自分が悪いからだ
そんな風に、穏便にすることを優先して
自分を誤魔化そうとしていたのだと思う。
でも、もうそんなことはしない。
誤魔化しをしない。
では、悪いのは相手の方?
そうじゃない。
そんなジャッジは要らない。
自分に要るものを受け取り、
要らないものは受け取らない。
こういう理由で受け取らないよ!
それを相手にハッキリと意思表示する。
そう考えれば良いのではないのか?
それで相手が嫌な思いをしようと、
それは、自分を誤魔化さないということよりも優先されることではない。
。。。
そこに、
正当性があろうがなかろうが
社会的必要性があろうがなかろうが
宇宙の法
において、そこに『愛』はない。
愛がない?!
そこに『一大事』がある!!
宇宙の法における
『愛がない』とは、
只事ではないΣ(°∀° )!!
宇宙という存在に属している我等。
宇宙の法における、最優先事項の『愛』がない…とは、とは、
それこそ一大事😱!!!
他者への批判なんぞ、
即刻止めよ!!!
とんでもない、『一大事』だーーー!!!
😱😱😱😱
m(_ _)m
和多志が通勤に使っているバス停の傍のイチョウの木。
街路樹の
イチョウの木。
根っこ付近の幹はキツキツ。
枝を思うように伸ばせない、
切り落とされもする。
なので、幹の何処からでも枝を出し、葉を出す。
そうしないと木を維持出来るだけの、空間からの養分が取り込めない。
だからとても不格好。
そのまだ茶色になってない枝を、いい歳をした年配の男女は、夢遊病者のように先端を折ってその場を何気なく去る。それを何度か見た。
木の根っこの周辺の僅かな土には、タバコの吸殻、よく分からない銀紙みたいなゴミ、様々なゴミ。
枝の付け根にあったティシューのゴミは、取り除いたことはあった。
そして今日は、小さ目なUSEDのビニール袋に、根元のゴミを全て拾うことが出来た。
床に入ってそのイチョウの木を思い出した。
イチョウの木のたもとにゴミを捨てる人間。
それを見て、何とも思わない人間。
それを拾う、和多志のイッパイイッパイさ加減。
(すんなりとは拾えなかった。勇気を出して拾った感じ
)
どれもとても悲しくて泣いた。
イチョウはね、和多志達の為に、こんな街中で生きていてくれているの。
こんなに不細工な姿になって、
こんな窮屈な思いをして立っていてくれているの。
枝もね、バランス良くなんて切ってはいないの。建物のある片側だけ極端に短くされているの。歩道はとても狭いの。
その狭い歩道の隅に、窮屈に埋め込まれているの。。
そこに人々はゴミを捨てて、誰も何とも思わないの。
あちこちから無造作に出した若い緑色の枝をわざわざ折る年配の人がいるの。
(若い人は恐らく、それはしていないと思う。
折れた枝は一部が繋がっていて、下方向に垂れ下がっている。)
悲しいよね?
悲しいでしょ?
もう何年もここを通っていた(連続では五年、そのいつだか前も、通勤に使っていた時期があった。)のについ先日、
初めて、その木が銀杏を落としていた所を見た。
和多志は無類の銀杏好き(?)。
二個程、丸々と果実ごとの銀杏がアスファルトの歩道に落ちていた。
その周辺には、潰れて時間も経ったであろう銀杏が数個。
丸々と果実のついたままの銀杏を二つ、拾ってそのまま職場へ。
長細い傘用のビニールに何重も重ねたようにして職場へ。
少しも匂いがしなかったし、匂いが移ったり、残ったりもしなかった。
未だにそれは、冷蔵庫の野菜室に。
本当に不思議。
あの場所に銀杏の実が落ちていたなんて。
銀杏の実があの木に実っていたなんて。
去年かなぁ。。
台風で東京の街路樹が大規模に塩害にあったその時も、片側が見事に枯れていた。
今年の台風では、そういえば、塩害ってなかったよなぁ?
あの年だけだったような氣がするなぁ。。。
努力して何かを掴み取りながら上昇して行く時代は終わり、
本来の万能な自分に掛かっていた妨げのフィルターを手放して上昇して行く時代。
(うお座の時代が終わり、みずがめ座の時代に。)
手放して軽くなり、流れに身を任せる。
その流れに同調するには、
自然や大いなる存在に呼吸を合わせるかのように、
神経を研ぎ澄ませる。
そういうことなのだと思う。