甘い物はおいしくて、ふわふわしてるものは気持ち良くて、丸の中には幸せがいっぱい。
哀が教えてくれたいっぱいの幸せ。
「おにいちゃん、ドーナツはどうして真ん中がないの?」
「え? うーん、どうしてかな……」
ロードとティキがドーナツっていう甘くて美味しいのを持ってきてくれた時のこと。
私はどうやって作ってるのか、なんでこの形なのか不思議に思った。
ロードが持ってきてくれた本は、計算が一杯だったり、ご飯の作り方だったり。
お花を育てる本が欲しいって言ったら、用意してくれたもの。
ティキはシュクダイを混ぜるなって言ってたけど、シュクダイって何だろう。
「そりゃあ、一番美味い部分だからドーナツ屋が独占してんだろ」
「え、本当?」
「いや、知らねぇけど……」
「ティッキー、嘘いくなーい」
ぶーぶー、って口を尖らせてロードがブーイングをする。
嘘だったの?って首を傾げたら、哀が表情を明るくした。
「それなら、ドーナツの真ん中には幸せが詰まってるのかも知れないね」
「しあわせ?」
「うん、パンケーキもお菓子も、真ん中に一番美味しい物が乗ってるでしょう?」
言われて思い出すのは、ロードが用意してくれたカップケーキ。
甘いクリームがのってて、時々果物とか栗とか入ってる。
思い出すだけで胸がぽかぽか、ふわふわしてくる。
「まんなか、しあわせ?」
「うん、幸せが詰まってるんだよ」
「まんまる、しあわせ」
美味しくて嬉しくて、だから丸は幸せが一杯なんだって言われて何度も頷いた。
同じくらいの子と、大きな子、数人が集まって体がくたくたになるまで訓練をする。
他の子は"鴉"になるため。
ヴィオレはけれど、"鴉"にはなれない。
暗い部屋に縛り付けられてる間、ずっと聞こえてた声の人物。
ルベリエという長官が言うには"カナリア"にしかなれない、と。
カナリアは、鉱山労働者が毒ガス事故に遭わないようにする為の先遣の鳥。
鳴くのは危険を知らせるその時だけの、人を助けるために犠牲になる小鳥。
同じ鳥、主の手足なれど、犠牲になる鳥と、主の目となる鳥。
"カナリア"になれるのは、アクマを引き寄せる事が出来るヴィオレだけ。
髪の毛が、血が、声が、そこに居るだけでアクマの好む香りと、音になる。
故にヴィオレは、人の前を立つための訓練を続けた。
痛くて苦しくて泣きたくなっても、泣いてはいけなくて。
他の人から隔離され、同じくらいの子供達から睨むように見られても。
訓練以外は暗い部屋に戻されて、白くて仄かに光る女神像にお祈りをする。
体が重くなる術を使われて、訓練で怪我をして、引き摺るように女神像の前へ行って讃美歌と祈りを捧げる。
少しでも長く立って、動いて、生きる。
ただただ、居なくなるその日まで、少しでも長く。
運が良かったのは、"カナリア"になる為のおクスリで体が丈夫になった事。
運が悪かったのは、"鴉"が使う術式のほとんどを私が使えなかった事。
一年、二年と過ごすうちに、見習いの子供達はどんどん成長して色んな術を覚えたり体も大きくなっていく。
私はどんな状況でも怪我をせず、した場合は痛みに耐えて、声を出さない事を求められて。
血が出るような怪我はすぐに処置をする為に、応急手当の仕方を覚えた。
同じ年に見えた女の子が女性らしく成長をして背も高くなった。
なのに、私の背は伸びなくて、体付きも変わらない。
でもだからこそ、変化のない体は間合いを完璧に覚えられるし、逃げ方も分かっている。
リンがソレと話をしたのは、一度だけ。
訓練の合間、丸い握り飯とわずかなおかずを食堂で口にしていた時。
自分たちとは離れて座る小さな子供も、同じ内容を食べている事を観察していた。
子供は白い髪に紅い眼をしていて、下の子供と同じ11歳になっても見た目は出会った時のまま。
成長期であるはずの年頃なのに、時が止まったように変わらない。
指導官からはあまり関わるなと厳命されていて、名前も知らない。
他の子供は訓練の後も同じ雑魚寝部屋へ押し込まれるけれど、その子供を見たことは一度も無い。
何一つ術も覚えられないソレを、子供達は出来損ないだと認識していた。
どんなに覚えが悪く、成績が良くなくても、あれよりはマシだと。
成長をせず戦力にならず、逃げ回るしか出来ないあれは劣っていると。
微かな愉悦と、仲間意識だけが子供達を支えていた。
だから余計に関わろうとは思わなかった。
けれど、ソレが食事を前にして戸惑い、手を迷わせた上でまずおにぎりを口にし。
今度は暫くしてから、ほんの僅かに眉間の皺を深くしておかずに手を出している。
思い出せばいつもそうだった。
「にぎり飯が好きなのか」
気が付けば吐き出す息に紛れ、声が出ていた。
フードを目深に被ったソレが振り仰ぐ。
後ろに立っていたリンを見上げる瞳は丸く、まつげまで白い。
何より驚いたのは、その目の赤さと年に似合わぬ暗さだった。
どんよりと昏く濁り、ガラス玉のようにリンを映している。
一度手元の、そう大きくはないのに端が欠けた程度の握り飯を見てから、首を横に振った。
その様子を見てからリンは何となく思い付いた事を、今度は自分の意思で口にする。
「なら、丸が好きなのか」
ソレはゆっくりとリンを振り仰ぎ、瞬きをする。
そして小さな口が震えと共に開かれて、
「リンにいさま!」
同じ子供、テワクという少女に呼ばれた拍子に閉ざされて視線が逸れた。
もう振り返ることも、意識を向けることもないと気付いてリンもまた歩き去る。
少しだけ、その声を聞いてみたかったと思いながら。
私、ヴィオレがイノセンスに適合したのは12歳の時だった。
多分、そのはず。
生まれてからずっと似たような子供達の中で過ごして、その中から私だけが生き残って。
別の子供達と同じ訓練をしながら、"カナリア"としての調整も続けて。
それだけの生活の中で、急に訪れた変化。
イノセンスが反応している。
数日前に分かって、"鴉"の中から適合者が出るかも知れないと言われた。
元帥が運ぶそれが届くのを待ちながら訓練をしていたら、炎羽による大火傷を背中に負って。
痛いけど、苦しいけど、倒れるほどじゃない。
骨まで大きくえぐれたらしいけど、焼けたから血は止まっていた。
怪我をしたのが、私で良かった。
ヴィオレはカナリアだから丈夫で、大きな怪我も小さくて済むから。
そうじゃなかったら、鴉の子供達は一人居なくなってたかも知れない。
だから、良かった。
それでも痛くて、苦しくて、熱くて、気持ち悪かったから、部屋に戻った時に女神像にお祈りした。
すごくいたくても、がまんします。
くるしいのも、がまんします。
いなくなるまで、は、いても良いってことだから。
わたしの、たったひとつの、いばしょだから。
あなたがいのりを、あいを、もとめるなら。
わたしはいのりを、うたを、あいを、ささげます。
だから、だから……あいしてください。
あいを、ください。
わたしが、いなくなる、その日まで。
ずっとずっと暗い部屋でお祈りをして、目を開けたら光が見えて。
光りを温かいと思ったら、私はいつの間にか眠っていた。
目が覚めたら、体中が痺れて動かなくて、懐かしい感覚だった。
知らないしわしわの男の人と、長官が話をしている。
実験素体、ダークマター、適合、咎落ち、色んな意味の分からない単語が並ぶ。
日にちの感覚がないからどのくらい話していたのか分からない。
けれど、動いて良いと言われた時には背中の傷は治ってた。
イノセンスが治してくれて、背中に宿ってるって言われた。
十字架に、赤いお花が絡んでるって。
チュウゴクって場所で見れる、彼岸花だって教えられた。
ひがんばな。
悲願のお花?
あいしてくださいってお願いをしたから、かみさまがあいしてくれたのかも。
感謝をして、その身を捧げなさいって長官が言うから。
はい、いなくなるまで、立ちつづけます。
それが私の、ヴィオレの役目だから。
声は出しません、アクマの前へ行くまでは。
余計に動いたりしません、アクマの姿が見えるまでは。
痛くても苦しくても気持ち悪くても熱くても冷たくても怖くても、ぜったい逃げたりしません。
守らなきゃいけない誰かのために、ヴィオレは前に立ちつづけます。
お祈りをささげて、長官がエクソシストになりなさいって許してくれて。
私にイノセンスの使い方を教えてくれる元帥がきてくれるまで、師匠が出来るまで訓練を続けて。
「どうしてお前なんだ!?」
「よせキレドリ!」
「だって、だってマダラオ……っ! あの子なんて、死ぬしか無いのに!」
途中でそんな風に怒られたけど、困って何も言えなかった。
ヴィオレが出来損ないで、劣ってて、他の子供達が選ばれた方が良いのは分かってる。
けど、かみさまのあいが嬉しかったから。
居なくなるまでは、ゆるしをもらえたから。
ごめんなさいは違うし、がんばるも違う気がするから、何も言えなくて。
だから一番おとなの子供が口にした、
「多くのアクマを引き付け、より多くのアクマを破壊しろ。そして死ぬときはイノセンスを残せ」
って言葉に、頭を下げるだけで応えた。
すぐに師匠がきて、私は引き取られることになったから、子供達と会うのはこれが最後になった。
出て行く時に、教えられたこと。
私はヴィオレ・シープっていう名前で、12歳で、カナリアで、アクマを引き寄せる。
アルビノだから白くて、お日様の下ではフードが必要で、人より少しだけ軽い。
師匠はソカロ元帥で、戦うのが好きだから、ちょうどいいんだって。
「行くぞチビ」
笑ってギザギザの歯を見せる師匠に、後ろをついて歩いてく。
師匠の腰より背が低いから顔がほとんど見えないけど、走れば追いつけなくもない。
ヴィオレがエクソシストになったのは、この一年後。