命には重さがある、という一説について話したことがある。その説の「信奉者」曰く、その重さが、質量として測れるものなのかどうか、物質的に捉えられるものなのかどうか、彼らはそれらを肯定した上で「命には重さがある」と言う。質量として重さがあるもの、つまりは心臓を指しているのかと何気なく呟いたときには、相棒に笑われたものだった。その重さではなくて、優先度の話だよ。明朗且つ穏やかな声で答えを示し、スポッティングスコープを覗き込んだ横顔はいつもと何ら変わらず、そうか、と返すだけだった。
優先度、というものは基準によって変わる厄介で不明瞭な線引きだ。社会の中で線引きを明らかにしていれば済むものもあれば、そうはいかないものも多く存在する。線引きをする一方が有利にならないよう、監視する機関が目配せするぐらいだ。我々民間軍事会社の下っ端が、紛争の最中思うように羽根を伸ばせないのと同じだった。
では、彼らが言う命の重さ、優先度とは、果たして一体全体何のことなのだろうか。家庭で優先される命、街や村といった小さなテリトリーで優先される命、学校で、職場で優先される命、場所に起因するものか。それとも秀でた者、富んだ者、美しい者、善い者、その人物に起因するものか。考えたところで答えは出なかった。命の重さ、優先度など、あってもないに等しい。存在しても認識されないのが実情だ。マクロ的社会の中では確かにあるのかもしれないが、その"考え"は誰の思想から来たものか。環境か、生来か、知識か、実践か、思っている以上にその優先度という線引きは形骸化しているのだ。戦場で息を吐き、引鉄を引くことに慣れた身体は、命の重さや優先度を、自らの指先に託しているからだ。
何よりも優先されるべきなのは、自分だ。
狭い喫煙所の中は有害な煙に覆われ、東南諸国の焼き物屋台にも似ていた。ソフトパッケージから取り出した紙巻き煙草は、火をつけるとリトルシガーらしく豊かな香りを放ってくれる。嫌煙家には評判が悪いが、愛煙家の同僚には「女にモテそうな匂いだ」と好評を得ている。そう言う彼もほぼ葉巻に近い、重たいタールが特徴の女性受けしそうなチェリー味の煙草を吸っていた。いつか肺癌になるのならば今の内に美味い煙草を吸ったらいい、とぼやいていたのを良く覚えている。じじ、と火種が小さく灯ったあと、吸い込んだ煙を細く吐き出した。視線を周囲へと行き渡らせる。屈強な身体付きの傭兵らが、携帯端末を眺めながら静かに煙草を吸う様子は、どこか滑稽にも思えた。ただでさえ身体がでかくて邪魔だと言われるのに、狭苦しい喫煙所内では更に肩身の狭い思いをしなければならない。世の風潮が嫌煙志向になっているのを、きっとこの場の誰もが良く知っていることだろう。
喫煙所の黄ばみがかった壁には、サイズに丁度合った液晶テレビが備え付けられている。音声はないが、四六時中世界各国のニュース情報を垂れ流している。やれ北方でゲリラ殲滅戦が、南方でテロ組織指導者暗殺任務が、とメディアに公開されても良いあれやこれやがてんこ盛りだった。どれが真実でどれが虚偽かはこの際何でも良かった。恐らくこの喫煙所にいる者共は、上っ面だけのニュースを読み解き、そこから得たものを更に発展させるだけの頭をしている。渡された原稿を読むだけのニュースキャスターに、別段何かを思うことはなかった。
半分程リトルシガーを吸った辺りで、喫煙所の扉がスライドした。狭い室内に質量が増される。見慣れた男の顔だった。吸いに行くなら誘え、と片眉を上げた桐仁に肩をどつかれ、悪かった、と返した。隣に立った桐仁は、臙脂色のソフトパッケージから煙草を器用に咥え、火を付けた。人工的なチェリーの甘ったるい匂いが鼻に届く。
「お前がいないと回らない仕事が増えて困る」
「そんなことはない。優秀な部下に恵まれているんだから他を当たれ」
「上手いことはぐらかそうとしても無駄だぞ。そう言って仕事を増やさないようにするお前の悪癖は良く知っているからな」
そうだろう、ガルエラ。そう言って意地汚く笑っている桐仁は 、ファイリングされた書類の束が詰まったファイルを渡してきた。さっきから何か抱えているなとは思っていた為、ある程度覚悟はしていた。仕事を喫煙所にまで持ち込んでくるとなると、余程面倒な案件を任されるか、もしくはブラフで異様に退屈なものを強いられるかだ。面倒なものはそれはそれで厄介だが、つまらない案件で時間を潰すよりかはマシだと思っていた。ファイルを開き書面に目を通す。残念ながら後者のようだ。退屈な任務が回される。
「不服か」
「いや」
鼻で笑っていた桐仁の問いに対し、間髪入れずに答えてしまったのが運の尽きだろう。不服だと肯定しているようなものだ。短くなったリトルシガーを備え付けの灰皿にねじ入れる。桐仁はこちらがどう感じるのか、どう考えているのか、そういったものを良く観察している。部隊長としての立派な職務だと言えばそうなのだが、それこそ個人的な意見を言えば奴こそ"悪癖"だろう。長い付き合いだ、異を唱えはしないが、呆れた風に溜息ぐらい吐いても構わないだろう。そんなことを考えながら、ファイルを閉じて小脇に抱え、次の煙草を咥えて火を付ける。白い煙が行き交う。薄らんだ冬の空にも似た曖昧な白さだ。隣に立つ男のジャケットとは正反対の色味は、空気中で混ざり合って途絶えていく。ふと並んだ肩を見る。
桐仁は元から意思疎通における余計な会話が少ない男だった。今も一言二言喋ったきり、壁に引っ付いたモニター画面をぼうっと眺めているだけだった。沈黙を美徳とするわけではなく、ただ単に口を動かすのが面倒なのかもしれない。その気持ちは良く分かった。居心地が良い相手に対し、何かを語るよりかは黙っていた方が楽だった。無駄吠えをしない良く躾られた軍用犬に似ていると思った。
肩越しに見えた液晶テレビには、忙しなく世界情勢を伝えるキャスターと現場の映像が繰り返されている。報道規制をされていない上に、有志が撮影した市民の処刑動画が垂れ流されていた。不平不満が溜まった人間が起こす行動は、ときに冷静さを欠いている。常軌を逸しているとはそういうときに使われるべき言葉なのだろう。手製の処刑台に膝を着いた男の首筋に分厚いタクティカルナイフが添えられ、観衆の声は一層高まる。首を刎ね、息の根を止めた哀れな男の頭が持ち上げられると、動画の撮影主はそれをアップにさせた。
ゲリラ組織に楯突いたか、運がなかったのか。事実は分からないが、何にせよ男が死ぬのは過程に有り得た話だったのだろう。力がなかった証拠だった。
「まるで屠殺場だ」
小さな独り言が喫煙所に響く。桐仁は濃い白煙を吐いてから、煙草の先でテレビ画面を指し示す。
「豚がいない代わりに人を絞めているようなものだ」
「酷い例えだが、分からないでもない」
「そうだ、分からないでもないから困る。戦地ではせめて頭だけはまともでいて欲しいものだ」
見かけはまさに野蛮人になってしまうからな、と喉奥で笑った桐仁は、吸いつくした煙草を灰皿に押し付けた。ヤニで焦げ茶色に染まった泥水から立ち上る残り香が、甘ったるい余韻を作り出す。
果たして頭だけでもまともでいられるのだろうか、とふと思う。戦場で生きる我々は、初めから"戦場で生きていた訳ではない"。多岐の方法から選択した結果が戦場だったわけで、その選択をした時点から頭の中はもう地獄に等しかったのではないのだろうか。泣き喚く子供、レイプ被害で物言わぬ障害を抱えた少女、片足を無くした老人、飢餓で苦しむ赤ん坊、彼らを見て何か思うことがあるのならば、我々は戦場などで銃把を握らなかったのではないのか。
「…重さがないのか」
生きていることを天秤にかけるとすれば、彼らは芥に等しいのかもしれない。人として理解していながら人として認識していない。無意識下で行われる命の選択は、己の命を長らえさせる為の方法だった。独り言を聞き取り何か返してくれる程、桐仁はお人好しではないらしく、こちらの言葉に片眉を上げるだけだった。人差し指と中指で挟んだリトルシガーは短くなり、一本無駄になってしまった。先に戻る、と肩を叩いた桐仁は、喫煙所のドアをスライドさせた。
ふと視線を上げる。先程まで長ったらしい紛争速報をしていたニュース映像は、いつの間にか次の話題に飛び、地方中間選挙の予想について有識者が見解を述べ始めていた。くだらない話だと一蹴出来るのは余程の愚か者がすることながら、命の選択について考え始めた己の頭には、内容が一向に入ってこなかった。
もし仮に、己の命と釣り合うものが危機に晒されたときに、どのようにして"選択"するのだろうか、と。
天秤に載せられた狙撃銃の重さを知っている。あの弾丸が殺す命の重さは、きっと己が救いたい命の重さよりずっと軽いのだ。相棒の顔を思い返しながら、掌に刻まれた銃胝を撫で、リトルシガーを投げ込んだ。