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0221/キェル+ノック

珍しく雨が長引く日だった。午後からは晴れ間を見せるでしょう、と言っていた筈の天気予報は大きく外れ、突発的に降り始めた雨で東岸の空は寒々しい色をしていた。ぱたぱたと屋根を打つ雨は、二月の下旬、冬の終わりを迎えるノイン区には冷え込んだ空気を持ち込んだ。バイクを停め、雨具も何もない状態で走行するのは愚者のやることだと考え、駐輪場がついたこじんまりとしたカフェへと駆け込んだ。
同じような状態の客で溢れた店内は、日中から酒が飲めるようにバーも併設されていた。相席になりますが、と申し訳なさそうに言ってきたウェイターに、構わない、と返事をし、まずカウンターで注文する。寒かった外のせいで冷え切った身体は、あたたかい飲み物を求めていた。ブレンドコーヒー、とメニュー表を指差し、片手で雫を払い、店内を見渡す。どの席でも別に構わなかった、喫煙出来さえすれば充分だった。そんなことを思いつつ、視界の端に映った窓際の席に、見慣れた男がいた。淡い髪の色は目立つ。店員が案内しようとした席を断り、知り合いだ、と男の席へと近付いた。
「相席は可能か」
声を掛けると、ノック・ランバートは見下ろしていた新聞紙面から顔を上げ、元々大きな目を少しだけ丸くした。こちらを視認し、「ああ、問題ないよ」と呟き、向かいの席を掌で指し示す。上着を脱いで席に着く。
いつも夜にしか会わないような男に、こんな真昼間から遭遇するのは新鮮だった。煙草を抜き取り唇に咥え、息を吸いながら火をつけた。慣れ親しんだ紫煙が浮かぶ中、ノックは新聞を畳む。
「久しぶり?だったかな」
「そうでもない。三週間かそこらぶりだ」
「ああ、僕が外に行っていた時期を考えると、そうだね。そのぐらいかも」
「お前にとっては久しぶりかもしれないな」
「もう何年も顔を会わせていない人もいるから、そうでもないんじゃないかな」
在り来りな世間話をスタートさせたところに、注文していたブレンドコーヒーが届いた。一口啜り、煙草の味わいを楽しむ。
「その様子だと、雨に降られたらしい」
「ああ。天気予報が外れた」
「実は僕もそうなんだ。東岸の雨の日は案外寒くてね、満喫しようと思っていたんだけど、まぁ、この通り」
シチリアのあたたかさが懐かしいよ、いや東南アジアぐらいぬるい方が僕には合っているのかな、どうなんだろう。そう言ってポットの紅茶を注ぐノックの、手首に気が付いた。
三週間前、彼に会ったときには身に付けていなかった時計が見えたのだ。時計の善し悪しは全く検討がつかないが、見るからに上等な時計だということは理解出来た。長方形の盤面と、上質であろう本革で出来たベルトがついている。正直、小綺麗ながら諸外国を放浪するような人物の腕には似つかわしくない、と思える外装をしたものだと判断した。
あからさまな視線だったのか、ノックは「ん?」とこちらの方に疑問符を浮かべ、注視していたものが何だったのか認識したらしい。ああ、これか。ノックはそう言って紅茶を淹れ終えると、時計の盤面を撫でた。
「姉がね、誕生日にくれたものだ」
「良く似合っている、と反応したらいいか」
「いや、特にそういうリアクションは無くても構わない。…ああ、きみから見て似合うかどうかの判断は少し興味があるかもしれない、どう思う?」
ノックは薄らと笑うと、自然な振る舞いでティーカップに口をつけた。先程思った通りの言葉を吐き出す。
「外見上、お前には良く適したものだと思える。が、放浪するに辺りリスクを背負う可能性は否めない」
「高級な時計だという点だろう?そうだね、確かに言葉の通りだ。けど姉からしたら、"この時計を贈る"ことに意味があったんじゃないかと、僕は踏んでる」
「その時計を身に付けるという点ではなく、その時計を贈るという点か。言い方は悪いが、型に嵌めた自己解釈の範囲内で贈答品を考えるのはややエゴだと感じる」
「人はエゴの塊だ、…というのが僕の考えでね。僕も、君も、何かしら、どこかしらからそれは覗くものさ」
どう思うかな、と答えを自然に求める言い方をしているノックを眺め、白煙を吐き出す。
エゴという考え方は、人それぞれできっと想像するものは同じでも、エゴだと判断する範囲は違う。寛容であるか、独善的であるかの差だ。前者がより良いもので後者が忌避すべきものだとは思わない、あくまで"どう判断するか"の話である。眼前の男の言葉の解釈は、凡そ己と同じだと思っていた。吸い切った煙草を灰皿に押し付けると、頷く。
「自分自身のエゴを理解しているからこそ、そう言い表した。お前の言葉の通りだろう」
そう言うと、ノックは「まあ、そうだね、うん」と柔らかく苦笑したのち、腕に着いた真新しい時計を眺めた。
「ヒトの価値に対して見合ったモノは、相対して初めてその価値が見出される」
その言葉は、彼が身に付けた時計に対するものなのだろう。ノックらしい発言だった。掴みどころのない煙草の煙のような存在ながら、この男は実に流暢に言語を操る。目を細め、二本目の煙草に火をつけた。
「持論か」
「はは、何となくそう考えただけだよ」
「だが言い得ている。モノの在り方は、ヒトの在り方に付随している」
宝の持ち腐れという言葉があるように、如何に道具(モノ)を扱うかという点に於いてはそうだろう。今手の中で弄ばれている相棒から貰ったジッポも、扱い方が悪かったら使い道がないようなものだ。使用用途は、使い手のやり方次第で大きく変わる。たとえ質が良くても雑な扱いでは元も子もなくなる。
ノックはこちらの言葉にふむ、と息をついた。
「なら、姉がこの時計を贈ってくれた意味は、やはり僕に対して何らかの圧力を強いている、と見ても過言ではない、かな?」
「そういう人なのか」
「そこについて僕が言及するのはやめておこう。どこに耳があるか分からない世の中だから」
「賢明な判断だ。…だが気にする必要はないんじゃないか?年単位で考えたらこの国での滞在時間は極端に短いんだろう」
年がら年中諸外国を渡り歩くノックについて、己が知る限り、彼はどこにいるかも定かではないようなタイプであり、遭遇すること自体が稀有だ。今回だって三週間のスパンで会えたこと自体が珍しい。そもそも、連絡手段も持たずに自由に行き来する、自由人とも言える彼が、ちょっとした自分の噂話を気にするような頭をしているのだろうか。答えは、否だろう。
ノックは少しだけ考えたあと、「ああ、そもそも気にしないか」と答えを得たように、自分の中で納得していた。姉の耳に入れば面倒なのかもしれないけれど、と言葉を続け、そのときはそのときだ、と前向きな発言をした。
「試行錯誤はするけれども、ネガティブになって思考を止めるのはきっと芳しいことではないんだろうね」
「前者は肯定的で挑戦的だが、後者は否定的でやや停滞気味だ。保守的である、と言えば聞こえは良いが」
「どちらが良いか、は人によるかな。何故そう思えたか、の根拠や理由が聞けたら僕は満足なんだけれど」
そこまで言って、ああ、ところで何の話題だったんだっけ。とノックは呟いた。あたたかかった筈のブレンドコーヒーと紅茶はとっくの昔に冷え、灰皿に乗せたままだった煙草は灰になり、一本無駄になってしまった。だが、時間の経過は幸いにも、土砂降りだった冷たい雨を凌いでくれたらしい。店内の空気を入れ替えようと、ほんの少しだけだが店員が窓を開けていた。
窓際の席から見えた空は、乾いた冬空を描き出しており、空気を澄ませていた。あの雨のあとだ、アスファルトは濡れていたが、雨具は必要なさそうな状態へと変わっていた。
「止んだようだね」
ノックの言葉に相槌を打つと、冷たくなってしまったコーヒーを一気に飲み干す。ポケットに入れたままの携帯端末がさっきから鳴動していたのを知っていたので、そろそろ帰らねばなるまい。
「仕事中なんだろう?」
「ああ。雨宿りが長いと、連れが怒っていそうだ」
「バイブレーション長かったからね」
「いつもこうだ。…面倒だと思う部分はあるが、仕事をきっちりやる奴には頭が上がらない」
そう言ってジャケットを羽織ると、煙草とジッポをポケットに入れた。じゃらじゃらと煩い小銭を確認し、俺の分だ、と伝票に書いてある数字より少し多めに小銭を渡す。いいよ、と遠慮を見せたノックに片眉を上げて黙らせると、肩を竦めた。
「じゃあ、また」
「ああ、また近い内に」
そんな適当な挨拶を、お互いし合った。
いつどこで、という約束をしない男だと知っていた。それぐらいの距離感でいることに満足していた。渡り鳥のように転々とするノック・ランバートという男は、干渉の仕方が上手だ。また、という言葉を、謙遜や遜色なく使える者は希少で、少なくとも好感が持てた。
踵を返し、歩みを進めた。人が少なくなっている店内は静かなものだった。人が話し込む声や、食器の重なる音がする中、ふと立ち止まる。誕生日、と言っていたか。振り返り、失念していた、と少し離れたテーブルにいる、ノックに告げる。
「誕生日おめでとう」
良い日を。そう言うと、ひらりと手を振り、足を動かして店の扉に手を掛けた。からん、と鳴ったドアベルの向こうでは、良く晴れた冬の陽射しが迎えてくれた。ぬくもりを感じつつも吹く風は頬に刺さるようだ。
ああ確かに、午後からは晴れだったな。あながち間違いではない。天気予報士の言葉を思い出しながら、ジャケットからバイクの鍵を取り出した。
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At the library/キェル(+モブ幼女)

閉館時間だと気付いたのは、声掛けがあったからだった。土日祝日も開館してくれるのはありがたいが、閉館時間がいつもより早いことを失念していたのは盲点だった。今日は17時までなんです、と申し訳なさそうに言ってきた司書の女性に礼を言うと、開いていた本を閉じて貸出カウンターに向かった。閉館時間になると丁度混雑するカウンターは人でごった返しており、前には沢山の絵本を抱えた少女が待っていた。親の姿はなく、一人で借りに来たのかもしれない。本を詰められそうな大判のトートバッグを手首にかけていた。ふと、少女が抱えていた本に視線がいく。何となく見覚えがあるなと思っただけだったが、幼い頃に読んだ本だった。
「黒猫サンゴロウ」
思わずぼそりと呟いてしまった声は少女の耳に届いてしまったらしく、振り向き、仰がれた。真ん丸の瞳が凝視してきた。決まりが悪くなり、言葉を続けた。
「どの巻も面白い」
「よんだこと、あるの?」
「ああ。外伝もあるから、これを読んでみて楽しかったら借りるといい」
少女が持っていた一巻、二巻を指差してそう告げる。
「がいでん?」
「サイドストーリーだ。サイド、と呼ぶには出来すぎているきらいはあるが」
少女は言葉を理解していないように見えたが、分かった、ありがとう、と言って貸出カウンターの順番を進み、登録を終え、トートバッグに本を詰めると図書館の入口へと駆けて行った。その後ろ姿を見届けると、次の方、と呼ばれたのでカウンターに本を積み上げた。スピヴァクを専門的に研究した諸外国の著書、哺乳類の反射反応について意欲的な研究成果を出した論文、その他諸々、気になった本たちだ。三週間もあれば十冊一通りは読めた。ピ、ピ、とバーコードをスキャンしていく無機質な音を耳にしながら、ふと落としていた視線を上げた。
図書館の入口には、もう少女の姿はなかった。家路に着き、夕飯を食べ、入浴を済ました後、きっとあの絵本を読み解くのだろう。父親か、母親か。祖父母か、それとも兄弟か、もしかすると一人で物語の世界に没頭するのかもしれない。彼女が抱く感想が何であれ、己が述べた「面白い」印象になれば幸いだと思った。
「全部で十冊ですね。延長があれば、お電話かメールでご連絡下さい」
司書の女性に言われ、お待たせ致しました、と差し出された本たちをリュックサックに仕舞う。警備員が立つ、図書館の自動ドアの向こう側では、春の終わりかけのにおいがしていた。夕暮れの傾いた太陽の光に照らされ、樹木が風に遊ばれている。葉の擦れ合う音を聞きながら、ジャケットに仕舞われていたバイクの鍵を取り出した。駐輪場に着いて、キーを差し込んでヘルメットを被る。跨ってエンジンを始動して、視界に映ったレンガ造りの階段を認識した。
幼い頃、もう顔も思い出せない父親と共に登った階段だった。あの時借りた本が、黒猫サンゴロウだったのかどうか、正直定かではない。買ってもらったものだったか、借りたものだったか。覚えているのは、引いてくれた父親の手が分厚く硬い皮膚に覆われていたことぐらいだった。どんな言葉を吐いたのか、何を教えてくれたのかも分からないが、図書館に来る時はどことなく楽しそうだったような気がする。
スロットルを上げてエンジンを吹かした。轟音を立てた愛車は、記憶の片隅にある幼少期の光景をそのままに、赤く照らされたコンクリートの小石を跳ねた。
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