怒られたから抵抗した。ただそれだけだった。俺に非がないのにも関わらずあいつらは怒鳴るから。正当な理由を勝手に作って、お前がいけないって言うから、涙が出そうだった。死んでしまえ、クソ野郎と叫んで、気がついたらもう誰もいなくなっていた。
I just resisted cause I was shouted without any reasons or my fault. That fellows anytime shouted me with that proper ecxuses they make, I was almost cryng. Fuck off, bustered! I screamed such things, and I notice nobody’s here, ecxept me.
迂回路を進むこと二時間程。到達予定時刻からやや遅れ、1255には目的地である山中の廃村に到着した。曇天から雨天に変わり、視界良好とは言えない状況、ついでに言うと気温がぐっと下がり暦上の日付に比べると余計寒く感じられた。仄かに吐息が白くなる。廃村の入り口近くの林に身を潜めていた、先行チームの二つのツーマンセル――アザワク・スルーギ組とガルエラ・ルーヴァン組と合流する。雨のせいで酷く泥濘んだ土の上で端末を展開させる。
「ETAを大幅に超えたが、無事全員着いて何よりだ。さて、これから廃村内部に潜入する。敵残存勢力は間違いなくここにいると予測されている、ここまでの道中接触がなかった分信憑性はないが逆に少数精鋭が残っていると考えれば局地戦的にあちらが有利だ。地の利を味方につけている、油断はするな。アザワク、スルーギ」
「はい」
「戦闘が始まったら先行するのはお前たちだ。狙撃手の援護を頼む」
「了解っす!」
二人が頷いたのを見ると、ガルエラとルーヴァンに目を向けた。
「ガルエラ、ルーヴァン。予定通り遠中距離射撃だ。狙う相手をくれぐれも間違えるなよ」
「無論だ」
「観測は俺に任せてくれよ桐仁。ガルエラの手綱はしっかり握っておくぜ」
ガルエラはいつもと変わらない様子だ。ルーヴァンも然り、といったところだ。大昔に流れの傭兵をしていたときと、変化もなく安定している二人である。そして、俺が最後に向き直ったのが、スリーマンセルを組んでいたヨダカと千寿だ。
「ヨダカ、ここからお前はアザワクたちと組んでもらう」
「いつものことだな」
「何だ、不服なら俺がアザワクたちと組むが」
「お前は優秀な観測手がいるだろうが、馬鹿たれ」
千寿を顎で指すヨダカに軽く笑うと、隣の千寿に頼むぞ、と一言を伝える。
「いざとなったらお前も撃て、千寿。俺はまだ死にたくねえからな」
「…はい」
握りしめたアサルトライフルを胸に、千寿は顎を引いた。どこか固い視線は、出立前に危惧していたようにも見えた、自軍兵の安否を思ってのことだろうか。どちらにせよ、我々の目標は敵の掃討だ。手が余っていたら、でいいのだ。目の前の任務に集中すれば生還率は上がる。俺は千寿の背中をばん、と一つ叩くと、行くぞ、と全員に視線をやった。兵装のセーフティ解除を再確認する。対物狙撃銃はドラッグバッグにしまったままだが、FAMASやM4A1などのアサルトライフルをそれぞれ近接戦で用いるため、そちらのマガジンを確認した。準備は問題ない。指を揃えて、GOサインを出す。アザワクとスルーギ、そしてヨダカが先行して走って行く。遮蔽物は多くもなく、廃村のため建物は老朽化し、盾になりそうになかった。廃村の山道を駆け上がった先に見える、廃工場のような大きな建造物に向かっていく手筈だ。ガルエラ・ルーヴァン組にも同じように行け、と顎で示す。またあとでな、と言いたげなルーヴァンの尻を叩いて走り去る二人を見送る。先行したアザワクたちは中央突破、ガルエラたちは村の右手側を、俺と千寿は左側を回る。千寿と顔を見合わせ、泥濘んだ大地を蹴る。入り口から左手側は雑草が多く、俺の腰ほどまで成長した草木が生い茂っている。蹴り飛ばすようにして駆け抜ける。千寿は身体が小さい分余計体力を使う可能性があったが、難なくクリアし廃村の中腹一歩手前まで来た。双眼鏡で覗き込むと、廃工場の中へ突入していくアザワク組の姿が捉えられた。足が速いな。ガルエラ組は問題なさそうだ。廃工場の一歩手前で端末を確認しているようだ。白い息を吐きながら、M4A1を抱え直す。千寿を後ろに、警戒しながら廃村左側の廃工場手前に迫った。有刺鉄線が張り巡らされている。だが、残存勢力の姿は一切ない。駆け抜けてきた廃村の中も、人一人見ない。むしろ、死体すら確認出来ないとはどういうことだ。一昨日、ここで銃撃戦があったのは間違いない。アルケミー隊の遺体は回収されたのだろうが、敵兵士の遺体や、銃痕・血痕といった類の「痕跡」がない。まるで神隠しにでもあったかのような、そんな雰囲気だ。滴ってくる雨の雫を顎先で拭いつつ、ゴーグルを額に上げた。
「妙だな」
「どうかしましたか?」
「…綺麗すぎると、思ってな」
千寿が首を傾げそうなその瞬間だった。ダダダッ、パンパン、と大きな破裂音がした。銃声。咄嗟に千寿の首裏を掴んで地面に伏せさせ、リカバーの為銃口を向ける。向けた方向は、これから潜入する廃工場の中だった。銃声はこちらからか。千寿に背中を頼むと、無線をつける。
「こちらケージワン。全隊、応答しろ」
『――ら、ケージス――、桐仁、――線の調子が――、こちらは問題な――、』
ルーヴァンの声だ。無線の調子が芳しくないようだ。だが心配はしなくていいだろう。問題はアザワクたちだ。無線応答がない。
「こちらケージワン、ケージスリー、廃工場内部へ至急向かえ。右側には二階へ通じる連絡階段がある筈だ。我々は銃声の方へ直ぐ駆けつける。何かあれば連絡入れろ。通信終わり」
プツン、と耳元で無線が切れた音がした。山中の奥地、入り組んだ地形になってきているせいか無線が思うように動かないのだ。行くぞ、と呟くと、千寿と共に有刺鉄線を乗り越え、吹き曝しに近い廃工場内部へと歩みを進めた。壊れたトタン屋根から溜まった雨水が滝のように流れ落ちている。ひんやりとした寒気は打ちっぱなしのコンクリートの壁のせいだろう。電球は切れて室内は暗いままだ、開いた扉から風が入ってきては空っぽの電灯を揺らしている。端末の地図を展開させる。元々金属加工の工場だったらしい、工場の裏手側には鉱山からの資源の運搬口がある。入り口から見ると奥へ行けば行くほど広がっているのだ。銃声がした方向は、アザワクたちが潜入した中央の方だ。メイン金属加工場となっていたところだ。すると、再度銃声が聞こえた。今度は近い、ついでに怒号のような声も響いてきた。
「急ぐぞ」
「はい!」
構えたままの銃はそのまま、千寿と半開きになった加工場の扉に張り付く。いち、に、さん、で重たい扉を蹴飛ばし、二方向・前方へ銃口を向ける。薄暗くだだっ広い加工場には、金属加工機器が錆びついたまま放置されており、 雨水が漏れ出した床は所々水たまりを作っている。そして鼻につく腐臭に気がついた。真夏の戦場、放置された兵士の死体のものより悲惨な、人が腐った上、閉鎖的な空間で臭いが溜まっているのだ。その原因は明らかだった、俺が入ってきた扉以外の壁三方向に、コンクリートを画板とした「芸術作品」が飾られていた。どの死体もあの写真と変わらない、どれも眼窩に眼球がない。飾るにしては質が悪いか、と呟くと、物音がした。千寿が咄嗟に反応し、銃口を向けたが影は外に通じる扉――恐らく鉱山の運搬口だ――へと消えていった。
「っ、待て!」
「千寿、単独で動くな。――アザワク、スルーギ」
暗い室内に目が慣れてきた、加工場の中央に倒れている二人の隊員に近づいた。フラッシュライトをつける。踏み荒らされたブーツの足あとの中に、腹を抱えて芋虫のように丸まっているスルーギ。出血量に気づき、直ぐ様屈んでゆっくり横たえる。隣のアザワクは軽傷のようだが、額から出血していた。軽い脳震盪か。
「アザワク、状況を説明しろ。どういうことだ」
呻くスルーギの下腹部を見ながらアザワクを叩き起こす。救急キットをポーチから出してはさみで野戦服の裾を切り、消毒を施して圧迫失血に入る。アザワクは起きて早々スルーギを見て動揺しかけたが、千寿に諭されこくりと頷いた。
「ブリーフィングで、話した内容なんすけど、」
残存部隊なんて、もうとっくの昔にいなかったんすよ。アザワクはそう言って壁を指さした。この部屋の異臭の原因とも取れる兵士の遺体は、コンクリの壁にまるで受難者の如く打ち付けられている。
「あれ、敵の残存兵…だった奴っす。あっちの壁のはアルケミー隊の隊員の一人。…あと、腐乱死体以外にも半分風化した死体めっちゃあって、それ作って楽しんでいたのが――アルケミー隊の生き残りの奴です」
一人だけ、生き残った者がいるという。アザワクも顔見知りの兵らしく、朗らかで生真面目な男だったという。それが何かをきっかけにして豹変し、凶行に至ったということだ。その理由は分かり得ないことだ。聞いてみない限り、か。尋問するには難関だが、やってみないことには分からない。
身体を起こしたアザワクにスルーギの止血を頼む。流石に身体を鍛えている筋肉馬鹿の一人だ、どうにか持ち直しそうだった。
「…ヨダカは」
「追って行ってます。ただ、ヨダカさんも足に一発食らってます」
「義足の方だろう。だから走れるんだあいつは」
言いながら救急キットを全てアザワクに預ける。
「敵の装備は分かるか」
「アンチマテリアルライフルだと思います。普通に伏射して来なかったんすけど、立射ぐらい出来るでかい男です」
気をつけてください。アザワクはそう言うとスルーギへと視線を落とした。面識のある自軍兵の裏切り、裏切りと断定出来なくともフレンドリー・ファイアーに相当する行為、また遺体損壊の凶行。余程のことがないとここまでは出来ない。何があったのか。何がお前を残虐な悪魔に変えたのか。それを問わねばなるまい。アザワクの背をひとつ叩くと、スルーギを任せて犯人を追う。無線は依然調子が悪く、ガルエラたちとは連絡がつかない。
扉を開ける。雨足が強まり、時折遠雷が聞こえる。水たまりは泥水となり、淀んだ濁り水の中に血痕が見えた。足跡について回るようなそれは、鉱山近くへと続く。山肌に近づくと、剥き出しになった岩がそこら中に転がっていた。工場の裏手から連絡通路を渡ると、砕石場へと続いていた。血痕も、同じく。無言で後ろをついてくる千寿は、何かを訴えることもない。それでいい。今はそれでいい。ゴーグルの水滴を乱暴に拭いながらひたすら走った。
赤錆で老朽化したベルトコンベアに囲まれた砕石場に到着した。粘土質の地面を駆けていくと、三度銃声が耳に入った。早まるなよヨダカ。コンベア群をくぐると、先に二人の男がいた。ヨダカは地面に足をついており、もう一人の男――俺より遥かに大きい巨躯の大男が、ヨダカを殴りつけている。牽制のため直ぐに照準を合わせ、鈍重な動きの男の右拳を狙い引き金を引く。いつもの狙撃距離に比べたら簡単なものだ、男の片腕の先は、7mm弾によって吹き飛ばされた。よろけた男の隙を見て、ヨダカの襟首を引っ掴み後ろへと下げる。その間にも千寿が照準を外さない。
「桐仁、悪い、」
ヨダカに頷くと、俺は男に向き合った。二メートルを超えているか。俺より頭一つ以上大きい背丈で、横幅もアザワクよりある巨漢だ。アルケミー隊の部隊章をつけ、薄汚れた野戦服を纏い、ウエストポーチのチャックを何度となく開閉し続け、涎を垂らしながら傾いている。顔に生気はなく、異様な雰囲気だった。同じ野戦服を着用し、四肢もあり、人としてある程度許容出来るものだと頭が知覚している筈なのに、「まるで同じ人間ではない」ような気がしたのだ。銃口を向ける。アザワクが言うには、相手は対物狙撃銃を持っているとの情報だったが、まるで何も持っていない、丸腰だった。
「アルケミー隊所属兵だと認識する。社内条項違反が好きなようだな。このような事態になった経緯を聞かせてもらう、同行願おう」
男は傾いたまま、拳がなくなった右腕を押さえて震えていた。口が何かの言葉を形取るが、耳には届かない。聞こえなかったのか、そう言って一歩近づいて銃口を向けたまま覗き込んだ。途端、あの加工場で嗅いだ腐乱臭が、蘇る。そして男の口の動きは、一定の言葉だけをずっと作っていたことを理解した。
見るなよ。
その一言が、耳に入ってきた。次の瞬間、男の猛烈な右フックが襲いかかる。咄嗟に銃でカバーしたが対応しきれない、拳がないのにも関わらず重たい一撃を腹に受け呼吸が止まる。
「桐仁!!」
ヨダカが叫ぶ。視界の端で千寿が撃鉄を起こしている。
男のストレート、ジャブ、それぞれを躱していく。巨漢の癖に動きが嫌に早い、CQBになった途端これか。銃を投げ捨て、近接戦に集中する。こちらからアッパー、フック、と攻撃をしかけて命中しても、まるで衝撃吸収のクッションのように手応えがない。雨で視界が濁る。男はずっと何かを言い続けている。どうして見るんだ、どうしてそんな目で俺を見てくるんだお前も同じなのかそうなのか、俺はいい子にしていただろうなあそれなのにどうして馬鹿にしたような顔で俺を見てくるんだ見るなよ見るな見るな見るな。ぶつぶつと俺にしか聞こえないようなその囁きは、雨音に紛れてもよく届く。
「…だから目を刳り抜いたのか」
理不尽な言い訳だった。見られたくないから、目を穿り出したのだ。馬鹿げている。男は涎を撒き散らしながら怒号を吐き出す。腹を立てたわけではなかったし、死んでいった者たちへの寂寥でもない感情を感じていた。ただ、この狂人をおとなしくさせるのは今しかなかったのだ。理由などない、凶行に及んだ犯人は裁かれるべきなのだ。その理由を正し、根拠や原因を探り出し、二度とこのようなことがないように。
男の巨躯に鍔迫り合いしながら、足元をブーツで蹴り飛ばす。泥水の中に倒れ込んだ男に馬乗りになって殴り飛ばす。何度も、何度も。拳が裂けそうだ。ぶよぶよとした感触が拳に伝わる。口の中が裂けた男は、血塗れのままにたりと口角を上げた。その瞬間、男の片手が伸びてきた。残った左腕が、俺の首に巻き付く。大きな手のひらが、頸動脈を締め上げた。あれだけ殴った。昏倒していい頃だと思った。鈍い呼吸音が、締め付けられてひゅうひゅうと鳴る。まずい。
「桐仁!――千寿、撃て!」
ヨダカの指示が飛ぶ。千寿が構えるのが視界の端に映る。撃つな、まだ撃つな。この男はまだ殺してはいけない。千寿が照準を合わせている。あいつは迷いなく撃つ。男の左手に爪を立てながら喉を力の限り振り絞る。
「――、撃つな!!」
千寿が止まる。目を見開く。行動と抑制が働いたのだ。指示が二つ。彼女は銃口を震わせながら、男の頭に向けていた殺傷武器を揺らがせている。ぎしぎしと手のひらが締め付けを強くしていく。音が遠のく。雨が目に入る。ぎょろりと飛び出た男の眼球が、俺を見ている。ヨダカの声が、千寿の声が、聞こえる。
あの目を失った兵士たちが見た景色は、きっとこれだ。
拳を振り翳し男の頬を殴り付ける。血と涎が撒き散らされる。俺が殺されるものか。痛みはとうの昔に忘れていた。俺が腕を振り上げた瞬間、殴り続けていた男は、ふと大きな破裂音の後に笑みを消した。正確に言えば、頭が吹き飛んでいったのだ。弾け飛んだ脳漿が、泥水に混じっていく。
聞き覚えのあるライフル音だった。男の手が、だらりと下がりそのまま泥濘の中にどさりと落ちていった。音が戻る。耳に雨音と、ヨダカと千寿の声が聞こえてきた。ヨダカが足を引き摺りながら傍に膝を付くと、俺の肩を抱いて何かを叫んでいる。対物狙撃銃の轟音で、まだ元には戻らない。俺はふと、物言わなくなった巨躯の殻を見つめた。腰元についたポーチから、何かが覗いている。それが目だと――人の眼球だと気付いた。こいつは、収集していたのだ。「自分を見つめてくる目」を。
無線が、ざざざ、と鳴る。ガルエラによる狙撃だったようだ。限界だと思ったから、撃った。仲間を助ける為の正しい狙撃だった。俺はヨダカに肩を貸してもらい、立ち上がると首を摩った。指のあとが残る。何に苦しみ、何に怒り、何を悲しんだのかもう分からなくなった。男は死んだ。殺した兵士たちの眼球を集めて、何かを俺に伝える前に。
豪雨に打たれ、吸おうとした煙草は最早火がつきそうになかった。