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Cleaner(前編)/キェル+ザカリア

定期的に我が家には家政婦がやってくる。我が家と銘打ったが実質借家だし、家政婦と言っても雇われ掃除屋でもないただのザカリアなのだが、どうにも奴は汚い生活空間に我慢ならないらしく、部屋が汚くなった頃合を見計らって家を訪ねてきた。スパンで言うと一ヶ月に一度程。沢山ある灰皿全てが山盛りになり床に溢れ出すぐらいだ。同じヘビースモーカー同士、どのくらいで灰皿が使い物にならなくなるのかを知っているのだろう、ザカリアはそういう男だった。嫌というぐらい(続けているという事実がある以上嫌ではないのだろうが)部屋の掃除をしているからスパンが分かるというのもあるが、今晩暇か?と気軽に酒を誘うノリで掃除道具片手にやってくるのだ。
仕事が早く終わり、準備万端のザカリアをバイクの後ろに乗せ、ノイン区の自宅へとキェルは向かった。閑静さとは程遠い、危うくグレンジア区との境界線を跨ぎそうな場所にある自宅は、鉄筋コンクリート造の普通のアパートだった。集合住宅が集まるベッドタウンに埋もれ、そこまで古くはないが小綺麗な外観でもない。雨風が凌げてそこそこ広さがあるベッドが置ければ何でも良かったのだろうと、キェルは今更思っていた。共同駐車場にバイクを止めてエンジンを切り、ヘルメットと荷物を持って外階段を昇る。一番端の角部屋に到達すると、鍵を差し込む。後ろで今か今かと待ち構えているザカリアが小さく笑った。
「今日はすっきりさせてもらうぜ、相棒」
ザカリアは時々聞き手が戸惑う言葉を自然に吐く。俺がゲイではなくて良かったな、と理解していないザカリアの肩を叩きながら自宅の玄関を開いた。
篭った自宅の空気は暫く換気していないものだった。毎日帰ればきっとそうはならなくなるのだろうが、知人宅(ザカリアやナヴィドが多い)、娼館、モーテルを梯子するとなると、意外と家を留守にする期間が多くなる。雑然と散らばった衣服、山盛りの灰皿、煙草の香りで充満したリビングルームを眺めたザカリアは、いつぶりだ、と肩を回した。キェルはポケットから出した煙草に火を付けながら、記憶を遡る。
「確か9日ぐらい空けていたな」
「煙草を吸うんなら窓を開けやがれ!」
「待て、問われた内容を答えただけだぞ」
「換気扇回してっから大丈夫とでも思ったのかこの駄犬野郎!」
きったねェなクソが、と誰に対する罵詈雑言かは知らないが、ザカリアは酒瓶の山を踏み分けながらベッドの横、ベランダに通じるカーテン、それから窓を開け放つ。夕方の西陽が差し込んできて思わずキェルは目を細める。使われたことが殆どないようなダイニングキッチンへ赴くと、換気扇をつけて灰皿を置く。吸殻が落ちたが、恐らくザカリアが処分してくれることだろう、と他人事のように一服を始めた。
そもそも他人の家の掃除など、無償だと言うのに何故するのだろうかとキェルは疑問に思っていた。世話焼きだから、綺麗好きだから、とザカリア自身の性格を考えた上で出した結論ではあまりに根拠がない、根拠として成り立たない労働だと感じる。対価が支払われないことに対して、ザカリアは文句の一つもなく、善良なボランティアではないがそれに近しい行為をしているのだ。それこそ献血に行かない男の癖に、だ。
労働する対象が俺だからだろうか、と有りもしない仮定をキェルは考えた。だがザカリアは仲のいい知人宅を整理整頓したことがあるという話を耳にしたことがある、特定の個人だから、だけで全ての理由付けにするのは焦燥だろう。
強いて付け加えるのならば、自分自身でやってやったという献身的行為の押し付けだ。それが"正しい"と考える強者が与えてくる、勝手な思想だ。…嫌悪感を抱くかどうかは人それぞれだろうが、キェルからしてみれば棚からぼた餅ではないが、得でしかない。ザカリアへの絶対的な信頼は、向こうからもイーブンの状態で帰ってくるからだ。
キェルはてきぱきと掃除をこなすザカリアを眺めながら、短くなった煙草を灰皿へと押し付けた。相棒の頭の中を完全に理解することなど不可能だ。たとえ口頭で聞いたとしても、嘘か本当か分からない言葉で有耶無耶にしてしまうこともある。からっと晴れた太陽を思わせる癖に、その熱は時に人を焼き殺してしまいそうな程の激情を秘めている。爆処理専門学校からの長い付き合いだったが、ザカリアについては理解出来ない部分が案外多かった。
「キェル」
呼ばれ、キェルは顔を上げた。粗方片付いた自室は見違えるように磨かれ、思っていた以上に考え込んでいたのを察した。ザカリアはゴミ袋を片手に、溜め込んでいた吸殻をがさがさと放り込んだあと、床に散らばっていたコンドームの亡骸を摘んだ。
「ゴミ箱ねェのか、お前ん家は」
ぷらぷらと揺れるピンク色のコンドームが、時計の振り子のようだと思えた。キェルは周りを見渡すと、ないな、と肩を竦めた。
「いつもゴミ袋に直接入れていた」
「だったら今度ゴミ箱買いに行こうな」
「必要は、」
「あんだろがよ。次来た時に使用済みのゴムが転がってたらただじゃ済まねェからな」
ここは俺の家だ、とキェルは言おうとしたが、自分のことより他人のことでピリピリするザカリアに、今何か言ったところで無駄だと悟った。今キェルが出来ることは、掃除をし終わったザカリアに向けて、冷えた瓶ビールを開けて渡してやることぐらいだろう。キェルは水とビールしか入っていない冷蔵庫を開けて、キンキンに冷えたバドワイザーを二本取り出した。
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無題/同書き出し即興(withカイさん)

日が落ちるのを見ていた。変わらず迎える一日の終焉は案外呆気ない。時間帯、または季節によっては同じ日を眺められるとは限らないと知っている、それでも習慣と化した日没の観察はずっと続いている。勿論雨が降ればそれもおじゃんだ、任務が長引いた日には見れないだろうし、様々な要因が観察の邪魔をする。だがそれでも飽くこともなく続けているのだ。この行為に対して好意的であるかどうかを問われると正直なところ答えに迷うのだが、続けている事実が根拠として裏付けになっているところを考えると、少なくとも嫌いではないのだろうと思う。
そこまで考えて、欄干に預けていた腕を離してツナギのポケットへと掌を突っ込んだ。NO SMOKINGとでかでかと書かれた甲板上のカタパルト付近から遠く離れ、巨大空母の動力源の真上に位置するケツの部分は、司令塔である艦橋からは遠く豆粒のようにしか見えないだろう。今は日も傾き、オレンジ色に染まった太陽の反射光で艦橋のクルーはサングラスを身に付けずにはいられない筈だった。
少しぐらい構いやしないよな。そう思ってポケットから取り出した煙草を咥える。
昔は紙巻きだった。馬鹿だと思えるぐらいニコチンとタールを摂取して、やれハッパだ、やれラブアンドピースだ、とベトナム戦争からヒッピーの時代を受け継いできた時代をもろかぶりしている両親の元で生まれ育つと、煙草を吸うことに対して嫌悪感はなくなる。ハイスクールのときから学校をさぼって、西海岸のくだけた雰囲気の中アイスクリームを買って、両親からくすねた煙草を吸ってきたものだ。今や時代は紙巻きから電子に変わり、非健康と非戦争を謳っていた人々は、管理された健康意識と対外政策に金を投資している。これが自由を約束された我が祖国の在り方かどうかはさておき、変わるものは大きな流れの中に身を置かざるを得ないのだろう。
電子煙草のチャージが済むと、一口だけ吸い込む。吸い慣れた独特の甘みと共に息を吐き出すと、薄い煙が夕日の光に照らされる。甲板から見た水平線はあまりにも穏やかで、ここがアフリカ大陸東岸の太平洋沖とは考えられなくなる。この水平線の向こう、アフリカ大陸の内地では、今日も明日も略奪が続いていると言うのに、世界にもたらされる日の光はあまりに変化がない。見た目はあたたかい癖に、その中身はつめたいのだろうと他人事のように思う。人が生まれても死んでも、太陽には関係のないことだと知っていても尚、余計なことを考えてしまう。習慣なのだから仕方ないか。もう一息吸ったあたりで、日が本格的に沈み始めた。ゆらゆらと陽炎のように揺れている。波間を縫って落とされた赤い光が、空母の鉄筋を染め上げていく。
電子煙草を仕舞うと欄干に背を向けた。明日もこの景色を見ることが出来ればいい。それが自分自身が生きている何よりの証になる。軍靴が固い一歩を踏み締めた。

No.1:"An eye for an eye, and a fang for a tooth."後編/クラブ隊(+ベッタ)

ノイン区を抜け、グレンジア区に入った途端荒れた舗装が目立ち始めた。ベッドタウンであるノイン区は行政も少しは金をかけて手入れをしているが、一方のグレンジア区はこの様だ、仕方ないと言えば一言で終わるが速度が出ている以上危険極まりない。
ザカリアは不安定なタンデムシートで重心を取るので必死だった。そもそもこのバイクは二ケツしていいものなのだろうか、普段から収まりが悪いリアシートに無理矢理ケツを入れてはいるがどうにも乗り心地は悪い。スピードを出さなかったらまだ街乗りは可能だろうが、今は速度計を見たくないぐらい風を切っている。キェル!と運転手に叫ぶ。
「何キロ出してんだよ!飛ばし過ぎだろ!」
「130、まだ飛ばせるぞ」
「後ろのこと考えやがれ!!」
ザカリアは暴風の中相棒の背中をばしばしと叩いた。左片手がハンドルグリップから離され、分かった分かったとでも言いたげにひらひらと振られる。瞬間エンジンが生き物のような声で唸る。ザカリアはこのバイクの納車の際に、珍しくキェルが笑いながら長台詞で解説してくれたのを、それこそ走馬灯のように思い出した。
レーシングカウル、水冷四気筒、類希な剛性と不釣り合いなフロント&リアサスペンション、「メイドインジャパン」のお墨付き、戦闘機のエンジンを作る"カワサキ"独自のスーパーチャージャー機能搭載の爆裂な推進力、まさに待ち望んだモンスタークラスが来たのだと。新たな玩具が手に入った子供のように少しはしゃいでいたような気がする。
黒光りするミラーコートは細かな傷がついてはいるが、生活能力ゼロのキェルにしては丹念にメンテナンスしてある。こいつは大事なんだ、と珍しい言葉を吐いていたのも何となく覚えている。今そんなことを思い出すなんて、とザカリアはキェルの重心移動に合わせて身体を横倒しにする。搭載されたスーパーチャージャーが甲高い音を立てている、アクセルを回しフルスロットルで回転数を上げているのだ。景色が見えない、ザカリアはキェルの腰にしがみついている。
「180」
まだ出せるぞ、と狂ったモンスターバイク乗りはフロントシートで笑っていることだろう。
「俺が吹き飛ぶ!!」
「大丈夫だ、吹き飛ぶときは俺も一緒だ」
「勘弁しろ!!」
縁起でもない言葉をひとりごちたキェルは、ザカリアの苦情を聞かぬまま、グレンジア区のメインストリートを抜けていく。黒と緑のバイカラー、Ninja H2はコーナリングも軽々とこなしていく。だが、メインストリートから一本、また更奥に行こうとする度に車線規制、通行止めが増えてきた。キェルは車体の速度を落とし、小石まみれの路肩に停めた。アイドリングさせたまま、携帯端末をポケットから出す。ザカリアは死のライドから生還しぜいぜいと息を切らしていたが、すぐに持ち直す。
「規制が多いな」
「まァそうだろうよ。避難もだいぶ進んでるみてェだけどよ、急がねェと」
アクセスが集中しているためネットワークが上手いことリンクしない。キェルが舌打ちをしてネットワークへのトライをしたとき、二人のバイクとは違う機械音が近付いてきた。ザカリアは振り向く。両眼でんん、と見つめる。見覚えのある姿形だ。ベッタ・トリット。東岸の同僚だ。恐らく彼女も、この騒ぎに駆け付けた一人だ。ザカリアはいい所に来たぜ、と手を上げて乗り出す。
「ベッタちゃん、急いでるとこ悪ィんだけど、通行止め地域って分かるかァー!?」
ザカリアの大声に負けず劣らず、ベッタは怒鳴り返すように声を張った。
「28丁目ぇ!」
そのまま方向を変え、彼女自身は恐らく25丁目方面の道へと消えて行く。あのバイクならば通るであろう道だ、ザカリアは聞くこと間違ェたかな、と小さく呟いた。どの道が今のところ使い物になるかを聞けば良かった、と今更後悔の念が押し返す。
「アクセス出来たぞ」
と、キェルは煙草に火をつけながら、端末の画面を見せた。グレンジア区娼館街通りは軒並み赤く記され、SEALEDの文字が点滅されている。メディア野次馬便乗する愉快犯、カルテル等々の出入りを極力抑える為の苦肉の策だ。こうとなったらDD実働部隊も中々自由には動けない。ついでに言うと情報は錯綜し、中央からの指令指示、東岸内での指令指示もごちゃごちゃになっているようだ。
ザカリアは画面を睨み、眉間に皺を寄せる。
「…初動が遅かったんだな」
「東岸はいつもそうだ」
「あの能天気中年親父がまともじゃねェからだ」
「総長のことか。保守主義なのは一向に構わないが、保身し過ぎて身を滅ぼしかねないな」
呑気な言葉を放つキェルは、煙草を咥えてグローブをぐ、と締め直す。ハンドルグリップを握ると、ヴゥンと四気筒が命を吹き返す。
キェルが言うことは尤もだ。唐突に起こった事件に対し、わざと時間をかけることである程度の規模を把握し、DDの損失を減らす為「最小人員精鋭部隊を投入する」のは、戦略的に見て間違いはない。だが一方で守るべき市民の損失が比例する確率は上がる。初動が早ければ早い程、失われなくても良かった命を助けられる可能性は高くなる筈だった。それがこの様だ。もし精鋭部隊を全区画に配属するだけの余裕があったら話は別だが、人員不足のDD機関はそうもいかないのだろう。
ザカリアはキェルの腰を抱え直し、車体にぴったりと引っ付くとキェル、と呼んで言葉を吐き出す。
「俺達の仕事は、あくまで爆処理だ」
「そうだな」
「銃撃戦に応戦するかしないかのどちらにせよ、任された仕事とは違う」
キェルがフロントシートで吸っている煙草の煙がふわふわと揺蕩う中、ザカリアは続けた。
「この銃撃戦の最中、もしも別の事件が並行したら、どうなると思うよ?」
「どこもかしこも祭り騒ぎだな」
「俺が犯人だったらそう目論むぜ。…最近は不審物もやたらめったら多いし、な」
改造された家電にぶち込まれ、ご丁寧にラッピングされてあった爆発物処理事件を思い出す。あれは手馴れた者の犯行だ。この事件の連鎖と何かしら関係がないとは言い切れない。ラブレター、という犯人を頭の中で思い返しながらザカリアは低く声を出す。
「一旦支部に戻ろう」
「ここまで来てか」
「俺は得策じゃねェと思う」
何せ銃の一丁もねェ非武装だぜ、とザカリアは付け足した。相棒の顔は見えず、広い背中ばかりが視界に映る。吸い切った煙草を携帯灰皿に入れたらしい。が、キェルは数十秒思案した後、唸らせたバイクをギュギュギュ、と方向転換させて走り出した。来た道の方向だった。
ザカリアは思わずキェルの背中にフルフェイスごと強かに頭を打つ。
「急に、走り、出すんじゃねェ!」
「お前の直感は良く当たる」
「…」
「爆処理のときもそうだからな」
掠れた声が事実だけを述べた。
もうずっと隣にいるのが普通だった。それが当たり前で、同じ空気を吸い、同じ生死の境界線を綱渡りしてきた。その長年の経験と、腐り切った上の情報を比べるのならば、前者を優先させる気持ちは理解出来た。知識と技術と経験だけでどうにかするのが爆処理だが、そこに直感というあまりに不釣り合いな要素も関係してきているわけだ。
ザカリアはキェルの言葉を耳にしながら鼻で笑った。クソ頑固、人の話は聞かない、喋ってる話は脱線する、爆処理以外はてんで駄目な駄犬野郎の頓珍漢だが、たまにはいいとこ見せるじゃねェか、と。
「へ、褒めても何も出ねェよ!」
「何も期待していないぞ」
「クソッタレ、キェルお前なァ、急かした責任取ってコーヒー奢れよ!」
「缶コーヒーでいいな」
キェルの返事にザカリアは背中を再三叩いた。
ハイスピードでグレンジア区の道を抜け、ハイウェイに乗る。Ninja H2の影がひらりひらりとコーナリングに差し掛かり、黒い弾丸のようにノイン区への直線道路を駆け抜けて行った。
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No.1:"An eye for an eye, and a fang for a tooth." 前編/クラブ隊

静穏な日常がありきたりな世界を作り出しているとは妙な話だ。どこかで戦いを欲し生き死にを見て血を流すことを望んでいるとでもいうのだろうか、だがその繰り返しによって人間は進歩してきた。歴史を築き、それを壊し、瓦礫の上に佇み、またその気になったら新たな歴史を作り出す。
国によってもそれは違う、この小国ケイジーでもそうだ。人間が啀み合う前に、剣の新たな矛先として歴史の中に名を連ねたディンゴも、もしかすると瓦礫に埋もれていくのかもしれない。
それが今日か明日かは全く以て不明なのだが。
ノイン区支部からバイクで6~7分程の距離にある運動公園の近くには、よく移動屋台が来る。不定期でやって来る屋台はとてつもなく美味いホットドッグを販売していた。とにかくソーセージが美味い。むしろソーセージ以外は普通だ。スーパーで瓶詰めで売られているピクルス、大衆向けのケチャップとマスタード、それからブレッドだ。今の世の中どこに行っても売られているパンとトッピングが平凡であるからこそ、店の主人曰く「西岸で放牧された家畜の肉をふんだんに使った」ソーセージは、美味く感じるのだろうか。
最早どちらでも構わない、何れ腹の中に入れば消化、吸収されて余分なものはクソになって出てくるだけだ。そんなことをぼんやりと考え、陽射しを浴びながら、もりもりのピクルスとケチャップをキェルは眺めた。ぐぅ、と腹が鳴る。バイクに寄り掛かり、薄い泥水のようなコーヒーを一口飲む。まだ注文をしているザカリアを待つほど躾はされていないため、喉が潤ったところで一口目を齧る。口の中に収まりきらないケチャップが溢れ出すが後で拭ったらいいか、とソーセージを咀嚼する。噛んだ瞬間に弾けるぱつぱつの腸の皮、濃厚な肉汁が舌先に触れて純粋に美味いと感じた。キェル自身、そこまで美味いものに触れてきたわけではない。それでも美味いと頭が認識するということは、それが好みである可能性が高い。キェルは一口食べたホットドッグをぼうっと見つめた。さして高くもない、ソーセージ以外の価値は世の中に並んだ様々な品とそう変わり映えのしないものだが、提示された金額と満足度を差し引いたらこんなものだろう。充分だとキェルは思った。
「おい、口の周り。ケチャップとマスタードだらけじゃねェか」
ザカリアの声にキェルは顔を上げた。チリソースが掛かったタイプのホットドッグを持ったザカリアは、自分用であろう筈の紙ナプキンをキェルに寄越すと、隣に立つ。
「ガキじゃねェんだからよォ、」
「口は開けた」
「そのケチャップの量じゃ誰だってピエロ顔になるってェの」
馬鹿野郎かよ、と笑うザカリアはチリソースつきホットドッグに齧り付く。んん、辛ッ、うま、といつもと同じ味だろうに毎日違う反応を見せるザカリアを不思議に思った。
相棒は喜怒哀楽の表現が豊かだ。喜ぶにせよ怒るにせよ、オーバーだと思うぐらい顔の筋肉をよく使う。哀しみは涙を流すし、楽しい時は椅子からひっくり返って笑ったりする。見ていて飽きない男だとはつくづく思うが、キェルはそこまで感情の波を荒立たせることがそうそうなかった、故に理解が及ばないときもある。何故喜ぶのか、何故怒るのか、そんな顔を歪めてまで感情を発露させる必要性はあるのか。聞いたところでザカリアからは「してェからやってんだろ」と適当な答えが返ってくるに違いなかった。
キェルはホットドッグを美味そうに食っているザカリアを視界に入れてから、自らが口にしているホットドッグに視線を落とした。冬の外気より温かく湯気を出しているそれは、ザカリアのものより気持ち不味そうに見えた気がした。
「おーい兄ちゃん、コーヒー出来たよ!」
丁度そのとき、屋台の主人から声が掛かる。淹れたてのコーヒーが好きなザカリアは、待ってましたと言わんばかりに屋台へと駆け寄って行った。奴のケツに尻尾が生えていたら間違いなく横に振っていただろう。キェルはホットドッグを一旦退けて、口元をナプキンで拭った。
携帯端末が震えた。バイブレーションは支部直通ルートのパターンのものだった。今日は外回りではなく内勤の日だったため、インカムはない。キェルは端末を出すと文面を確認する。緊急速報、東岸区画グレンジア区・娼館街裏路地にて銃撃戦勃発。そこまで読むとすぐに残りのホットドッグを殆ど噛まずに胃に放り込み、バイクシートに載せてあったコーヒーを流し込んだ。
「ザカリア!」
相棒を呼ぶ。主人と他愛のない世間話をしていたザカリアが、珍しいキェルの声に振り向いた。笑っていた顔が少しだけ強ばり、主人に挨拶をして小走りで走り寄ってくる。
「どうしたんだ?」
くしゃくしゃにした紙コップとホットドッグの包み紙をごみ箱に投げ入れると、キェルはバイクのスタンドを蹴り、キーを差し入れてエンジンをかける。ザカリアはホットドッグとコーヒーを両手に持ったままだった。
「グレンジアで銃撃戦だ」
「はァ?!白昼堂々すげェな、で?」
「空いている奴は急行しろと指示が来ている」
「…俺達も?」
「デスクワークより暇潰しになる」
キェルはエンジンつけたバイクのスロットルを上げる。言った言葉は真実だ。乗れ、とザカリアに後ろのシートを指してヘルメットを渡そうとした。が、ザカリアの手はいっぱいいっぱいだ。
「なァちょっと待てって、俺まだコーヒーが、」
「コーヒーはいつでも飲めるが銃撃戦は滅多に来ない」
「ちょっ…ってクッソ、分かった、分かったよクソッタレ!」
あと一口だったホットドッグを無理矢理捩じ込んだザカリアは、熱々のコーヒーをそっとごみ箱に入れる。おっちゃんすまねェ!とでかい声で屋台の主人に詫びを入れるとフルフェイスヘルメットを被る。後ろのシートに重みが上乗せされ、ザカリアはキェルの腰に腕を回した。
それを確認すると、キェルはスロットルを回転させて大型自動二輪のアクセルを回す。四気筒エンジンが唸りを上げ、公園の敷地から出た。車線に出る。行き交う車を追い抜き、グレンジア方面の大通りに出る。
「ルートは?!」
「記憶通り且つスピードを上げたら、40分程あれば着く」
「封鎖地域あるだろ、間に合わねェんじゃねェか?」
「分からん。案内は頼む」
「お前の記憶よりかは安心だな」
ザカリアはキェルの言葉に背中を叩いた。冬の風が吹き付ける中、ばたばたとジャケットが音を出す。ノインの穏やかな空気が、喧騒に満ちたグレンジアへと飲み込まれていった。
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※Sth in my throat/モブ×ガルエラ

顎が外れたらそれまでだろうとガルエラは思っていた。噛む力は人間の馬力と底力を生み出すが、噛み合わない歯は空回りするばかりで、だらしなく開いた口からは涎が垂れていた。口腔内に収まっている銃身は冷たく泥臭い臭いがしている、どんな手荒な扱いでも極端な誤作動が少ないと謳われた銃だ。泥や水への耐性があるのならば唾液など屁でもないのだろう、と他人事のように思う。
弾丸が装填された状態で「いつでも撃てるぞ」と、眼前でガルエラの肛門を犯している男は、下卑た笑みを浮かべていた。無理矢理口に押し付けられたSIG P226と、同じく無理矢理ガルエラの尻に捩じ込められた陰茎のサイズは、果たしてどちらが大きいのだろうかとぼんやりと思っていた。
痛みを感じるが辱めに対する感慨もクソもないガルエラにとっては、銃が暴発して自分自身の脳漿が飛び散るか、男が射精してこの拷問が一度区切りを迎えるか、後発部隊である同僚ら、ケージ隊が助けに来てくれるか、どれになるのか考えるしかなかった。だがそれは何度となく考えた。考えたが時間の経過はやけに遅い。脚を広げさせられ、腕を括りつけられ、口には拳銃、ケツには陰茎と見るもまあ無残なことだ、と皮肉に思うしかない。
「どこ見てんだお前」
がつがつとペニスの出し入れをしていた男が急に腰を止め、ガルエラの短い黒髪を掴む。片手はP226を握り、引鉄はいつでも引ける状態だった。引っ張られた髪が抜ける感覚を覚え、ガルエラは呻き声を上げながら眉を顰める。
「うんともすんとも言わねぇつもりか?ああ?喋れなかったっけか?お口ん中ぶち切れてるしなぁ、はは」
「…ッ、」
拳銃のマズルとスライドががつがつと歯に当たる。何か言葉を吐こうとしても喉奥に突き付けられた銃口のせいで掠れた息しか漏れてこない。男は見下した目でガルエラを見ると、髪を掴んだ手を離し拳を作り、ガルエラの左頬を殴った。がちん、と銃が歯とぶつかる音がした。視界が明滅する。口の中に一気に広がる鉄錆の味は慣れたものだったが、歯茎や頬、至る所が切れたのだろう、じんじんと熱を持ち始める。
「ほらよ、目が覚めたか?んん?おはようございますって挨拶してみろよ、インポ野郎よぉ」
ぼたぼたと滴る涎と血にまみれたガルエラの顎先を、男は乱暴に掴んだ。ガルエラは痛みを覚えながらも、何も抵抗することなく男を見つめた。
直に終わる。遅かれ早かれ、自分自身が死ぬか、男が死ぬか、運が良ければ後者になるだろう。部隊を率いる男は信用している、助けはきっと来る。そんなことを思いつつ、男がつまらなさそうに吐き出した唾を顔面で受け止めて、再開された律動にガルエラは耐えた。ぐずぐずに血を流して痛みを増す肛門の訴えを、ガルエラは考えなかったことにした。
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