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本当の自分


昨日の記事が二回投稿されてました、すいません。

で。

最近の私は週に二回も夕食時家にいればいいほう、ぐらい外出が多い生活をしています。主に学校・バイト・サークルで、そんなに遊んでるつもりはないけれど、やっぱり週1くらいで誰かと遊んでるから当然家にいる時間は短くなる…


そういう生活になってはじめて気づいたけれど、ある程度家にいる、家族と話すっていうのはものすごく大事なことだと思う。
私の持論ですが、本当の自分っていうのは「何も考えずに会話出来る誰かといる状態」をさすと思っています。「自分」は「他人」がなければ成立しない…ということは説明しなくてもだいたい分かると思いますけど、要するに気を遣わない自分でいられる時間って大事だよねって話です。

しょっちゅうしょっちゅう外に出て誰かと話すのもそれはそれで楽しいけど、そのときの自分の言動は本当に素直な気持ちからなのか、というと案外そうでもないはず。
そういう無意識の気遣いをずっと続けていると疲れちゃうので、なるべく家族といる時間はとった方がいいですよ。家族じゃなくてもいい、自分が頭で考えるより先に言葉に出て、何をしても許されるし許す関係の人なら。彼氏でも彼女でも友達でも。

ていうか私がお疲れなうだから家にいたいってこと(笑)

真昼なのに昏い部屋

の、感想です。これは久々に面白かった本。以下、ネタバレが多い上に長いです。



真昼なのに昏い部屋/江國香織


まず、私が江國さんの小説を読むのは二回目です。一度目は、読書感想文の課題だったので、まあそのために読んだのですが、そのときはとくに何も感じなかった作品でした。(読んだのは「つめたいよるに」)
さて、ではなぜ「真昼なのに昏い部屋」を読もうと思ったかというと、ツイッターで感想のツイートを読んだからです。140字でそこまで魅力を感じたわけではないのですが、古本屋に行ったら一発で見つけてしまったので、これはもう買うしかないと(笑)

江國さんはとにかく、文章が美しいです。柔らかで静かで穏やか。文体をあえて敬語調、そして三人称語りにしているのは、客観的な視点を持ちつつ登場人物それぞれの心情を語るためなのでは、と思います。本文からの引用をすると、


もしも美弥子さんが、何か、ーーたとえばなぐさめ、称賛、女性として、自分に魅力も価値もあるということの確認、あるいはもっと単純に、肌と肌、吐息と吐息による会話ーーを求めているとしたらどうでしょう。


ただ単に「セックスしたいと思っているとしたらどうでしょう」よりよっぽど素敵ですよね。この一文にウオオオと感動しました。
また、この本はざっくり言うと不倫の話なのですが、不倫という言葉の意味とは裏腹にそんな重さを一切感じさせません。本文中でやたらと用いられる「清潔」という言葉は、主人公美弥子さんの人柄と、その背徳的な行為への美弥子さん自身の印象を表しているのではないでしょうか。

このお話で、私の中の不倫像が完全に崩れました。不倫は悪いことで、それは確かにそうですが、そこには悪い人はいないということを強く感じました。悪い人だから不倫をするのではなく、好きな人ができたから好きだと言った。その結果不倫になってしまった。その気持ち自体は悪くない。という感じです。

うん。面白かった。

追記はラストに関わる話ですので読む気のない方だけどうぞ。
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同調行動

今日は少し心理学的なお話をしてみます。長くなりますがご勘弁を。

心理学の基礎の基礎に、「同調行動」というものがあります。
これは例えば、喫茶店で数人の友人たちがお茶をしている。ひとりが話の合間に飲み物を飲む。するとそれを見た他の人が思い出したように同じ行動をする。簡単にですがこれが同調行動です。
「あくびが移る」や「落とした財布を誰も拾わない」等は同調行動の一種で、その意識の中には「これだけ人がいれば誰かがやるだろう」という思考があります。

さて、本題ですが。
私は大学に入学するだいぶ前から「サークルは文化祭実行委員会が気になっている」と公言していました。そして友達作りの第一歩として必ず話題にのぼる、共通点のひとつに「サークル」がありますよね。で、私は素直に話すわけです。

今、私と仲良くしてくれている子たち全員が文化祭実行委員会に入りました。その中には、そういうタイプに見えない(あくまで主観)子もいます。

もし、私の発言に同調して行動したことなら、彼女たちは一年くらいで辞めてしまうのではないだろうか…とか思っています。絶対にそうだとは言えないし失礼な話だけど、正直「え?みんな入るんだ?」と思ってしまったほど意外だったので心配です。そう、要は心配なだけです。いろいろ言ったけれども(笑)

個人の判断にとやかく言うつもりはないけど、他人に同調して自分の行動を決める人生だけは避けることをお勧めする。うむ。

心のコントロール


私は意図的に心の余裕を持とうとしている部分がある、と最近感じます。なんぼ苦手なことでも「なんとかなる」「大丈夫」と思えば大抵なんとかなるし大丈夫なもんです。逆に「嫌だなあ苦手だなあ出来ないなあ」と思ってやれば実際そのとおり出来ないし学習も成長もないのだろうなと思う。
案外人間は単純なもので、思い込みで何者にもなれる気がします。もちろん、思い込みばかりが先行してはうまくいきませんが。

さて、明日も楽しんで生きようかね。

ちょっとまじめ

なんとなく、ちょっとだけ真面目なはなし。

最近、というか、もうずっと悲惨なニュースが続きますね。
アルジェリアの事件は犠牲者の数が増えるたびに何か言い知れない気持ちになりました。
見も知らない外国人を、自分勝手な理屈で殺すのってどんな気分なんでしょうね?それが正しいと思っているのだろうか。正しさを持っていれば何をしてもいいと思っているのだろうか。遠い異国のクソヤロウが何を考えているかは私には計り知れないけれど、そいつらは全員後悔しながら苦しんでしねばいいと思いますね。

もうひとつ、Twitterで見かけた話ですが、「アルジェ被害者の実名は出すなと言っても報道するのに、桜宮の体罰教師の名前は報道しない」というつぶやき。
そこに何の関連性があると思います?
関係ないでしょうが。

だいたい、その教師の名前を報道してどうする?いじめ加害者の問題もそうだけど、関節的な加害者を実名報道するのは間違っていると思う。
別に彼らを擁護したいわけじゃない。むしろ罪を自覚し不幸に生きればいいと思う。
だけどそれとこれとは話が違うと思うのです。

実名報道して、関係のない人間に殺されればいいと思うの?徹底的に叩かれて社会的に抹殺されればいいと思うの?

加害者は苦しむべきだけれど、それは私たちがすることじゃない。無関係な人間は等しく無関係に無関係であるべきだと私は思います。私は加害者にはなりたくない。

ちょっと重いね。
考えてしまったものですから…まあ、いっか。

おやすみなさい。

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