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客観性



少しだけたとえ話に付き合って欲しい。
たとえばこんな話がある。

ある日、病院に来た患者が言った。「花粉症の目薬を処方してほしい」するとそれを聞いた医者はたちまち怒りだし、その患者を追い出してしまった。

この話についてあなたはどう思いますか?たかが目薬でも患者は患者なのだから医者はちゃんと仕事するべきだとそう思いますか?ではもう少し詳しく書いてみます。

ある日、病院に2人の患者がやって来た。1人は顔も真っ青で立っているのもしんどそうなおじいさん。もう1人は見た目はなんの異常もない青年である。医者は先におじいさんのほうを診察したかったが青年は自分のほうが早く来たからと言って聞かないので重症そうなおじいさんを待合室で待たせて青年を診察することにした。
診察室に入り、椅子に腰掛け用件を聞かれた青年は「花粉症の目薬を処方してほしい」と言い放った。するとそれを聞いた医者はたちまち怒りだし、その青年を追い出してしまった。


とまあ、これは神様のカルテ2に出てくる一場面を誇張した私の作り話にすぎないけれども、要はそういうことです。

私はたびたびこういった事態を起こしてしまう。何度反省しても、その人のその一面、もしくはその出来事の一場面だけをもって物事を判断してしまうのだ。もちろん少ない情報だけで物事を決めなければならない状況もあるだろうが、少なくとも自分の主観とは違った見解、事実があるかもしれないということは頭に入れておくべきだと思う。と常日頃感じるのである。
もしかしたらその日そのとき不快に思った誰かの言動は、その人物からすれば正当な主張だったのかもしれないのだから。

客観性というものは大事だなあというお話。


能力



さっそくブログをサボりはじめたのは単純に家にいる時間が多くなってネタがないから(笑)

バイトのシフトを週2日にしてもらいました。大変申し訳ないけれども、そろそろちゃんとやることやらなくてはならないので。せめて出勤できる日は人に迷惑をかけないように、バリバリ仕事したいなと思います。


さて、努力とはなんだろうと最近思います。
努力とはつらいものでなければならないのでしょうか。どれほどの何をすれば頑張ってることになるのでしょうか。
テレビを見て笑う私は頑張っていないのでしょうか、うだうだと先延ばしにして行動できない私はダメ人間でしょうか。
きっと、その通りなんだと思います。

私の決定的に間違った内面は、この誤差からきているのです。
こうありたい自分の位置が不相応に高く、能力の伴わない現実を受け入れられない。足りない能力とくだらない自尊心。そんなものがなければ楽なのに。

たとえば勉強なんかできなくたって、自分がそれを卑屈に思わなければ相応なのだから。できない自分が基準であり、頂点が欲しいわけじゃない。努力が終わるわけでもない。能力の限界以上を求めなければ苦しまない。
自分もそうであればいいのに。
理想ばかり高くて嫌になります。できもしないくせに。

やめちゃえばいいのに。

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