ノイン区を抜け、グレンジア区に入った途端荒れた舗装が目立ち始めた。ベッドタウンであるノイン区は行政も少しは金をかけて手入れをしているが、一方のグレンジア区はこの様だ、仕方ないと言えば一言で終わるが速度が出ている以上危険極まりない。
ザカリアは不安定なタンデムシートで重心を取るので必死だった。そもそもこのバイクは二ケツしていいものなのだろうか、普段から収まりが悪いリアシートに無理矢理ケツを入れてはいるがどうにも乗り心地は悪い。スピードを出さなかったらまだ街乗りは可能だろうが、今は速度計を見たくないぐらい風を切っている。キェル!と運転手に叫ぶ。
「何キロ出してんだよ!飛ばし過ぎだろ!」
「130、まだ飛ばせるぞ」
「後ろのこと考えやがれ!!」
ザカリアは暴風の中相棒の背中をばしばしと叩いた。左片手がハンドルグリップから離され、分かった分かったとでも言いたげにひらひらと振られる。瞬間エンジンが生き物のような声で唸る。ザカリアはこのバイクの納車の際に、珍しくキェルが笑いながら長台詞で解説してくれたのを、それこそ走馬灯のように思い出した。
レーシングカウル、水冷四気筒、類希な剛性と不釣り合いなフロント&リアサスペンション、「メイドインジャパン」のお墨付き、戦闘機のエンジンを作る"カワサキ"独自のスーパーチャージャー機能搭載の爆裂な推進力、まさに待ち望んだモンスタークラスが来たのだと。新たな玩具が手に入った子供のように少しはしゃいでいたような気がする。
黒光りするミラーコートは細かな傷がついてはいるが、生活能力ゼロのキェルにしては丹念にメンテナンスしてある。こいつは大事なんだ、と珍しい言葉を吐いていたのも何となく覚えている。今そんなことを思い出すなんて、とザカリアはキェルの重心移動に合わせて身体を横倒しにする。搭載されたスーパーチャージャーが甲高い音を立てている、アクセルを回しフルスロットルで回転数を上げているのだ。景色が見えない、ザカリアはキェルの腰にしがみついている。
「180」
まだ出せるぞ、と狂ったモンスターバイク乗りはフロントシートで笑っていることだろう。
「俺が吹き飛ぶ!!」
「大丈夫だ、吹き飛ぶときは俺も一緒だ」
「勘弁しろ!!」
縁起でもない言葉をひとりごちたキェルは、ザカリアの苦情を聞かぬまま、グレンジア区のメインストリートを抜けていく。黒と緑のバイカラー、Ninja H2はコーナリングも軽々とこなしていく。だが、メインストリートから一本、また更奥に行こうとする度に車線規制、通行止めが増えてきた。キェルは車体の速度を落とし、小石まみれの路肩に停めた。アイドリングさせたまま、携帯端末をポケットから出す。ザカリアは死のライドから生還しぜいぜいと息を切らしていたが、すぐに持ち直す。
「規制が多いな」
「まァそうだろうよ。避難もだいぶ進んでるみてェだけどよ、急がねェと」
アクセスが集中しているためネットワークが上手いことリンクしない。キェルが舌打ちをしてネットワークへのトライをしたとき、二人のバイクとは違う機械音が近付いてきた。ザカリアは振り向く。両眼でんん、と見つめる。見覚えのある姿形だ。ベッタ・トリット。東岸の同僚だ。恐らく彼女も、この騒ぎに駆け付けた一人だ。ザカリアはいい所に来たぜ、と手を上げて乗り出す。
「ベッタちゃん、急いでるとこ悪ィんだけど、通行止め地域って分かるかァー!?」
ザカリアの大声に負けず劣らず、ベッタは怒鳴り返すように声を張った。
「28丁目ぇ!」
そのまま方向を変え、彼女自身は恐らく25丁目方面の道へと消えて行く。あのバイクならば通るであろう道だ、ザカリアは聞くこと間違ェたかな、と小さく呟いた。どの道が今のところ使い物になるかを聞けば良かった、と今更後悔の念が押し返す。
「アクセス出来たぞ」
と、キェルは煙草に火をつけながら、端末の画面を見せた。グレンジア区娼館街通りは軒並み赤く記され、SEALEDの文字が点滅されている。メディア野次馬便乗する愉快犯、カルテル等々の出入りを極力抑える為の苦肉の策だ。こうとなったらDD実働部隊も中々自由には動けない。ついでに言うと情報は錯綜し、中央からの指令指示、東岸内での指令指示もごちゃごちゃになっているようだ。
ザカリアは画面を睨み、眉間に皺を寄せる。
「…初動が遅かったんだな」
「東岸はいつもそうだ」
「あの能天気中年親父がまともじゃねェからだ」
「総長のことか。保守主義なのは一向に構わないが、保身し過ぎて身を滅ぼしかねないな」
呑気な言葉を放つキェルは、煙草を咥えてグローブをぐ、と締め直す。ハンドルグリップを握ると、ヴゥンと四気筒が命を吹き返す。
キェルが言うことは尤もだ。唐突に起こった事件に対し、わざと時間をかけることである程度の規模を把握し、DDの損失を減らす為「最小人員精鋭部隊を投入する」のは、戦略的に見て間違いはない。だが一方で守るべき市民の損失が比例する確率は上がる。初動が早ければ早い程、失われなくても良かった命を助けられる可能性は高くなる筈だった。それがこの様だ。もし精鋭部隊を全区画に配属するだけの余裕があったら話は別だが、人員不足のDD機関はそうもいかないのだろう。
ザカリアはキェルの腰を抱え直し、車体にぴったりと引っ付くとキェル、と呼んで言葉を吐き出す。
「俺達の仕事は、あくまで爆処理だ」
「そうだな」
「銃撃戦に応戦するかしないかのどちらにせよ、任された仕事とは違う」
キェルがフロントシートで吸っている煙草の煙がふわふわと揺蕩う中、ザカリアは続けた。
「この銃撃戦の最中、もしも別の事件が並行したら、どうなると思うよ?」
「どこもかしこも祭り騒ぎだな」
「俺が犯人だったらそう目論むぜ。…最近は不審物もやたらめったら多いし、な」
改造された家電にぶち込まれ、ご丁寧にラッピングされてあった爆発物処理事件を思い出す。あれは手馴れた者の犯行だ。この事件の連鎖と何かしら関係がないとは言い切れない。ラブレター、という犯人を頭の中で思い返しながらザカリアは低く声を出す。
「一旦支部に戻ろう」
「ここまで来てか」
「俺は得策じゃねェと思う」
何せ銃の一丁もねェ非武装だぜ、とザカリアは付け足した。相棒の顔は見えず、広い背中ばかりが視界に映る。吸い切った煙草を携帯灰皿に入れたらしい。が、キェルは数十秒思案した後、唸らせたバイクをギュギュギュ、と方向転換させて走り出した。来た道の方向だった。
ザカリアは思わずキェルの背中にフルフェイスごと強かに頭を打つ。
「急に、走り、出すんじゃねェ!」
「お前の直感は良く当たる」
「…」
「爆処理のときもそうだからな」
掠れた声が事実だけを述べた。
もうずっと隣にいるのが普通だった。それが当たり前で、同じ空気を吸い、同じ生死の境界線を綱渡りしてきた。その長年の経験と、腐り切った上の情報を比べるのならば、前者を優先させる気持ちは理解出来た。知識と技術と経験だけでどうにかするのが爆処理だが、そこに直感というあまりに不釣り合いな要素も関係してきているわけだ。
ザカリアはキェルの言葉を耳にしながら鼻で笑った。クソ頑固、人の話は聞かない、喋ってる話は脱線する、爆処理以外はてんで駄目な駄犬野郎の頓珍漢だが、たまにはいいとこ見せるじゃねェか、と。
「へ、褒めても何も出ねェよ!」
「何も期待していないぞ」
「クソッタレ、キェルお前なァ、急かした責任取ってコーヒー奢れよ!」
「缶コーヒーでいいな」
キェルの返事にザカリアは背中を再三叩いた。
ハイスピードでグレンジア区の道を抜け、ハイウェイに乗る。Ninja H2の影がひらりひらりとコーナリングに差し掛かり、黒い弾丸のようにノイン区への直線道路を駆け抜けて行った。