怖いものがないという人が存在する。彼らは一見度胸のある肝の座った素晴らしい人物に思えるが、その実クソヤロウ共である。

例えば冷静沈着という言葉がある。物事に動じない、いつでも通常運転なことである。動じないということはその言に則って言えば素晴らしいことだ。それならば有事に慌てず、冷静に行動することが可能である。もしくは明らかに不機嫌を呈した人物に面と向かって発言できる、いわば切り札のような存在になりうる。
しかしそれは絶対的な賞賛に値する特長であろうか?

良くも悪くも怖いものがない人は無敵である。なんてったって怖いものがない。言い換えれば危機感がない。だからこそ冷静でいられる。危険そのものを感じていないのなら怖くもない。
また、怖いものがない人は自分が怒らせた相手のことも怖がらない。たった今人をキレさせておきながら何事もなかったかのように言を紡ぐ。怒らせたその後自分になんらかの不都合が生じるとは思っていないのだ。なぜ相手が怒っているのか、嫌われてはいないだろうか、そういった恐怖の感情が彼らにはない。そもそも相手が自分に怒ろうが興味がないのだ。
それが相手の神経を逆撫でする。喧嘩したばかりで気軽に話しかけられると腹が立つだろう。自分の怒りを理解していない、つまり反省をしていない事実に驚愕するだろう、クソ腹が立つ。そう、怖いものがない人は反省しないのだ。
ここでわたしは声を大にして主張する。

怖いものがないなんてやつは、クソヤロウだ。


そしてわたしの妹はクソヤロウである。