和多志もついこの間…
島根県の大地震の後くらいまでは、
神様がいるようには思っていませんでした。
和多志の年齢は、50歳の手前くらいです。
そして未だに、何処かの宗教団体に所属したり、
近付くこともしてはおりません。
しかし、神様や霊などに関する情報の収集のようなことは行っておりまして、
家の中などに何かをお祀りしたり、お供えをしたりもしておりません。
心の中で、思いを寄せることは日々行っております。
このような話を言葉に出して話すことには、
慎重さがあったり、また、殆ど機会もないのが現状かと思います。
それは何故か。
目に見えないそのような存在を悪用する存在と、
またそれを大々的アピールして、
八百万の神の国・日本を切り崩そうとする存在の仕業だと思う。
騙されたくないし、
神様や霊などの世界への抵抗感を
植え付けられてしまった。
しかし、考えてもみて下さい。
神様もいないし、霊の存在もないなんて言い切ることこそ、
無理がありますよね?
日本社会がが神様や霊の存在に寄り添わないような生活を送る期間とは、
先の大戦後の、ほんの70年くらいのことだそうで、
それ以前の日本は、神々様や霊の存在と共に、全てがあった。
敗戦後、GHQが日本を解体する画策をし、
欧米化して色々買わせようともしたり。そんな経緯なわけだ。
そして和多志達は、
圧倒的に『知らない』。
知る機会を奪われ、遠避けられ、阻害されて、こんな社会が出来上がった。
でも否定をする割には、
当たり前にお葬式をしたり、法事を執り行ったり。
本来、仏教において、
生きているその人々の人生におけるものなのに、
主立っているのは、亡くなった方の為のものになっている。
宗教的なものを唱える存在には、
要警戒となっているのも事実。
そんな中、正しい宗教的なものを探求することを御座成りにして良いものか?
それは違う。
そのことに気付くことが出来た和多志は、なんと幸福なのだろうと、
日々の全てのことに、感じざるを得ない。
自分の人生があることにおいて、とてつもなく重要なことであり、
喜びであり。
その気にさえなれば、
その類の情報はいくらでもある。
お一人でも多くの方に
一刻でも早く、この事実を掴み取って貰いたい。
そして、社会に蔓延して欲しい。
望んだり願ったりは素晴らしいこと。
でもそれだけでは前進しない。
それに沿った行動や努力!
物質社会で生きる人間と、神様や霊的エネルギーとが、そこで一体となって開けて行く。
精神的なこと。
そして、この肉体を授かった魂(霊)としての行動的努力!
このことこそが、全ての目的と、目的へと目指すことの全て。意義。
神々様ですら、ひたすら進化や向上を目指しているとのことです。
それには、多角的に、多方面からアプローチを掛けておられるとのこと。
我々がこの物質界での日々ならではの、進化を担っており、
ただ放り出して進化を命じているのではなく、
ここで我々の精神的なことの上での実際の行動と努力に御見守り(守護)やお力添えとして一体となり、全体、そう、この世とあの世との全体の向上となる。
この物質界において、我々が苦しい、時には酷いことがあった場合に、
神様っていないのでは?そんな思いや話が起こったりがある。
しかし、そうではない!
神様が全てを与えていては、ただの人形ではないか?個性も要らない。進化も何も、存在の意味だってどうだ?
この世とあの世が分かれている意味だってないのではないか?
起こったことは、起こしたこと。
そこから何を生み出すのだ?憎しみか?不貞腐れか?そうではなく、現状回復からの発展ではないのか?
物質的、精神的、文化的…そうしたものの、向上ではないのか?
反論は出来ないと思うぞ?
それ以前に、
なかなか反論に至るまでの踏み込みも程遠いわけだが、
地道にやるしかない。
あの世のスパンは、とっても長い。
守護霊様の格であれば、大概は、死してから200〜300年くらいで、
神様からの免許を授かるそうですし。
それに対し、あの世を信じず、
死してこの世を苦しみながら、何百年もひたすら彷徨っている霊もあることですしね。
そしてその原因となったのが、この物質界での、ほんの二〜三万日での短い人生の中でのこと。
そうなったら、何とも狭苦しい世界なのでしょうね。
その外とは、果てしなく広いというのに。
光や喜び、感動。。。
長くなりましたので
今回は、これまでm(__)m