな分野であった。
けれど、この時代に存在しているのなら大なり小なり耳にはしているであろう、それ。
第1条:ロボットは人間に危害を与えてはならない。また、その危険を看過することによって人間に危害を及ぼしてはならない。
第2条:ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が第1条に反する場合はこの限りでない。
第3条:ロボットは前掲第1条及び第2条に反する恐れがない限り、自己を守らなければならない。
50年以上前に定説されたものであるそれを、何故に今、改めて緋翠が口にするのか。
「これらに酷似した則が、お前達を励起する際に刻まれている」
「不用意な力は新たな火種になり得るからなぁ。対策として理解は出来よう」
「まあ、俺達はヒトの器を使っているとは言え、結局のところ道具であり兵器だからな」
完全な自由を謳ってしまえば、新たな弊害になりかねない。
審神者と刀剣男士の間にどれだけの信頼があろうと、どのように契約を交わしていようと、必要な措置と言える。
それと同時に、刀剣男士は付喪神であり人より上位の存在だ。
則があろうと全てを縛る事は出来ない。
「けどな、唯一の例外が居た」
「……それが鶴丸、か」
今まで頑なに口を閉ざしていた泛塵が、小さく声を漏らす。
俯いた顔は表情が読めず、何を思っているのか分からない。
緋翠は小さく頷いて返し、宗近は僅かに目線を下げ、国永は、
「ぇ……いや、待ってくれ! それなら俺も同じだろう!?」
理解出来ない、というよりはしたくないと言わんばかりに、困惑に顔を崩す。
まるで今にも泣きそうなそれに、宗近が手を伸ばそうとして、静かに拳を握り込むのが緋翠からは見えた。
「お前の場合はな、まあ緩く考えると第2条に該当するんだ。自分が存在することで主に及ぶ危険を回避するための行動、とな」
「そんな……いや、確かにそうなんだが……」
「それに、口では刀解を望むことは出来るしそんな奴はいくらでも居る。けれど、主の許可が無くば不測の事態でもない限り、自ら望んで折れることは出来ない」
「この本丸ではそうだろうが、全てがそうであるとは言えぬだろう」
「まあな、そこは審神者の力量次第。ひょんなことから枷が外れて……なんてこともあり得る」
国永を横目に見ながらの宗近の言葉に、緋翠は軽く頷いて見せる。
そもそも、こちらがそのようにお願いしている立場なのだ。
何事にも絶対は存在しない。
「けれど、何事にもきっかけというのは存在する。……狂うには、それなりに理由があるんだよ」
苦々しく、緋翠は言い切る。
己の子供のように思っていた相手を失ってなお、狂うことも出来なかった故に。
己の子供のように思っていた相手が最愛を失い、狂気に身を堕とした故に。
どれだけ強かろうと、弱かろうと関係無しに。
ともすれば歩む道を踏み外すのにも似て突然に、そうなるのだ。
「あの子の有り様は、今思えばお前達よりも俺に似ているのかもな」
「主に……?」
「己が良しと判断さえすれば、誰に何を言われても、どんなモノを犠牲にしても構わない。……それこそ、我が身さえ」
「鶴丸の献身は、自己満足の自己犠牲だと?」
消沈する泛塵と国永を後目に、宗近のそれに肩を竦めてみせる。
機械的というには感情的で、感情よりも本能的なまでの愚直。
「あの子が何を考えていたかは、泛塵が知ってるんじゃないか?」
鶴丸とその時間を、最も多く共に過ごしていた"兄弟刀"へと視線を向ける。
そして本丸内で国永を落とし穴にハメ、時間を稼ぐなどをした協力者でもあった。
けれどそれを理由に泛塵を咎めるつもりはない。
だが、"自分"がどれだけの影響を与えていたのか、そして与えられた事柄に、納得するための場だ。
前へ進むも、後ろへ退くも、理解ではなく納得しなければならない。
少なくとも緋翠はそうやって生きてきたし、それが与える影響を知っている。
だからこそ、今目の前に居る三人にはそれが必要だと思ったのだ。
「泛塵はそいつらに、鶴丸のことを話しとけ。俺は少し休んでくる。……それが終わったら解散な」
言うだけ言うと、あとは我知らずとばかりに緋翠は部屋を後にした。
しばらく沈黙が場を支配したが、やがて泛塵が小さな声で語り始める。
「鶴丸は、僕を……この塵を、何度でも拾いに、会いに行くと、言ってくれた」
「それは、そなたの来歴か?」
「泛塵は確か、真田の……持ち主の死後に暫くしてから山から売りに出された、とか」
「そうだ。あの時代、人の命は儚く、明日をも知れぬものだったが……それは僕らとて同じ。使わないのであれば、ごみと同じ。あとは塵になるだけ」
明日をも知れぬ、それは宗近と国永にはよく理解出来た。
奇しくも千年の時を生きながらえたが、その都度持ち主を変えている。
刀の中には所在の分からなくなった者や、破壊された者が居た。
泛塵もまた、真田信繁という武将に重用されたがその後は高野山に捨て置かれ、売りに出されて後は消息不明だとされている。
「悲しいとも、良かれとも思わない。ただ、そういう物だと」
「そうだな。どのような者に使われようと、どれだけ褒め称えられようと、形ある物はいつか壊れる」
泛塵の言葉に宗近も微笑みと共に頷いた。
国永も同様の思いを持ちながら、けれどそれを宗近が口にすることだけが気に入らない。
彼にとって三日月宗近は師が憧れ、己に課せられた目標であり、生き方は違えど自分の前からある不変の者だった。
己の前にというなら三条の者全てに言えることであり、他の刀も居たが、国永がとくに意識をするのは宗近だけ。
そんな彼がいつかくる終わりを微笑みで口にするのは、胸がざわついて面白くない。
「全ては玉響だ。……けれど鶴丸は、」
目を閉じ、泛塵は鶴丸と二人で話した時のことを思い起こす。
いつかの内番で、畑を見ていた合間に休憩で木陰に腰を下ろした時のことだ。
口数のそう多くない泛塵は、鶴丸の話を聞くことが多かった。
白く輝く銀の髪を風に遊ばせながら、彼は笑っていた。
鶴丸はあまり多くのことは知らないという声を聞いて、泛塵が自分の来歴を話したのだ。
『たまゆら、って何だい?』
『刹那、瞬く間だ』
『ふーん? ……よく分からないけど、それなら俺が拾いに行くよ』
『拾い、に? だが、主がそれを拒めば……』
『そっか、本丸に連れてこれないな。じゃあ会いに行く!』
『何故、僕にそこまで……。主に逆らうつもりか? "兄弟"のよしみとでも言うつもりか』
『ん? 逆らってないって。それに泛塵は俺の弟だけど、そうじゃない泛塵も居るだろ?』
『っ……この塵めの全てを、集めるつもりか? 何故、そこまで固執する?』
『だって、泛塵は良いやつだ。少しの間っていうなら、笑ってた方が良い!』
柔らかく、そして幼さの残る満面の笑みだった。
一人よりいっぱいの方が良いだろうと、名案だと蜜色の瞳を輝かせて語っていた。
もし本当に、あの頃の自分の元に鶴丸が来てくれたなら……きっと、嬉しい、と思う。
そう思えることが今あることに、泛塵は胸が温かくなるのを知った。
嗚呼、これはきっと、感情だ。
とても温かくて、優しい、今まで知らなかったけれど、不快ではない。
鶴丸はいつだって優しくて、どこか幼くて、そして体中、心底楽しいのだと伝わってくる生き方をしていた。
そして、国永の指令のままに宗近の為にあろうと熟考し、宗近が笑顔で居るためには国永が必要だと考えは帰結し。
泛塵は鶴丸の頼みに、手を貸した。
「鶴丸は、宗近様には笑っていて欲しいと言っていた。それが自分の意味だと」
「……そんなことをさせる為に、俺はあの子を呼びだしたんじゃない」
悔しさの滲む声で、国永が言葉を絞り出す。
鶴丸には自分の後継を頼むつもりだった。
宗近が鶴丸国永を望むというなら、完璧なそれを。
そのつもりで鶴丸には宗近の為に在れと言い置いていた。
分霊が己の分身を作る代償として、国永の魂を苗床に鶴丸に魂が宿るようになっている。
国永の全てを踏み台に、鶴丸は完全な存在となるようになっていた。
「あの刀は、その始まりから犠牲となることを受け入れていたのだと思う。覚悟を決めていた訳では無く、当たり前のことと受け止めていた」
息をし、朝起きて夜に眠るのと同じように、折れることを当たり前とする。
それは刀としてはあまりにつたなく、人と言うには歪過ぎた。
歯止めとなるはずの理性も、刀としての則も利かなかったゆえに自滅を選んだ。
誰がそれを望んだわけではなく、道具としては致命的な欠陥だ。
「貴方達の間に何があるのか、僕は知らない」
鶴丸が何を知り、どう感じ取ったのか、側で見ては居たけれど泛塵には理解が及ばない。
本丸に居る全ての者が笑えるから、これで良いのだと鶴丸は言っていた。
その中に彼自身が含まれて居なかったことを、泛塵は哀れだと思う。
「けれどどうか、鶴丸……鶴丸の兄上が望んだよう、笑って頂きたい。今は辛くとも……」
「あに……そう、だな。あの子は、きみの兄で……俺の、弟、だった……」
尻すぼみになる言葉と、俯く顔が国永の乱れる心情を表していた。
後悔、沈痛、それらの感情がない交ぜとなっているのだろう。
「鶴丸の兄上は、恐らくだが……貴方にこそ、笑ってほしかったのだと思う。国永の兄上」
鶴丸に倣い、国永様と呼んでいた呼び方を改めた。
本当は鶴丸が一番、国永を兄と呼びたかった想いを汲んで。
宗近と国永に向き合うように正座で座り直し、三つ指ついて頭を垂れる。
「不敬を承知で申し上げる。鶴丸兄上を憐れと思うなら、覚悟を持って決着を付けて頂きたく」
それ以上の言葉を募ることもせず、泛塵はただ頭を下げ続けた。
一度目を閉じた宗近は笑みを無くしてただ沈黙し。
国永はない交ぜの感情に混乱をしていて声を掛けるどころではないが、覚悟を、という言葉にビクリと肩を跳ねさせて俯いた。
泛塵と国永、二人の様子を見ていた宗近は、緩く微笑みを浮かべ直してから胡座のまま泛塵に頭を下げる。
それ以上は誰も何も口にすることなく、場を解散するに至ったのだった。