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BUMP OF CHICKEN「国立代々木競技場第一体育館」までG



プライベートでバタバタしてたらあっという間に一週間以上放置してました。



なんだろ。僕は「30」という言葉に捕らわれているのでしょうか。
20代と比べると、体力とか、持久力とか、色々、なんか負けている気がする。そんな気がしちゃう。



人は年齢で変わるものなのか、
経験で変わるものなのか、
それとも、変わってないけど、自分が変わったと思っているだけなのか。


たぶんその答えは。









「ディアマンとダイヤモンド」



「グッドラック」のカップリング曲である「ディアマン」


アコギと藤くんの声だけのシンプルな歌♪
なんかどんどん好きになって最近よく聞いてます



「R.I.P」以降から見ると、とても個人的な内容で、藤くんの内面が歌われていると思っています。勝手にね。

これは「藤原基央」と、そして「BUMP OF CHICKEN」を表しているのかな。


少し話がズレちゃうけど、
BUMP OF CHICKENを好きだからこそ、よくある酷評ってありますよね。まぁだいたい見て凹むんだけど。



「BUMP OF CHICKENは変わってしまった。」

「前のような鋭い歌詞のが好きだった。」

「歌詞が大人になってしまった。」




BUMP OF CHICKENって、そんなに変わってしまった?



わりと最近好きになった僕には、その辺りの事がよく分かりません。


でも初期からのBUMPファンの方には、少なからずそう感じる部分はあるようです。



「タイアップの受注生産のような楽曲が増え始め、良くも悪くも、バンドとしての在り方が変わってしまった。」



これはBUMPに限らず、売れるミュージシャンとは、そういうものじゃないでしょうか。

「天体観測」がヒットして、世間から若手実力派バンドと呼ばれていた彼らも、早いもので皆30を越えて、その時とは周りの環境も、バンドとしての立ち位置も、ずいぶん変わった事だと思います。



でも、この「ディアマン」



「何も知らないんだ 多分、全然足りないんだ まだ。

その声とこの耳だけ、この声とその耳だけ。」



一番最後に出てくる歌詞です。

僕が思うに、ここでの"声"とは、藤くんの歌声でもあり、ファンからの声ではないでしょうか。
そして"耳"とは、聞いてくれるファンの耳であり、ファンの声を聞く藤くんの耳の事なのかなぁ。と。



自分の伝えたい事や自分が歌っている意味、そしてファンからの気持ち、
それらに応えきれているのか。
「ディアマン」での藤くんの歌声と言い、『俺はまだ、なにも掴みきれてないんだ!』と、言わんばかりの、まるで藤くんの訴えが聞こえてきました。


切なさとも、悲しさとも少し違う歌声。
最近の藤くんって、最近よくこんな声だすよね。
全然関係ないけど
「やすやすと気は許さないさ」
の所とかいつもドキドキする。
「さ」の言い方がもう…。


その前にも、

「変わってしまったシンガー。昔のようには歌わない。
がっかりした。
そのうちなくした。興味を。」

とかいう。


なんかもう、いじらしくて。

なにこれ。母性愛です(*´д`*)





というのも、作中に出てくる「少年」と「シンガー」


僕は、少年=藤くん
シンガー=BUMP OF CHICKEN ではないかと、勝手に想像して聞いているからです。
まぁだからって「母性愛です」はおかしいけど…。




さて、タイトルの「ディアマン」

ディアマンとは、どういう意味でしょうか。


ポルトガル語で「ダイヤモンド」の読み方らしいです。



そうです!
メジャーでの1stシングル「ダイヤモンド」


これはただの偶然?いやいや違うでしょ!
これには絶対必ず意味があります。




「BUMP OF CHICKENは変わってしまったのか。」


僕は、やっぱり変わったのだと思います。

バンドとしての在り方もそうですが、単純に演奏力や表現力も、そして藤くんの歌詞も。


それは変わった、というよりも、バンドとして成長したという言い方の方が正しいかも。
…なんか少し上から目線な感じですが。


でも今の自分と「ディアマン」が妙にシンクロしたのはそこかも。

「変わってしまった」と周りが評価したのなら、それは他人事ではないし、
自分自身、昔と変わったと思う所も、確かにある。

でも性根はずっと変わらないものです。
僕で言えばこのマイペースな性格も。



「何にだってなれない。

何を着ようと中身自分自身。」





でもですね…。
そんな事言ってるけど、やっぱり…それもちょっと違うかな!


だって、BUMPは変わったっていうけど僕は今のBUMPも、「ダイヤモンド」を歌うBUMPも、両方好き。


好き。好き。両方好き。
本当に好き。(しつこい)



記事を書いてる時ずっと「ディアマン」と「ダイヤモンド」を交互に聞いてました。

歌詞や演奏や歌い方の表現も違うし、「ダイヤモンド」の時の藤くんに「ディアマン」はきっと作れない。


でもこの2曲に共通していたのは「自分」をテーマにしていた事。


ダイヤモンドの「世の中に一つだけ、かけがえのない生きている自分」こそ、変わらない「藤原基央」じゃないでしょうか。



最後に、「ディアマン」と「ダイヤモンド」が単なる偶然ではないもう一つの理由は、「ディアマン」での間奏が、「ダイヤモンド」の「何回転んだっていいさ〜」のメロディーが使われてません?たぶん。
これたぶん勘違いですけど。


「藤原基央」 あなたは世の中に一つだけの人です。







あなたは、どう感じました?



「ディアマンとダイヤモンド」
おわり。

BUMP OF CHICKEN「国立代々木競技場第一体育館」までF





前回の「車輪の唄と銀河鉄道」で、歩さんとすずさんがコメントをくださいまして、
僕は「銀河鉄道」を前よりも前向きな歌として聞けるようになりました!



説明しますと、「銀河鉄道」という歌は、主人公と登場人物は、実は天国へ、もしくは来世へ向かっている最中の物語なのでは?!と解説したのですが、
僕が思っていたよりコメントの方が素敵な解釈でしたので、すっかりそっちへ乗り換えました(笑)




歌は、聞いた人のものだと思います。

その人の思い出があって、心境があって、その中で色んな解釈が生まれるものだと思います。



それに対して、「その解釈間違ってるからw」と馬鹿にするのは本当に失礼な事だと思う。




ただ。
前回の「車輪の唄と銀河鉄道」は歩さんとすずさんの解釈の方がずっと素敵でした。
嬉しい納得です



考えてみれば、
藤くんの詩は確かにネガティブだけど、だけどそこには、いつも「今」を生きている人達へ向けている熱い思いがある。



ネガティブだけど熱い。


分かっていながらそこに気付けなかった僕はまだまだです。


という感じで、BUMP OF CHICKENの歌をもっと熱く語っていけたらとても幸せです。







「ギルドとEver lastihg lie」



この2曲を同時に扱うなんて、恐れ多いを通り越してもはや、無礼者に成り下がりました。




先に言います。この歌はすでに完成されている歌です。
変な解説なしで感動できる歌です!
なので…これは…僕個人の考えですので…ご注意ください。






僕が初めて聞いたBUMPのアルバムが「ユグドラシル」で、そしてBUMPの凄さに気付いたのが「ギルド」

世の中に、こんな歌詞を書く人がいるんだぁ、というのが最初の感動でした。

その後に出会ったエバラス。



エバラスの、とても悲しくてそして愛らしいラブソングに胸を打たれました。
愛してるだの、会いたいだの言う陳腐なラブソングとは一線を引く歌だと本当に感動したんです。


でも、主人公の最後の言葉だけ疑問が残りました。




「俺の夢って何だったっけ?
何がここまで俺を動かしていたんだっけ?
大事な何かを待たせていたような…」



恋人の為に夢を追っていたのに、その理由を忘れてしまった。
あまりに長い年月が経ち過ぎて、男はついにボケてしまった。


そんな風にも取れる最後の歌詞。


でも、男は本当に愛する人を忘れてしまったのか?



そんなはずはない。

別れても尚、死んでも尚、忘れられないのが愛という奴です。だから連続ドラマは今も人気なのです。たぶん…。





「ギルド」は、エバラスの主人公の目線から見た歌だと思います。
目線というよりも、心情というか、心が反映されているというか、そんな感じです。


……とりあえず!それがエバラスを聞いて、その後にギルドを聞いた感想でした。




「奪われたのは何だ。奪い取ったのは何だ。
繰り返して少しずつ忘れたのだろうか。
汚れちゃったのはどっちだ。世界か自分の方か。
いずれにせよその瞳は開けるべきなんだよ。」




僕の心に響いたその言葉は、そのままこの男に当てはまりました。




「ギルド」とは、中世より近世にかけて、ヨーロッパで商工業者の間で結成された職業別組合です。
そこには厳しい階級制度があり、商人が市政を独占していた時代。
石工、手芸なので暮らしていた人は身分が低かったようで、今では考えられませんが、それこそ、犬猫同然の扱いだったようです。



シャベルを持って、太陽に身を焼かれても必死で這い上がろうとするのは、
金さえあれば、恋人を救えるという悲しい男の願いではないでしょうか。




「人間という仕事をクビになってどれくらいだ


とりあえず汗流して、努力をしたつもりでいただけ。」



「与えられてクビになって、どれくらいだ。

なにしてんだ。望んだんだ。
仕事ではない、わかっていた。」





ギルドとエバラスを聞いた時、僕も同じ男だから胸にきた理由が少し分かりました。



自分の夢とは、なんだったのか。




僕にはまだ家庭はありませんが、おそらく仕事をする理由は愛する人を守る為にあると思います。

それがどんな形になっても、間違いなくそこに愛があると思います。



一体この記事で何回「愛」と言ってんだ俺は(笑)



でも、エバラスの主人公も最初は夢に向かってがむしゃらに頑張っていたのだと思います。


でも、誰にも弱音を吐かず、たった一人で泣いて、本当の自分さえ見失ってしまったとしたら、
最初の頃に約束していた事も忘れてしまう事もあるのかな。



ギルドとエバラスは直接繋がりはありませんが、こうして物語の主人公達の思っていた事や、エピローグが他の歌に隠されていて、それを発見するのも楽しみの一つかもしれません。







あなたはどう感じましたか?






「ギルドとEverlastinglie」
おわり。

BUMP OF CHICKEN「国立代々木競技場第一体育館」までE

ちょっと間がありましたが、やっと記事を書けます。嬉しい

BUMP OF CHICKENを語る時が一番ワクワクします!





BUMPの生み出す歌詞は物語性が強く、とても魅力的です。




そこからさらに深く掘り下げて、
もう狂ったようにBUMPの歌を聞き続けていくうちに、今まで感じなかったもの、気付かなかったものがだんだん見えてきます。
そしてさらに歌の世界観が広がるのです。





それは、歌と歌との繋がりです。



BUMP OF CHICKENの歌の魅力はその一曲だけではなく、
関係がないと思われていた歌が、実は他の歌との繋がりを持っていた…
という所にあります。




たくさんあるので、全部紹介したいので、
何回かに分けて紹介したいと思います…。





「車輪の唄と銀河鉄道」



BUMPファンの中で、最も有名なのがこの2曲。




車輪の唄は9枚目のシングル曲であり、
銀河鉄道はその次のシングル「プラネタリウム」のカップリング曲です。



一見すると関係なさそうですが、歌詞をよく見ると、その関係性がよく分かります。





車輪の唄…


「線路沿いの下り坂を風よりも早く飛ばしていく、君に追いつけと。

錆付いた車輪悲鳴をあげ、精一杯電車と並ぶけれど、ゆっくり離されていく。」


「約束だよ、必ずいつの日か、また会おう。

離されていく君に見えるように、大きく手を振ったよ。」







銀河鉄道…


「自転車を漕いで手を振る人。見送りたい人がいるのだろう。

相手を思うならやめてやれよ。

ちょっと恥ずかし過ぎるだろう。」


「僕の体は止まったままで、あの自転車を遠ざける。

本当はとても羨ましかった、僕は止まったままだから。」





これは、「車輪の唄」の主人公の彼女と、「銀河鉄道」の主人公は同じ電車に乗っている事を示唆しており、
必死で彼女を追いかける男の姿を見て、「恥ずかしい奴だなぁ」と皮肉な目で見つつも、羨ましい気持ちを抱く描写が描かれている、と言われています。





なんか主人公の彼女とか言っちゃったけど、「車輪の唄」には恋愛描写はありません。
あくまで想像なんだけど、これに関してはほぼ確定と言っていいんじゃないでしょうか。

どうでしょう。





でも。ここからは完全に僕の解釈ですので御注意ください。
またこいつ変なこと言ってんな。やっぱイッてんな。
な感じで優しく見守って下さい。






この2曲に共通しているのは「電車」



2曲とも「行き先」が明確になっていません。
いったい「行き先」はどこでしょう。




「車輪の唄」だけ聴くと、若いカップルの別れの曲のように聞こえます。


若いカップルというのは、小学生とか中学生くらいですかね?


電車で別れるなんて、親の事情で引っ越すくらいしか想像できませんから。



でも、それはそれで不思議なんですよね。


自転車で移動しているから、彼女の親はいないわけで…。

歌の歌詞には、
「おととい買った大きなカバン、改札に引っ掛けて通れずに、君は僕を見た。」



かなり大きな荷物です。
いったいどうやって自転車に載せたの? 2ケツで。



そこは歌の流れとか、言葉の響きとか、
あまり深い意味はないだろう。
と思っていました。




でも「銀河鉄道」を聞いて、そこから歌の世界観が一気に広がりました。




「銀河鉄道」とはどんな歌か?

一言でいうとなんか現実離れしてます。

タイトルに銀河って付いてる時点で充分に現実離れしてますけど、
気になったのは、はじめの出だしです。




「電車の窓はガタガタ鳴く。

生きた街を遠ざける。

見送る人もいなかった僕の、生きた街を遠ざける。」




なんだか意味深な歌詞です。
「生きた街」とはなんでしょう。


その後、歌の中で三人の人物が登場します。


クマのぬいぐるみを落としたリボン付きの女の子。


主人公の後ろの座席に座っている男(乗車券の主人公?)


そして、自転車を漕いで追ってくる男。



「電車」という限られた空間の中で、主人公が体験した一瞬の物語。



この歌を聞くと、あるフレーズを繰り返し言っている事に気付きます。




「僕の体は止まったままで、時速200キロを超えている。

考えるほどにおかしな話だ、僕の体は止まったままなのに。」


「人は年を取る度、終わりに近付いていく。

動いていない様に見えても、確かに進んでいる。」




「体が止まっている。」

「動いていない。」




銀河鉄道の歌詞の中で、5回も出てくる言葉。



ここまで揃うと、ある仮説が飛び込んできます。



この物語の主人公はすでに死んでおり、銀河鉄道という電車に乗って、天国へと向かっている、
もしくは、来世へと向かっているんじゃないか。



そう思わせる理由の一つに、「銀河鉄道」の歌詞にも出てくる"カバン"。



この歌の中では、
「今までの物語をカバンに詰めてきたのだろう」
と表現しています。



今までの物語。
それって、生きてきた思い出ではないでしょうか。



人はいつか死に、大きなカバンを持って旅立つ。

この世に未練があっても、それは残された人たちへ託し、
またそれを次の人達へ託していく。

ずっとそれを繰り返していく世界。

その中の一瞬の閃光が人生。




後に発表される事になる「supernova」へと繋がっていくのかぁ。と想像したわけです。




となると、
「車輪の唄」の彼女がこの電車に乗ったという事は、彼女はもうこの世にいないという事か?


改札にカバンを引っかけて通れないのは、この世に未練があるから?



なんかそう考えると少し寂しいので、
この歌は、普通に若いカップルの別れの歌として聞いています。

その方が青春っぽいもんね!



あなたはどう感じましたか?









「車輪の唄と銀河鉄道」
おわり

BUMP OF CHICKEN「国立代々木競技場第一体育館」までD

今日はちょっとどうでも良い内容。





僕が音楽を聞くツールはもっぱらiPodです。




BUMPの隠しトラックとか、ライブバージョンとかはクレイビングエクスプローラでYouTubeからダウンロードして、iTunesに取り込んでいるのですが、

先日、iTunesのアップロードした時に、
YouTubeからダウンロードした曲が全部消えました…。



正確にいうと、「元のファイルが見つかりません」みたいな事を言われ、iPodに入れられない状態です。





もう僕は頭まっしろです。
幸い、まだiPodとパソコンと同期してないので、まだiPodの中には音楽が入っている状態ですが、

この先、BUMPの新曲が発表された時、iTunesに新曲を入れたとしても、
それを同期したら、今までのデータが消えてしまうので、
僕は新曲をiPodに入れられないのです。






嫌だぁ!嫌だぁよぉぉぅうそんなのぉぉおお嫌あだぁぁ







ライブバージョンとか、隠しとか、それぞれ音量や音質とか違うから、
一曲一曲丁寧に、愛情もって調整したのに…。


それが、消えるなんて、耐えられない。

でも新曲をiPodに入れないなんてもっと耐えられない…。




もう、どうしたらいいのか。




で、今日決心しました。
次、BUMPの新曲が発表されたらiPodを卒業します。



また、一からYouTubeからダウンロードする事になるけど、

もう、
二度と消したくない…。
面倒くさいとか、そうじゃない。
そうじゃなくて、僕は許せないんです。よくも俺の宝物を…!!





たかが音楽データと思うなかれ…。






今日は、「才悩人応援歌」のライブバージョンでも聞きながら…。



BUMP OF CHICKEN「国立代々木競技場第一体育館」までC

BUMP OF CHICKENの歌はどれも良い。




とは、言いますが、
もちろん、日によって、気分によって、BUMPの歌の中でも、
僕の中で好みは変わります。




それでもなぜか、


なぜか、いつの時も、
特別「一番好き」というわけじゃないけれど、



とても「聞きたい」という衝動にかられる歌が2曲だけあります。







@ プラネタリウム

アルバム「orbital period」



この歌は、いつ聞いても心に響きます。
そして、いつも聞きたくなっちゃう歌です。



理由は、今でも…よくわかりません。
良い歌なのは間違いありませんけど。




BUMPの中で、強いて言うなら「ロストマン」や「ギルド」が僕は好きなんですけど、
その理由は、メッセージ性がとても強いからです。
初見ではわからなくても、聞き手にガツンと伝えてくる内容だからです。



でも、「プラネタリウム」は、それらと比べても抽象的な歌詞だと思います。



言葉はとてもリアルなんだけど、
歌の、本質に辿り着けない内容。



なんど聞いても、歌を解釈できません。


でも、心に響いてきます。




「四畳半の片隅には、
ここにしか無い星がある。
傷付かず、傷付けないままで、
君をついに閉じ込めた。」



「四畳半の窓を開けて、
見上げれば現実が巡る。
実在しない星を探す心が
プラネタリウム」




僕が一番しっくりくる解釈が「片思い」です。



「片思い」は、叶いもしない気持ちと相反して、
目指すべきものがある確かな感情。

まさに、星を眺めている人の心だと思います。



「プラネタリウム」はとてもピュアな歌。
それが、僕の解釈です。



100%この歌を解釈できなくても、
いつもこの歌を聞きたくなっちゃうんですよね。







Aダイヤモンド


アルバム「Jupiter」



「何回転んだっていいさ。
擦りむいた傷をちゃんと見るんだ。」



出だしです。



伴奏もなく、
いきなり藤くんの声から始まります。



たぶん、僕はこの出だしがとっても聞きたいんです。



別に、特別に落ち込んでいる時でもないですよ、

いつもの日常の中で、暮らしながら、仕事しながら、
あたりまえの日々を生きながら、
ふと、この出だしを聞きたくなる感じ。



藤くんの、力強い声の、
「ひとつずつ、ひとつずつ、何かを落っことしてここまできた。」


と、イヤオン越しからでも言われたいと思うのです。
藤くんの声が聞きたくなるのです。




ここまで、ひきますか?

普通、そうです。まっとうな人間なら。


でも、こういう話ってここでしかしないんですよ。


周りにBUMPファンがいなくて




さて、今夜は「ホリデイ」でも聞きながら…。
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