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血流の流れを良くする→そうではない

これは例えばの話としてですが、

よく、
こうしてこうして、
血流の流れを良くします。
とありますが、
それはそうでなく、

こうしてこうして、
妨げになっていた要因を取り除き、
本来の血流の流れを取り戻します。

ということなのだと思う。




これを
屁理屈だとか、気難しいだとかということで片付けるべきではない。
すごく重要なことなのだと思う。

そんな視点を持つこと。
感性を持つこと。



このことは、大きな分かれ道を
光の方向へと進むことなのだと思うからです。


コレがそこにあること。
神様が与えて下さった身体を持つということ。


その根底にあるものへのアンテナを正常に働かせるということ。


家庭においても
社会においても、
そんな教育って、殆どないような
そんな三次元の、これまでの地球。



アセンションを果たすMOTHEREARTHと
呼吸を合わせたい。
脈拍を合わせたい。
共振したい。

徐々に
愛の心地よい流れの中で(^^)

和多志が河川敷をジョギングする理由

それは、
自分が河川敷を走る人でありたいから(^ ^)。


まだまだ、一端のランナーとまで、
身体が出来ていません。
途中というか、かなりその手前です。

しかし自分なりに、身体の良い方への進歩は日々感じることが出来ています。
しゃがんで立つ時のスムーズさが一番ですね。
あと走っている時のことで言えば、
呼吸が整うまで、この地点まで掛かっていたのが、
今は走り出しから、すすははの呼吸で走れるようになっています。
やはり始めは、上手く、走るだけのカロリー消耗に必要な酸素の供給が出来ていませんでした。
呼吸が深い所まで行かず、浅い呼吸の繰り返しでは、スムーズに走れませんよね。

そしてフォームにも変化が。
そのお陰で、走る距離自体は減りました。
でも良いのです。その分、内容が良くなっていると思っているので。
今のフォームで、距離も伸ばしたくなることでしょう。
常に、身体と相談しながら、歩みを進めております(^ ^)。

元々、運動も全くして来ずで、勿論、身体のコンディションは良いとは言えなく生きて来たもので、
走ることを通じて、全体のコンディションも整えて行こうと思っております。
そして、登山がしたいです。

以前にも何度かしていましたが、若さに任せての身体ででした。
特に筋肉痛やぐったりとなったりもなく、楽しめていました。
。。。これが、『若いって良いなぁ』なのでしたのね。

数年前くらいには、山登りなんて体力ないってそんな感じになっていました。

やはりフルタイムの仕事をして生計を立てているので仕事にも疲れ、体力的にも、やっと生活しているしている感じでした。

こんな生活を送って来た中、まさか自分が河川敷ランナーになろうとは。。。
でした。
閃きでした。
そして、走りに出るのは、コンスタントではありません。
そのうちにはもしかしたら、コンスタントになるのかも知れません。
仕事のハードさの波もありますし、そこは柔軟にという構えです。

走りに出たいという気持ちに混じって、今日はいいかな…という気持ちは珍しくはありません。
でも走り終わったら必ず、また近々来たいって思うし、
やはり自分に対して、『走っている人でありたい』ので(^ ^)。


筋力の落ち方は激しいですね。
筋力が衰えたことの理由で関節に負担が掛かって、関節痛というのも老化現象としてありますね。
ストレッチも大切ですね。
身体中が、滑らかに動くことが、身体全体にとって、大切ですね。
走る前にラジオ体操(第一と第二)と、テキトーなストレッチをして、そして走っています。

皆様におかれましても、
心身共に、健やかであらせませm(_ _)m。



ではでは
m(_ _)m。
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船旅

人生そのものが、船旅と例えて下さい。
人生の全てが、船での航海です。

勿論、貴方と船とは、
分離の状態の存在です。

そして問いたいです。
その大事な船を、日々、傷むように過ごしますでしょうか?



貴方は日々、地球が傷むように・痛むように、
生活していませんか?





。。。

ありがとう

ありがとう

それを口にするだけで
放つ波動が上がるとか、
その言葉を大切すれば運気が上向くとか。。



でも、、、

その
ありがとうの言葉には、




『当たり前などではない!
有難いこと!

その有難いことをして下さり、
感謝致します!!!』



それがあって然りなのでは??




伏せられて来たことなのでしょうね。

でなければ、
自然に引き継がれていたり、伝搬していたり、
宿っていたことなのでしょうから。




余りにも、
遠のいて来た。
まだまだ
遠のいている。



こんな
素朴なこと。
大切なこと。


。。。



神 ( 創造主 ) は、全てを与え。。。

ある有名アーティスト。
名曲もいくつかある。
容姿も悪くない。
ただ、声が、良い声とは言えない。

神は彼女に、全ては与えなかった、、、
という者はいるのであろう。

しかし、そうではない。
神は彼女に、全てを与えた。
彼女の声が美声でないということを与えている。
彼女の声が美声であったら、彼女に与えられたものは全てではなかったのだと思う。

全ての人に、そして全ての存在に不足なく、
全てを与えたのだと思う。



和多志はあることを知らなく、ある人物にそのことを聞いて教えて頂いた。
ありがとうございます(>∀<)

ほらね、和多志にこのことを与えて下さる為に、
そのことを知らない…を与えて下さったことに、他ならないのだと思う!

全て、全て与えて下さっている!
この世とあの世を貫いたこの存在自体を与えて下さったその時点に、全て不足なく与えて下さった。


必ず、その片側や反対側がある。
その両方で1つ。
満ちた存在の1。

その1は、広がり(発展・進化)を求めて分離を始めた。
でも今の時代は、統合の時代。
分離を重ねに重ね重くなった波動を統合して軽い方へ。
地球自体が波動を軽くしている。
和多志たちもそれに共振すべく、統合を重ね波動を軽く…。
(でもそれは、個々の選択。重いままの地球もそのままあり、その波動の重い地球の住人としての選択も。)

神は和多志たちを生み出して下さったその時、全てを不足なく、与えて下さいました。

今日は、そんな気付きを頂きました
m(_ _)m。
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