自分が望むぐらいのものなどたかが知れていた。己の想像の内から生まれ出てくることは、大概が劣化した何かのコピーだった。それを声高に、作り出したものだ、何よりも目新しく斬新だ、と好き勝手ラベリングして吹聴するぐらいなら、何も見ず、聞かず、手の中は空っぽにして、妄想だけに止めておけば良いのだ。言葉にしなければ、知っているのは自分だけだった。自分の意識と記憶だけが、望みを脳内で具現化し、可視化してくれる。便利なミニシアターであるヒトの脳みそは、知り得た情報や知識を組み合わせて、人には決して言えないような事柄を、ショートショートの妄想フィルムを作り出してくれる。それで満足だった。少なくとも今まで生きてきた時間の中で、それで事足りる充足感を得ていたのだ。
唐突な事件が起こるのは、何もフィクションの中だけではないのだと思ったのは、身近でリアリティを感じなければ分からないのかもしれない。治安の悪い東岸区域で暮らしていると、厄介な事件や不穏なDD職員の動きをニュースや紙面で見ることはあった。だが、自宅の近辺で不審物騒ぎになったのは初めてのことだった。危険だから離れて、と指示を受け、立ち入り不可になった自宅裏の路地裏へ、重装備の爆弾処理班が入っていくのを遠目で見ていた。まるで映画みたいだ、と近所の住人らが口を揃えて言っているのを耳にして、現実なのだと実感が湧く。誰かが何らかの目的の為に、汚いゴミ捨て場に近い路地裏へと爆発物を作り出して仕込んでいる。明確な殺意の有無はともかく、何か騒ぎを起こしたい理由は分かった。犯人の主張はそこにあるのだ。手の中は空っぽにして、妄想はすれど実行に移さなかった自分とは違って、犯人は誰かを動かしたのだ。
気付けば汗をかいていた。下がって、と規制線を張る職員の言葉が遠く聞こえる。実際に、誰かに迷惑をかける感覚はどういうものなんだろう。波風立たせず生きてきた自分には、よく分からないものだ。緑色の防爆スーツを着込んだ大きな職員が、路地裏に消えていく。爆弾を作って、注目を集める気持ちとはどんな感覚なんだろう。そればかりは、妄想だけで留めておけるようなものではないのかもしれない。知識のみ、情報のみで作り上げる塔にしては、あまりに複雑で、実績がなければすぐに倒れてしまいそうだ。
「下がって!」
腕を捕まれ、規制線から下がらされる。着の身着のままで来たせいか、冷たい冬風に晒されて指先まで冷たくなっていく。クロックスサンダルに包まれた素足は、みっともなく脂肪に包まれている。たった一本の黄色い線が張られているだけだと言うのに、境界線はあまりに遠く、高いのだ。