N黒
「キミに、知っていてほしいんだ」
爽やかな初夏の風に吹かれ、Nは若草色の長い髪をなびかせてそう言った。
「何を?」
ブラックは尋ねる。
1年をかけた長い旅の末、ようやくNを見つけたブラック。
そんな二人は、今はヤグルマの森で、手を繋いで歩いていた。
デートというには甘さのないそれは、Nがブラックを突然連れ出したことで始まった。
最初温度差のあった二人の手のひらは、今は溶け合った温もりを孕んでいる。
葉の擦れる音だけが辺りに広がって、とても静かだ。
そうしてポケモンの気配のないうっそうとした森の奥深く。
それまで会話のひとつもなくただ黙って手を引かれていたブラックに、Nは唐突にそう放ったのだ。
不思議そうに首を傾けたブラックを、Nはいとおしいものを見るような目で見つめ、繋いだ手をそのままに、空いている手でブラックの肩を抱いた。
それに驚いて身動ぎするブラックだが、すぐに抵抗をやめた。
何故ならNはいつもの飄々としたそれではなく、真面目な顔をしていたからだ。
Nが何かを言おうと口を動かすのを、ブラックは静かに見ていた。
そうしてどれだけたっただろう。
一瞬かもしれない。一時間かもしれない。
長くも短くも感じる時間の終わりに、Nは小さく呟いた。
「ボクの、本当の名前」
「名前…」
「そう」
ブラックが復唱するのを、Nは肯定する。Nって、名前じゃなかったの?そう聞こうとして、ブラックはやめた。
そうだ。良く考えれば分かることだ。
Nなど記号だ。人の名前ではない。
ブラックはNの頭をそっと撫でた。
「教えて、N。俺…僕はそれを知りたい」
「ブラック…」
一人称が素の僕に変わって、Nはブラックの本気を知ったのだろう。
小さく息を飲んで、それからほっとしたように息をする。
数秒の間をあけて、Nは囁くように言った。
「ボクの名前は…ナチュラル・ハルモニア・グロピウス。ナチュラル。母がつけたボクの名前」
「お母さん…?」
「うん。どうやらボクにも母と言う存在はいたらしいから。それよりブラック、」
言葉に僅かな哀愁を残して、Nはブラックをまっすぐに見つめた。
もう一度口を開く。
「呼んで、ボクの名前。本当の、名前。ブラックに呼んでほしい」
真剣な表情をしているのに、どこか寂しそうな口調。
たまらずブラックはNを抱き締めた。
「ブラック、」
「ナチュラル」「え」
「ナチュラル」
ブラックは幾度も繰り返した。
違和感のあったそれは次第に口に馴染み、気付けば自然な響きをもってNに届くようになっていた。
「ブラック…」
「呼んでやる」
ブラックはNを抱く腕に力を込めて言った。
「何度でも呼ぶ。N、いや、ナチュラル。お前が呼んでほしいだけ、僕は呼ぶよ」
Nがブラックに回した腕は、その言葉がブラックの口から発せられたと同時に力を強めた。
密着する体。それが1つになるんじゃないかとブラックは思った。
それほど強く二人は抱き合っていた。
「好きだ、ナチュラル」
だから、消えないで。ここにいて。
言葉にしないそれは果たしてNに届いただろうか。
満ち足りたように笑うNを見て、ブラックはそれをどうでもよく思った。
そうだ。
消えたら探せばいい。
寂しいと泣くなら抱き締めて名を呼べばいいのだ。
「ボクも、大好きだよ。ブラック…」
木漏れ日に照らされているのは幸せそうな二人の笑顔。
太陽だけが、それを見ていた。
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というのを瞬間的に妄想しました。