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アンリオの夜/桐仁とマスティフとアルトゥール

混雑しているバーの中は熱気に溢れていた。狭い店内は冬を忘れてしまうぐらい客が密集し、暑いぐらいだった。それもそうか、ただでさえ混雑を極めているのと、アルコールを摂取した身体が擦れればこれ程暑くなるのは容易なことだ。暑さだけではなく、雑音も酷い。酒に溺れ疲れを誤魔化し、下卑た笑い声に紛れ人々が談笑する声がそこやかしらで聞こえてくる。耳が良いとこういう時は損だと感じた。全てが聞こえてくるわけではないが、音によっては確実に単語単語を拾ってしまい、別に会話をしているわけではないのに聞いた言葉について色々と考えてしまう。女の話やら仕事の話やら、別段興味もないことばかりだが、浮ついたものばかりが目立っていた。
「おいテメェ聞いてんのかよ」
艶かしい身体をした女性客をぼうっと眺めていたところに、ドン、とビールジョッキが置かれる音で意識が戻る。眼前には見慣れた男がいた。そう言えば今日は一人で飲みに来たわけではなかった。今思い出したかのように適当な相槌を打ち、氷の入ったウイスキーグラス傾ける。何の話だったか。そう言いはしなかったが、眼前の男――マスティフは、聞いてねぇだろ、と眉根を寄せて唾でも吐きそうな雰囲気でジョッキを呷る。
「お前んとこの女房役の事だ。まだ使いもんになんねぇのかよ」
マスティフの話題は、ヨダカについてだった。つい最近の事だが、ヨダカは妻であり同僚であるジリアを任務中に亡くした。以降、まともな精神状態ではなく、任務に就く事も出来ず、療養休暇に入っていた。医師によると所謂PTSDだと診断され、休暇自体は与えられた権利で申請し、正式に受理されている。PTSDは個人個人により様々で、自分自身が戦場で受けた傷以外でも発症するものだ。ヨダカの場合は最愛の妻の死によって引き起こされたのだろう。故に、ヨダカはあの日の出来事を覚えていない。どういう状態でジリアが死んだのか、ヨダカが何をしたのか、俺が何を言ったのか、その一切を記憶から消したのだ。人間の脳は辛い記憶を忘れるような作りになっているため、ヨダカが取った行動は自衛という観点では正しかった。…だが、無論ヨダカがいないことで人員に穴埋めが出来ていないのも事実だ。だからこうしてマスティフが口煩くヨダカについて訊いてくるのは、常に人員不足に悩んでいる我々にとってみれば、当たり前の話題だった。
マスティフは空になったジョッキをウェイターに下げさせ、バーボンを注文し、口寂しさを誤魔化したいのか煙草を咥えて火をつけた。俺も奴に倣い、馴染んだ煙草の煙を吸い込み、吐き出す。
「使い物になるよう、療養休暇に入らせたが」
「そりゃ随分前の話だろ」
マスティフはウェイターが運んできたバーボンを受け取ると、水のように飲み始める。
「個人差がある。ゆっくり待ってやれ」
「待ってる間に優秀な奴が死ぬのにか?」
歴とした事実を言われる。意見として受け止めはするが、俺の一存で決める事は不可能だ。実働部隊の総括部、更には上に行けばCEOでさえ認めた休暇だ。それを言えばマスティフの口はより苛烈を極める。短くなった煙草を灰皿に押し付け、ウイスキーを飲み干す。
「今の状態で戻せば元も子もないぞ」
「だったら待ってりゃ治んのか」
「断言出来ん」
「随分女房には甘いんだな」
「誰にだって平等に接している」
のらりくらりと躱す俺の言葉に、マスティフは鼻で笑うと濃いバーボンで喉を潤した。…マスティフはヨダカが今どんな状態か知らない。そうだ、目も当てられないようなヨダカが、まさか爆弾処理なんぞ出来るわけがないだろう。死んでしまったジリアが唯一残した「片手」を袋に入れて枕元に置き、眠れない日々を過ごして、散々錯乱して茫然自失になった人間に、まさか命を預けようとは思うまい。事実を言えば、恐らくマスティフは「会わせろ」と冗談めかすに違いなかった。この男は仕事は出来るが決して善人ではない。今こいつをヨダカに会わせれば何が起こるか分からない。死んだジリアに会わす顔がない、という考えより、優秀な同僚をこれ以上面倒事に巻き込んで失いたくなかった。
一瞬沈黙が続いた。周りの客の声が騒がしく、耳について煩かった。マスティフは、空になったバーボンのグラスを揺らす。ついて出た一言は、「いつ死んでもおかしくねぇ職場だろ」というものだった。真理としか言えないその言い様に、返す言葉がなかった。確かにその通りだ。いつ誰が死ぬか分からない場所だ。傭兵とはその激務故に高給取りだ。だが、ヨダカが望めば、ジリアを前線から身を引かせる事も出来たのではないのだろうか。いつか訪れるであろう死を、先延ばしにする事が有り得たのではないのだろうか。今になってみれば、イフの話でしかない無意味な考えだが――ジリアという腕の良い遊撃手を亡くし、俺も些か感傷的になっているのかもしれなかった。マスティフは「あいつうだうだ悩んで馬鹿なんじゃねぇのか」と、辛辣さを隠さずぼやいた。事実悩みなどしないのを前提として傭兵稼業に就いているのだ。マスティフは全く以て正論を言っている。何本目になるのか分からない煙草を再度燃やし、白煙が喧騒に浮かぶ。
「お前の持論は正しい」
マスティフの酒が入った視線がこちらに向く。
「正しいが故に、この連鎖が続くような事態は避けたいと思う」
「まどろっこしい言い方してんじゃねぇぞ」
マスティフが再オーダーのため手を挙げる。今度はウォッカを注文し、俺はラム酒をロックで頼むと、言葉を続けた。
「死ぬような輩ではない者が、今回死んだ。ジリアは腕が良かった。単独任務でもそうだが、奴は成績優秀者だった。…だが結果はこうだ。俺もまさかこの程度の任務で命を落とすとは予想しなかった。ならばこういう結末になったのには、不運以外の要因が考えられるわけだ」
マスティフは話を続けろと言いたげに酒を呷る。
「現状の、前線部隊編成だ。今我々はほぼ単独で任務を割り振られている。得手不得手を考えずにやっている部分も多い。部隊編成も、見知らぬ者と当日組んだりがあったりするだろう。それを、画一化して無くせばより良い枠組みになるんじゃないかと思ったのさ」
狙撃手について考えてみてもそうだ。対人狙撃と対物狙撃は、同じ狙撃という分野にいても扱いが違う。狙い方、扱う得物など。それを一緒くたにして当日分配されるような部隊の組み方では、死なん人間も命を落とすわけだ。要は無駄死にだ。人が圧倒的に足りていない状況なのはどこも同じだが、例えば苛烈な前線を突破する為のーーそれこそ専門職の傭兵を集めた部隊を設立すればまた話は違うのではないのだろうか。
マスティフは黙ったままウォッカが入ったグラスを空にした。言葉は何も続かなかった。同意とも拒否とも取れない視線を受け、俺も黙りを続けた。
丁度その時だった。喧騒の中、テーブルに置かれたグラスの甲高い音がやけに耳に響き、マスティフと俺の間に置かれたシャンパングラスが視界に入る。相席しても、と伸びのある低音に誘われるように視線が上向く。上等な外套を着た端正な男に、見覚えがあった。上司と言うにはやや言い迷う、だが我々の給与を決めて福利厚生を与えてくれる、要は会社の取締役――CEOであるエヴァンジェイル社長がそこにいた。マスティフ共々起立して敬礼をするが、プライベートだ、と敬礼をするなと言いたげに手を振られた。CEOが我々のテーブルへと席を着いたのを見届け、座れ、と柔らかい口調で言われてしまえば逆らえるわけがない。マスティフと共に座り、社長が煙草を吸いながら細長いグラスに口をつけるのを黙って見る。マスティフの視線は「どういうことだ」と言いたげである。俺だって知るか。
「話を聞きたい」
そう切り出した社長は、俺とマスティフへと視線を投げかけた。確か前線部隊の、と言いかけた社長へ、それぞれ所属と階級を名乗る。マスティフの名は特に生還率が高い事で、俺の場合は狙撃手として知られている。成程、諸君らが噂に名高い猟犬か。社長は納得したように独りごちて煙草を一服した。何の噂かは知らないが、少なくとも悪名でないことを祈りたい。減給にでもなれば事が事だ。
「先程部隊編成について言及していたようだが」
社長は蒸し返すように言葉を放つ。マスティフの視線は明らかに知らない振りをしている。無論発言者は俺だったため、俺は社長に相槌を打った。
「今の最前線の様子を見る限り、専門職の人間を集めて部隊を作らないと無駄な死人が増えるだけだと思ったので」
「だが戦場は戦場だ。無駄な死人とは言うがその者の力が及ばなかったのではないか?」
「力があったとしても、パフォーマンスが落ちるような場所では尽力しても無意味だと感じました。それこそ我々は前線で全力を出しています」
「…お前も同意見か」
話を振られたマスティフは社長の視線を受け、空になったグラスの氷を揺らした後、静かに口を開く。
「死にたくねぇ奴ばっかなんで、勿論いつだって手は抜いてませんよ。ヴォルフが言う通り、もう少し連携が取り易けりゃ任務は楽になるんじゃねぇかとは思いますがね」
当たり障りのない言葉である。マスティフ自身一匹狼のような気質の持ち主だ、前者は真実であっても後者は偽りの可能性があったが、社長を目の前に「一人でやりやすい仕事をくれ」とは豪語出来ない。珍しく一歩引いたマスティフを目の前にしつつ、社長へと目をやった。どこか思案しているような目つきだった。思慮深さを感じられるその目は静かに閉じられ「分かった」とだけ呟かれた。何に対して、はなかった。だが文脈からは何かしらを感じ取れた。
「件について、善処しよう」
思ってもみなかった言葉に驚いた。酒の追加オーダーを忘れるぐらいだった。だがまあ、有能な社長であるのは周知の事だ、彼が言った言葉に嘘偽りはなさそうだった。善処という意味合いについて、普通大体は良い言われはしていないが。
社長は徐に手を挙げ、ウェイターを呼び付けた。追加のオーダーだった。あまり聞き覚えのない酒の名を告げると、ウェイターは早足でカウンターへ戻り、二人分のシャンパングラスと一本のボトルを持ってきた。重厚な雰囲気のあるワインボトルがグラスへ傾けられ、芳醇な香りを纏った琥珀色に近い黄金の酒が注がれた。
「今日は聖夜だ。俺の注文した残りで良かったら、祝杯でもあげてくれ」
社長はそう言うと、立ち上がり自分のグラスを綺麗な仕草で持ち上げ、飲み干して空にした。メリークリスマス、良い夜を。その言葉を捨て台詞にして、社長はコートを翻して去っていった。広い背中ががやがやと煩い客に紛れて行くのを見届け、残されたシャンパングラスへと視線が移る。
「…何の酒だ?」
マスティフに聞かれるが、シャンパンには疎い俺は肩を竦ませるしかなかった。
「さてな。上等な美味い酒であろう事しか分からん」
言えばマスティフは意地の悪そうな笑みを浮かべ、グラスを手に取った。奴の見た目にはあまりに不似合いな細いシャンパングラスは、静かな気泡をぷくぷくと浮かべている。それを呷るように飲み干したマスティフは、ふん、と鼻を鳴らした。
「メリークリスマス、か」
確かにうめぇ、と笑ったマスティフに倣い、俺もシャンパンを口に含んだ。詳しい味わいも表現の仕方も分からないが、社長の置き土産ぐらい楽しんでやるとしよう。まだ先行きが不透明な部隊編成、何を考えているか、何を見ているか分からないヨダカの事をいっそ忘れて。舌に広がる深いシャンパンの味わいに舌鼓を打ち、静かに瞼を閉じた。外では雪が降っているかもしれない。それも良い、と一人思いつつ微かに笑えば、眼前の男が再度鼻を鳴らしたような気がした。

青天の霹靂/モブ(+桐仁)

弱肉強食という言葉があまり好みではなかった。世の中に平等という名の楽園(無論人によっては泥沼のような腐ったものだろうが)が無い事を理解していたからこそ、弱きは砕かれ強きが勝ち上がるというはっきりした優劣をまざまざと見せ付けられるのが正直飽き飽きしていたのだ。自分はどちらかと言えば強者の部類に入るのを分かっていた、だからこそ弱き者たちに蔑視の色で見られるのを痛い程認知していた。お前は良いよな、あんたには関係ない話だろ、勝ち組の癖に。恵まれた体格と頭を持ち合わせている人間は、この人間が食い扶持を争う世に――傭兵同士が血を流す闘争において、圧倒的に有利だったのだ。
そうだ、あの時までは。私はどこか心の中で安堵していたのだ。私は戦場において死ぬ事はない、信頼のおける戦友と共に上位PMCに入り、今日も弱者を照準の中で射殺すだけなのだと。
死に物狂いで逃げ回っていた。弾薬は尽きかけ汗と泥と硝煙で目が痛かった。粉塵避けのゴーグルに弾丸が掠り、頭が吹き飛ぶ前に眉上から盛大に出血した。止血する暇があったら脳漿をぶち撒いて死んでいたのだろう、無線に反応はなく私の部隊は自分自身を除いて狩り尽くされてしまったらしい。朝方共にコーヒーを飲んで煙草を嗜んだ戦友の顔が思い浮かぶが、すぐに霧散して噴煙に満ちた市街地の壁になる。今私がいる所は何処だっただろうか。アンブッシュがあるだろう事は予測していたが、まさか前哨狙撃兵による超遠距離射撃だとは思わなかった。アンチマテリアルライフルを撃てば人の壁など簡単に崩れる、一個小隊がばらけた肉片になり人間パズルになった瞬間が、私が記憶している最新の地獄絵図だ。逃げろ、と誰かが叫んだのだ。そうして一目散に走り出したのは私の足だった。あの場で残って応戦すれば、誰か一人でも生き残ったのではないのだろうか。嫌な感情が飛来して、防弾服に覆われた肌にじわりと汗が染み出てくる。今は過去の事を考えている暇などない、兎にも角にも本部へ帰り「想定外のアンブッシュだった」という事を報告せねばなるまい。いつもより重たく感じるFAMASを抱えて穴だらけの壁にもたれた。気温が下がり日は陰り、夜の匂いが漂い始めた。タクティカルスコープや暗視システムが付いたアンチマテリアルライフルならば撃ち抜かれるかもしれないが、こちらも赤外線ゴーグルを使えば何所にいるかぐらい分かる。あちらに見つかる前に脱するか、一発見舞ってやればいい。報いではなく闘争心の表れだ。狙撃兵の腕は充分称賛に値するものだ、私自身やり合ってみたいのかもしれない。


(未完)

2016Halloween(4)/ケージ隊

「お前にトラウマはあるか、ヨダカ」
暖かいカーペットに寝転んだヨダカは、飽きもせず子供向けのカートゥーンを見ていた。声に気付き顔をこちらに向けると、「トラウマ?」と訝しげに眉を顰めた。
「いきなり何の話だよ」
「ふと思っただけさ。人には必ず幼少期に何かしらの嫌な記憶、思い出がある。…楽天的でおつむが足りないお前には、思い出せんか」
「お前な、失礼にも程があるだろ!」
何なんだよ、とクッションを抱き寄せたヨダカはまた大人しくカートゥーンを見始めた。が、消え入るように小さな声音で「ピエロ」と呟いたのが聞こえた。
「ピエロ?」
「…そうだ」
「何故そう思うんだ」
「…何考えてるか分からねえからだ。…って何話させてんだよ!」
憤慨したらしいヨダカは放っておき、チカチカと光る携帯に気付いた俺は、端末を開いた。メールだ。アザワクから。スルーギの退院が決まったらしい。早いものだ。
「どうかしたか?」
「スルーギが明後日退院だそうだ」
「土手っ腹に穴空いたんじゃねえのかあいつ…」
「喰らったのが12.7mm弾ではなかったのが幸いしたのかもな」
「冗談にしては酷いぞ桐仁」
返信を済ませると、ソファ前のローテーブルに置いてあった煙草を取り、ジッポで火を付けた。くぐもった葉の焼ける匂いがふわりと浮かぶ。あの日――味わうことの出来なかった味だ。雨に打たれ、焼けるように痛かった拳。事件は「自軍兵のPTSDによる精神攪乱によって起されたもの」であったが、メディアに大きく取り上げられることもなく、我々ケージ隊により「敵勢力を大幅に掃討することが出来た」とだけ、小さく報じられた。大嘘甚だしいが、これが現実だった。残党はいない上猟奇殺人の犯人はエヴァンジェイル・コーポレーションの特殊作戦群兵士、と来たら、真実が報道されれば企業のイメージダウンは計り知れない。故に大金とともに箝口令が敷かれたのだ。吐くな、と。我々は軍人ではない、傭兵だ。正義や忠義の為に銃を握っているわけではないのだが、この結末には後味の悪さを感じていた。俺だけではない、隊員の顔を見たら分かる。…しかし、覆すことは出来ない。やる意味もない。必要性を感じないのならば、それはやる価値がないのと同然だった。
煙を吐き出す。無言のまま、寝転がったヨダカの視線を受けた。何かを訴えるような目をしても、俺は吐く言葉がなかった。
とたとた、と何かが走る音が聞こえた。家にいる足音の主は、ヨダカを除けばあと一人しかいない。俺と同じ髪色の子供が、リビングへと顔を覗かせた。胸には大きな黄色いカボチャを抱えている。桐哉、とヨダカが笑う。
「重たくないか、それ?」
「おもたくない」
「カボチャ、ちゃんと切れたか?」
「ん」
一人息子である桐哉は、学校からカボチャを持ち帰ってきた。学校で一つ、家で一つと、ハロウィンを飾り立てる授業が課外であったらしい。中身は学校で刳り貫き、目と口は宿題ということだ。子供の身体には少し重たそうなカボチャを二つ持ってきた桐哉は、ヨダカに一つを預け、もう一つを俺に渡してきた。綺麗に刳り貫かれ――る予定であろうカボチャは、表面にナイフの跡が少し付いただけで、まだ笑っていなかった。
「ヨダカと、きりひとに、おねがいしたい」
桐哉はナイフを俺に手渡して来た。まあ、そうだろうな。おうちの人とやりましょう、と言われれば、まず一人で試してからやるタイプの子供だ。小さな手のひらを見て、切り傷はついていないことを確認すると、カボチャを受け取る。家庭用ナイフより軍用ナイフの方が堅牢な分早く切り取れるが仕方が無い、桐哉が描いたであろうペンの下描きに刃を押し当てた。
丁度、カボチャの右目に当たる部分に切り込みを入れ始め、既視感を感じた。
「…ジャックザカーヴ、と言ったところか」
その一言に、ヨダカは眉根を寄せる。やめろ、と無言の圧力を感じながら、いつか見たあの男を真似るようにカボチャを刳り貫いた。
お前が見ていた世界は、どんなものだったんだ。
誰かが答えることもない。
死人はもう、ものを言わず、何かを瞳に映すこともないのだ。




(刳り貫きジャックは夢を見ない)

2016Halloween(3)/ケージ隊

怒られたから抵抗した。ただそれだけだった。俺に非がないのにも関わらずあいつらは怒鳴るから。正当な理由を勝手に作って、お前がいけないって言うから、涙が出そうだった。死んでしまえ、クソ野郎と叫んで、気がついたらもう誰もいなくなっていた。
I just resisted cause I was shouted without any reasons or my fault. That fellows anytime shouted me with that proper ecxuses they make, I was almost cryng. Fuck off, bustered! I screamed such things, and I notice nobody’s here, ecxept me.

迂回路を進むこと二時間程。到達予定時刻からやや遅れ、1255には目的地である山中の廃村に到着した。曇天から雨天に変わり、視界良好とは言えない状況、ついでに言うと気温がぐっと下がり暦上の日付に比べると余計寒く感じられた。仄かに吐息が白くなる。廃村の入り口近くの林に身を潜めていた、先行チームの二つのツーマンセル――アザワク・スルーギ組とガルエラ・ルーヴァン組と合流する。雨のせいで酷く泥濘んだ土の上で端末を展開させる。
「ETAを大幅に超えたが、無事全員着いて何よりだ。さて、これから廃村内部に潜入する。敵残存勢力は間違いなくここにいると予測されている、ここまでの道中接触がなかった分信憑性はないが逆に少数精鋭が残っていると考えれば局地戦的にあちらが有利だ。地の利を味方につけている、油断はするな。アザワク、スルーギ」
「はい」
「戦闘が始まったら先行するのはお前たちだ。狙撃手の援護を頼む」
「了解っす!」
二人が頷いたのを見ると、ガルエラとルーヴァンに目を向けた。
「ガルエラ、ルーヴァン。予定通り遠中距離射撃だ。狙う相手をくれぐれも間違えるなよ」
「無論だ」
「観測は俺に任せてくれよ桐仁。ガルエラの手綱はしっかり握っておくぜ」
ガルエラはいつもと変わらない様子だ。ルーヴァンも然り、といったところだ。大昔に流れの傭兵をしていたときと、変化もなく安定している二人である。そして、俺が最後に向き直ったのが、スリーマンセルを組んでいたヨダカと千寿だ。
「ヨダカ、ここからお前はアザワクたちと組んでもらう」
「いつものことだな」
「何だ、不服なら俺がアザワクたちと組むが」
「お前は優秀な観測手がいるだろうが、馬鹿たれ」
千寿を顎で指すヨダカに軽く笑うと、隣の千寿に頼むぞ、と一言を伝える。
「いざとなったらお前も撃て、千寿。俺はまだ死にたくねえからな」
「…はい」
握りしめたアサルトライフルを胸に、千寿は顎を引いた。どこか固い視線は、出立前に危惧していたようにも見えた、自軍兵の安否を思ってのことだろうか。どちらにせよ、我々の目標は敵の掃討だ。手が余っていたら、でいいのだ。目の前の任務に集中すれば生還率は上がる。俺は千寿の背中をばん、と一つ叩くと、行くぞ、と全員に視線をやった。兵装のセーフティ解除を再確認する。対物狙撃銃はドラッグバッグにしまったままだが、FAMASやM4A1などのアサルトライフルをそれぞれ近接戦で用いるため、そちらのマガジンを確認した。準備は問題ない。指を揃えて、GOサインを出す。アザワクとスルーギ、そしてヨダカが先行して走って行く。遮蔽物は多くもなく、廃村のため建物は老朽化し、盾になりそうになかった。廃村の山道を駆け上がった先に見える、廃工場のような大きな建造物に向かっていく手筈だ。ガルエラ・ルーヴァン組にも同じように行け、と顎で示す。またあとでな、と言いたげなルーヴァンの尻を叩いて走り去る二人を見送る。先行したアザワクたちは中央突破、ガルエラたちは村の右手側を、俺と千寿は左側を回る。千寿と顔を見合わせ、泥濘んだ大地を蹴る。入り口から左手側は雑草が多く、俺の腰ほどまで成長した草木が生い茂っている。蹴り飛ばすようにして駆け抜ける。千寿は身体が小さい分余計体力を使う可能性があったが、難なくクリアし廃村の中腹一歩手前まで来た。双眼鏡で覗き込むと、廃工場の中へ突入していくアザワク組の姿が捉えられた。足が速いな。ガルエラ組は問題なさそうだ。廃工場の一歩手前で端末を確認しているようだ。白い息を吐きながら、M4A1を抱え直す。千寿を後ろに、警戒しながら廃村左側の廃工場手前に迫った。有刺鉄線が張り巡らされている。だが、残存勢力の姿は一切ない。駆け抜けてきた廃村の中も、人一人見ない。むしろ、死体すら確認出来ないとはどういうことだ。一昨日、ここで銃撃戦があったのは間違いない。アルケミー隊の遺体は回収されたのだろうが、敵兵士の遺体や、銃痕・血痕といった類の「痕跡」がない。まるで神隠しにでもあったかのような、そんな雰囲気だ。滴ってくる雨の雫を顎先で拭いつつ、ゴーグルを額に上げた。
「妙だな」
「どうかしましたか?」
「…綺麗すぎると、思ってな」
千寿が首を傾げそうなその瞬間だった。ダダダッ、パンパン、と大きな破裂音がした。銃声。咄嗟に千寿の首裏を掴んで地面に伏せさせ、リカバーの為銃口を向ける。向けた方向は、これから潜入する廃工場の中だった。銃声はこちらからか。千寿に背中を頼むと、無線をつける。
「こちらケージワン。全隊、応答しろ」
『――ら、ケージス――、桐仁、――線の調子が――、こちらは問題な――、』
ルーヴァンの声だ。無線の調子が芳しくないようだ。だが心配はしなくていいだろう。問題はアザワクたちだ。無線応答がない。
「こちらケージワン、ケージスリー、廃工場内部へ至急向かえ。右側には二階へ通じる連絡階段がある筈だ。我々は銃声の方へ直ぐ駆けつける。何かあれば連絡入れろ。通信終わり」
プツン、と耳元で無線が切れた音がした。山中の奥地、入り組んだ地形になってきているせいか無線が思うように動かないのだ。行くぞ、と呟くと、千寿と共に有刺鉄線を乗り越え、吹き曝しに近い廃工場内部へと歩みを進めた。壊れたトタン屋根から溜まった雨水が滝のように流れ落ちている。ひんやりとした寒気は打ちっぱなしのコンクリートの壁のせいだろう。電球は切れて室内は暗いままだ、開いた扉から風が入ってきては空っぽの電灯を揺らしている。端末の地図を展開させる。元々金属加工の工場だったらしい、工場の裏手側には鉱山からの資源の運搬口がある。入り口から見ると奥へ行けば行くほど広がっているのだ。銃声がした方向は、アザワクたちが潜入した中央の方だ。メイン金属加工場となっていたところだ。すると、再度銃声が聞こえた。今度は近い、ついでに怒号のような声も響いてきた。
「急ぐぞ」
「はい!」
構えたままの銃はそのまま、千寿と半開きになった加工場の扉に張り付く。いち、に、さん、で重たい扉を蹴飛ばし、二方向・前方へ銃口を向ける。薄暗くだだっ広い加工場には、金属加工機器が錆びついたまま放置されており、 雨水が漏れ出した床は所々水たまりを作っている。そして鼻につく腐臭に気がついた。真夏の戦場、放置された兵士の死体のものより悲惨な、人が腐った上、閉鎖的な空間で臭いが溜まっているのだ。その原因は明らかだった、俺が入ってきた扉以外の壁三方向に、コンクリートを画板とした「芸術作品」が飾られていた。どの死体もあの写真と変わらない、どれも眼窩に眼球がない。飾るにしては質が悪いか、と呟くと、物音がした。千寿が咄嗟に反応し、銃口を向けたが影は外に通じる扉――恐らく鉱山の運搬口だ――へと消えていった。
「っ、待て!」
「千寿、単独で動くな。――アザワク、スルーギ」
暗い室内に目が慣れてきた、加工場の中央に倒れている二人の隊員に近づいた。フラッシュライトをつける。踏み荒らされたブーツの足あとの中に、腹を抱えて芋虫のように丸まっているスルーギ。出血量に気づき、直ぐ様屈んでゆっくり横たえる。隣のアザワクは軽傷のようだが、額から出血していた。軽い脳震盪か。
「アザワク、状況を説明しろ。どういうことだ」
呻くスルーギの下腹部を見ながらアザワクを叩き起こす。救急キットをポーチから出してはさみで野戦服の裾を切り、消毒を施して圧迫失血に入る。アザワクは起きて早々スルーギを見て動揺しかけたが、千寿に諭されこくりと頷いた。
「ブリーフィングで、話した内容なんすけど、」
残存部隊なんて、もうとっくの昔にいなかったんすよ。アザワクはそう言って壁を指さした。この部屋の異臭の原因とも取れる兵士の遺体は、コンクリの壁にまるで受難者の如く打ち付けられている。
「あれ、敵の残存兵…だった奴っす。あっちの壁のはアルケミー隊の隊員の一人。…あと、腐乱死体以外にも半分風化した死体めっちゃあって、それ作って楽しんでいたのが――アルケミー隊の生き残りの奴です」
一人だけ、生き残った者がいるという。アザワクも顔見知りの兵らしく、朗らかで生真面目な男だったという。それが何かをきっかけにして豹変し、凶行に至ったということだ。その理由は分かり得ないことだ。聞いてみない限り、か。尋問するには難関だが、やってみないことには分からない。
身体を起こしたアザワクにスルーギの止血を頼む。流石に身体を鍛えている筋肉馬鹿の一人だ、どうにか持ち直しそうだった。
「…ヨダカは」
「追って行ってます。ただ、ヨダカさんも足に一発食らってます」
「義足の方だろう。だから走れるんだあいつは」
言いながら救急キットを全てアザワクに預ける。
「敵の装備は分かるか」
「アンチマテリアルライフルだと思います。普通に伏射して来なかったんすけど、立射ぐらい出来るでかい男です」
気をつけてください。アザワクはそう言うとスルーギへと視線を落とした。面識のある自軍兵の裏切り、裏切りと断定出来なくともフレンドリー・ファイアーに相当する行為、また遺体損壊の凶行。余程のことがないとここまでは出来ない。何があったのか。何がお前を残虐な悪魔に変えたのか。それを問わねばなるまい。アザワクの背をひとつ叩くと、スルーギを任せて犯人を追う。無線は依然調子が悪く、ガルエラたちとは連絡がつかない。
扉を開ける。雨足が強まり、時折遠雷が聞こえる。水たまりは泥水となり、淀んだ濁り水の中に血痕が見えた。足跡について回るようなそれは、鉱山近くへと続く。山肌に近づくと、剥き出しになった岩がそこら中に転がっていた。工場の裏手から連絡通路を渡ると、砕石場へと続いていた。血痕も、同じく。無言で後ろをついてくる千寿は、何かを訴えることもない。それでいい。今はそれでいい。ゴーグルの水滴を乱暴に拭いながらひたすら走った。
赤錆で老朽化したベルトコンベアに囲まれた砕石場に到着した。粘土質の地面を駆けていくと、三度銃声が耳に入った。早まるなよヨダカ。コンベア群をくぐると、先に二人の男がいた。ヨダカは地面に足をついており、もう一人の男――俺より遥かに大きい巨躯の大男が、ヨダカを殴りつけている。牽制のため直ぐに照準を合わせ、鈍重な動きの男の右拳を狙い引き金を引く。いつもの狙撃距離に比べたら簡単なものだ、男の片腕の先は、7mm弾によって吹き飛ばされた。よろけた男の隙を見て、ヨダカの襟首を引っ掴み後ろへと下げる。その間にも千寿が照準を外さない。
「桐仁、悪い、」
ヨダカに頷くと、俺は男に向き合った。二メートルを超えているか。俺より頭一つ以上大きい背丈で、横幅もアザワクよりある巨漢だ。アルケミー隊の部隊章をつけ、薄汚れた野戦服を纏い、ウエストポーチのチャックを何度となく開閉し続け、涎を垂らしながら傾いている。顔に生気はなく、異様な雰囲気だった。同じ野戦服を着用し、四肢もあり、人としてある程度許容出来るものだと頭が知覚している筈なのに、「まるで同じ人間ではない」ような気がしたのだ。銃口を向ける。アザワクが言うには、相手は対物狙撃銃を持っているとの情報だったが、まるで何も持っていない、丸腰だった。
「アルケミー隊所属兵だと認識する。社内条項違反が好きなようだな。このような事態になった経緯を聞かせてもらう、同行願おう」
男は傾いたまま、拳がなくなった右腕を押さえて震えていた。口が何かの言葉を形取るが、耳には届かない。聞こえなかったのか、そう言って一歩近づいて銃口を向けたまま覗き込んだ。途端、あの加工場で嗅いだ腐乱臭が、蘇る。そして男の口の動きは、一定の言葉だけをずっと作っていたことを理解した。
見るなよ。
その一言が、耳に入ってきた。次の瞬間、男の猛烈な右フックが襲いかかる。咄嗟に銃でカバーしたが対応しきれない、拳がないのにも関わらず重たい一撃を腹に受け呼吸が止まる。
「桐仁!!」
ヨダカが叫ぶ。視界の端で千寿が撃鉄を起こしている。
男のストレート、ジャブ、それぞれを躱していく。巨漢の癖に動きが嫌に早い、CQBになった途端これか。銃を投げ捨て、近接戦に集中する。こちらからアッパー、フック、と攻撃をしかけて命中しても、まるで衝撃吸収のクッションのように手応えがない。雨で視界が濁る。男はずっと何かを言い続けている。どうして見るんだ、どうしてそんな目で俺を見てくるんだお前も同じなのかそうなのか、俺はいい子にしていただろうなあそれなのにどうして馬鹿にしたような顔で俺を見てくるんだ見るなよ見るな見るな見るな。ぶつぶつと俺にしか聞こえないようなその囁きは、雨音に紛れてもよく届く。
「…だから目を刳り抜いたのか」
理不尽な言い訳だった。見られたくないから、目を穿り出したのだ。馬鹿げている。男は涎を撒き散らしながら怒号を吐き出す。腹を立てたわけではなかったし、死んでいった者たちへの寂寥でもない感情を感じていた。ただ、この狂人をおとなしくさせるのは今しかなかったのだ。理由などない、凶行に及んだ犯人は裁かれるべきなのだ。その理由を正し、根拠や原因を探り出し、二度とこのようなことがないように。
男の巨躯に鍔迫り合いしながら、足元をブーツで蹴り飛ばす。泥水の中に倒れ込んだ男に馬乗りになって殴り飛ばす。何度も、何度も。拳が裂けそうだ。ぶよぶよとした感触が拳に伝わる。口の中が裂けた男は、血塗れのままにたりと口角を上げた。その瞬間、男の片手が伸びてきた。残った左腕が、俺の首に巻き付く。大きな手のひらが、頸動脈を締め上げた。あれだけ殴った。昏倒していい頃だと思った。鈍い呼吸音が、締め付けられてひゅうひゅうと鳴る。まずい。
「桐仁!――千寿、撃て!」
ヨダカの指示が飛ぶ。千寿が構えるのが視界の端に映る。撃つな、まだ撃つな。この男はまだ殺してはいけない。千寿が照準を合わせている。あいつは迷いなく撃つ。男の左手に爪を立てながら喉を力の限り振り絞る。
「――、撃つな!!」
千寿が止まる。目を見開く。行動と抑制が働いたのだ。指示が二つ。彼女は銃口を震わせながら、男の頭に向けていた殺傷武器を揺らがせている。ぎしぎしと手のひらが締め付けを強くしていく。音が遠のく。雨が目に入る。ぎょろりと飛び出た男の眼球が、俺を見ている。ヨダカの声が、千寿の声が、聞こえる。
あの目を失った兵士たちが見た景色は、きっとこれだ。
拳を振り翳し男の頬を殴り付ける。血と涎が撒き散らされる。俺が殺されるものか。痛みはとうの昔に忘れていた。俺が腕を振り上げた瞬間、殴り続けていた男は、ふと大きな破裂音の後に笑みを消した。正確に言えば、頭が吹き飛んでいったのだ。弾け飛んだ脳漿が、泥水に混じっていく。
聞き覚えのあるライフル音だった。男の手が、だらりと下がりそのまま泥濘の中にどさりと落ちていった。音が戻る。耳に雨音と、ヨダカと千寿の声が聞こえてきた。ヨダカが足を引き摺りながら傍に膝を付くと、俺の肩を抱いて何かを叫んでいる。対物狙撃銃の轟音で、まだ元には戻らない。俺はふと、物言わなくなった巨躯の殻を見つめた。腰元についたポーチから、何かが覗いている。それが目だと――人の眼球だと気付いた。こいつは、収集していたのだ。「自分を見つめてくる目」を。
無線が、ざざざ、と鳴る。ガルエラによる狙撃だったようだ。限界だと思ったから、撃った。仲間を助ける為の正しい狙撃だった。俺はヨダカに肩を貸してもらい、立ち上がると首を摩った。指のあとが残る。何に苦しみ、何に怒り、何を悲しんだのかもう分からなくなった。男は死んだ。殺した兵士たちの眼球を集めて、何かを俺に伝える前に。
豪雨に打たれ、吸おうとした煙草は最早火がつきそうになかった。

2016Halloween(2)/ケージ隊

いい子にしていればいいのと言ってくれた人がいた。いい子とは何か、自問自答しても答えは出なかった。テストで良い成績を取ったしスポーツでも一等を取った、褒めてくれさえすればそれで良かった。なのにどうしてそんな目で俺を見るんだ?いい子にしていたのに、どうして。
There was the person whom it meant that you should behave yourself. The answer did not appear what the good child was even ifI talked to myself. Took the results that the test was enough for, and even sports took the first prize; it was enough only if praised it. However, why you are looking at me such eyes? I was good boy, isn’t it?



ヘリから降下した先は治外法権と同様だった。紛争が恒常化した世界、人を殺すことが違法ではなく金銭を得るゲームと同じような扱いになれば仕方のないものだろう。対人戦の激化は、より強い武器を作り出し戦争特需を生み出す。終わることのない、先の見えない戦争はマネーゲームだ。そのおかげでその日の飯にありついているこちらからすれば、戦争屋様々と言ったところなのだろうが、噴煙と泥に満ちたこの臭いは未だ慣れないような感覚があった。同じ姿形をしているものを殺すなど、常軌を逸している。それを頭が理解していても本能が拒絶しているのかもしれない。故に、“慣れ親しんだ”戦場の臭いを嗅いだときに感じる違和感は、きっと拒否に近いのだ。これは異常なことなのだと。
煙草に火をつける。ラペリングロープが巻き上げられていくのを見届ける。回転翼の空を切る音が耳にうるさい中、モズが片手を挙げているのが見えた。こちらも真似て返答すると、帰投の為来た空路を帰っていった。曇り空が続いている。晴れ間は見えず、湿った土のせいか冷え込んでいる。空気はやけに乾き、煙草の煙が良く見えた。全員が装備の点検を直ぐに終えると、ガルエラ・ルーヴァン、アザワク・スルーギのツーマンセル、そして残りの俺・ヨダカ・千寿のスリーマンセルになる。
「無線を常にオンにしておけ。地点確認を怠るな。敵兵潜伏予想地点はここから東に6km程の山中だ。大昔に廃村となった場所に潜伏している可能性が高い。現時刻が1025、ETA1200だ。恐らく多少前後するだろうが、早ければ早い程人質が助かる可能性は高くなる、無理をしない程度に行軍をする」
無論、人質の命があった場合だが。その言葉は言わずまま、隊員たちの目を見つめた。問題なさそうだ。何かあれば自分で対応することが出来る輩ばかりだ、心配はしていない。心残りがあるとすれば、今回のヤマの異常性だけだ。何かがなければあんな遺体にしない。シリアルキラー、異常性癖者、人間以外の獣か何か。考えても答えは出ないが、我々に残されたのはこの泥濘の中を歩き続けることだけだった。消えかけている煙草を軍靴で踏み消すと、一歩を歩みだした。
先頭を筋肉馬鹿二人、真ん中にガルエラとルーヴァン、殿をスリーマンセルの俺が引き受ける。延々と続きそうな山道だ。獣道と言っても過言ではない。
「解せん、と言いたそうだな?」
ふとかかった声はヨダカのものだった。お喋りをするタイプではないが、そこまで俺の表情が変わっていたのだろうか、肩を竦めるとヨダカに視線を移す。
「事前情報のリークではまず有り得ないような事態になっている。アンチマテリアルウエポンの調達は簡単なことではない、ともすれば糸を引いている輩がいる可能性がある」
「内部でか?」
「充分に有り得る。無論間違いなくということではないが、可能性がゼロではない限り疑う必要性がある」
「…アルケミー隊で離反者が出たこともなく、特殊作戦群の中ではトップクラスの遊撃専門部隊だ。士気の低下もあまり考えられないが」
「それは理解している。だがことがことだ、まさかと思える事態を想定しておかないと俺たちの部隊まで響く」
お喋りは終いだ、と片手を挙げる。急斜が続く獣道、前方で警戒しながら行軍を進めていたアザワクたちから無線が入ったのだ。千寿を呼び止め、ヨダカに周囲を警戒してもらいながらインカムに集中する。ツーマンセル・ツーマンセル・スリーマンセルのそれぞれの距離感は約五十〜六十メートルほど。鮮明な無線音に耳を傾けた。こちらケージツー、とアザワクの声でツーマンセルの認識ナンバーが無線から告げられた。
「ケージワンだ。どうした」
『地図上だと平地になっている部分なんすけど、えーと、この獣道の先、が、結構急な坂道になっていて、下るにはちっと危ねえ感じです』
「…カバーしても難しそうか」
『伏兵がいたら足元撃たれてオシマイって感じですよ。もし俺がカバーする立場だったとしても、ここまで開けた斜面は無理っす』
遊撃専門職のアザワクからの言葉だ、素直に聞き入れる方がいいだろう。曇天が続き、もしも急に雨になった場合はこの粘土質の地面も泥濘が酷くなって足元をすくいそうだ。行軍で気にすべきことは体調管理だ、足の骨が折れた隊員が一人増えれば、とんだ大荷物を背負い込むことになる。俺はポータブルマップを表示した端末を叩くと、新たなルートを出した。迂回路だ。平地兼坂道となってしまっていた本来のショートカットルートを回るようにして歩く道だ。全体無線に切り替えるため、通信終わり、と告げるとすぐにマイクへと連絡を入れる。
「こちらケージワン。ブリーフィングでの進路では行軍困難と断定した。ややETAは変わるが、新進路を出した。各自端末を確認後、迂回路に回れ。森林地帯になる、伏兵がいる可能性も捨て切れん、警戒態勢を怠るな。ETA1220とする」
ラジャー、と二つのツーマンセルから返答がきた。ヨダカと千寿に向き合う。
「迂回路になる。ほぼ道ではないだろう。何が出てきてもおかしくない、俺が殿でヨダカが先頭を歩け。千寿、お前は耳が良い。異変があったら直ぐに知らせろ」
「はい、了解しました」
手に持ったM4カービンを抱え直す千寿は、ゴーグルに隠れ視線が見えなかった。異変があったら、という言葉はきっと己の中にも染みていくのだと、どこか他人事のように思った。何かがあるに違いないという感覚を、捨て切れていないのは自分自身だった。
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