昨日行ってきた
髪の毛さっぱりでしにゃ
寄生獣仔だめ猫のこと、美容師さんに話してきた
いつもより期間をあけずに行ったから、どうしたの、と聞かれ、話したいことがあったから、と言うと…。
妊娠した
と、言われた
なんでもお見通しなんだろうか、この美容師さんは
どうやら立て続けらしく、まさかねぇ、前回そんな話もしたしねぇ、と、驚いて言い忘れたけどおめでとう、と言ってもらえた
気がつけば、この美容師さんに切ってもらうようになって8年くらいらしい。ばかなんじゃない、と言われたが、いろんな話して、説教もされるこの時間が楽しいんだにゃあ
ひとまず、イライラしたときは、ぷんすかした、と言った方が良いらしい
イライラしてることがどうでもよくなる、てさ
あと、ムカつく奴には、死ね、よりも、裸でイカの天ぷら揚げてろよ、と
意味わかんないけど、その現場を想像するとけっこうエグいでし
次は10月末に行ってくるでし
軽く暑さを取り戻したのか、昼間出歩くにはキツい感じだねぇ
残暑お見舞いを書いたら、お返事届いた
久しく会ってなくて、季節の挨拶状でしか繋がりがないけど、やっぱりうれしい
他人と関わるのがきらいだ、と言っているくせに、好きな人達に葉書を書いて存在アピールしているあたり、自分がよくわからない。
誰にも頼らず煩わされることもなく、一人で生きていけたら、と中学生くらいから考えてた。
誰とも関わらなくて楽しいのか
、生きてる意味なんてあるの
、と高校のとき友達に聞かれたが、いっそ生きてるのがめんどいから死にたいねぇ、と答えたのを覚えている。
生きるのはめんどくさい。人と関わるのも。
仔だめ猫中心の生活など、自分には想像できない。
そのくせ、やっぱり誰かに依存し、存在を認めて欲しいと思ってしまう。
時間が経てば、人との関わりに変化が生じる。
ぼくは変化してしまうのがこわい。なにも変わらずに、ずっと同じでいたいと思う。
仔だめ猫の存在が、周りとの関係性を変えてしまうのがこわい。
ぼくはずっと、このままでいたいのに…。
一人だけなら、変わることなんてないのだから、やっぱり一人が良いのかなぁ。
でも、やっぱり会いたいと願ってしまう。
酒は飲めないけど、みなと一緒に飲みに行きたいにゃあ
なんとなく、そんなことを考えてみた。
自分にとって、家族、に相当する人達はいる。
ただ、その人達をあまり家族としてみていないときがある。
父は研究者だ。聞こえは良いが、仕事はあまりない。だから、一家の大黒柱は母だった。
いつも働く母に対して、本来娘が母親に抱くような感情は持っていない。関わりが少なかったのだ。母親としてよりも社会人としての彼女を尊敬している。母としての部分は、いまだすれ違い、というか、諦めの境地だ。
まぁ、仕事優先でつらいこともあったのは、今なら理解できるが、子どものときはムリだった。おばあちゃんにべったりだったからなぁ。
父も、父親としてよりも、研究者として尊敬している。彼が父であることはうれしいことだが、やはり研究者としての面が強い。それも含め、猫仙人と呼んだりもする。
家族らしい、と言ったら、死んだおばあちゃんと二番目の兄くらいだと思う。
上の兄は、いろんな意味で、ああにはなりたくない、という反面教師だ。ほんと、あんな人間にはなりたくないね。
二番目の兄とは、葛藤が多かったと思う。
勝手に兄と自分を比べ、勝手に劣等感に苛まれ、喧嘩腰になっていた。
彼が独り暮らしをはじめ距離ができ、自分も大学生になったあたりで、兄のすごさを知った。
勉強ができたって、情熱がなかったら大学院に行くな
そう言われたのを、覚えている。
唯一、妹目線で、兄として尊敬している。
仔だめ猫発覚時も、最初に話そうと決めていたし、自分が真に頼りにするのは、この兄だと思う。
あとは、猫かな。
たまくんを筆頭に、今実家にいるチグラまで。
猫達にとっては、ねえちゃんでいるつもりだが、まぁ、奴らにとっては下僕に過ぎないだろうにゃあ
さて、ぼくはどんな親になるのだろうか
やっぱり、猫仙人みたいになるのかにゃあ