スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

Balance of life/ガルエラ(→ルーヴァン)+桐仁

命には重さがある、という一説について話したことがある。その説の「信奉者」曰く、その重さが、質量として測れるものなのかどうか、物質的に捉えられるものなのかどうか、彼らはそれらを肯定した上で「命には重さがある」と言う。質量として重さがあるもの、つまりは心臓を指しているのかと何気なく呟いたときには、相棒に笑われたものだった。その重さではなくて、優先度の話だよ。明朗且つ穏やかな声で答えを示し、スポッティングスコープを覗き込んだ横顔はいつもと何ら変わらず、そうか、と返すだけだった。
優先度、というものは基準によって変わる厄介で不明瞭な線引きだ。社会の中で線引きを明らかにしていれば済むものもあれば、そうはいかないものも多く存在する。線引きをする一方が有利にならないよう、監視する機関が目配せするぐらいだ。我々民間軍事会社の下っ端が、紛争の最中思うように羽根を伸ばせないのと同じだった。
では、彼らが言う命の重さ、優先度とは、果たして一体全体何のことなのだろうか。家庭で優先される命、街や村といった小さなテリトリーで優先される命、学校で、職場で優先される命、場所に起因するものか。それとも秀でた者、富んだ者、美しい者、善い者、その人物に起因するものか。考えたところで答えは出なかった。命の重さ、優先度など、あってもないに等しい。存在しても認識されないのが実情だ。マクロ的社会の中では確かにあるのかもしれないが、その"考え"は誰の思想から来たものか。環境か、生来か、知識か、実践か、思っている以上にその優先度という線引きは形骸化しているのだ。戦場で息を吐き、引鉄を引くことに慣れた身体は、命の重さや優先度を、自らの指先に託しているからだ。
何よりも優先されるべきなのは、自分だ。
狭い喫煙所の中は有害な煙に覆われ、東南諸国の焼き物屋台にも似ていた。ソフトパッケージから取り出した紙巻き煙草は、火をつけるとリトルシガーらしく豊かな香りを放ってくれる。嫌煙家には評判が悪いが、愛煙家の同僚には「女にモテそうな匂いだ」と好評を得ている。そう言う彼もほぼ葉巻に近い、重たいタールが特徴の女性受けしそうなチェリー味の煙草を吸っていた。いつか肺癌になるのならば今の内に美味い煙草を吸ったらいい、とぼやいていたのを良く覚えている。じじ、と火種が小さく灯ったあと、吸い込んだ煙を細く吐き出した。視線を周囲へと行き渡らせる。屈強な身体付きの傭兵らが、携帯端末を眺めながら静かに煙草を吸う様子は、どこか滑稽にも思えた。ただでさえ身体がでかくて邪魔だと言われるのに、狭苦しい喫煙所内では更に肩身の狭い思いをしなければならない。世の風潮が嫌煙志向になっているのを、きっとこの場の誰もが良く知っていることだろう。
喫煙所の黄ばみがかった壁には、サイズに丁度合った液晶テレビが備え付けられている。音声はないが、四六時中世界各国のニュース情報を垂れ流している。やれ北方でゲリラ殲滅戦が、南方でテロ組織指導者暗殺任務が、とメディアに公開されても良いあれやこれやがてんこ盛りだった。どれが真実でどれが虚偽かはこの際何でも良かった。恐らくこの喫煙所にいる者共は、上っ面だけのニュースを読み解き、そこから得たものを更に発展させるだけの頭をしている。渡された原稿を読むだけのニュースキャスターに、別段何かを思うことはなかった。
半分程リトルシガーを吸った辺りで、喫煙所の扉がスライドした。狭い室内に質量が増される。見慣れた男の顔だった。吸いに行くなら誘え、と片眉を上げた桐仁に肩をどつかれ、悪かった、と返した。隣に立った桐仁は、臙脂色のソフトパッケージから煙草を器用に咥え、火を付けた。人工的なチェリーの甘ったるい匂いが鼻に届く。
「お前がいないと回らない仕事が増えて困る」
「そんなことはない。優秀な部下に恵まれているんだから他を当たれ」
「上手いことはぐらかそうとしても無駄だぞ。そう言って仕事を増やさないようにするお前の悪癖は良く知っているからな」
そうだろう、ガルエラ。そう言って意地汚く笑っている桐仁は 、ファイリングされた書類の束が詰まったファイルを渡してきた。さっきから何か抱えているなとは思っていた為、ある程度覚悟はしていた。仕事を喫煙所にまで持ち込んでくるとなると、余程面倒な案件を任されるか、もしくはブラフで異様に退屈なものを強いられるかだ。面倒なものはそれはそれで厄介だが、つまらない案件で時間を潰すよりかはマシだと思っていた。ファイルを開き書面に目を通す。残念ながら後者のようだ。退屈な任務が回される。
「不服か」
「いや」
鼻で笑っていた桐仁の問いに対し、間髪入れずに答えてしまったのが運の尽きだろう。不服だと肯定しているようなものだ。短くなったリトルシガーを備え付けの灰皿にねじ入れる。桐仁はこちらがどう感じるのか、どう考えているのか、そういったものを良く観察している。部隊長としての立派な職務だと言えばそうなのだが、それこそ個人的な意見を言えば奴こそ"悪癖"だろう。長い付き合いだ、異を唱えはしないが、呆れた風に溜息ぐらい吐いても構わないだろう。そんなことを考えながら、ファイルを閉じて小脇に抱え、次の煙草を咥えて火を付ける。白い煙が行き交う。薄らんだ冬の空にも似た曖昧な白さだ。隣に立つ男のジャケットとは正反対の色味は、空気中で混ざり合って途絶えていく。ふと並んだ肩を見る。
桐仁は元から意思疎通における余計な会話が少ない男だった。今も一言二言喋ったきり、壁に引っ付いたモニター画面をぼうっと眺めているだけだった。沈黙を美徳とするわけではなく、ただ単に口を動かすのが面倒なのかもしれない。その気持ちは良く分かった。居心地が良い相手に対し、何かを語るよりかは黙っていた方が楽だった。無駄吠えをしない良く躾られた軍用犬に似ていると思った。
肩越しに見えた液晶テレビには、忙しなく世界情勢を伝えるキャスターと現場の映像が繰り返されている。報道規制をされていない上に、有志が撮影した市民の処刑動画が垂れ流されていた。不平不満が溜まった人間が起こす行動は、ときに冷静さを欠いている。常軌を逸しているとはそういうときに使われるべき言葉なのだろう。手製の処刑台に膝を着いた男の首筋に分厚いタクティカルナイフが添えられ、観衆の声は一層高まる。首を刎ね、息の根を止めた哀れな男の頭が持ち上げられると、動画の撮影主はそれをアップにさせた。
ゲリラ組織に楯突いたか、運がなかったのか。事実は分からないが、何にせよ男が死ぬのは過程に有り得た話だったのだろう。力がなかった証拠だった。
「まるで屠殺場だ」
小さな独り言が喫煙所に響く。桐仁は濃い白煙を吐いてから、煙草の先でテレビ画面を指し示す。
「豚がいない代わりに人を絞めているようなものだ」
「酷い例えだが、分からないでもない」
「そうだ、分からないでもないから困る。戦地ではせめて頭だけはまともでいて欲しいものだ」
見かけはまさに野蛮人になってしまうからな、と喉奥で笑った桐仁は、吸いつくした煙草を灰皿に押し付けた。ヤニで焦げ茶色に染まった泥水から立ち上る残り香が、甘ったるい余韻を作り出す。
果たして頭だけでもまともでいられるのだろうか、とふと思う。戦場で生きる我々は、初めから"戦場で生きていた訳ではない"。多岐の方法から選択した結果が戦場だったわけで、その選択をした時点から頭の中はもう地獄に等しかったのではないのだろうか。泣き喚く子供、レイプ被害で物言わぬ障害を抱えた少女、片足を無くした老人、飢餓で苦しむ赤ん坊、彼らを見て何か思うことがあるのならば、我々は戦場などで銃把を握らなかったのではないのか。
「…重さがないのか」
生きていることを天秤にかけるとすれば、彼らは芥に等しいのかもしれない。人として理解していながら人として認識していない。無意識下で行われる命の選択は、己の命を長らえさせる為の方法だった。独り言を聞き取り何か返してくれる程、桐仁はお人好しではないらしく、こちらの言葉に片眉を上げるだけだった。人差し指と中指で挟んだリトルシガーは短くなり、一本無駄になってしまった。先に戻る、と肩を叩いた桐仁は、喫煙所のドアをスライドさせた。
ふと視線を上げる。先程まで長ったらしい紛争速報をしていたニュース映像は、いつの間にか次の話題に飛び、地方中間選挙の予想について有識者が見解を述べ始めていた。くだらない話だと一蹴出来るのは余程の愚か者がすることながら、命の選択について考え始めた己の頭には、内容が一向に入ってこなかった。
もし仮に、己の命と釣り合うものが危機に晒されたときに、どのようにして"選択"するのだろうか、と。
天秤に載せられた狙撃銃の重さを知っている。あの弾丸が殺す命の重さは、きっと己が救いたい命の重さよりずっと軽いのだ。相棒の顔を思い返しながら、掌に刻まれた銃胝を撫で、リトルシガーを投げ込んだ。
続きを読む

AM07:00/サルバドール(+グァルティエロ)

肌触りの良いリネンは、人肌の温度が移り生温かかった。微睡みから目覚めるきっかけとしてはありきたりだ、隣にあった温もりが消えれば体感温度は下がるものだ。随分前にグァルティエロがベッドから抜け出たことを、頭のどこかで認識していた。昨晩盛大に致した割に芯はしっかりしているらしく、空気が揺れ動く気配、葉巻を吸う男の匂いがしたかと思えば、シャワールームから水の音が聞こえ、最後にはコーヒーと朝食の香りが鼻先に届いた。目覚めるには最適のタイミングだろうと思った。薄目を開ける。天鵞絨のカーテンの向こうは薄明かりになっている。端末の時刻は0645を指していた。身体を起こし、見渡す。何の代わり映えもないグァルティエロの寝室は、間接照明もなく静かなものだった。ふと扉が開け閉めされる音が耳に届き、次の瞬間には寝室の戸が開き、いつもの黒ジャケットを羽織ったグァルティエロが顔を見せた。
「鍵は閉めろ」
それだけ言い残すと、扉は閉まり足音が遠のいた。防音仕様になった豪邸では、それ以上の音の手がかりはなかった。強いて言うならば、窓の向こう側でグァルティエロのポルシェが唸りを上げてスロットルを全開にするくらいだ。あそこまで急な姿は珍しい。違和感を感じる腰を無視しつつ立ち上がると、裸の身体にガウンを羽織った。携帯端末を手に寝室から出ると、だだっ広いリビングキッチンへと向かった。大家族用とも言えそうなテーブルの上に並んだ二人分の朝食は手付かずのまま、美味そうなベーコンエッグが湯気を出していた。そしてふと付けっ放しの大型液晶TVの画面へと視線を向けると、BREAKING NEWSの文字が流れていた。
『西岸区画イェガロ区における立て篭り事件についての続報です。犯人の身元が判明し、現在DDイェガロ区支部刑事課、特捜課、合同で交渉に及んでいるとのこと。犯人についてですが、反体制派ディンゴである可能性が高い、という情報がリークしておりますが、DDイェガロ区支部は沈黙を保ったままです。さてこの件について、社会部のミズ・アンダーソン、ケイジー中央大学国際学部教授ミスター・ウィルソンにお話をお伺いしたいと思います』
成程、慌ただしく奴が出ていった理由が分かるというものだ。朝早く不運なことだ。美味そうな飯まで用意したというのに、コーヒーを嗜む時間もなく件の為にポルシェを走らせたらしい。ここまで素晴らしい秋晴れの日に、と哀れみを覚えながら、白木のダイニングチェアに腰掛けた。湯気を立てるベーコンエッグ、新鮮なバナナとリンゴ、焼き立てだっただろうクロワッサンに罪はない。グァルティエロが用意したそれらを眺めながら、きちんと揃えられていたナイフとフォークを手に取った。

※It's just a copulation/グァルティエロ×サルバドール

ヒトと表すより知性のある獣と言われれば納得しそうだった。背丈はヒトの平均を遥かに超え、でかい図体と見合った重量、筋肉と骨は、野生に生きる熊にも似ていた。熊と違う点を挙げよと言われ、さて幾つ出てくるかと思案してしまう程度には、この男は大きかった。分厚い筋肉に覆われた肩を押しやっても、重力差のせいでどうにも出来ない。下半身にぶち込まれた陰茎が脈打つのを頭が理解しながらも、寄せてくる快感の波に目の前が白く明滅する。ピストン運動が続くせいか、頭皮から流れてきた大量の汗が目に染みた。サルバドール、と名前を呼んでくる毛むくじゃらは、さっきから耳を食んでは遊んでいる。とっとといけ、と喘いで掠れた情けない声を出し、どうにか抵抗を続けていた腕を力無くシーツに下ろした。時に、流れに身を任せる方が得策だと言う。敷かれたレールを沿うようにして歩むのは、自分の気質とは合わないのだが、臨機応変に対応すべき場合もあるということだろう。柔らかな綿のシーツが波打ち、身体に張り付く。覆う巨体は、丸々とした筋肉と年若く思える皮膚を持ち、激しい運動で以て湿度を帯びていた。滑る皮膚が擦れ、肛門の奥を突かれる度に息が漏れた。
いつだったかに衛星放送で見た、野生の動物の交尾を思い出す。彼らは生存本能のまま、種を残す為に性交をする。今眼前で享楽に耽る男は、本能でセックスをしているわけではない。自分で選択した快感を貪る為に、意図を持っているのだろう。ただ単にセックスをして種を残すのならば、何も男を選ばなくてもいい。同性を選んだのは、つまりは本来の"性行為"の意味から外れている。それをこちらも、知っていた。嫌悪も忌避もしない、快楽としての同性同士のセックスが、如何に心地良いのかを、身を以て理解していたのだ。
激しい出し入れがぴたりと止まった。前立腺を穿っていた肉棒は、未だに射精を迎えない。視界を覆う前髪の隙間から見上げると、白人種らしい肌理細やかな上腕の上、彫像じみた顔が笑みを浮かべていた。何だ、と言葉をかける前に異変に気付いた。挿入ったままの熱を持った奴のペニスが、より奥へと進入しつつある。ある程度の長さを持ったペニスは、困ったことに前立腺とはまた違う快楽を産むことがある。男の――グァルティエロのペニスを経験していた分、頭は直ぐに理解した。
収まりきらない筈の陰茎は、すっぽりと中へと留まり、S字結腸を刺激した。動かずとも脳の芯まで揺さぶるような、熱い快感が腹の中で暴れる。声を出すとより酷くなりそうだった。分厚い肩に歯を立てる。猫に引っかかれる方が痛い、と豪傑らしい言葉を吐くだろうことを予測したが、グァルティエロは黙ったまま押さえ込み、尻を揉んでいる。時折少しだけ揺さぶられ、喉の奥で掠れて声にならない声が漏れた。
「暫くこのままが良いだろう?」
そんなものは誰も望んでない、と言えば嘘になる。グァルティエロの言葉に返すものもなく、大きな肩に噛み付いたまま目を閉じた。顎が外れたら治療費は西岸へ請求してやる。

For the majority, For the minority/サルバドール

大多数が望んだ結果を得られ、その他が望まない結果に不満を漏らしている。勿論逆も有り得る。大多数が望まない結果のため苦虫を噛み潰したような顔になり、その他が望んだ結果によって勝利の美酒を味わうことが出来る。何らかの結末に至るまで、人は過程を選択し、ときに強制的に、ときに自発的に、最後に行き着くための時間を過ごす。その中で充実したものだったか、もしくは不満に満ち溢れたものだったか、自分自身で感じるためには己でその行動を起こさねばならない。レールに従うか、レールから逸れるか、レールの行き先を変えるか、その方法は様々だ。問題はそのアクションを、実際にするかどうか。それだけの話だった。
アラームが鳴る前に目が覚める。習慣ではなく老いだと知っていた。昔に較べたら夜はすぐに眠たくなり、朝はやけに早起きをする。誰かに合わせて朝食を摂るわけでもないのだが、そうなってしまった身体を不自然なリズムにさせる意味もなかった。実家ならばバトラー長が新聞とコーヒーを持ってくるが、ハウスキーパーだけで充分な広さのマンションでは、そうはいかない。冷蔵庫に備わった作り置きの新鮮な料理を消化し、コーヒーを飲み、電子版のニューズウィークを流し見なければならない。生憎腹は減っていなかった。ベッドから出て、やけに冷え込んだフローリングへと素足をつけた。土足厳禁のフロアは、夏場は良いが秋冬にかけてはやや手厳しく思える。そうしたのは他でもない自分なのだが。寝室からリビングへ赴き、ドリップマシンをセットして充電していたタブレットを手に、窓際へと足を向かわせた。閉じたままの遮光カーテンを開く。東岸区画の雑多な街並みが遠く眼下に広がり、ヒトとディンゴの縮図が垣間見えたような気がした。
思っている以上に、この国が様々な火種を抱えていることを、皆知っている。知っていても尚直視しない者、抵抗する者、耳を塞ぐ者、付き従う者、多くの意見が同居している。それが国を形作るものなのだと言われたら、確かに頷かざるを得ないのは理解している。だがそれが何だという話だ。その国、とは誰のものか。ヒトか。ディンゴか。誰でもない神のものか。答えが出ないのであれば、出るようになるまで考え闘い続ける意義はあるだろう。目を閉じ耳を塞いで国が変わるのであれば、戦いなど生まれないのだから。
ドリップマシンから抽出が終わったらしい音がした。コーヒーの香りが鼻先に届く。黙ったままだったタブレットを起動させ、AIの名前を呼んだ。

オークランドにて/NZに住む男達

緩やかな陽の光で目が覚め、クロウタドリの囀りが庭先から聞こえてくる。冷暖房を顧みない薄い窓辺は、あくまで雨風を凌ぐ作りをしているらしい。この国らしいと入居した当時は思ったものだった。その分朝には小鳥たちの歌声が聞けるわけだ、多少の冷えや暑さぐらいどうということはなかった。
シーツの中はあたたかく、ひんやりとした部屋の温度は丁度良い。身体をゆっくりと起こして伸びをした。南半球の八月は、言わば真冬だ。裸で眠れば少しは肌寒いが、質の良い寝具に包まれていると居心地が良い。腕に着いている時計のデジタル盤は、0740を指している。休日の朝に起きるには少し早いが、普段のライフスタイルが習慣となった身体は勝手に起きるようになっていた。同居人曰く、老いとはこういうものらしいが、さして年齢も変わらない男には言われたくない台詞だった。
ベッド横にあるルームシューズを履くと、立ち上がってカーテンを開けた。囀っていたクロウタドリたちは驚いたように飛び立つ。小さな庭先に植わった樹々が揺れ、冷えているであろう朝露が落ちる。芝の目は青々とし、朝を出迎えるようにして光を乱反射させている。ニュージーランドの冬は、祖国日本と違ってとても静かだ。夢物語とも言える、穏やかでシンプルな日々は、想像以上に身に染みた。喧騒、諍いから離れ、異国で暮らすことは、合う人にとってはより豊かなものになるのかもしれない。
そんなことを思いながら、踵を返す。隣の部屋で眠っている同居人を叩き起さねばならないからだ。小さな夢のマイハウスは、子供もいない独身男二人には充分な広さがある。同居人はトーテムポールのようにでかいので、曰く「ジャンプしたら天井に穴開けちゃうかも」とか何とか言っていたのを思い出す。もしも奴が穴を開けたら、日曜大工で頑張ってもらえばいい話だ。
部屋から出て、数歩で辿り着く隣室をノックもせずに入った。書斎じみた造りと無数の本に囲まれ、紙の匂いがする同居人の部屋には、隅っこに追いやられた大きなベッドがあった。丸く山になっている毛虫にも似た毛布の塊を視界に入れ、床に散らばった本を足で避けつつ、ベッドへと辿り着く。毛布の端を掴み、引っ張ると中から見慣れた同居人が出てきた。ぼさぼさの髪の毛は、いつだったか日本の繁華街で見た野良犬にも似ていた。呻き蠢く様を優しく起こしてやるような間柄でもなく、ベッドの向こう側にある遮光100パーセントのカーテンと窓を開け放つ。直に部屋へと差す太陽光に、同居人はいよいよ起き出す他なくなったようで、もぞもぞとシーツを掴んで呻いてはいるが、眠そうな目元を擦りながら瞳を開けた。マオリと白人、両方の血を受け継ぐ彼の目は、異国の香りを運んでくる。この瞳が好きだった。意志を持ち、意見することを臆さず、誇り高い目だ。おはよう、と掠れた声で呟いた同居人は、カーテンを開けたことを恨めしく思っていそうな顔で小さく微笑んだ。
「随分早いね?」
「習慣とは怖いものだ。勝手に起きるようになった」
「今日は休みだよ、日本人は時間に厳し過ぎるきらいがあるね」
「惰眠を貪り時間を無駄にするよりかはマシだ」
そう遠回しに小言を言ってやると、同居人は肩を竦めた。起きたからには活動しないと、と身体を起こし、生まれたままの姿の肉体が朝日に晒される。長い腕が伸びてきて、窓辺に立ったままのこちらの片腕を掴む。
「寒いから、少しあたためて欲しいんだ」
仲睦まじげに肌を寄せ合い、慰めの言葉を吐く間柄でないのは知っていた。だが、申し出を断る程の距離感でもなかった。休日の今日、セイリングに行く、と昨晩はしゃいでいた同居人の笑顔を覚えているが、そこまで時間もかからないだろう。セックスはしないぞ、と一言付け加えてから、ルームシューズを脱いで広いベッドへと上がった。ぬくもりが残る柔らかい布の感触と、張った筋肉の厚みに包み込まれた。
目を閉じれば、クロウタドリの囀りが聞こえる。冬の日のオークランドは、どこまでも長閑で、静穏さに満ちていた。