スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

ホリデイは、もっと評価されていい




やらなければいけない事や、解決しなきゃいけない問題とか、いっぱいあって。



それらを抱えてしまうのは自分自身の責任だと分かっていて


一つ一つ、自分のやるべき事を潰していかなければいけないのに、それを後回しにしてしまう。



いけない事だと分かっているのに、問題に直面すると、見ないようにする。



だから毎日のように悩みイライラするのは、間違いなく自分の所為。


自分が本当に嫌になって、まるで現実逃避のように他人を見る。




どうしたらこんなにうまく立ち回れるだろう。


ふと周りを見ると、自分は本当に駄目人間だと気付く。



優しさ、協調性、責任感、仕事、他に色んな事




みんな普通にやっているだろう事。どんな人でも駄目な所はあるけれど、それでもやっていけている事。



他人と比べて自分は駄目だと感じ、それをわかっていながら、自分からは何もしない。



問題もわかっているし、やる事もわかっている。



それはとても簡単な話。


ちゃんと謝ればいいとか、素直に話せばいいとか、そのレベルの話。



どんな問題も、突き詰めればそんな話でしかなく

そんな当たり前で、簡単な事さえ出来ない、というかやらない自分がいるだけ。

誰かのせいにして、環境のせいにして。納得している。




でも、やらないんだろうな。まだやらないだろうな。変わるとか、そんな事有り得ないと分かっていながら、割り切れずにいるんだろうな。






『ホリデイ』と僕の日常がここまでリンクしているわけではありませんが、この歌は『駄目な自分と自分の日常』をテーマにしていると思います。



僕の中でのイメージは、布団の中でずっとグダグダしていて、『あと10分だけ、寝かせて』と思ったり『今日は、休みじゃなかったっけ』と現実逃避したりする自分。



なんと言うか特に冬とか、あのあったか〜い布団の中にいる時の自分って、世界一駄目な時だと思うんですよ。


で。自分の駄目の所は何だろうって考えてみると、この歌とピッタリはまる部分が多いと言うか、結局同じ事を言っているんですよね。



自分のやらなければいけない事、抱えている問題、それらに向き合えない自分。



一定のリズムで淡々とした曲調で、歌詞もそこまで聞き手に訴える訳ではありませんが、誰でも共感できる部分の多い歌だと思います。(初めはなんでここまで自分と重なるんだろう、と思ってました。恥ずかしながら。)



なので、嫌な事があって卑屈になる時にこの歌をよく聞いています。




少なくとも君には味方がいるよ、と背中を押してくれる、そんな歌。
この歌は良い。もっと評価されてもいいくらいです。

ガラスの考察




だいぶ放置してしまいました。



そのつもりはないのですが、強いて言うのなら時間が経つのがボルトより早い。



一般的に、時間が経つのを早く感じる時は、幸せを感じている時みたいですが、この場合はたぶん違うな。



ただ単に年を取ったせいかなぁ。30になると早いって言うしなぁ。



だからゆっくりしたいですね。時間を気にせずゆっくりね。南国の浜辺でトロピカルジュースとか飲みたいね。



まぁそれはずいぶん先の話。



夢を見るのもいいけど、僕らはイマを生きているのだから、イマを一生懸命頑張って、考えて、探さなければならない。
そうでなければ、先の事なんていつまで経っても夢のままです。





――というわけで、そんなイマを赤裸々に歌う『ガラスのブルース』です。



この歌が作曲されたのは藤くんが16歳のとき。その頃は上京したてで住所不定の状態らしく、知人の家を転々としていたり、たまに公園で野宿をしたりしながら新宿アルタ前で演奏をしていたそうです。


そんな中で作られたこの歌は、現在のBUMPには見られない荒々しさがあり、心の奥底から出た魂の叫び声をそのまま表しているかのようです。



叫び声と言っても情熱的な歌という訳ではなく、歌全体にあるのは物悲しさ、切なさ、哀愁などと言った感じです。これが良いんだなまた。




で。この歌は『ガラスの目をした猫』が主人公なわけで、自分の居場所を探しながら歌い続けていく物語なのですが、この『ガラスの目』ってどういう意味なんでしょう??




何かの比喩表現でしょうか。

僕が最初に思ったのは『死んだ目』とか『生きていない目』とか、同じ比喩的な言葉で『死んだ魚の目』とかに近いものかなぁと思っていました。



それは後に、藤くんは自分の目にコンプレックスを抱いていた事(確か家族に批判されたとかそんな理由)を知り、この歌の『ガラスの目をした猫』が藤くんと似たような境遇を生きている事からも、余計に『ガラスの目』が否定的な意味なのではないかと思うようになりました。




でも、ガラスを使った言葉は他にもあります。


例えば、もろいもの、壊れやすいものの意味で『ガラスのハート』『ガラスのミッション』とか。


あとは包み隠さず明示する意味で『ガラス張りの経営』とか。




んー。でもあまりピンと来ないですね。
包み隠さず自分を表現する、という意味では後者の方が近い気もするけど。どうでしょう。




あと『ガラスの天井』という言葉もあります。


これは透明であるが故にガラスそのものが見えにくい状態で、人間社会の中で制限がある場合に使われる言葉です。



例えば人種であったり、性別であったり、学歴であったり。

自由な世の中と言いつつ、そこには見えないけど確かに存在し、超えられない壁としてあるもの。




『ガラスの目をした猫』に当てはめて考えると…世間と自分との間にある見えない壁を持つ猫?



考え方や、生き方が違い、周りと壁を感じている。とか?




そういえば『present from you』の特集で、中学を卒業して入った進学校が、みんな頭が良くて何となく周囲の雰囲気と馴染めなくて、一年で中退した、みたいな事を言ってましたね。




少なからず、この歌と当時の藤くんが重なっていても不思議ではないと思うので、この線が濃厚なような気もするけど…。



歌詞全体を見るとあまり合っていないような気もする…(--;)




まぁ、あとは聞いた人の感じたまま、という事で…(ぉぃ)




全然関係ないかもしれませんが、同じアルバムに収録されている『ナイフ』にもさり気なく猫が登場していて、僕はこっちの方が当時の藤くんが反映しているのではないかと思います。








『僕は今夜旅に出るよ 僕の行きたい場所に行くよ』







やっぱりトロピカルジュース飲みたいなぁ…。






なんか結局解決しないガラスの考察でした…。
前の記事へ 次の記事へ