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Hey dude,I am Crab1./キェルとザカリアとナヴィド

ある何でもない日のことだったと記憶している。偶然立ち寄った西岸区画の広い運動公園にて、リードをつけて飼い主に寄り添う犬がいた。公園のベンチに腰掛け、鳩に餌を与える飼い主の一挙一動を見つめながら、たまに甘えるようにしてマズルを脚に擦り付ける。鳩を見ても吠えやしない姿はよく調教された証拠だった。あまりに長閑な光景だ。ありきたりと言えば言葉の通りだが、何も無い穏やかな日常が最も平和に近しいものと認識されるのだろう。
『クラブ1、応答しろ』
言葉に表したが、平和とはそもそも一体全体何を指すのだろうか。平和な状態を作り出す国家、国民、思想、行動、はたまた平和を享受している一国民の感情、平和の為に立ち上がるクーデタ軍、平和を信仰によって布教する宗教団体。平和を求める声は多い。それだけ需要が高まっているにも関わらず相変わらず人も、ディンゴもよく死んでいるこの国は、果たして平和であると断言出来るのだろうか。
『クラブ1、応答しろ!聞こえてんのかこの駄犬野郎!』
ひとつだけ確かなことがある。平和はあらゆる犠牲の上に成立するものだ。その犠牲が、人の欲望、利益や金銭、尊い(もしくは尊くもない)生命だったとしても、地盤が揺るがない限り平和は存在し得る。何かを代替として成り立つのならば平和は安いものだ。汗水を垂らし、血反吐を吐き、人やディンゴの営みを守る者達の生命の重さは、そうやって価値をつけられるのならば。
『何か言えよキェル!』
ばつん、ざざ、と無線の音量が耳に痛い中、聞き慣れた声にキェルは顔を上げた。無線の音量をのそのそと下げる。小煩い監視役はクラブ2だ。周囲の警戒と共に状況把握を担当している同僚に、キェルは今聞こえた、と真実には程遠い言葉を吐いた。
「無線の調子が悪かった」
『にしては無言が長ェよ!チームで動いてんだ、しっかりしろ!』
クラブ2が言うことも尤もだが、思考を深くまで巡らすと周囲の話が聞こえにくくなるのは当たり前のことだった。言い訳をしたところで、クラブ2の忙しない罵倒(文句)は止まることはないのだろうが。
キェルは悪かった悪かった、と適当にクラブ2をあしらうと、動きにくい防爆スーツの狭い視野を見回し、今自分自身が置かれている状況を確認した。
昼間の東岸区画・ヴェリテ区は、夜の雰囲気とはうってかわり、歓楽街らしさはどことなく控えめだった。現在非常線を半径500メートル範囲で敷いているというのもあるが、夜の光景とまるで違う様子は、どこか腑抜けている感じに見えた。
キェルは風景を見ていたが、そのまま静かに視線を下ろした。今回のギミックはこいつだ、と眉根を寄せた。
眼前に置かれたトランクバッグは黒色で、数日の旅行に用いるならば便利そうなありきたりなものだ。男女兼用で使えるだろうが、女性が好んで使う装飾もないシンプルなトランクバッグだった。南京錠は勿論、ダイヤルキーもついていない旧式のタイプだ。開けっ放しのキャッチロックは開けてみろと言いたげだ。
キェルはトランクバッグを動かさないようにそっと固定しながら、外見を探る。バッグの外側にコードの類は見られない。タイマー式によくある動作音もない。が、平たい地面に置かれている分、液体感知型の爆弾の可能性が一番高い。
もし自分が犯人であれば、持ち運びの際に間違いなく一度は斜めになるトランクバッグを使って、液体感知型の爆弾を作る。簡単に誰かの手によって運ばれるトランクバッグは、歩く爆弾と言うに等しく、最も効率が良いからだ。どこに置かれたのかを分からなくして、どこで爆発させるかの判断を"見知らぬ運び手"に任せる、言わば無差別爆弾だ。
キェルは息をついた。無線をオープンにする。
「作業に入る」
キャッチロックを静かに外し、トランクバッグの隙間に人差し指を差し入れる。もしも開けた瞬間、トランクバッグの蝶番部分に信管へと繋がるパーツがあったのならば、その瞬間キェルは肉片となる。外から見た分では問題ない、精巧に造られた外側からはそれらしきコードはなかった。
いつもこの瞬間が好みだった。生死の境目を綱渡りしながら飽きもせずガラクタの解体をする、この瞬間が。
「開けるぞ」
興奮を覚えながら無線にそう言うと、クラブ2は鼻で笑ったようだった。
『何か言い残したいことはあるか?』
「まるで俺が死ぬような言い方だ」
『天にまします我らの神よ、みたいなさ、よくあるじゃねェか。祈って生還祈願ってところだ』
「神に祈ったところで爆弾は止まらない」
くだらない云々やら軽口やらを言い始めたクラブ2を嗤い、キェルは今度こそ静かにトランクバッグを開けた。
開けた先に期待を込めて、微かな笑みを浮かべながら。




「で、中身はただの旅行者の持ち物だった訳か」
陽の当たるあたたかいテラス席で、ナヴィドはコーヒーを口にし、何でもなさそうな表情を浮かべた。落胆や退屈は慣れてる、想定内の顔で迎えてくれたナヴィドに笑いかけ、キェルは肩を竦めた。
「よくある話だ。通報してもらうのは有難いが、意外と本物は少なかったりする」
「気持ちは分かるぞ、俺もよく当てにならないものを掴まされる」
爆弾処理班と科学捜査班、畑は違えど苦労することは変わらないようだ。爆弾処理は10を0に戻す仕事、科学捜査は0から10を見つける仕事だ。ベクトルが違っても楽しみはある。
キェルはぬるくなってきたコーヒーを飲み干す。
「今度は"大当たり"の話を期待してくれ」
「お前が生きてるならどんでん返しと大団円は確実だな。いい事だ。楽しみにしてる」
実に楽しそうに微笑んだナヴィドは、そう言葉を残した。
午後の陽射しが緩やかな日常を作り出す。平穏な時間がゆっくりと過ぎていく中、キェルは手先の感触を静かに思い出していた。
大当たりは、きっと近い。

【DD#0】“I like to see you eating happily!”

食事とは、有り体に言えば気を緩めている機会だとも言い換えられる。動物に備わった三大欲求の中でも、我々"ディンゴ"にとっては抗えない感覚のひとつだ。腹が減っては仕事も出来ない、故に始業してからのランチまでの時間は気が遠くなるほど長く感じられた。人間もきっとそうだろう、睡眠やセックスよりも一層求めて止まないものが、食事なのだ。
並べられたジャンクフードの山の中にぽつんと置かれた大皿には、皿から溢れ出そうなレベルの鮮やかな野菜が盛られている。キェルは眼前で髪をまとめ始めたナヴィドを眺めながら、味付けが濃いだけのフィッシュアンドチップスを口に入れる。ケチャップ、マヨネーズ、動物性脂の味わい、以上、としか言えない。白身魚の淡白な味、芋の味、それぞれ理解出来るがそれらを勝る濃い味付けの方が舌先に残るのだ。フードコメンテーターではないキェルにとって、それ以上でもそれ以下でもない。…今漸く長い猫毛を束ね終えたナヴィドにとっては「そんな食事楽しさの欠片もないではないか」と言われるのだろうが、別段構わなかった。
では早速、と野菜にフォークを突き刺したナヴィドは、ドレッシングもないままでむしゃむしゃとサニーレタスを咀嚼している。そんな野菜だけで腹は膨れるのか、と以前聞いたことがあった。無論膨れはしない、ときつい剣幕で睨まれ、聞けばナヴィドの家系は伝統的に太りやすいフェリスの家柄だそうだ。なるべく食事は野菜、蛋白質を中心にして筋肉を増やせるものにするのが彼のモットーらしい。筋肉があれば脂肪は燃やせる、太りやすい体質ならば仕方の無いことだろう。不便だろうと思うが口にはしなかった。それが心底嫌なのならば、ここまで信念を貫き通すことなど出来ないからだ。
ウサギのように野菜をひたすら口に入れているナヴィドに、キェルは油っこいポテトを摘みつつ片眉を上げた。
「美味いか」
「ああ美味い、野菜の味だ」
「たまにはこういうのも食ったらどうだ」
悪戯に差し出したぎとぎとのフィッシュアンドチップスを、ナヴィドは仇敵を見るような目で睨みつけた。
「…いくら食っても太らなかったら食ってやってもいいぞ」
「そんな怖い顔をするな」
「お前がこういう顔にさせたんだぞ」
「ああ悪かった。ほらランチタイムが終わるから頑張って食え」
鼻息荒く睨みつけられても、たかだか可愛らしいフェリス、しかも子供のような大きな碧眼には動じなかった。もこもこの白銀の猫毛を揺らして野菜を貪るナヴィドに苦笑して、キェルは残っているフィッシュアンドチップスをケチャップに漬けこむ。
ケイニス、しかもグレートデーンの血筋を受け継いだ身体は、ちょっとやそっとの悪食などどうということはなかった。むしろジャンクフードは味が分かり易いから好みだった。ハンバーガー、ピザ、フライドポテト、フライドチキン、その他諸々がキェルの好みだった。沢山ある食品の中で優劣をつけるのならば、ぐらいの"好み"だが。
キェルは唇の端についたソース類を舐め取る。ナプキンで手を拭うと、視線の先でナヴィドがむっすりしたままスライストマトを食べていた。あと二十分もすればランチタイムも終わる。不機嫌なのは治りそうにないかもしれない。
急いで纏めたらしいナヴィドの細長い癖毛が二束ほど垂れてきていた。キェルは対面した座席に座ったまま手を伸ばす。耳にそっとかけてやる。ナヴィドは髪を汚すことが死ぬ程嫌いだった。トマトを咀嚼し切ったナヴィドは、ナプキンで口元を拭う。
「ご馳走様」
「まだ少し残ってるぞ」
キェルはサラダを指差した。ほんの僅かだがカスのようなパプリカの欠片が皿の上に取り残されていたが、ナヴィドは鼻を鳴らすだけだった。
「お前が煙草を吸いたそうにしているからな」
「バレたか」
食後の喫煙はキェルにとってはルーティンワークのようなものだった。先に言え、と席を立ったナヴィドは、まとめた髪をばさりと下ろして見事な腰丈までの長髪を披露した。彼が残した食器類をトレーに載せ、返却コーナーまでキェルは運ばねばならないのだろう。まあ一服に付き合ってもらうのだからそのぐらいはする。大事な髪の毛に煙草の臭いがつくのは好ましくないのだろうが、何だかんだでナヴィドはキェルに同伴してくれるのだ。
ジャケットを羽織るとトレーを持ち、キェルは先を行くナヴィドの後を追った。大皿の上で残されたパプリカが、やけに寂しそうに見えた。

具現化する祈り/ルーヴァン+ガルエラ

戦場で死にゆく人間の末路は様々だ。母親の名前を叫びながら絶命する者、死んだかどうかさえ分からなかっただろう状態で爆発四散する者、死を受け入れて最期の瞬間を迎える者、挙げだしたらキリがない。人の数だけ死の多様性は増える。何にせよろくな死に方ではないということだけが明らかだった。
その"最期"がもし自分に訪れたら、果たしてどんな行動を取るのか。想像がつかなかった。せめて痛くなかったらいい、幸せな死に方だったら満足だ、なんて綺麗に包まれた常套句が似つかわしくないのは理解していた。そんな死に方は病院のベッドの上で余命僅かと宣告された人間にしか許されないものだ。数多の命を奪ってきた傭兵に待ち受けるものは、傭兵らしく悲惨で泥臭く血みどろまみれであることがきっと望ましいのだろう。
風で木々が揺れていた。森林迷彩に身を包み大樹の根本に潜んだまま半日が経過したところだった。苔むした岩肌は冷たく体温を奪う。昼間の呑気な温もりは消え、日は落ちて暗がりが視界を覆う。日中の狙撃を担当していたルーヴァンは、自身の銃から身を離して肩を回した。
ブリーフィングの予定通りであれば、午後には目標が通過するという手筈だった。こちらの作戦は漏れていない、という希望的観測によるものだが、情報部からの伝達は確かなものだ。こうして来ないということは、敵側に情報が漏洩したか、敵側で新しい動きがあったか。どちらかだ。どちらも芳しくない結果だろうが任務は任務だ、隊長であるヴォルフからの撤退指示がない限り続行するしかない。
どの道夜間の狙撃をルーヴァンは不得手としていた、このあと照準眼鏡を眺めて神経を張り詰めさせるのはガルエラの仕事だった。ルーヴァンは伏射から身体を起こすと、隣でスポッティングスコープを手に持っていたガルエラの肩を叩く。
「お疲れさま。交代しようか」
「ああ」
ガルエラはスポッティングスコープを観測用機器のドラッグバッグに仕舞うと、自身の愛銃を組み立て始めた。最軽量かつ無駄を省いたシンプルな対物狙撃銃は、ヴォルフが用いるものと同型だった。かく言うルーヴァンの銃もそうだったが、時々同型改良種を使ったりすることもあった。ヴォルフとガルエラは、一つの武器を長い間使い込む癖があった。良いものだから、という愛着を主とした理由ではなく、単に武器換装が面倒だから、というのが正しいだろう。勿論性能が抜群に変われば彼らもいい加減骨董品を手放すのかもしれないが。
二脚を立てたガルエラは、狙撃銃を組み合わせ、平たい岩肌へとなるべく水平になるように置いた。12.7mm弾が詰め込まれた弾倉を装着し、風向きを見る。先程から襟元を掠める冷たい風が吹いている。向かい風にならなければいいが、夜風は気紛れだった。
「弾道が逸れそうな風だ」
ガルエラはぼそりと呟く。風が今より強かったら聞き取れなさそうな声だった。ルーヴァンは自身のスポッティングスコープを持ち出すと肩を竦める。
「外さないように見るのが俺の仕事だよ。ガルエラ」
「知っている。信頼している」
冗談めかして言ったルーヴァンの言葉に、ガルエラは素直な感想を吐いた。突然こうやって素直さをおくびもなく話すものだから、ルーヴァンは苦笑するしかなかった。ガルエラの本音は、ルーヴァンの腕の良さへの賞賛かも知れなかったが、信頼と信用はまるで意味が違う、喜んでいいのかもしれない。
「…恥ずかしいこと真顔で言うなよ」
「事実を述べたまでだ」
「そうだな、そうだけどな、何て答えたらいいか…」
ぶつぶつと返事を言い損ねているルーヴァンを放り、ガルエラは無線を交信状態にした。
「こちらガルエラ。1750、スナイパー交代、オーバー」
『ヴォルフだ。了解した、森林側は南西の風が強くなってきている。くれぐれも撃ち仕損じるな』
通信終わり、とヴォルフの声が聞こえてきた。警戒任務はまだ続き、夜間に目標が現れてくれるのを我々はせいぜい祈るしかない。夜が更ければ更けるほど真価を発揮するガルエラに期待を募らせよう。
ルーヴァンは無口なガルエラを横目で見て、照準眼鏡と引き金に集中し始めた相棒を思った。
たとえ戦場で朽ち果てるときが来たとしても、彼だけは生き長らえるように尽力するのが、自分自身の役目なのだろうと。ガルエラが望まなくても、自分自身の命の代わりに生き延びて、戦場を、人生を謳歌出来るようにしてやるのが、相棒として最後にしてやれることなのだろうと。
その未来は十年後か、はたまた十分後かはまだ定かではないが、ルーヴァンにはそうするだけの意味を見出せていた。その理由が、愛なのか、執着なのか、そんな些細なことはどうでも良かった。ガルエラにとっての最善を尽くす、ただそれだけだった。
夜風が吹く。木々のざわめきとともに、いよいよ夜がきた。ルーヴァンはスポッティングスコープを両手に持つと、山並みに消えていった太陽を眺め、変わり映えのない目標地点へ視線を移した。
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屠殺してみた/ヴォルフ+ガルエラ+ルーヴァン

美味い肉が食べたいとごねたのはヴォルフだった。普段から美味い肉を口にしているにも関わらず妙なこだわりを唐突に言い出すのは奴らしいと言えばそうなのだが、まさか絞め殺すところから始めるなど誰も思わないだろう。傭兵の癖に血腥いのが嫌だと文句を言い始めたルーヴァンはリビングで待機しており、仕方ないから二人でやるぞと腕まくりをしたヴォルフと共に、暴れて脱走しかけた生きた鶏を腕に抱えて早速屠殺を始めた。どこで仕入れてきたんだ、とやる気満々のヴォルフに聞いても「機密情報だ」としか答えないあたり、どこぞで盗んできた鶏じゃないだろうかと嫌な予感がした。だが今更鶏を野に離したところで、人間慣れしている彼(見事な鶏冠はそうだろう)が生き延びてくれるかどうかは定かではない。
そうすると、我々に残された道は一つだ。美味しく頂くしかない。
暴れて仕方のない鶏の首根っこを引っ掴んだヴォルフは、寒々しい空の元、2LDKのどでかいマンションのベランダで静かに笑っていた。足元には血抜き用の桶とビニルシート、そして作業台の上に普段からヴォルフが愛用しているタクティカルナイフが置かれている。
「まずは首を落とすぞ」
ガルエラ、押さえておけ。そう言われてガルエラはビニルシートに押さえつけられた鶏の身体を地面に押し付けた。長い首をしっかり伸ばしたヴォルフが、一番太い頸動脈を探し出して刃を当てる。羽根をバタつかせる鶏は自分の運命を理解しているらしいが、最早時遅く、ぶつりと毛と皮膚を分け入ったナイフは頸動脈を捉えた。
「意外と太いな」
「何と比較したんだヴォルフ」
「別に、何も」
咥え煙草のヴォルフはにやりと笑う。どうせ普段の"獲物"と較べたのだろう、質が悪い奴め。ぶちぶちと音を立てて切断された鶏の首から鮮血が滴り始めた。すぐに桶へと流し、まだ筋肉が動く鶏を押さえつつ宙ぶらりんにする。血抜きをしなければ食えたものではない。生臭い血液の臭いが充満するような感じがしたが、会社のマンションだ、隣の部屋は傭兵しかいない。しかもヴォルフの部屋の隣は確か暫くの間空き部屋だった気がする。問題ないだろう。
血抜きを終えると、お湯を沸かしてくれたらしいルーヴァンがタイミング良く窓をドンドンと叩いた。鼻を押さえたまま戸を開け、新しい桶、そしてポットを寄越した。
「死んだ?」
「死んだに決まってんだろうが」
「意外とすぐ死ぬもんだな」
「鶏を何だと思ってるんだお前」
手を汚したくはないが興味があるらしいルーヴァンは鶏の死体を眺めていたが、寒さに負けてすぐに戸を閉めた。頑張れ、と口の動きだけが窓ガラス越しに分かった。ヴォルフは潰えそうな煙草を灰皿に押し付けたあと小さく舌打ちをする。
「次はあの野郎を屠殺するか」
「お前が言うと冗談に聞こえないぞ、ヴォルフ」
ガルエラは苦笑する。冗談だ、と返したヴォルフは桶の中にお湯を注ぎ、鶏をぶち込んだ。暫く浸しておくと毛穴が開き、毛を抜き易くなる。解体するにあたり、鶏の立派な羽毛は障害の他ならない。こんなもんでいいか、とヴォルフが鶏を引き揚げると、二人がかりでぶつぶつと毛を毟る。
「枕に入れたら良さそうだ」
「毛をか?」
「臭いのは我慢してな」
「遠慮しておく。この鶏に祟られそうだ」
「たかだかチキンだろうが、祟ったところで高が知れてる」
鼻で笑ったヴォルフに、ガルエラは肩を竦めた。白濁した目でどこを見ているのか分からない鶏は、この会話を恨めしく思うかもしれなかった。
外側の毛を毟り終わると、バーナーで残った柔らかい毛を炙る。本格的な丸裸になった鶏の姿は、祝い事の度にテーブルを彩る見覚えのある"ターキー"に近付いてきた。
いよいよ解体作業に入る。ヴォルフは鶏冠を切り落とすと鶏の腹を裂き、中の臓器を引っ張り出した。まだ生きていたときを彷彿とさせるぬくもりが、寒空の下に湯気となって現れる。胸、ささみ、はつなど主要な部分を切り分けていく。ぱっくりと開けた中は新鮮そのものだった。
が、腹の中身を順序良く捌いていたヴォルフの手が止まった。ガルエラは顔を上げる。ヴォルフは渋い顔をしていた。
「どうした?」
「失敗したな」
「何がだ」
「こいつは雄鶏だ」
「…分かって捕まえたんじゃなかったのか?」
暗に「盗んできた」ことを肯定させるような質問だったが、ヴォルフは静かに頷く。
「キンカンの存在をすっかり忘れていた」
やっちまった、とでも言いたげなヴォルフの言葉にガルエラは呆れそうになった。キンカン欲しさにこの"雄鶏"を捕まえたわけか、尚更屠殺されてしまったこの雄鶏が不憫に思えてくる。ガルエラは小さく溜息をついて、丸裸の鶏をそっと撫でた。
「…次は雌鶏にしろ」
「次は豚に決まってるだろうが」
ヴォルフは、もうキンカンはスーパーで買う、と雄鶏に向かって非情な一言を言い放つ。そんなことを彼に言っても、とガルエラは眉根を寄せた。腕まくりを下ろしたヴォルフは、窓ガラスをガラリと開けてルーヴァンを呼んだ。
「終わった?」
「ああ」
「お疲れ、ビール飲みながら早速作ろうぜ」
「作るのはお前とガルエラだろう」
「ヴォルフは料理出来ないもんな」
がやがやと喋る二人は、リビングへと戻っていく。
いよいよ調理の時間らしい。暖かい部屋のぬくもりが漏れ出す中、ガルエラは寒々しい冬の風に晒されている丸裸の雄鶏を見つめた。キンカンなしと罵られたところで知ったことではないだろうに、と。
とにかくガルエラに出来ることと言えば、雄鶏の名誉回復の為に精一杯調理することしかない。柔らかい肌を露出した物言わぬ鶏を抱え、ガルエラはヴォルフとルーヴァンが待つキッチンへと足を運んだ。

※理解しているつもり/桐仁×ヨダカ

理不尽であろうと何だろうと、この男が倫理観も道徳観もクソ程持ち合わせていないことはとっくの昔に知っていた。自分が大切なものを守る為なら何だってする、人殺しが何だ?生きる上で牛だって豚だって屠殺して食っているのと何が違うんだ、と真顔で返事をしてくる奴は、一般的な生活を送る人々らの思考とまるで違うためか、俺とやけに馴染んだ。人殺しは人殺し同士仲良くする、ではないが、日常的な普遍さの中にわざわざ入り込むのは、非日常が当たり前である我々には不必要だったのかもしれない。
どくどく脈を打っている音が骨を伝っている。自分のものか、それともヨダカのものか、些細なことはどうでも良かった。逸物がヨダカの肛門にぶち込まれている以上、奴の心臓の音かもしれなかったが、ここまで大きな音ならばきっと俺の分だった。ヨダカは腰を打ち付ける度に野太い声で喘いでいるから、そんなことを考える余地も無さそうだった。
戦場追体験をしたときよりやけに早く脈打つ音に微かに笑って、弓なりに身体を曲げているヨダカの腰を上げた。太い首、肩甲骨、背骨、無駄な脂肪のない健康的な身体、それらを支えている広い腰とケツは片脚しかない人間にしてはよく鍛えてあった。逆に考えれば替えのきかない部分、ただでさえハンディキャップを抱えているヨダカは、上半身と残された片脚を鍛えるしかなかったのだろう。奴なりの努力の成果は、見目として、その膂力として、俺の中では高い評価を獲得していた。
「、は、ぁ、ぁ、」
シーツにへばりついているヨダカの腰が浮いては沈んでいた。皺になった白い波間の中を溺れている無様な魚のようだった。いや、こんな魚がいたら魚に対して失礼か。優美に海の中を回游するような輩じゃない、こいつは泥臭く這いずり回る陸地の生き物だ。名前は残念ながら、空の狩人のものだが。
締め付けて離しそうにない肛門で、何度も陰茎の出し入れをする。その度、あられもない声と体液が漏れ出る音が混じる。全身運動と言われるセックスは、暫く行為を続けていればとめどなく汗が吹き出てくるものだった。短い自分の髪の毛から垂れた汗が、ヨダカの尻の割れ目へと落ちていくのを眺めて、低く笑った。
「大変だな」
「ぁ、あっ、は、な、なにが、だ、っ、」
「ケツもペニスもどろどろになってるぞ」
「ぅ、っ、るさ、い…っ…!」
事実を述べたまでだったのだが、一向に認めようとしない強情なヨダカの口癖には慣れたものだった。女じゃないんだ、性の捌け口に気を使って言葉をかけているだけ俺は情に厚いものだった。その辺りをちゃんと理解しているかは分からないが、堅物黒んぼ男に何を言っても無駄だろう。
バックのまま訳の分からない言葉を吐きかけているヨダカは、シーツに額をつけてがくがくと震えていた。いよいよ限界が近いらしい。遅漏の陰茎をケツ穴で咥え続けるのもしんどいだろう、仕方が無いそろそろ射精してやろう。この男は何だかんだ言ってこの性行為が好きなのだ。減らず口を叩く割に頭の中はドスケベ野郎だ、とっとと出して、煙草の一本でも吸ってやろう。
ぎしぎしとベッドのスプリングが悲鳴を上げる。ヨダカは唇を噛んで絶頂を耐えていた。
そうだ、俺はお前のそういうところは嫌いじゃない。
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